昨日は、シネコンで「トランスフォーマー」を、観てきました。
いつもなら、ちょっと買い物なぞして、のんびり帰ってくるのですが、
昨日は、早々に帰ってきました。
なぜかというと、昨夜は、地元、夜須町のお祭り。
車が、おそろしく混むのですよね。
バンパートゥバンパーですよ。
ですから、早めに家に帰り、晩の花火大会に備えて、
体力を温存(!?)してました。
夕方には、真紀ちゃんとさくら、遅れて、息子がやってきて、
皆で、浜まで歩いて、花火を見に行きました。
例年通り、ヤ・シイパークは、すごい人。
信じられないくらいの人が集まっていました。
そんな中、我々、6人(私、夫、娘、息子一家)は、ほとんど波打ち際に近いところまで行き、
(波打ち際は、人が少ない)寝転がったりしながら見ました。
浜は、とっても涼しくて、そのまま眠ってしまいそうな心地良さ。
さくらも、上機嫌で遊んでおりました。
花火が始まったら、眠っているどころか、
私も、花火の美しさに見とれておりました。
あんなに美しいものを見ると、「よし、がんばろう」って気持ちになります。
この世に、未練が起こるのです。
日頃、「お前は、まったく執着心がないなぁ」と、夫から呆れられているのですが、
この時は、一瞬ですが、この世に執着心が起こるような気がします。
まっ、一瞬のことですが。
大好きな、この夜須町の花火は、去年以外(去年は骨折の為、絶対安静でした)毎年、かかさず見ています。
そして、毎年思うのは「あと、何回見られるのだろう?」ってこと。
春の桜を見た時も、そう思います。
花火も、桜も、私の中で、ほぼ同格なくらい好きなものです。
だからでしょうか。
短い命(花火は、30分くらいだし、桜も、あっという間に散ってしまう)だから、惜しむ気持ちが湧いてくるのでしょうし、
人の命も、同じく、はかないものだと感じるからなのかもしれません。
8月15日は、終戦記念日。そして、亡くなった父の誕生日でもあります。
亡くなってからも、命日より、誕生日の方が、思い出されます。
私の中で、父は生き続けているからなのかもしれません。