ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

ヤマヒデの臨時週刊ブログ① 療養と、台風直前の中で(230731)

2023年07月31日 | その日暮らし

 お久しぶりです。6月28日に書いて、34日目。ヤマヒデは生きています。細々と。72歳になっています。
どうしたのかといえば、いつの間にか肺炎にかかっていました。私は6月24日夜から調子が悪いと自覚し始めました。その週、コロナに罹った友人がおり、懸念していたら、検査キットをYさんが買ってきてくれた。早く調べろと、迫られて、やってみた。陰性だった。
 この検査キットはなかなか精密な器具。取扱書を見ると、留意点が書いてある。よくよくこれを読み込んで(まだ冷静な頭が残っていたのだ)、3滴のみを挿入するのだ。
 ここで一安心した私は、ちょっとほっといた。医者嫌いの私は、「発熱外来」を探す気合いもないままだった。それを察したSさんが教えてくれて、7月8日に初受診。不調になってから15日目だった。ハッキリ言って遅かった。
 お陰様で、けっこう悪戦苦闘。掃除・洗濯・近くのコンビニへ買い物を体調を見計らいながらなんとかしのいだ。
 一日の時間が経たないこと。時が止まったようだった。急な激しい頭痛と背中の痛みに、頂いていた頓服薬を飲んでしのいだ(計3回)。呻くしかないのだった。
 しばしば見た悪夢。合間に思い出す、人々のこと。幼少時から最近までのお世話になった人や、あれこれ。しかし考えてみれば、難病で亡くなった(1962年)母親は、入院と在宅で約2年間も療養していたのだ。凄いな。それを考えると私は、全く甘い。当時、そうしたことを考えられる年齢ではなかった(10歳から11歳)が、感慨深い。反省すると、落ち込んだ。
 孤独な闘いだが、やはり身近な友の存在は大きい。つれあいからも特別な要冷凍の品が届いて、「生きろよ」の思いに泣きました。また旧テント村のTさんからCメールが入ってきた。「療養に専念すべし」「全国のヤマヒデファンが待っているぞ」と。これにも泣いてしまった。

 そんな励ましを受けながら、29日の受診で肺炎の陰が薄らいできたことを確認できた。「もう少し」の辛抱だ。7月25日からEメールをみれるようになった。ネットも。新聞を読み始めたのが、7月25日。せめて社会性を取り戻すために、新聞を読む意義は大きい。寝ているだけだと、何が起きているのか全く分からない。戦闘機が飛び交うのを窓からみても、うるさい!、不快に思うだけ。その意味を考える力は全くない。仕方がないが、焦る。「療養に専念せよ」の声を、私はありがたく受け止めている。
 ということなので、皆様、もう暫くお待ちください。本格稼働は8月下旬になるだろう。ここまで体力、思考能力も落ちているから、リセットに時間がかかる。

 そこに台風6号が沖縄島に接近中。31日17時現在、名護市は「強風域」にも入っていない。進行が遅れているのだ。急速に強く大きくなっているようであり、要注意。停電もありそうだ。1日、2日、(3日)。台風対策を既に完了と言いたいが、給水が止まることもありうるから、これには、これから準備する。停電になるか否かは、もう運としか言い様がない。
 皆様もお気をつけて。(2023年7月31日17時30分)



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