繰り返しの人生

小さな命と楽しい小学生、老人の日常の日記と防犯プロよりセキュリテイ案内。
 

「震災孤児」数百人か…  ワンパク君耳垂れで病院、チビはバレー教室

2011年03月31日 08時01分52秒 | Weblog
今日は晴れです。素晴らしい青空に鳥が飛んでいる静かな朝、暖かな香りがする。
東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。

今月も今日が最後の日、あの忌まわしい巨大地震が発生した11日、いつまでも記録に残る月日であります。被災者の方々にはとてもお気の毒で見舞いの言葉もありません。ただ人は生きてその価値が発揮されるのです。厳しい状況下奮起を期待します。
昨日の我が家は私と「ばあば」はいつものように朝の仕事をさせてもらい、家族のサポートに徹底している。少し遅かったが7時前にチビが先頭でぼうず家族が起きて来て朝食です。息子を駅まで送りゴミ出しをしてほっとしていると朝食が終った母親がワンパク君の右耳より膿が出ているので耳鼻科に連れて行って欲しいとのこと。症状は3日ほど前からで気にしていたので即支度をしてワンパク君を連れて出ようとすると「ばあば」が私も一緒に行きますで耳鼻科に向かう。ワンパク君は治療に際し暴れるので助かった。耳鼻科には8時52分到着で順番は26番目であった。ワンパク君を順番まで待たせるのが一苦労、一時としてじっとしておらず「ばばば」と交互に見張りです。10時5分過ぎワンパク君の名前が呼ばれた。殊勝な心がけで診察台に座り先生の治療を受ける。病名は中耳炎で鼻・耳の掃除をしていただき、薬を飲めば直りますと先生から言われほっとして車に乗せて自宅に一直線。自宅に着き車から降りると「ばあば」が保育園に連れて行った。戻った「ばあば」はいつもの買物ですと言いながらお出かけです。ワンパク君の薬を受領する為の車が無いのでぼうずに依頼です。ぼうずは気持ちよく引き受けてくれて自転車で出かけた。昼飯はぼうずと3人でそれぞれ昼前は忙しかったので美味しくいただいた。午後4時からチビのバレー教室が始まるので「ばあば」にお迎えをお願いし着替えさせ、頭も団子に結わえて教室に送る。とても話しが好きなチビ、保育園でのことを教室に着くまで話してくれ、ご機嫌で教室の玄関に飛び込んだ。靴は脱ぎっぱなしだぞと叫ぶが知らん顔。ワンパク君は「ばあば」がいつもの帰り時間にお迎えです。帰る早々「ねえね」はであり、バレー教室と言うと「ああそうか」で会話が成立し楽しそう。夕食のメインはハンバーグでスパゲティも出されており大好物な3人は余りおしゃべりもせず平らげて「ごちそうさま」であった。食後一番風呂はぼうずで順次の入浴で楽しい一日であったようです。