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新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

IDE大学セミナー

2008年08月13日 16時12分34秒 | 教育・研究
世界は仕事で満ちている 誰もが知っている、でも誰も覗いたことのない38の仕事案内 (NB Online book) 降籏 学
降旗 学
日経BP社

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8月7日は鼻の日であるが、この日にQ大西新プラザで開催されたIDE大学セミナーに参加した。今年から理事にさせられたので、東京からこの日だけ戻っての参加だった。テーマは「大学におけるキャリア教育の現状と課題」だ。
基調講演は㈲ユニバーシテイ・アクティブ代表取締役社長大江淳良による「大学のキャリア開発支援の現状」。これが午前中にあった。そして午後は法政大学キャリア・デザイン学部長の高野良一氏、福岡女子大学キャリア支援センター長の森邦昭氏の報告であった。
 いずれも刺激的な話で、まあ、最近流行の言い方をすれば目からウロコが数枚落ちたとでも言うところだろうか。キャリア教育を狭義の職業体験教育に限定してしまっている現状が何とも情けなく感じてしまった。

サマーセミナー3

2008年08月13日 15時58分37秒 | 教育・研究
学校は軍隊に似ている―学校文化史のささやき
新谷 恭明
福岡県人権研究所

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さらに続きだ。
史料批判という点で気になるのは、われわれは史料として何を使ってよいのか、何を使ってはよくないのかということである。例えばせっかく作った史料集やデジタルアーカイブを使うとしばしば「原典にあたらないと…」と言う意見に出会う。しかし、原典にあたることの意味というのはより正確な史料集編纂のためにあるのであって、研究のためには積極的に活用することの方が重要なのだろう。おおむねそのあたりについては異論はなかったように思う。これからは積極的にこのような二次史料も使うことによって価値を高めていく必要があるだろう。

2日目の議論は僕はコメンテーターの責務をはずれたのでよけいなことは書かない。しかし、前日とはちがってこちらは史料そのものを研究対象としてきたまさしく史料論の報告であった。いま思えば第一日目は史料批判、第二日目は史料論、と主題を分ければよかった。これは企画者の不手際ということではなく、コメンテーターの私自身が早く気づけばよかったことで、そうすれば前述のゆらゆらしたコメントまがいの感想ではなくもう少しまともな議論に持って行けたのかもしれない。


サマーセミナー2

2008年08月13日 14時40分22秒 | 教育・研究
学習指導要領を読む視点 2008年版 (2008)
竹内 常一
白澤社

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続きだ。
ところで、D間氏はくずし文字の読解力の習得に関するアンケートの結果を話題として提供してくれた。これはけっこうおもしろかった。教育史研究者できちんと古文書の解読の訓練を受けた人というのは決して多くはないことは以前から感じていた。僕自身の体験でいえば、大学院生時代に東京大学百年史の仕事をした時、本格的に古文書の解読をしなくてはならなくなった。しかも、近代文書である。当時、教育学畑の人間と東大の国史の院生たちと一緒にこの仕事をしていたのだが、東大の院生たちは学部時代からどうやらその訓練を受けていたようなので、だいぶその素養に出発点で差があると感じていた。Q大に勤めるようになって、近世史の研究にも首を突っ込むようになって、近世文書も読まなくてはならなくなり、ということで、こちらは独学でやった。時には近世教育史をやっている大学院生とやりあいながら勉強した。こうした古文書読解力(史料論に基づくと思われる)は歴史研究を第二ディシプリンとして始めた者(教育学、政治学、経済学、科学、…)にとってはそれぞれ苦労はしたのではないかと思う。もとい学部での演習にそうしたスキルの習得は含まれていない場合が多いのだから、そのあたりの苦労は多かったのだろうと思う。
現在教育学部で学部生を指導しているが、この学生たちに古文書を読ませることは先ず無理である。しばらく前までは研究室のOBが週にいっぺん指導に来てくれていてずいぶん助かったが、昨今ではこの御仁も本務がお忙しくなったのでなかなかそうも甘えてはいられなくなってきた。かといって僕自身がその時間を作るのも難しいし、このあたりは重要な課題である。
K村氏の発表は識字という観点から史料論に迫ろうとしたものだった。K村氏が院生時代に筆子塚(師匠塚)の研究をしたときに文書ではなく墓を見て歩いたということを話された。K氏は文書だけでは史料として限界がある、と言うのだ。殊に識字研究は文書を作ることのできない人々の歴史が対象となるのであるから当然と言えば当然のことであろう。しかし、その当然のことに気づかない(取り敢えずK村氏がオリジナルな発言として「墓」を持ち出したので)ならば、私たちは史料と研究との本末転倒に陥ってしまうことも考えられるのではなかろうか、とこれもとりあえず言ってみたい。
とりあえず言ってはみたいが、D間氏がいみじくもくずし字解読能力を問題にしたように、教育史研究者のけっこう多くが古文書コンプレックスを持っているとみていい。これをいい方に考えれば、研究対象、課題が先ずあって、史料はそれを解決するための材料であることを多くの教育史研究者は知っている、ということなのだ。それは決して悪いことではない。史料とはあくまで史実を明らかにしていくための素材でしかないし、史料そのものが目的なのではないからだ。
もう一つ。史料そのものは目的ではないが、史料ないし史料群の評価をきちんとしておかなければ史料批判はできない。使う側からすれば史料批判の技法の方が重要だと言える。
 そう考えれば、Y田氏が『明治以降教育制度発達史』を松浦鎭次郎の歴史著作だと位置づけ、学説史の対象にすべきだと提言したのは、史料批判論としても興味深い。


サマーセミナー1

2008年08月07日 22時52分26秒 | 教育・研究
近世地域教育史の研究
木村 政伸
思文閣出版

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8月5日、6日に立教大学で日本教育史研究会のサマーセミナーという催しがあった。誘われなければ行かぬ。行かぬと言うより、誘われたときにのみ行っているセミナーなのだが、そのように捻くれてみせる可愛さを僕は持っているようだ。今回はコメンテーターという役割を頂戴し、その役目故に多忙な中すべての用務をキャンセルして出席することにした。
しかし、テーマはなんと「日本教育史史料の現在~教育史史料論の試み」というわけのわからないものであった。標題の日本教育史というのはこの研究会の名称でもあるし、僕の専門分野でもあるからそれでいいのだが、続く「史料の現在」というのが怪しい。史料というのは過去に生まれたものでありながら、現在も残っているものを言い、その現在と言うのは如何なる意味かと問い返したくなる危うさを持ってい、そこで止まればいいものを副題までつけている。副題は「教育史史料論の試み」ときた。つまりは「史料の現在」と「史料論の試み」とは論理的な整合性のつかない組み合わせであって、主題と副題のつけ方に関して言えば、絶対にわが研究室の連中にはさせないつけ方である。
要するにこのセミナーの議論の論点がかみ合わないことはすでに予想されてい、コメンテーターとしてその統括を任された者としては何とか些末な議論に陥らないことにのみ神経を使わなければならないことを覚悟していた。
案の定3人の報告者の話は全く別の世界の話であった。
のみならず翌日の2人の報告も別々の世界であり、ならば各論はコメントするなということなのだろう。
Y田氏は『明治以降教育制度発達史』と『近代教育制度史料』との比較にならぬ比較を試みてい、なおかつ前者を松浦鎮次郎の史書として見るべきであり、史料論ではなく学説史で扱うべきだとの意見を述べた。然り。それは然り。
ならば、史料集として批判した『近代教育制度史料』の課題。それは『現代教育制度史料』の評価で答えが出るはずだが、そこへの言及はなかった。ここで言うのもなんだが、実は『現代教育制度史料』は僕が担当するはずだった。僕の名前で給与計算までできていたのだが、その後Q大の仕事が決まったので、K沢氏にしてもらうことになったといういきさつがある。だからこの評価については気になる。僕はK沢氏の仕事には至って敬意を表している。だからY田氏がどう評価するかが気になるところだった。また、『明治以降教育制度発達史』が松浦の史書だという結論ならばあらためてこの時代の史料集を作り直すべきではないだろうか。
D間氏の報告は江藤新平文書にかかわったD間氏から個人文書の話を引き出そうとした企てへの回答だろう。しかし、教育史史料としての個人文書について語ることは難しい課題だ。そうやすやすと語れるはずはない。まして、教育史上にその影の薄い江藤新平文書を根拠に、だ。D間氏はそのような無理難題に対して誠実な報告をしてくれた。ここで出てきた問題はまずは個人文書とは何か、ということだろう。個人文書と言うべきか私文書と言うべきか僕は迷っている。私文書ならば公文書ではないものというすっきりした位置づけになるが、個人文書となるとその個人その人と文書との関係性を言わなければ文書としての位置づけがなされない。つまりはその文書の全体像が明らかにならないと個人文書とは言えないだろう。
僕自身は人物研究をする予定はないから個人文書を個人文書として扱うことはあまりないだろうが、時にはその視点に立った史料の扱い方も必要となるだろう。

史実の証明

2008年04月25日 17時17分56秒 | 教育・研究
 論文の批評をするとき、揚げ足をとろうとするのはやめた方がいい。先般の鈴木論文を読んだときに、行幸に小学校を訪れたのは異例だった、という鈴木の説明にそれは異例ではなく「先駆」であった、と言おうとする批評が出た。これはどういう意味を持つ批評なのだろうか。鈴木さんは明治9年の段階でわざわざ視察する必要のない郡山小学校に天皇を立ち寄らせたことの意味を言いたかくて、「異例」という評価をした。それに「否」を唱えるのは「敢えて天皇を郡山小学校に立ち寄らせた」という御代田の戦略はなかったと言うことになる。それが無かったと言うことになると、この論文の枠組みをすべて否定することになる。それならばなぜ最初からその枠組みを批判しないのか。批評というのは揚げ足をとるのではなく大きな枠組みについて議論することなのだ。とりあえず誉めておいて最後で落とす。こういう手法はよくないし、殊に若いときにはやるべきではない。
 このように「あること」を批判のために否定してみるのならば、必ずそのように否定したがるのは何のためか?という再反論にあうであろう。つまり、天皇はふつうに郡山小学校を視察し、御代田もふつうに郡山小学校に案内し、この行幸に格別の意味はなかった、ということになる。そういう説をほんとうに立てたいのか、ということになる。答は用意してないだろうから、苦しくなるぞ。
 もっともこの場合は揚げ足をとるための批判であったから、批判にはならない。つまり「異例」でも「先駆」でも「明治9年の段階ではありえないこと」ということは変わらないからだ。
 似たようなものに渡嘉敷島において「日本軍の住民自決命令はなかった」というものがある。曽野綾子の手法についての問題ではない。曽野綾子は作家としてぎりぎりまじめな仕事をしたのだと思う。だから、曽野綾子自身も日本軍と住民の関係については相応の把握はしている。しかし、なぜ敢えて自決命令はなかったことを証明したいのか、という問いは残る。これに答えているのは曽野綾子ではなく旧日本軍を免罪したい人たちだ。そのようにひとつの事実についての評価は全体に影響を与える。
 軽軽に揚げ足はとらないことだ。自分に返ってくる。

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
曽野 綾子
ワック

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歴史への問題意識

2008年04月24日 21時58分26秒 | 教育・研究
 教育史研究を何故しているのだろうか。教育史の論文を何故書くのだろうか。
 業績を作るため、だっらやめた方がいい。例えば明治初期の福島県。そこに血塗られた歴史がある。なにしろ数年前に身内がいくさで死んだのだ。自刃にしろ殺されたにしろ、身内のいのちを奪い、故郷を荒らし、誇りを踏みにじった憎い敵が薩長であり、明治政府なのだ。その思いをどれだけ共感できるか。それなくして事実(のような記述の断片)を並べることに何の意味があるだろうか。それを感じ取らないと明治初期の福島の教育について研究はできない。
 ゼミで鈴木 敦史「明治9年奥羽・函館巡幸における天皇の学校訪問―福島県郡山小学校を事例として―」(『日本の教育史学』第49集 2006年)を読んだ。明治9年の天皇巡幸を素材としたものだ。この巡幸は今になぞらえて言うならば、バグダッドにブッシュが出掛けていくようなものだ。その歴史状況の認識と、その場でいろいろな対応をした人たちのそれぞれの屈折した感性に気持ちが至らないとこの論文は読み解けない。入試の日本史の穴埋め問題とはちがうのだ。
 萩市と会津若松市は友好関係を作るには時期尚早だということで未だ打ち解けていないようだし。そういうことが感じ取れないようでは歴史をやってはいけない。

会津戦争全史 (講談社選書メチエ)
星 亮一
講談社

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卒業研究

2008年03月21日 09時40分05秒 | 教育・研究
近代日本の植民地博覧会
山路 勝彦
風響社

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昨日は月例研究会。年度末なので、卒論・修論講評会。昨日はたまたま、卒論2本。しかも21世紀Pのお二人。
議論はかなりおもしろかった。ディスカッションに参加して始めて自分の成長がある。そういうことだ。
H田さんの「子ども観」の研究はよく頑張ったな、と思う。で、僕がののさんの異論を封じ込みつつ?どうしても言いたかったのは○○観と言ったときの観を明らかにする方法だろう。この研究の場合、子ども観はBraceの子ども観なのか、CASNYの子ども観なのか、はたまた19世紀アメリカの子ども観なのか、貧しい移民の子どもについての子ども観なのか。それが定まらない。Braceの子ども観に絞ったところで、同じ問題が言える。子ども観と子ども論のちがいだ。子どもについて他者の批判を意識して書く子ども論というものがあるだろう。子ども論を書くとき人は何らかの方法論を駆使して理論を構築するだろう。一方、私生活でふっと見せてしまう子どもに対するまなざしに具現化する子ども観はちがうのではないか。
例えば子どもにはおとなと同じ権利がある、なんて言うのはひとつの論かもしれないが、思わず「ガキは黙っとけ!」と叫ぶときのは子ども観がもれたものだろう。この子ども観を導き出すのは難しい。難しいが引き出す方法はあるはずだ。
新制高校の問題は時代の過渡期であるが故にその時代に身を置いた歴史的感性が必要になる。(それは歴史研究なら何でも必要なんだが)そして重要なのは歴史的課題性だ。何が解決すべき問題であり、その問題を解決するために何をするのかという問題の立て方に馴れる必要がある。
で、僕の考え。新制高等学校の理念とは何だったのだろうか。それは旧制の中学校や高等女学校や実業学校とはちがったものであったはずだ。その理念を具体化するときの目標は希望者全員が享受できる教育であるべきだということ。高校三原則はそのための仕掛けだったが、京都という例外を除いて機能しなかった。しかし、新制高等学校は普及していった。ここに歴史が予定調和的に行かないところがある。
だからなぜ高校三原則について歴史的な検証をする必要があるのか、そういうところに問題を立てると現代の高校教育を見直す一助にもなろうというもの。
がんばって。

思想史のたいせつさ

2008年03月18日 09時10分21秒 | 教育・研究
戦後初期における大学改革構想の研究
鳥居 朋子
多賀出版

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今月は病気から始まってしまった。おかげで仕事も進まず、いろんな雑音も飛び込んできて未だに精神的に不安定だ。昨日Eくんの学位論文の提出如何について検討をした。おもしろい論文なんだが、議論して尽きない。このまま出版されればおそらく砂糖に蟻がたかるようにいろんな意見が飛んでくることは想像がつく。それだけ議論したいことがいっぱいあるということ。それは悪いことではない。むしろこの論文のおもしろさはそこにあるということだ。しかし、そういう百家争鳴の想定論議に対して当人の拠って立つところが弱い。それは大きな思想史的基盤だ。それで、「海事思想・海洋思想と近代日本(帝国主義)」もしくは「近代教育思想と海洋思想」とでもいう教育思想史の本を書くこと、という条件を付した。
これはEくんだけの課題ではない。最近の研究はそのようなグランドヒストリーに不足している物が多い。例えば戦後教育改革と言えば、そこに大きな思想史的潮流があることを見て取らなければならない。それがなければちまちまと何が変わったか、どんな事実があったか、という小さな研究にとどまるし、怖いのは怪しげなグランドヒストリーを持つ人々に勝手に利用されることだ。肝に銘ずべし。

たいへんな問題

2008年03月08日 11時48分13秒 | 教育・研究
2月も終わり頃に某出版社から原稿の締切が近いと葉書が来た。
「はっ?」
心当たりがない。で、さっそく確かめると昨年6月頃に受けた仕事であった。今必死でやっている。みんな、こういうことはしてはならない。

「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策
長谷川 亮一
白澤社

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送別会

2008年03月07日 01時23分24秒 | 教育・研究
今日は今年度最後の教授会。教授会終了後に定年退職教授の送別会を執り行った。今年はO教授。会議室の前方にテーブルをひとつ出してそこに座っていただく。僕が取り仕切ったのだが、まず専攻長から送辞をもらい、次にO教授から一言いただく。そしてお送りする前に取り仕切りの特権として個人的な御礼を付け足す。Oさんは僕より半年前に着任した。最もQ大の出身だし、福岡の出身だ。ずっと昔からいるみたいな存在感があった。それはえらそうな存在感ではなく、使い慣れた俎板のような存在感だ。着任して住んだのが、古賀町の公務員宿舎。Oさんも同じ宿舎だった。Oさんには公私にわたって僕を弟のように可愛がってくれた。魚釣りはもちろん、二次会での飲み代の浮かし方みたいなことまで。
ありがとうと言って全員の拍手で送り出した。拍手しながら目頭が熱くなった。ありがとう、Oさん。師匠(釣りの師匠だし、そう呼んでたこともある)。
今年度末に2人の教員が割愛で転出する。K教授とY教授だ。K教授は副研究院長だからまさに片腕を失ったという喪失感がある。これは実に痛い。Y教授は僕が公私で着任したときに研究室の院生だった。広義の教え子になる(何も教えちゃいないが)。これからの教育学部門を担ってくれることを期待していた存在だった。おかげで教育学部門の未来は絶望的に暗い。それに10月には割愛でM教授が出る。
そんな感じで今日はつらい日でもあった。
帰り道にOさんとの想い出を振り返りつつあの公務員宿舎のそばを通ってみた。今もいろんな人の出会いがあるのだろう。

発達障害の早期支援―研究と実践を紡ぐ新しい地域連携
大神 英裕
ミネルヴァ書房

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