繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

地震より津波の被害鮮明に  ぼうず卒業おめでとう。この日もドジばかりのぼうずです

2011年03月19日 08時04分42秒 | Weblog
良い天気の朝ですが雨が降らないのは気になる。今朝も寒いです。
東日本巨大地震で千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が岩手県陸前高田市の死者126人の死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。死因の8割が建物倒壊による圧死・窒息死だった1995年の阪神大震災と対照的で、地震そのものよりも、その後の津波が被害を広げた実態が浮き彫りになった。同市内で13~16日に遺体の検視にあたった岩瀬教授によると、犠牲者の9割は死亡した後に骨折したとみられることなどから、溺死と判断した。屋外で見つかった約90人のうち、4割程度が肋骨(ろっこつ)や首、手足を骨折していた。時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃を受けておった。


昨日はぼうずの卒業式であった。家族に対しては特にプリントもなく月例の予定の中に8時半までお出で下さいとのこと。朝6時ころ学校よりメールです。細かい案内があり当日はプログラムがありますのでお渡しいたしますとの内容。昔の我等の時では考えられない内容。家の用事を済ませ久方ぶりに背広に着替えて出かけようと背広をタンスより出すとどうもいけない15着ある全てが6年も手を通さなかったので洗濯屋には出していたが白いカビのような物、急いで虫干しの為タンスの中の全て外にて物干し竿に吊るす。時間が無いので急いで学校に向かう。卒業式は学校の体育館で行われるとの案内。今年度の卒業式は177名、母親の卒業時は680名と聞いていたがともかく少ない。体育館は全校生徒と父兄は入れないので在校生は5年生のみとのことでの卒業式。私は子供の卒業式には仕事が忙しく二人とも小学校・中学校・高校・大学と出席できなかったが孫の小学校の卒業式に参加出来たこと感謝です。でも私的には違和感がいっぱいで嫌になった。「蛍の光も仰げば尊し」もない卒業式、なんなのであった。何かショウ的要素が強いがこれはずっと行われていた方向であるとのこと。古い私にはどうも納得がいかないがもう少し「恩とか尊兄やお礼等」心が届くのが卒業式との思ったが。式が終り5年生の鼓笛隊が送るとのこと、音楽隊のマーチで始まった。最後に写真の撮影会が校庭で行われ先生と生徒がお互いを確認し会っていたが別れを惜しむというか形式的であり涙を出す場面が見受けられなかった残念。ぼうずが学校より戻ったので昼飯を母親と食べるがあまり感動が無いのは今はやりか。午後より母親は仕事に出て少しすると計画停電です。12時40分より3時30分であり振り回された。歯医者と耳鼻咽喉科に二人を連れて行く日です。耳鼻咽喉科に順番とりに行くと計画停電のため順番とりでなく4時から受付とのこと。4時15分前に保育園を早めに退園させ、耳鼻咽喉科に向かうが入り口を見てびっくり既に長蛇の列、しまったであった。受付が開始されて待つこと20分、25番目をゲットし家に戻る。再度出かけ耳鼻科と歯医者を済ませたのが6時半で疲れた。チビ・ワンパク君も疲れたと思うが二人の協力と「ばあば」に感謝です。家に戻るとぼうずが留守番で計画停電で早帰りの息子に叱られていた。手遊びで大型テレビのリモコンを壊してしまったようです。1ヶ月前も私の災害用のラジオのアンテナを手遊びして折って怒られたばかりです。何度言っても「バカはバカ」しょんぼりでしたが一夜明けると全て忘れるぼうず呆れるばかりです。チビ・ワンパク君は耳鼻科咽喉科、チビは追加で歯医者で待って疲れたのか元気がない。8半過ぎワンパク君体温が37度8分で心配です。少し騒がしい子供達であったが夜はよく寝てくれた。ぼうず「小学校卒業おめでとう」でも卒業証書一部破れて折れ曲がっておりどうしたのでありました。