2014年7月21日(月)海の日 曇り
一之瀬高橋ゲート→石保戸山→鳥小屋分岐→斉木峠→白沢峠→倉掛山→大ダル峠→伝通院→一之瀬高橋ゲート
三連休の一日目は家の周りの草むしりに夏に向けての模様替え。二日目はお疲れ休み。そして、三日目にして、やっと山歩きとなった。いずれにしても天気は三日間ともいまいちで、三日目が何とか雨も降らずに一日持った感じだ。今回は白沢峠にある廃トラックを見たい為に周辺の山をグルっと回った。鳥小屋分岐から倉掛山までは道標もあるが、それ以外では道標らしき道標はない。おまけに防火帯や巡視路が縦横に入り乱れ、四方八方に道迷いの要素があった。更に国土地理院の地図上には破線で道があるかのような内容になっているが、これもあてにならない。山道があったり、なかったりである。そんな場所を部分的に藪漕ぎをしながら山道を連結して無理やり周回をしてみた。花は乏しく、防火帯にはマルバダケブキが至る所に生えていたが、この中に成長してしまったゼンマイやらワラビらしき山菜もたくさん見かけた。歩いた場所は奥秩父の笠取山から南へ下った奥山作業道の入口になる一之瀬高橋のゲートを起点にする。ゲート前には3~4台程の駐車スペースがあり、到着した時には既に1台が駐車されていた。奥多摩街道は落合から入ったが、道はそれほど良くない。廃屋となってしまった集落を横目に走ったが、犬切峠を見送った分岐からは悪路となる。いずれにしてもここは登山者の少ない山域だと思う。白沢峠を訪れる場合には国道140号線の白沢橋から入るのが一般的かもしれない。大菩薩嶺も終始雲に隠れぱなしで、青空のない海の日だった。
<林道から取り付いて尾根を目指す>
ゲートを越えるとすぐに、地図上に記載されていない林道が交差する。右折して初めのカーブから谷間に入った。テープもなければ踏み跡もない。しかし、少し奥へ入ると右上の笹ヤブに一本の踏み跡が確認できた。そこから尾根を目指して登り上げればいい。
<そして尾根に乗って>
しばらくは薄い踏み跡を拾いながら尾根を進む。すると途中から刈払われた防火帯が現れる。そこを忠実に進めば巻き道と合わさり、石保戸山へは東へ進む。
<防火帯にはマルバダケブキ>
巻き道を10分ほど東へ進むと石保戸山の山頂から南側が刈払われた防火帯が続いている。ここを約15分ほど登り上げれば石保戸山の山頂へ到着だ。
<石保戸山>
ここも山頂であるが、三角点のある山頂は笹藪を30~40m、西へ歩いたところにあった。休憩するには、こちらの山頂の方が広々として気持ちいい。ここを訪れる登山者が決まって腰を下ろす岩だろうか、部分的にコケがなくなっている。
<三角点のある石保戸山>
<鳥小屋分岐>
石保戸山から戻り、巻き道を進んで、奥山作業道に合流する。そして、鳥小屋分岐で南へ入り、白沢峠へ向かった。ここは林道が交差するが、車は入れない。この奥山作業道は笠取小屋の関係者が使う林道だと思う。
<ここにも廃トラック>
<廃トラ>
<斉木林道>
<白沢峠>
今日のお目当てのトラックが峠の真ん中にあった。こう見ると不思議な光景だ。いつごろの時代に、この林道を走っていたのだろうか。その目的とは材木を運び出す為のものだったのか。斉木林道にも同じようなトラックが廃棄されていたが、どこから来たトラックなのだろうか。そんな事を考えていた。度々、写真では見ていたが、不思議に感じていた。
<このトラックが見たかった>
<後ろは桜の木>
花の咲く頃にもなれば、トラックの荷台から伸びる桜が満開になるという。ここには自然と文明が交差する不思議な空間があるよに思えてならない。ボディーは錆びて、鉄板が薄くなっているようだ。運転席を覗いて見たが、エンジンが落ちていてハンドルは今にも脱落しそうな感じだった。左側にハンドルがあったので、恐らく外車だろう。進駐軍のトラックではなかろうかという話もあった。いずれにしてもかなり古いトラックのようだった。
<峠のトラック>
<倉掛山>
目的の白沢峠のトラックを見てしまったので、そのまま峠から下山しようか迷ったが、まだ時間が早いので先に進んだ。今までは林道歩きだったが、この先は尾根沿いの防火帯と笹藪の中を歩くはめになってしまった。しっかりした踏み跡があるので心配はなかったが、露払いしながらの登りだ。この天気では当然景色はない。花もなく、変化に乏しいコースだ。ただ、この尾根通しは迷う心配はなさそうだが、尾根から外れると巡視路やら、山仕事の道やらが四方八方に走っているが、道標なるものがない。黒川山を下った鞍部から適当に東尾根を下った。踏み跡もなければ、リボンもない。100mほど藪をかき分けて下ると山道に出て、更に東へ向かう。
<ヤマオダマキ>
<咲きはじめたばかりのコバイケイソウ>
<山名板がなかった伝通院>
花がない代わりに、山道脇の苔むした緑が光り輝いていた。あまり歩く人もいないのであろう。山道が十字に交わる峠をいくつか通過して、伝通院へ上がってみた。伝通院は葉広沢ノ頭ともいうらしいが、山名を示す表示板はなかった。電線の切れ端や針金の切れ端が木に残されていたが、それらしき山名板はどこにも見当たらず、探す事が出来なかった。山頂にはキレイな白樺林があった。天気が良ければここでのんびりしたいところだが、コーヒーを忙しく飲んで下山する。
<黒川を下って>
<一之瀬高橋>
藪漕ぎの場所を3~4ヶ所突き進んで、石保戸山からの周回が終わった。目的のトラックも見る事ができた。結局、今日は誰とも出会うことはなく、静かな山だった。まもなく関東地方も梅雨明けとなるだろう。来週から夏休みに入るが、去年は骨折で夏山へ行くことが出来なかった。今思えば一年は早いものである。
自分にはまったく不案内の地理で、地図で探すのにも苦労しましたが、笠取山の南をヒントにようやく、その界隈を見つけました。
記事を拝見しながら、ここかなと思いながら追ってみましたが、伝通院で行き詰まりました。葉広沢ノ頭と合わせてネットで検索しましたが、よくわかりませんでした。想像はつきますが。
前置きが長過ぎました。つまりは、あの廃トラの風景、進駐軍の置き去りらしきトラックの残骸、見てみたいものです。
峠のトラックの穴ボコは弾痕でしょうか。
いやぁ、気になります。
あんぱんさんのこの記事を忘れない限り、ぜひ行きたいところです。
コメント、ありがとうございます。あの廃トラは前々から知っていましたが、最近のレポを見て突然に行きたくなってしまい、決行しました。本当は紅葉時期を考えていたのですが、何もないこの季節になってしまいました。あの穴ボコは私も弾痕だと思います。はじめは登山者がいたずらにストックで開けたのだろう、と考えていましたが、あの穴の大きさ、その均一性、そして穴の開いている位置。それらを考えるとやはり銃撃戦の爪痕だと推測致します。今年は戦後70年だということですが、今もその生々しい傷跡があるとは驚きです。