おはようございます。もう12月28日(日本時間)なのですね。昨夜は疲れ果て、起きておれず、22時に食後の片付けもせずに寝てしまいました。この歳で10日連続の稼働はキツいです。それに年末だからの来訪者が多く、昨日の辺野古テント村の予約は5団体。さらに、色々とお出ででした。
千客万来は嬉しことですが、皆様、もう少しここでも時間をとって、見て聞いていただけたらありがたいです。15分とか言われると、正直途方に暮れます。先日きていた関西の中学生など、40分みっちり聞いていました。事前学習をしてお出でになっていることが、端で見ていてもわかります。
無論、事前学習をするのは大変なことです。私が外に取材に行くときもなかなか時間をとれず、後悔ばかりなので、偉そうなことを言えません。しかし基本ができていれば、何とかなるのです。一番の基本は自分は、今(これまでーこれから)何と向き合っているかです。ここが座っていれば、他の問題と向き合うこともするっと入れます。ただ、この基本の基を据えるのは案外難しいのかも知れない。余りにも多くのことに振り回されて、何が何だかわからないのかもしれない。また、長時間労働に自分をとられていれば、仕事に追われるばかりで自分を見つめる余裕もない。余談ながら、これ労働運動の重要な課題です。
自分は何に向き合っているのかを考えるとき、自分は社会の中に生きていることは言うまでもない。家族も地域も企業も学校も情報源も全て社会であり、社会の産物です。嫌でも様々な人と事の中で生きている。もっともその背後に国・国家が控えており、沖縄は国家なる物にいたぶられ続けています。否、大なり小なりみんなそう。
私が沖縄と向き合ったのは、安保(軍事)問題と向き合っていたからです。だから嫌でも近い関係。多くの人は、軍事とは遠いし、琉球の歴史とも遠い。ただ同じ生きている人間だと気がつけば、沖縄は何故怒っているのか、あるいはお金に引きずり回されているのかも分かるはず。だから、「百聞は一見にしかず」という旅をしなければ意味がありません。
自然派の私としたら、沖縄の自然を堪能する機会ももっともっととって欲しいです。関心がありさえすれば、工夫の余地がある。辺野古テント前での干潟観察もおもしろいです。関心がなければただの風景で、行ったときの潮の干満の差で全然印象が違う。海は地球の動きを教えてくれるのです。ここに生物がいるからこそ、大きく言えば、私たち人間の歴史も始まったのです。
因みに、ここの自然をぶち壊して基地をつくる連中は、自然を風景とすら見ていない。お金・儲け以外無価値なのです。
朝一番から悔しさを覚える話になってしまいました。お粗末でした。