お盆休みを利用して鳥海山と月山に登ってきた。台風の合間を縫う感じで11日朝新幹線で新潟へ、特急いなほに乗り継いで遊佐から乗合タクシー利用した。
乗合タクシーは予約さえすれば1人でも料金は同じ。この日も私一人だけだったが、駅まで出迎えてくれて気持ちよく鉾立まで送ってくれた。
鉾立から御浜小屋へ。鉾立到着時はすっかりガスに覆われていたが、食堂でカレーライスを食べ、歩きだす頃にはだいぶ見通しがよくなってきた。
鉾立から鳥海山への登山道は、昔からの信仰の山であり、たくさんの人が利用するだけに、スタートはしっかり舗装された遊歩道で、展望台をすぎると今度は石敷きの歩きやすい道になっていた。
花もたくさん見られるので写真を取りながら登る。
振り返ると日本海が見える。
さらに視界が広がり、御浜小屋付近の稜線も見えてきた。
やがて前方右手の斜面に雪渓が見えてきた。その上部にも人影が見えていたが、コースは雪渓の下をすぎて左手の斜面に登っていく。
鳥海の名をいただくチョウカイアザミも重そうな頭を垂れていた。
今夜の宿、御浜小屋が見えてきた。この小屋は火口湖である鳥海湖の火口壁の上にたつ鳥ノ海御浜神社の社殿でもある。
小屋に入ったところのなにもない板の間と左奥の部屋が宿泊所、右手が管理事務所を兼ねた社殿になっていた。この日は左手奥の部屋は団体が使用していた。
まだ2時なので、鳥海湖を一周することにした。
御浜小屋は鳥海湖の北側、1700m地点にあり、そこから反時計回りにまわった。火口湖へと降りる途中で鳥海山の雲の切れ始め、山頂が姿を現した。周囲にはたくさんの花々が咲き乱れている。
鳥海湖にむかって下るころに鳥海山の山頂が見え始めた。江戸時代に噴火した新山付近は地肌がむき出しだが、ほかは全体に緑に覆われている。
南側の一番低いところ(標高1600m)をまわって東側、鳥海山側に登っていくと途中にニッコウキスゲの大群落がありった。
小屋からまっすぐ山頂へ向かうと見られなかったかもしれないみごとな景色。
その日はお浜小屋に泊まりまっが、床に毛布を敷いて寝るので少々体が痛くなった。
椅子もテーブルもないので食事は床に並べられる。
食後はほとんどの人が小屋の外に出て、日本海に沈む夕日の景色を楽しんでいた。山頂の小屋ではなく御浜小屋に泊まるのはこれが見られるからなのだ。
日本海に長く伸びる光芒の中に飛島の影が見えている。
翌日、山は朝からガスにおおわれ強い風も吹いていた。
この日は、七五三掛から、むかし鳥海山が噴火に伴う山体崩壊をおこした旧火口である千蛇ケ谷をへて山頂をめざし、帰りは火口壁でもある稜線をたどって戻る計画。
見通しの悪い強風の中を歩くことになるが、こんな雰囲気も嫌いではない。
七五三掛から千蛇谷へ下る頃からガスが薄れ始めた。
鳥海山が大規模な山体崩壊をおこしたのは紀元前のことだといわれている。
その後の最高地点は今の七高山(2229m)だったそうだが、江戸時代の1800年に水蒸気爆発をおこし、溶岩ドームが形成され、それが新山となって、今はそこが最高地点(2236m)になっている。
その新山のふもと、七高山との間の谷に大物忌神社があってそこも宿坊として登山客が泊まれる。
いよいよ溶岩ドームを登る。
まだ200年そこそこしかたっていないので、大きく割れた溶岩の塊はするどく角が立っている。
そんな岩のあいだを縫うようにして登っていく。
新山の山頂は、ご覧のように岩だらけ。落ち着いて休めないので、外輪山の最高点である七高山に向かった。
新山と七高山とのあいだには残雪が残っていて、雪の上には白いもやがながれていた。
こちらが江戸時代からつづく山頂、七高山。いろいろな石碑が並んでいる。
七高山からは秋田県側の展望がすばらしく、遠く男鹿半島や岩手山も見えていた。庄内平野から写した鳥海山の写真や映像をよく目にするが、秋田県からも素晴らしい姿が見え、豊かな水の恵みをはじめ、信仰の対象となっていることにも納得できた。
帰りは外輪山の稜線にそってくだった。このあたりには鳥海山の固有種といわれるチョウカイフスマの花がみられるらしいのだが、時期には遅すぎるとあきらめていた。実は注意すればまだ咲いていたらしい。下山後、鉾立のビジターセンターで教えられた。
ガスも消えているので右手に新山の雄姿をながめながら稜線を歩いていくことができる。子どもをつれたグループもいた。さすがに人気の山だ。
花と展望を楽しみながらゆっくりと鉾立にもどる。
鉾立から予約しておいた乗合タクシーで遊佐駅へ。
ローカルで酒田乗換で鶴岡に向かい、駅から少し歩いたところにある小さなビジネスに泊まった。翌日は月山をめざす。
(後半に続く)