繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

撤去できぬ漂着物、復興の壁 お買物で生活用品復活していた。ぼうずの部屋掃除疲れた。

2011年03月21日 11時25分35秒 | Weblog
朝起きると強い雨に驚く、今日はお彼岸で2箇所の墓地に行かねばで8時に家を出る。
東日本巨大地震の被災地では、法律やルールの不備、平時を想定した規定の硬直的な運用、さらには、国などが明確な指針を示さなかったり、システムがなかったりすることが、被災者支援や復旧に向けた活動にブレーキをかけることもある。「うちの敷地に流されてきた、誰かの車や家財道具がある。処分していいか」宮城県環境対策課には、こうした相談が相次いでいるという。担当者は「止めもしないし、お勧めもしない」と戸惑いを隠せない。「一つ一つ所有者を確認していたら、復旧作業に手が回らない」(担当者)のが現実だ。

日曜日我が家は皆休み、のんびりと思ったが「ばあば」はいつもの時間に起きて朝ごはんの支度です。私も朝の分担をクリアする為起き出す。朝から天気はよくないが洗濯物は多量にありました。7時には全員で朝食を美味しくいただき元気確認です。チビとぼうずは食欲旺盛でニコニコ顔であった。ワンパク君は元気は良いが空回りであまり食べてくれず母親に「甘いミルクちょうだい」の要求で自分を主張。朝食後の私はぼうずの部屋掃除に取りかかる。前以てぼうずには話しておいたので小学生に使用した教科書や教材の整理をし勉強し易い環境にした。10時が過ぎたので「ばあば」と買物です。今日彼岸の中日に2箇所の墓地に出向くので生花とお供物の購入です。二日前はお店での買物が出来ず、昨日は嘘のようにどの店も豊富とは言えないが商品はしっかり在庫があった。誰かが生活商品が無くなると風潮したようです。この元は政府がしっかりせず、後手ばかりであるからです。いまさら自民も交えてこの難局をと言っている総理、もう少し現実を見ては。どうにか必要な物が揃って気持ちよく帰って来ました。午後はぼうずと相談して私は掃除の継続、ぼうずは読書と宅急便で届いた教科書の名書きをすること。加えて私はパソコンにぼうずの友達情報を納める作業です。34名の友達情報しかないよにぼうず「これからの僕を見て下さい」であった。チビは3時からバレー教室で母親が付き添って出かけ5時半過ぎに意気揚々と帰ってきました。ワンパク君は昼ご飯の後ぐっすり寝込み4時半の目覚めでご機嫌で一人遊びをしてくれた。
夕食は全員が揃って和気あいあいとして楽しく食べた。ワンパク君が元気に狭い家の中を飛び回って「ばあば」に叱れていた。でもにっこりでご機嫌であった。

 


食品から放射性物質  ワンパク君熱を出す、チビ・ぼうずはとても元気

2011年03月20日 06時27分47秒 | Weblog
青い空ではなく曇った朝ですが少し寒いです。今日は午後から雨のようです。
政府は19日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて実施した食品のサンプル調査で、福島県川俣町の酪農家が提出した牛乳と、茨城県内の6市町村のホウレンソウから、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性ヨウ素などの放射性物質が検出されたと発表した。政府は原発事故の影響とみて調査し、一定区域内の産品の出荷制限などを検討する。茨城県では高萩市、日立市、常陸太田市、大子町、東海村、ひたちなか市の農家のホウレンソウから最大で規制値の7・5倍の1万5020ベクレル。

土曜日です。我が家ではぼうずが小学校卒業でとてもありがたい日を過した翌日で皆顔が明るい。母親が仕事とのことでチビ達は保育園です。前夜もそうでしたがワンパク君のテンションが高い。朝母親が体温を計ると37度4分、参ったであります。保育園では38度以上は保育の受付をしてくれません。出かける段になってとても元気で心配はしたが意気揚々と出かけて行きました。保育園よりの呼び出し覚悟で待っていたら夕方4時までセーフでありました。連日の騒ぎで小さな子供達も疲れているかも。「ばあば」のお迎えで保育園より元気にお帰りです。ぼうずは4月より学校が始まるまで休みで戸惑っていた。3月の始めに中高一貫校の説明会あり指定した100選より本を3冊読んで感想文を書き登校初日に持参せよがあり、市の図書館に行かせた。計画停電が中止となり図書館は通常道りで探すのに本人曰く2時間を要したと明るい顔で語ってくれた。土曜日はスイミング教室があり3時半より出かけたが一日のすごし方に戸惑いを感じていたぼうず。テレビはやっと普通の番組を少しずつ流すようになったが中々スポンサーがつかないようで四苦八苦している様子が伺われる。相変わらず国のトップの方針・方向の切れが悪く巷での評判が悪い。分らねば分る人に聞けばと思うが見栄なのか聞こうとしないのはなぜか呆れかえる。原発の事故(レベル5)は世界より推移が注目されているが情けない結果で情報が正確に出ていないようです。国の力も借りず頑張っておられる被災者には頭が下がります。
我が家の夕食「ばあば」が毎日買物に出ているが何処も混んで疲れるとのこと。多量買いはせず最小限の買物で美味しくと考えるので昔の料理本を取り出して頑張り孫達より一目を置かれている。何かおかずが一品少なくなっているのは気のせいかな。チビ・ワンパク君はとても元気。心配したワンパク君少しくらいの熱では動揺しない。夕方の体温測定では36度8分であった。チビはぼうずに負けず「ばあば」お替りであった。

地震より津波の被害鮮明に  ぼうず卒業おめでとう。この日もドジばかりのぼうずです

2011年03月19日 08時04分42秒 | Weblog
良い天気の朝ですが雨が降らないのは気になる。今朝も寒いです。
東日本巨大地震で千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が岩手県陸前高田市の死者126人の死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。死因の8割が建物倒壊による圧死・窒息死だった1995年の阪神大震災と対照的で、地震そのものよりも、その後の津波が被害を広げた実態が浮き彫りになった。同市内で13~16日に遺体の検視にあたった岩瀬教授によると、犠牲者の9割は死亡した後に骨折したとみられることなどから、溺死と判断した。屋外で見つかった約90人のうち、4割程度が肋骨(ろっこつ)や首、手足を骨折していた。時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃を受けておった。


昨日はぼうずの卒業式であった。家族に対しては特にプリントもなく月例の予定の中に8時半までお出で下さいとのこと。朝6時ころ学校よりメールです。細かい案内があり当日はプログラムがありますのでお渡しいたしますとの内容。昔の我等の時では考えられない内容。家の用事を済ませ久方ぶりに背広に着替えて出かけようと背広をタンスより出すとどうもいけない15着ある全てが6年も手を通さなかったので洗濯屋には出していたが白いカビのような物、急いで虫干しの為タンスの中の全て外にて物干し竿に吊るす。時間が無いので急いで学校に向かう。卒業式は学校の体育館で行われるとの案内。今年度の卒業式は177名、母親の卒業時は680名と聞いていたがともかく少ない。体育館は全校生徒と父兄は入れないので在校生は5年生のみとのことでの卒業式。私は子供の卒業式には仕事が忙しく二人とも小学校・中学校・高校・大学と出席できなかったが孫の小学校の卒業式に参加出来たこと感謝です。でも私的には違和感がいっぱいで嫌になった。「蛍の光も仰げば尊し」もない卒業式、なんなのであった。何かショウ的要素が強いがこれはずっと行われていた方向であるとのこと。古い私にはどうも納得がいかないがもう少し「恩とか尊兄やお礼等」心が届くのが卒業式との思ったが。式が終り5年生の鼓笛隊が送るとのこと、音楽隊のマーチで始まった。最後に写真の撮影会が校庭で行われ先生と生徒がお互いを確認し会っていたが別れを惜しむというか形式的であり涙を出す場面が見受けられなかった残念。ぼうずが学校より戻ったので昼飯を母親と食べるがあまり感動が無いのは今はやりか。午後より母親は仕事に出て少しすると計画停電です。12時40分より3時30分であり振り回された。歯医者と耳鼻咽喉科に二人を連れて行く日です。耳鼻咽喉科に順番とりに行くと計画停電のため順番とりでなく4時から受付とのこと。4時15分前に保育園を早めに退園させ、耳鼻咽喉科に向かうが入り口を見てびっくり既に長蛇の列、しまったであった。受付が開始されて待つこと20分、25番目をゲットし家に戻る。再度出かけ耳鼻科と歯医者を済ませたのが6時半で疲れた。チビ・ワンパク君も疲れたと思うが二人の協力と「ばあば」に感謝です。家に戻るとぼうずが留守番で計画停電で早帰りの息子に叱られていた。手遊びで大型テレビのリモコンを壊してしまったようです。1ヶ月前も私の災害用のラジオのアンテナを手遊びして折って怒られたばかりです。何度言っても「バカはバカ」しょんぼりでしたが一夜明けると全て忘れるぼうず呆れるばかりです。チビ・ワンパク君は耳鼻科咽喉科、チビは追加で歯医者で待って疲れたのか元気がない。8半過ぎワンパク君体温が37度8分で心配です。少し騒がしい子供達であったが夜はよく寝てくれた。ぼうず「小学校卒業おめでとう」でも卒業証書一部破れて折れ曲がっておりどうしたのでありました。

津波、三陸海岸で15m超す  息子自宅待機、チビ・ワンパク君停電に興奮です

2011年03月18日 06時07分58秒 | Weblog
今日は快晴で素晴らしい朝ですがとても寒いです。ぼうず中々起きません。
東日本巨大地震で太平洋沿岸部を襲った津波の高さは、三陸海岸で15メートル以上になっていたことが港湾空港技術研究所の現地調査などでわかった。上陸した津波は山をせり上がり、海面から20メートル以上の高さに達したとみられる。専門家は「国内最大級の津波だった」と指摘している。同研究所などは16日から、港湾の津波被害を調査している。三陸海岸の宮城県・女川港では、海沿いの3階建てビルの屋上に漂流物が積もり、海に面した側の窓ガラスが高いところまで割れていることなどから、津波の高さは15メートル以上と推定された。


東日本大地震発生より6日目となったが以前犠牲者の数は増すばかりで心の痛みが止まらない。自然の営みには喜びや楽しさを筆頭に癒しをいただけるが一度何かが発生すると凶暴と言うか防ぎようが無いことが発生し我等の生活を圧迫する。恐ろしいことです。
我が家では息子が会社に出ようとするが計画停電で10時まで電車が動かず自宅待機となった。計画停電の分類が異なり会社の地域は12時半よりの停電、まったくチグハグで動きようがないのです。東電とJRや私鉄との話しあいがされず多数の問題を残し計画停電が実行されている。また関東圏における商品の不足についてもガソリンや食品・米・トイレットペーパー等の必需品が買い占められて商品棚から消えている現象。やっとテレビで政府が出したと思われるが買占めの必要が無いと報道していたがこの政府は全てが後手である。考えることが出来る人が政府要人にはいないのだろうか。
我が家も今日はぼうずの小学校卒業式でとても喜んでの朝です。昨日はいつものように起きて特に変わったことは無かった。息子はもしもの期待で会社に出かけたが電車が動かずお帰りです。チビ・ワンパク君は母親の都合で30分ほど早くお出かけでしたがとても喜んでいた。保育園の方より計画停電が3時20分からですので早いお迎えをとの依頼。息子が電車が動いたので出かけると言い「ばあば」が駅まで送る際、ガソリンスタンドで灯油を販売していたとの情報、急いで二人で出向いて18リッターを購入する。ぼうずは卒業式前日と言いながら浮かれて帰ってきた。友達の住所をたくさんゲットしたとノートを大事にしてのお帰りです。先生よりコンビニで災害義援金募集していたのでしてきたとのこと。計画停電が二日目で保育園部隊を早めに迎えに行った。母親を除いて皆揃った。3時20分の計画停電が40分より実施される。少し緊張するが時間の経過と共に寒くなってきたがチビ・ワンパク君は興奮してはしゃいでいた。6時半を過ぎると外は暗くなりローソクとカンテラ(発光ダイオード)で灯り、ラジオをつけて談笑です。夕食は5時半よりとすると子供達はとても喜んだ。「ばあば」が午前中より仕込んだカレーでチビ・ぼうずはお代わりでワンパク君も美味しいの連発でした。母親が仕事で8時50分の帰宅です。とても疲れたの連発でしたが問題なく一日過せたことに感謝です。

天皇陛下、東日本巨大地震でメッセージ 地震の爪あとが酷い、我等の地域もおかしい

2011年03月17日 08時40分31秒 | Weblog
今朝はとてもよい天気です。昨夜は計画停電、初めてのことで子供達は興奮。
宮内庁は16日、天皇陛下が東日本巨大地震に関し国民に語りかけられた約5分半のビデオメッセージを発表した。この中で陛下は、被災者を案じ、救援関係者をねぎらい、国民が深い悲しみの中にも希望を捨てず、苦難を分かち合って乗り越えることを願われている。災害を受け天皇陛下が国民に映像を通し語られるのは初めて。
ビデオメッセージで語られた内容は次の通り。この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

3月16日(水)の朝刊を5新聞購入する。一面は「放射能広範囲」・「放射線量が異常値」・「富士宮震度6強」・「首都にも放射能飛散」「超濃度の放射能観測」・「高濃度放射能漏れ」等のたいへん大きな活字に驚かされた。そうです福島原発の原子炉が爆発・炎上の繰り返しで当事者の東電の要領がよくない説明と政府の対応が後手で全世界から注目されておるが悪い方向に向かっているからです。産経新聞では「非常事態宣言」なぜ出さないと噛み付いた大きな記事。日経では4号機火災・2号機破損、一時400ミリシーベルト。読売では「身体に影響の数値」年間限度の400倍。凄いことばかりの記事で目を疑う。ほんとうにこれからの日本は大丈夫か心配です。日中のテレビ放映でも3号機・4号機の火災等で次から次へと目まぐるしく変化して行く状況。政治のトップは大丈夫だろうか!午後より株式相場の案内や円高が進んでいるとの報道。
我が家では私鉄が動いたので息子を駅まで送るが日祭日の時刻表のダイヤとの事であり電車が朝からとても混んでいた。帰りにいつものスタンドを覗くと既に100㍍以上の車列で給油待ち、午後よりと明示してあるのに7時半には待ちの状況で異常である。昨日のテレビで観たがガソリンはあるとの事。精製する工場が度重なる地震により安全装置が働き生産が出来ないのでとのこと。地震が収まれば通常の形でガソリンが配給できるので少しお待ち下さいとのこと。家に戻るとぼうずが学校に行くところです。昨日を含めて3日間大事にしように喜んで学校に出かけた。一年生の時購入したランドセル、大きな背中に蝉がとまっているようで滑稽でした。母親も従業員の方々が体調を崩しており自分が早く出かけねばとチビ達を怒りながらいつもより40分早いお出かけでした。午後4儀よりチビのバレー教室があり「ばあば」に早めの迎えをお願いし、着替えをさせてバレー教室に送る。迎えは計画停電が6時20分との案内で気が気でない。教室に迎えに行くが中々レッスンが終らない。6時過ぎに終ったので急いで家に戻る。家には母親が早めに仕事を終了させおりほっとして皆で夕食を始める。私は前以て停電対策を済ませておりぼうず風呂はと問うと一番風呂でご機嫌と言う。6時20分になっても停電は無し、母親に停電したら困るので風呂と言うとチビ・ワンパク君と3人で風呂に入りご機嫌な声が聞える。6時38分停電で全ての電気が切れる。母親がランタンの灯りを5個仕入れてきたので電池を入れ灯りを灯す。2箇所に蝋燭を立てて家の中の灯りとする。子供達は珍しく特にワンパク君ははしゃいでいた。皆が蝋燭の灯りの下で談笑している時外に出て見た。明かりが消えた我等の地域はどんな物だろうかと興味をもったのです。近くに公共施設とマンションがありバッテリーによる切り替えで非常灯の灯りがのこり真の闇ではなくほっとした。計画停電により息子は会社までの交通機関がうまく動かず困っている。



もう自宅に戻れない…原発危機で 生活用品不足で飛び回るが!(ガソリンが売り切れとは)

2011年03月16日 05時35分13秒 | Weblog
今日は晴れのち曇りの予定が朝の空は雲に覆われて寒いです。昨夜10時半ころ静岡で地震が発生し寝ていたが飛び起きてテレビに釘付。一連の地震とは異なるとのこと。
東京電力の福島第一原子力発電所周辺で超高濃度の放射線量が観測された15日。政府は原発の半径20~30キロ圏内の住民に「屋内退避」を要請したが、汚染レベルの十分な情報がないこともあって、現場は大きく混乱している。少しでも原発から離れようとする住民らが圏外の避難施設に殺到し、国道は“脱出”しようとする車で大渋滞した。「おびえながらの生活はいつまで続くのか」。住民らから憤りや不安の声があがった。

昨日は朝から天気は良かったが午後から雲が多くなり夕方は寒くストーブで暖をとる。我等の住む地域の鉄道は私鉄で市の中に4駅あるが今回の計画停電で一日中電車が走らないのです。どう考えてもおかしい。このシステム導入は誰が考え何のために行っているのか理解に苦しんでいる。私鉄を利用して通勤している人がとても多いのです。車も国道が一日中渋滞、あげくのはてガソリンの売り切れで開いているスタンドはジュズ繋ぎ。売り切れた時点で閉店の看板。福島の原子力発電の原子炉の爆発問題では政府は後手を踏んでいる。一企業の東電のみでなく政府が先頭に立たねば、二日経ちやっと対策の委員会を作り総理が責任者と言うが遅いよ。地震・津波での被害状況が刻々と入るが拡大の一歩。宮城県知事は県のみで1万人以上の犠牲者とも言っている。何か胸がつかえて自分の体が硬直するのは私だけではないだろう。今後を考えると!
我が家では通常の生活ですがテレビや新聞での報道で物が無くなっているとのことで心配が出てきた。お米の買い置きが僅かで地震以後スーパー等に買いに出かけたが生活用品が無いのです。私は買い置きはしない方針であるが日を追ってスーパー・コンビニ等からトイレットペパー・チリ紙・お米・乾麺・かんずめ・ローソク等の生活用品が消えて棚が空となって補充が出来ない状況である。他の物はともかくお米の確保に朝から動く。我等の地域はお勤めの方々が仕事に行けず、買物に走ってどのお店も満員。地元農協が開いているお店に出向く。9時開店ですが30分前に行き入り口で待機。開くと同時に米売り場に直行し10㌔の米を確保する。多量の購入は可能でしたが他の方々も必要ですので最小限とした。買物をして家に戻ろうとすると母親より近所のガソリンスタンドが開いているかを見て来てとの依頼。5軒のスタンドを確認したが全て売り切れ。ぼうずが学校より戻ったので昼飯でしたが私は右足の付け根が痛くて歩行困難で布団の中。昼飯が終ったぼうずに近所のスタンドは開業しているかの有無。「開いているよ」で「ばあば」が母親の車を運転でスタンドに向かう。入り口はたいへんな行列で国道に200㍍も並んで順番待ちの車の列。諦めて家に戻り本日の購入作戦開に変更する。
チビ・ワンパク君の保育園部隊は通常の生活ですが周りの雰囲気が異常で不安顔ですがテレビを観ながら状況説明、チビは分ったと言うがワンパク君は無邪気に飛び回っていた。息子は社より出社指示が来るが交通機関が終日動かぬので家でイライラであったがしかたあるまい。ぼうずの小学最後の週、とても慌しいが直ぐ中学生です。昨日夕方宅急便にて多量の中高一貫の教科書・補助材がダンボール箱で届いて二人で確認した。


 


計画停電公表から時間が少なすぎ  お店に必要な物がありません、どうするの!

2011年03月15日 07時45分36秒 | Weblog
良い天気で素晴らしい朝ですがテレビでは悲しい情報ばかり、こども番組始まる。
JR東日本は14日、総武快速線などの首都圏の在来線26路線を、終日運休した。
首都圏の私鉄各線でも全面運休や一部運休が相次いだ。東京電力の計画停電が限定的だったのに、かつてない大規模な運休となったのは、東電からの連絡が遅れたり、計画停電のスケジュールが何度も変更になったりした影響が大きい。その度に運行ダイヤの調整に追われた各社からは不満の声が上がった。

月曜日は通常は週の始まりで活気があるものですが我等の地域を含めて悲しみで元気が出てこない。「計画停電」聞きなれない言葉が前夜の10時過ぎ東京電力より流されて昨日より5グループに分かれて実施されると言う。各地区で3時間以上の停電が長期に亘り履行されるとのこと。前夜心配で夜中開いている店に行くと長蛇の列、電池と蝋燭、穀物の買占めで以前あった石油危機の再来でした。朝はいつものような我が家「ばあば」は4時半に起きて朝食の支度、私は掃除・洗濯でいつものように息子と朝食を食べぼうずを起こし駅まで息子を送ろうと車に乗って出ようとすると息子の携帯電話が鳴る。会社よりのメールで内容は自宅待機の指示です。計画停電で会社が機能することが出来ないので月曜日は自宅にて待機して下さいで以後夕方まで連絡無しでした。夜中に本日は出勤して欲しい旨のメールがあった。ぼうずの学校でも連絡網でメールに連絡をしましたのでよろしくとのこと。昨日は給食は無しで11時20分に学校は全て終了とのこと。チビ達はいつものように母親が保育園に連れて行った。保育園の方より計画停電があるので出来るだけ早いお迎えをお願いしますとの要望。
昨日の我等夫婦は必要な買物をしにホームセンターに行く。開店は10時ですが混んだら困ると思い店に30分前に着く。これが大失敗、既に店の入り口は長蛇の列、なにやら1時間前に開店したようでした。目的の電池は単三を60本確保できたがローソクは無しお米もなく、しかたがないので雑貨を購入で1万円の支払いであった。お出での方々は目いっぱい色々の商品を買われていた。商品がなくなるので買占めをしているようでした。政府は計画停電とは何かを認識しているのかもっと専門家の意見を聞いて何をすべきかを模索すべきです。関東地区の鉄道は2割程度しか動かなかったようですがこれが対策なのか人・物・金がかみ合わないと生活が停滞する。どのお店にいっても生活で必要な商品が足らなくなっているのはいかがなものか。
ぼうず・チビ・ワンパク君とても元気、皆で風呂場でゆっくりとくつろいだ。


 


14日から計画停電…鉄道本数減、断水の可能性 計画停電はどのようになるのか!

2011年03月14日 07時38分39秒 | Weblog
朝から良い天気で気分はよいがテレビより惨事の情報が入る。気持ちが重いです。
東京電力は13日、地震による電力供給力不足に対応するため、管内の1都8県を区市町村を中心に5グループに分け、地域ごとに電力供給を止める「計画停電」を行うと発表した。14日は午前6時20分から午後10時までを七つの時間帯に分けて行われ、各3時間程度、停電する。地域によっては1日2回、計6時間停電する場所もある。一方、正式な発表は実施直前となり、実施時の混乱が予想される。15日以降については、需給状況に応じて実施する予定で、グループ分けや実施時間帯は、毎回変更される見通しだ。

時間の経過とともに災害の大きさが拡大しております。昼過ぎに気象庁より地震の大きさマグネチュードが8.8から9.0に訂正された。世界で発生した地震で4番目と言うことでとても大きな地震であった。東日本巨大地震、数万人の安否不明。たいへんなことです。ある町は町長を含め半分以上の住民の行方が分らないと言うのではないか、何処まで拡大して行くのか想像もつかぬ事態に驚いてテレビに釘付けになる私です。我が家では日曜日もいつもの体制で「ばあば」は4時半起きでわたしは通常の掃除・洗濯です。珍しくチビが一人で「おはよう」と言いながら起きてきた。前日私が3人の子供達を9時前に寝かしつけたのです。ぼうずは途中おきてテレビを観ていたようで起きられません。朝食は8時少し前で楽しくいただいた。日曜日であったが母親が店に行くと言いだした。急にお客さまよりお願いされたようで子供達3人を連れて行った。出かける時チビはバレーがあるので4時半のお迎えをお願いしますとの事。時間には迎えに行ったがチビはレッスンが終り私を待っていてくれて「お迎えありがとう」であった。出かける前は午前中よりチビやぼうず達の部屋掃除と布団干し、洗濯とたいへんでありました。
夕食を食べいつものくつろいの時間でしたがテレビが災害情報のみ、しかたがないので1台のテレビはワウワウにして子供達の対応をした。夕方より母親が仕事の関係で出かけ帰りを心配したが10時頃帰り、何処のお店も買物客でたいへんとのこと。テレビを通じて「計画停電」の情報が流れる。私も気になり夜間開いているお店やコンビにローソクと電池の購入に向かう。夜中の12時なのに駐車場がいっぱい。目的の売り場に行くが全て売り切れ。お米や穀物棚はなんも無し。どうなっているのだろう。これからの我等の生活の指針をしっかり政府は方向付けねばなるまい。









 


宮城・南三陸町で1万人行方不明…県が発表  チビ・ワンパク君は卒園式・進級式

2011年03月13日 08時34分51秒 | Weblog
素晴らしい天気に恵まれた朝です。二日前に大地震が発生とは嘘のようです。
東日本巨大地震で、宮城県は12日、津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の町民約1万7300人のうち、約1万人が行方不明になっていると発表した。
県によると、同町では町立志津川小学校や町立戸倉中学校など25か所の避難所に計約7500人が避難している。しかし津波で市街地のほぼ全域が濁流に流されており、それ以外に避難できる場所はなく、親戚宅などに避難した町民は少ないとみられる。
陸上自衛隊は12日、岩手県陸前高田市と大槌町で、市街地の倒壊家屋や水没した車などから計300人以上の遺体を確認。陸前高田市が200人以上、大槌町が100人以上という。警察庁によると、陸前高田市の市街地(約5000世帯)はほぼ水没し、仙台市若林区荒浜新の一部地域でも住宅約2700軒が津波で流されたという。

悲しい気持ちで朝を迎えた。テレビではどのチャンネルも災害情報を流しており通常の番組は無し、少しずつ災害の状況が見えてくるが酷い状況と言うか悲しいことばかりです。仙台の海岸では200人以上のご遺体が見えるが危ないので近づけないには驚きです。災害でお亡くなりになった人の名前が出てきて一層現実が増して恐ろしい。もうこれ以上の情報は要らない気持ちですがテレビに見入ってしまい、何処まで続くのか怖いです。午後より福島原発原子炉の事故が発生し対応が難しいと言っている。3時半の現地情報では爆発があり東電社員が負傷したとのこと。放射性物質の流失が無いことを祈る。東北6県に限らず全国的に亡くなった方の報道。現時点では1600人超と言っているがこれから考えもしない数値が出てくる可能性が大です。
我が家は土曜日で母親は午後より仕事と言って出かけたがチビ・ワンパク君は保育園の卒園式・進級式が9時から行われるので出席です。卒園生は20名で最長保育は6年2ヶ月とのことで園長先生より卒園証書を渡され、神妙な顔で受け取っていた。我が家のぼうずもそうであったがオムツを背負って登園した子供達がしっかりとした態度・行動で堂々と式に参列してお歌も見事で素晴らしい卒園式であった。園長先生を始め各先生方に感謝です。所用時間は進級式を含めて約2時間であったが感無量でした。もしかしたら地震の被災地ではこのような子供達が今回の地震で災害に遭遇しているかと思うと胸が痛んだ。ぼうずは「ばあば」と午前中美容室に出かけた。昼少し前に帰ってきたが見事な青年(モヒカン刈リ)に変身してびっくりした。4月よりの中学生には外観合格です。午後はスイミング教室で喜んで出かけた。塾は今月で終了の予定でしたが昨日は交通機関が不通で行かれず、今朝塾との電話連絡がとれ確認するとこのような状況下で金・土・日の三日間は臨時休校にするとのことでした。
テレビ・新聞は災害状況の報道のみ、刻々と変わる報道に息を呑んでしまう。我が家では皆一緒に夕食を食べたが地震の話しが多く雰囲気が沈んで暗い気持ちとなる。風呂はぼうずが一番で続いて私でチビも一緒となり煩い風呂場であった。




死者・行方不明者1000人超える…午前6時  大型の恐ろしい地震発生です。

2011年03月12日 08時39分09秒 | Weblog
今朝は天気はよいが我等の地域に緊急地震速報が朝6時19分に携帯に着信し警戒体制に入る.
東日本巨大地震で、警察庁の12日午前6時段階でのまとめによると、岩手、宮城、福島の3県で計167人の死亡が確認されたのを含め、1都9県の死者の合計は185人。また行方不明者は7県で計741人。また、これ以外に仙台市で200~300人の遺体が発見されている模様で、死者・行方不明者の合計は1000人を超えた。被害はこれから拡大する。

昨日は朝から良い天気でご機嫌であった。息子は正月出勤したので代休で休みであったが「ばあば」はいつもの時間に起きて食事の支度です。私もたくさんの洗濯物に追われるように起きて毎日の仕事をこなす。ぼうずは学校、チビ・ワンパク君はいつものように母親に連れられて保育園です。昼飯を3人で食べいつもの会話、息子は休んだので都内に買物と言って1時30分頃家を出た。このところ所何処かしこで地震が発生しており嫌な気分、6年前に会社を退職する際も地震が常に頭から離れないでもしも来たらどうしようが常に優先していたことが思い出された。
たいへんなことが起こりました。国民の誰も予想し得なかった大型のの地震が三陸沖で発生。次から次えと発生し横揺れが長く「ばあば」は怖いと言い出し、ぼうずも怖そうな顔、我等の地域で5強と言っていた。周囲に気を配れぬが母親の店に連絡、その時はつながりお客様2名、従業員3名であったが危ないので外に出て様子を見ていたとのこと。2時46分大型地震発生!。家ではぼうずも学校より帰り、私は居間でのんびり「ばあば」は夕食の支度、グラと来た。やな雰囲気でぼうずも自分の部屋から居間へきた。「ばあば」は怖いと言うとぼうずも僕怖いと言い出しので危なくない台所の入り口にいなさいで二人は柱に捕まって地震が収まるで待つ。今回の地震は通常の地震ではない揺れるのが長いのです。余震が次から次で私も不気味に感じた。たいへんなことが発生です。停電は無く揺れると直ぐにテレビをつけたのでテレビの画面は地震専門情報飲みとなる。以後延々と情報で今朝も継続で放送中。夕刻となり情報がたくさん上がってくるととても酷い惨状が出てきた。余りにも酷い地区ではお亡くなりになったとの情報、心よりお悔やみ申し上げます。情報が多数入り、地震の規模が段々分ってくると恐ろしくなる。今までの地震の中で最大の規模のようです。私がこの世に生を受けて一番大きいようです。マグネチュード8.8であり、世界で発生した地震の中で5番目の大きさであります。車が・建物・家が流されてゆきます。村が津波にさらわれる映像がありました。私が一番恐れ心配していたことが起こりました、私の住んでいるところは震源地より離れては降りましたが揺れが中途半端ではなかった。政府は送球な出来る対策を即すべきです。
この地震の中、息子は都内の駅におり交通機関が全て動かず帰るに帰れない。状況はメールで断続的に入って来たので安心する。電車は動かず会社の同僚の車で帰宅との連絡で一安心。帰りは夜中の1時過ぎでお疲れ様であった。
チビ・ワンパク君は5時より歯医者の予約を入れていたので保育園に早めに迎えです。園長先生と地震の話しで恐ろしさを確認する。ワンパク君を抱っこで家に戻り「ばあば」の運転で歯医者です。予定の時間前についたがだれもおらず即治療です。チビは虫歯があり」削られていたが嫌な顔もせず治療を受けていた。次はワンパク君です。始めての歯医者での検診、特に問題なしです。虫歯予防のフッソをコウテングを受けてご機嫌でのお帰り、初めての歯医者合格です。