http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/tag/%E8%91%89%E5%B1%B1%E5%A7%AB
葉山姫についてこちらのサイトに記されています。
>廣田神社の境内社①齋殿神社(西宮市・大社町)
祭神:葉山姫
齋殿神社(ときどの)は、
神功皇后の指示で廣田神社を祭った葉山姫を祭神とする境内摂社です。
葉山姫は京都南部(山背・山城)を拠点とする豪族・山背根子の娘です。
山背根子は神功皇后が新羅遠征からの帰途に、
忍熊王の反乱の鎮圧にむかった際,
根子の姉娘の葉山姫に天照大神を,妹娘の長姫に事代主尊を祭らせて,
航海の安全を祈りました。<
実は、筆者は数年まえから知り合いである方から、先日(2014年10月26日)、初めて、その方の祖先の方が、神功皇后より、この廣田の地の天照大神荒御魂を大切に祀るようにという命を受けた、ということを知りました。
つまりその方の御先祖の方は、葉山姫とともに、祭祀をされていた一族の方であるのは間違いないと思います。
そして、筆者は、それに先立つ先月中旬(2014年10月16日)、六甲比命神社で、城陽市からお越しの方と出会いました。その方は夢に瀬織津姫が御出現になり、六甲へ招かれた、それで初めてここへ参拝にいらっしゃったそうです。
(夢に登場された瀬織津姫の御顔は瑠璃さんの有名な作品と似ている、ということでした。)
城陽市といえば、ホツマに登場する樺井月神社が思い浮かび、その神社のことを口にしたのですが、現在は樺井月神社は、水主神社の境内社となっています。
http://gejirin.com/src/Ka/kabaitukijinja.html
http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/37831564.html
そして、その水主(みずし)神社です。
>水主神社(城陽市・水主宮馬場 )に関する記事です。
水主神社(みずし)は木津川の右岸にあり、
近鉄新田辺駅から木津川を渡った富野荘駅(とのしょう)の北西1kmにあります。
木津川の傍に鎮座する、洪水・旱魃などの守護に関係する神社でした。
また水主という地名は全国の城下町・港町に所在する地名で、
水主衆(加子衆:水夫のこと)が集住する町」に由来するそうです。
新撰姓氏録には、この辺りの豪族に水主直がおり、
水主氏の祖を祀る氏神として水主神社を創建したとあるそうです。
水主氏は、栗隈大溝(水路)に木津川から水を流入させる
井堰の管理を司る一族とされます。
水主神社は素佐之男の第五子・天照御魂を筆頭に十座を祭る大社です。
(延喜式神社で祭神が十座もあるのは水主神社だけ)
十代目の山背大国魂が、丹波から水主に移住し、
木津川水系・巨椋池周辺での治水治山農業の振興に努め、この地を開発しました。
この山背大国魂が先祖をお祭りし、更に彼の死後に子孫が山背大国魂を、
追加祭祀したのが水主神社です。
祭神:天照御魂 天香語山 天村雲 天忍男 建額赤 建筒草 建田背 建諸隅 倭得玉彦
山背大国魂(山背根子)
沢山の祭神がいますが、特に重要なのは最初の天照御魂と最後の山背大国魂です。
山背大国魂命は山背根子のことです。
山背根子は神功皇后凱旋にあたっては、皇后とともに忍熊王と戦って勝利し、
自分の娘の葉山姫には天照大神の荒魂を廣田神社に、
その妹の長姫には事代主を長田神社を祀らせました。<
筆者は、この1カ月くらいの間に、神功皇后時代の廣田神社創建(筆者は伊和志津、廣田、本住吉、六甲八幡、敏馬、生田、長田その他へ再編と推定)に直接関わった方と少なからぬ御縁(血縁、地縁そして霊統)のある方と出会い、そしてほぼ同時期に、神奈川県葉山の向津姫を祀る3社のことを発見したわけです。
ふしぎふしぎ!
これも、すべては瀬織津姫の御引き寄せ、としか思えないのです。
葉山姫についてこちらのサイトに記されています。
>廣田神社の境内社①齋殿神社(西宮市・大社町)
祭神:葉山姫
齋殿神社(ときどの)は、
神功皇后の指示で廣田神社を祭った葉山姫を祭神とする境内摂社です。
葉山姫は京都南部(山背・山城)を拠点とする豪族・山背根子の娘です。
山背根子は神功皇后が新羅遠征からの帰途に、
忍熊王の反乱の鎮圧にむかった際,
根子の姉娘の葉山姫に天照大神を,妹娘の長姫に事代主尊を祭らせて,
航海の安全を祈りました。<
実は、筆者は数年まえから知り合いである方から、先日(2014年10月26日)、初めて、その方の祖先の方が、神功皇后より、この廣田の地の天照大神荒御魂を大切に祀るようにという命を受けた、ということを知りました。
つまりその方の御先祖の方は、葉山姫とともに、祭祀をされていた一族の方であるのは間違いないと思います。
そして、筆者は、それに先立つ先月中旬(2014年10月16日)、六甲比命神社で、城陽市からお越しの方と出会いました。その方は夢に瀬織津姫が御出現になり、六甲へ招かれた、それで初めてここへ参拝にいらっしゃったそうです。
(夢に登場された瀬織津姫の御顔は瑠璃さんの有名な作品と似ている、ということでした。)
城陽市といえば、ホツマに登場する樺井月神社が思い浮かび、その神社のことを口にしたのですが、現在は樺井月神社は、水主神社の境内社となっています。
http://gejirin.com/src/Ka/kabaitukijinja.html
http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/37831564.html
そして、その水主(みずし)神社です。
>水主神社(城陽市・水主宮馬場 )に関する記事です。
水主神社(みずし)は木津川の右岸にあり、
近鉄新田辺駅から木津川を渡った富野荘駅(とのしょう)の北西1kmにあります。
木津川の傍に鎮座する、洪水・旱魃などの守護に関係する神社でした。
また水主という地名は全国の城下町・港町に所在する地名で、
水主衆(加子衆:水夫のこと)が集住する町」に由来するそうです。
新撰姓氏録には、この辺りの豪族に水主直がおり、
水主氏の祖を祀る氏神として水主神社を創建したとあるそうです。
水主氏は、栗隈大溝(水路)に木津川から水を流入させる
井堰の管理を司る一族とされます。
水主神社は素佐之男の第五子・天照御魂を筆頭に十座を祭る大社です。
(延喜式神社で祭神が十座もあるのは水主神社だけ)
十代目の山背大国魂が、丹波から水主に移住し、
木津川水系・巨椋池周辺での治水治山農業の振興に努め、この地を開発しました。
この山背大国魂が先祖をお祭りし、更に彼の死後に子孫が山背大国魂を、
追加祭祀したのが水主神社です。
祭神:天照御魂 天香語山 天村雲 天忍男 建額赤 建筒草 建田背 建諸隅 倭得玉彦
山背大国魂(山背根子)
沢山の祭神がいますが、特に重要なのは最初の天照御魂と最後の山背大国魂です。
山背大国魂命は山背根子のことです。
山背根子は神功皇后凱旋にあたっては、皇后とともに忍熊王と戦って勝利し、
自分の娘の葉山姫には天照大神の荒魂を廣田神社に、
その妹の長姫には事代主を長田神社を祀らせました。<
筆者は、この1カ月くらいの間に、神功皇后時代の廣田神社創建(筆者は伊和志津、廣田、本住吉、六甲八幡、敏馬、生田、長田その他へ再編と推定)に直接関わった方と少なからぬ御縁(血縁、地縁そして霊統)のある方と出会い、そしてほぼ同時期に、神奈川県葉山の向津姫を祀る3社のことを発見したわけです。
ふしぎふしぎ!
これも、すべては瀬織津姫の御引き寄せ、としか思えないのです。
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