北欧デンマークおばさんの独りごちブロ

「住み慣れた地域で最期まで」をテーマにデンマーク高齢者福祉を研究し、世界のこと・日本のことを独りごちっています。

ゲール語と英語の2原語表示

2008-08-05 | 国際アイルランド
アイルランドの路面電車「ルアス Luas」は、
アイルランド語で「スピード」という意味らしい。

写真は内部の表示であるが、2言語で表示されている。

この表示は、上が「乗車中はつかまっていてください」
下の赤いのが、キセル時の罰則についてである。

どちらも、アイルランド語と英語の2原語表示となっている。
まず、アイルランド語で表示したのち、あとで英語となっている
点に注目したい。

ルアス内に限らず、アイルランドでは、道路標識などもすべて
2原語表示となっている。

司馬遼先生によれば、アイルランド語はゲール語(Gaelic)と
いうのだそうで、アイルランドの第一国語である。

ゲール語については興味があったので、タクシーの運転手さんに
聞いたところ、
「小学校で習う。家の中ではアイルランド語(ゲール語)で話すよ。
多くの家庭がそうでなないかなあ」とのことであった。
この時かれは、「Irish」という言葉を使ったが、これがゲール語であろう。

別の本によれば、ゲール語を話せる人の就職を優遇したり、大学入試に
ゲール語を必修とする政策もとられていたようである。

司馬遼先生は、ことさらアイルランド人のイギリスへの怨恨の深さを強調する。
何しろ、アイルランド人はイギリス人のことを
「プロテスタント野郎!」とののしるのだそうだ。

そのほかに、アイルランドの沿革を語る上で重要なのは、
彼らがゲルマンでもなく、ラテンでもなく「ケルト人(Celt)」
であることだという。

 「古代、ヨーロッパの中部や西部に住んでいた先住民族で、
  鉄器時代には参加したものの、広域国家を形成せず、家族
  あるいは部族単位で散居していたため外敵に弱く、また歴史に
  強力な足跡をのこすにいたらなかった。
   古代のギリシア世界やローマ世界からみれぶ、ケルト人たちは
  忌むべき蛮族で、鬼のように思われていたらしい。げんにしばしば
  文明世界を侵略しては、殺戮して去った」(アイルランド紀行 I、19P)

しかし、これほどの蛮族ではなく、ゲルマン人にも影響を与えるほどの
文化をもっていた、ということも「アイルランド」(オフェイロン著、岩波文庫)
には書かれている。

いずれにしろ、アイルランド人はケルト人としての誇りを強烈に持ち続け、
英国支配下にも、その原語を温め今日に至っているというわけである。

「アイルランド」の著者オフェイロンは、1900年に英国の植民地である南西部の
コークに生まれ、英国の帝国主義的な文化のなかで育ち、大英帝国の臣民として
生まれたことを誇りに思って、将来は「紳士」になることを夢みていたらしい。

しかし、16歳の時(1916年)にイースター蜂起が起きて、アイルランドの民族主義に
目覚め、1918年にはアイルランド義勇軍のメンバーとなった。

ゲール語は、アイルランド人の母国への愛情と誇りのシンボルと言えそう。
そこで、現在でも2原語表記をしているのだろう。

しかし、19世紀のカトリック開放運動、農民運動の指導者オコンネルは、
「ゲール語を話す貧しいアイルランド」よりも、
「英語を話すゆたかなアイルランド人」を志向した。

かれは、アイルランド民主主義の創始者として、その名前は
首都ダブリンの目抜き通り「オコンネル通り」に永遠に生きている。

デンマークで国民高等学校を創設したグルトヴィのような人なのだろう。
グルトヴィは、19世紀なかばに、
「ラテン語ではなく、デンマーク語での教育を!生の教育を!」
「貧しい人の少ない国を!それ以上に金持ちの少ない国を!」と、
農民教育に力を入れた教育者、牧師、詩人である。

えらく長くなってしまったが、大英帝国への怨恨きわまるアイルランドの
歴史のなかで、母国語ゲール語への愛着がいまだ、町のそこかしこに
感じられるアイルランドなのである。

ちなみに、「薩摩のかみタダノリ」の罰金は 45ユーロ(約8000円)。
デンマークの500クローネ(11000円)より安い。

また、アイルランドはヨーロッパの貧乏国ではもはやなく、
一人当たりGDPは英国を追い抜いている。


鍵を握っているのは医薬品だ。

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