八尾北医療センター労働組合

藤木 好枝 執行委員長

星野暁子さん 獄中面会記より 11・29星野再審全国集会へ

2014年11月13日 | 無実の星野文昭さんを取り戻そう
星野暁子さん面会日記 (2014年 10月6日~10日)

        獄外の病院で精密検査を受ける
 


 10月6日。台風のため午前中の便は、すべて欠航。午後一番の便で徳島へ。山川さんの車で駆けつけたが、7分遅れで面会できなかった。

 

7日。文昭が先にくれた手紙にレントゲン検査で肺の右下に影が見つかったと書いてあったので、心配していた。医者にも相談し、申し入れ書も準備していた。が、面会直前の手紙で精密検査を獄外の病院で受けたことがわかったので、その結果を聞くのを心待ちにしていた。
 「20年ぶりに外に出て、病院に行ったんだ。どこかは言えないけどね。徳島刑務所包囲デモの時、この坂をみんなで登ったのかと感動した。CTスキャンをとったよ」。「結果はどうだったの?」と聞くと、「今日わかったばかりだよ」。また病院に行ったのかと聞くと、そうではないようだ。「刑務所担当の医者もその病院から来ている医者なんだ。肺の右下の影
は、肺炎でできた炎症が治った跡だということだった。肺気腫も見つかったけど、心配はいらないと言われたよ。昔はヘビーだったけど、今はたばこは吸わないからね」。検査結果が良好だったので、ひとまずほっとした。文昭は、車の中から見えた外の風景が新鮮だったようで、便せん2枚分の手紙にその様子を書いてきたが、それらはすべて墨塗りされていた。




 8日。カレンダーづくりの話をした。「表紙は『母と子ーチェルノブイリの願い、フクシマの願い』にしてほしい」という文昭の希望は既に聞いていた。その上で今回のカレンダーは、12枚の文昭の絵に私の詩をつける形で仕上げようとしていた。従来は、できあがった絵に、できあがった詩を合わせてきた。今回は、より一体感のあるカレンダーに仕上がると思う。これから詩を書く「希望ー被災地のみなさんとともに未来へ」をどんな気持ちで描いたかを聞いた。文昭は、「生命を失った3組の親子が、今生きている人の中で甦っていっしょに生きている絵だ」と言った。10篇の詩を朗読して聞かせたら、「詩が絵を生かし、お互いが生かし合うようになっている。みんなも、喜ぶだろう」と文昭は喜んだ。
 ようやく手元に届いた『前進』の大原論文について、「全面展開しないと駄目ということではなくて、簡潔に書いてある。僕も学んでいるよ」。「獄中の党と書いてあったでしょう?40年獄中闘争を貫く星野文昭さんは中央指導部だって」と私が言うと、「今度書く『前進』の原稿はそのつもりで書くよ」と言った。文昭にとって、生命を与えて激励するのが中央指導部だ。






 人間の共同性を取り戻す

 9日。「人間の共同性」についての話になった。「人間は自分を他者と重ね合わせる(置き換える)ことで、すべてを共有できる」と文昭は言った。共同性こそ人間のもっとも素晴らしい特性であり、この共同性を取り戻すことと人間本来の社会を取り戻すことはひとつだ。結婚記念日に私が差し入れたオルゴールカード「見上げてごらん。夜の星を」は、所持はできないが、工場の隅で聞けたそうだ。
 面会後、山川さんご夫婦といっしょに、「医療問題と冬の寒さ対策」についての申し入れを行った。
 
 

10日。最後の面会。午前中、運動会の審判をすることになっていたが、それを抜けての面会だった。文昭が宅下げしてくれた絵は、『戦火を生きる』というタイトルで、戦時下の子どもたちを描いている。「フクシマと戦争を今は一番描きたい」と言った。
 老健施設「かがやきの丘」にいる米沢の私の母のために施設の方で大きなボードを備えてくれた。私からのはがきや愛犬だったチロの写真を母が見られるように貼りだしてくれたと話すと、「暁子が月3回も通っているのを見て、やってくれたのだろう」と文昭。
 充実した4日間の面会だった。



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