これから日の出今日は晴れで寒い朝、外に出ると寒さが身にに沁みます。
東日本大震災の後、宮城県気仙沼市の中心部に建設された仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」で26日、付近を襲った津波の高さと同じ8メートルのポール「きずなの塔」が披露された。震災の記憶を忘れず、復興への希望の象徴にしようと、22店が出店する屋台村が義援金などを基に仮設商店街の「きずな広場」に設置した。この日のPRイベントでは、塔の上部に大漁旗が掲げられた。
昨日は私の中学の同窓会が地元で開催され私の地区が幹事で少し緊張でした。
朝は毎日のことで「ばあば」が4時起きで一緒に稼動です。ぼうずは部活で弁当持参でいつもの時間に家を出るであった。わんぱく君が入院で朝が寂しく思われ「ばあば」がわんぱく君の声が聞えないのは何か変と言っていた。朝食はぼうずと一緒で色々質問をしながら食べた。のんびり者のぼうず少し時間があると言って寝室に入り横になる。出かけるのが遅くなり「ばあば」に駅までお願いをする。母親は前夜が遅いお帰りで朝はきつそうであったがともかくチビの保育園への体制をしっかりとお願いして出かけてくれた。昨日のチビはスイミング教室で2ヶ月に一度のテストで保育園は1時の迎え予定、私は留守するので「ばあば」にお願いする。帰ってからチビに結果を問うと得意満面の顔でピース、23級合格したよであった。
私は同窓会の会場に向けて10時30分家を出る。会場まで歩いて20分、会場につくと既に大広間に同窓会会場が作られて21人分の料理等が出されていた。私が料理の確認をしていると幹事の仲間が来てくれた。出席者は仲間が20名で恩師が1名の21名で同窓会が始まった。まず最初11月11日に亡くなった仲間の黙祷を行い、資料に基づき私が説明する。恩師がお見えなので出席者は自己紹介と近況報告をさせていただくと一人一人の顔を確認して恩師がメモをとり満足そうな顔であった。恩師をお呼びして良かったと心の中で叫んでしまった。仲間の皆さん半世紀ぶりに会う人もおり時間をかけて語りあって現在の自分を認識していた。盛会の内、先生がお帰りになり30分後終了の合図で散会する。皆名残惜しくて2次会場を捜す。駅の近くの喫茶店で2時間ほど談笑し今度はほんとに散会で各自家路に向かう。よくも悪くともとの言葉があるが素晴らしい良き日であったと心に響いた一日でした。
明るい内に家に戻ると家族の皆が同窓会を喜んでくれて「おつかれさん」と言って迎えてくれた。少し前に私の欲しがっていた、コピー機が宅配されて届いておりまた喜びが倍増です。パソコンに繋げて色々な記録を皆さんに見ていただきたくの購入でした。
自分ばかり喜んで反省、わんぱく君は病院で頑張っております。「ごめん」
東日本大震災の後、宮城県気仙沼市の中心部に建設された仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」で26日、付近を襲った津波の高さと同じ8メートルのポール「きずなの塔」が披露された。震災の記憶を忘れず、復興への希望の象徴にしようと、22店が出店する屋台村が義援金などを基に仮設商店街の「きずな広場」に設置した。この日のPRイベントでは、塔の上部に大漁旗が掲げられた。
昨日は私の中学の同窓会が地元で開催され私の地区が幹事で少し緊張でした。
朝は毎日のことで「ばあば」が4時起きで一緒に稼動です。ぼうずは部活で弁当持参でいつもの時間に家を出るであった。わんぱく君が入院で朝が寂しく思われ「ばあば」がわんぱく君の声が聞えないのは何か変と言っていた。朝食はぼうずと一緒で色々質問をしながら食べた。のんびり者のぼうず少し時間があると言って寝室に入り横になる。出かけるのが遅くなり「ばあば」に駅までお願いをする。母親は前夜が遅いお帰りで朝はきつそうであったがともかくチビの保育園への体制をしっかりとお願いして出かけてくれた。昨日のチビはスイミング教室で2ヶ月に一度のテストで保育園は1時の迎え予定、私は留守するので「ばあば」にお願いする。帰ってからチビに結果を問うと得意満面の顔でピース、23級合格したよであった。
私は同窓会の会場に向けて10時30分家を出る。会場まで歩いて20分、会場につくと既に大広間に同窓会会場が作られて21人分の料理等が出されていた。私が料理の確認をしていると幹事の仲間が来てくれた。出席者は仲間が20名で恩師が1名の21名で同窓会が始まった。まず最初11月11日に亡くなった仲間の黙祷を行い、資料に基づき私が説明する。恩師がお見えなので出席者は自己紹介と近況報告をさせていただくと一人一人の顔を確認して恩師がメモをとり満足そうな顔であった。恩師をお呼びして良かったと心の中で叫んでしまった。仲間の皆さん半世紀ぶりに会う人もおり時間をかけて語りあって現在の自分を認識していた。盛会の内、先生がお帰りになり30分後終了の合図で散会する。皆名残惜しくて2次会場を捜す。駅の近くの喫茶店で2時間ほど談笑し今度はほんとに散会で各自家路に向かう。よくも悪くともとの言葉があるが素晴らしい良き日であったと心に響いた一日でした。
明るい内に家に戻ると家族の皆が同窓会を喜んでくれて「おつかれさん」と言って迎えてくれた。少し前に私の欲しがっていた、コピー機が宅配されて届いておりまた喜びが倍増です。パソコンに繋げて色々な記録を皆さんに見ていただきたくの購入でした。
自分ばかり喜んで反省、わんぱく君は病院で頑張っております。「ごめん」