ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

朝から頭全開!(20210428)

2021年04月28日 | その日暮らし

 この2日間の睡眠時間は5時間を切っている。そこに爆弾メールが届いた。「原稿、今日中に送れ!」と。まだ寝かせろと、9時過ぎに起きた。私はてっきり、連休中の締め切りだと思っていたので、次の次の段取りだった。

 私が悪うございました。まったくの勘違いだったらしい。ここのところついていない。今月バスに乗り遅れること2回。それぞれ大騒ぎとなった。原稿問題でのトラブルもこれで2回。もう手一杯!

 ということで朝(9時過ぎ)から、頭が全開している。開くと言うよりも回るか。お陰で2部屋の掃除と毛布の日干し、洗濯をやった。部屋に風を通すのは気持ちが良い。これだけで自分の身体のやるき度、俄然アップ。原稿を書くテーマは、きまっているが、コピー用紙がない。これがないと推敲ができない。

 今日は4・28だ。皆さん分かっていますね。1952年4月28日のこと。米国によって、日本国はメデタク独立。占領軍から駐留軍に名前を替えて、他国軍隊(米軍)を残しながら。日本国は沖縄などをその米軍に献上しながら。沖縄ではこれを「屈辱の日」というのである。それから時間が流れ、1972年5月15日までの20年間、沖縄は米国に縛られてきた。いやいや米国の属国たる日本国に縛られながら、沖縄は未だに呻いているのだ。

 私は忘れない。2013年4月28日を!安倍政権はこうした歴史のマイナーボックスを隠しながら、「天皇陛下万歳!万歳!万歳!」とやりながら、日本国の独立を祝っていた。こんな独立国を祝う日本国民はコロナ禍を無視し、オリンピックと改憲に今、走っているようだ。

 日本の民衆は再びファシズム態勢を選ぶのか。エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」と指摘していたが、まさにこれだろう。民衆は権力を翼賛し、より「弱者」(被差別者)をなぶり殺す。こうした政治の世界に到達しているのだ。だから権力者が無能でも何の問題も起きない。ステレオタイプに乗っかっておけば、万々歳。新自由主義という悪の巣窟と歴史への居直りがこうした政治を支えている。

 だから、こいつを打破することは難しい。でもヒントはあちこちに埋れているのだ。先日の国政3連勝もそうだろう。広島の野党共闘が勝った意味は巨大だ。圧倒的な保守王国に埋れず、打破したのだ。金権腐敗打破と核兵器禁止条約の批准、ジェンダーフリー(女性の権利)。保守の基盤を切り崩した闘いからきちんと総括すべし。この中に貫かれていることは、政治への無関心(自身の心身を国家にくれてやるーファシズムへ)に抗して、譲れない声を繋げながら、主張したのだ。私たちは生きるのだと!

 うるま市長選ではこれに失敗したのだ。広島のように争点がはっきりしなかったが、保守の要領の良さに対して、オール沖縄の要領の悪さが露呈した。争点を明確にできない選挙では勝つことはできない。勝つためにはこれを明確にする。これが大前提だ。あちらは、だからこれをぼーとさせる。沖縄は潜在的にこの対立が明確にあるのだから、これを鮮明にしないという方針は初めから負けますというに等しいのだ。候補者の問題に収斂させた総括などいらぬ。自分たちの頭の悪さを白日の下にさらけ出せ。

 ということでよろしく。

 



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