武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

過去の記事(25)

2024年04月16日 03時27分32秒 | 過去の記事

㉕  参議院は必要か? その廃止を考えよう。  政治家の失言・暴言。 機密費について。 「左翼的愛国主義」について。 「君が代」は国歌にふさわしくない。新「国歌」の制定を! 韓国よ、恩を仇(あだ)で返すな!  

参議院は必要か? その廃止を考えよう

  まず私の経験談からお話しましょう。 私はフジテレビという会社の報道局に28年以上在籍しましたが、その内10数年は、いわゆる「政治部」の記者をやっていました。

  従って、首相官邸や自民党、野党、外務省、旧大蔵省などの記者クラブを拠点にして、国会その他に随分多く取材をした経験があります。 そうした中で常々感じていたことは、「一体、参議院は本当に必要なのだろうか」ということでした。

  つまり、大部分の法案がまず衆議院で審議され、可決通過すると参議院に送付されます。そして、参議院の各委員会で衆議院とほとんど同じような審議が繰り返されるわけです。要するにほとんどが「二番煎じ」というわけです。 

  こうなると、絶えずニュースを追いかけている報道マンとしては、面白いわけがなく、又ほとんど同じことの繰り返しだと、「一体、参議院は必要なのか」と感じざるをえなくなるのです。 「二番煎じ」だとニュースにはなりにくいし、余程の重要法案でないと、ニュース番組に取り上げられてくれません。せいぜい他のニュースが少ない時の、穴埋め原稿になるくらいです。

  もちろん、参議院先議の法案もあります。こういう時は、参議院の取材も張り切って行えるわけですが、参議院先議というのは、それほど多くはありません。 ほとんどの場合、参議院での審議状況が注目されるのは、国会の会期末になって法案が可決成立するのか、審議未了で廃案になるのか、それとも継続審議になるのかといった時です。 

  こういう時だけは緊迫してきて、取材、報道の生き甲斐を感じますが、法案の処理については、ほとんどが各党の国会対策委員会の折衝に委ねられ、そちらの方が取材の大きなウェートを占めるわけです。 そういう時点になると、参議院の審議自体はほとんど顧みられず、国会対策委員会の折衝の行方の方がニュースになります。 参議院の審議状況がニュースになるのは、例えば与党による「強行採決」といった、異例の時だけに限られてしまいます。

  従って、記者として常々国会を取材してきた私としては、「一体、参議院は必要なのか」と考えてしまうわけです。 この点の疑問について、私はある政党の人に「このままでは参議院はもう要らないのではないか」と質したところ、その人は「う~む」と唸って返事をしてくれませんでした。

  それから20数年がたった今日においても、私の疑問は消えません。ますます政党化が進む参議院は、戦後発足した当時の面影はほとんどなくなり、「良識の府」と言われていたのが、「衆議院のカーボンコピー」と言われるようになって、久しいものがあります。

  勿論、参議院議員をはじめ関係者は大いに努力、改善をしているでしょうが、「良識の府」というイメージが、どれほど国民の目に写っているか疑問です。むしろ「こんな状態なら、参議院はもう必要ない」という声の方が強まっているようです。 

  行政改革が叫ばれている折から、もし近い将来の憲法改正があるとするなら、参議院の廃止、もしくは改組、役割の変更といったことが、必ず検討課題になりえると思います。もし仮に参議院が廃止されたら、莫大な経費が節減されることになります。国民が、参議院を無用だと思って廃止したら、税金の大幅な節約だけでなく、21世紀最初の大きな「政治改革」となるでしょう。

  ところで、近年の憲法改正に関する民間の動きを見ていると、いくつか「参議院の廃止」を提唱しているものがあります。 例えば「日本を守る国民会議」が、1994年4月に発表した「日本国新憲法制定宣言」(発売元・徳間書店)では、「今のままの参議院の制度ならば、それを必要とする理由は乏しいとして一院制を採用すべきである」としています。 

  要するに参議院を廃止して、衆議院だけにすべきだということです。その理由として、「1、国民の総意は一つであるはずだから、国民の意思を代表する機関も一つであって構わない。 2、審議を迅速ならしめ、審議のための経費を節約する必要がある。 3、貴族制度がなく、連邦国家でもない我が国では、二院制の積極的な存在理由はない」としています。 

  また、西部邁氏もその著「私の憲法論 日本国憲法改正試案」(徳間書店発行)で、「現行参議院が日本の政治にとって無用の長物からさらに有害な障害物になりつつある」(190ページ)と述べ、参議院の廃止を提唱しています。 これらの著作にはもっともな理由が多く、私はおおむねこうした考えに賛成ですが、皆さんはどのように受けとめますか?

  「史録 日本国憲法」(児島襄氏著 文春文庫)では、GHQ(連合軍総指令部)の民政局が日本国憲法の草案を作成した時点で、国会について「マッカ-サ-元帥は、日本の過去の歴史を回顧してみると、とくに二院制が有効だとは思えない、という意見をもらしていた。 たしかに、一院制のほうが簡単であるし、ケーディス大佐が強調する立法府優位主義を採用するならば、ますます一院制が、好ましいはずである。」と書かれています。 しかし、日本側との折衝で最終的に日本側の要求を受け入れ、二院制の案文になったということです。

  こうした憲法制定時の歴史を見てみると、本来は一院制の方が合理的だという考えがあったわけです。 従って、二院制の長所が十分に発揮されていれば、参議院の存在が認められて当然ですが、前に申しましたように、参議院の価値が一向に見えてこないばかりか、ますます風化していくようで、それならば、近い将来の憲法改正では、参議院の廃止について大いに議論すべきだと考えます。 皆さんはどのようにお考えでしょうか。(2001年12月27日) 

 

 政治家の失言・暴言

柳田法務大臣の国会を軽視した発言が問題になっている。柳田大臣は、国会では2つの答弁を覚えておけばいいと述べ、1つは「個別の事案についてはお答えできない」、もう1つは「法と証拠に基づいて、適切にやっている」ということを挙げた。
 テレビで見たら、柳田氏はやや得意気な感じで発言していたが、これは確かに国会を軽視、愚弄した言い方である。こんな答弁で大臣が務まるなら、誰だって法務大臣の職務を担うことができるだろう。明らかに失言である。
 柳田氏は陳謝したが、野党側は国会を侮辱した発言だとして柳田大臣の辞任・罷免を要求している。これも当然だろう。
 
ただ、私は昔の話をして申し訳ないが、これ以上の失言や暴言は数多くあった。 「中小企業の人間が自殺しても、お気の毒だが止むを得ない」 「日本国憲法は妾(めかけ)の憲法だ」 「国連は田舎の信用組合みたいだ。モルジブのような“土人国”が票を持っている」とか、自分の選挙区に急行列車の停車駅をつくり、「国鉄も俺の言うことを一つぐらい聞いてくれてもいいじゃないか」と述べた運輸大臣もいた。いずれも大臣を“クビ”になったが、柳田大臣の失言に比べると、唖然とするような酷さである。
 まあ、昔の自民党政権時代には、今では想像もできないような失言、暴言が飛び交った。それに比べれば、最近は閣僚の発言もずいぶん慎重になったものだと思う。
 書いているうちに思い出したことがある(今だからもう言ってもいいだろう)。 あれは25年以上も前だったか、当時の労働大臣の発言にびっくり仰天したことがある。ただし、これは公けの席で言ったのではなく、政府・自民党の非公式な席での発言だから問題にはならなかった。
 その頃、たしか「男女雇用機会均等法」をめぐって、国会で大いに議論されていたと思う。当時のA労働大臣は、野党はもちろん自民党の女性議員らからも、この法案をめぐって厳しく追及されていた。相当に疲れやストレスが溜まったらしい。
 国会審議が終わって、A大臣は自民党の幹部らと顔を合わせた時に次のように吐き出した。「何が男女雇用法だ! 女は“立ち小便”ができるようになったら言ってこい!」
 これが、法案の最高責任者である労働大臣の言葉である。こんな暴言が知れたら、A氏は大臣どころか国会議員も“クビ”になっただろう。いかに身内の集まりでの発言とはいえ、酷すぎないか。
 
その頃、私は某テレビ局の政治記者として自民党を担当していたが、幹事長は実力者の金丸信(かねまる・しん)氏であった。金丸さんのオフ懇(オフレコ懇談会)というのがあって、記事にしないかわりに何でも話してもらおうというものだった。
 金丸氏は面白がってその話をしたのだろうが、聞いていた記者連中は初めは笑ったが唖然とした。労働大臣の発言にしては酷すぎる。そうすると、ある若手記者のB君が「うちの娘は立ち小便ができるんですよ!」と言ったから、今度は失笑が起きた。考えてみれば、あの頃は記者と言えばほとんどが男性であった。
 金丸番の記者も全員が男だったから、金丸氏も気を許してそんな話が出来たのである。今のように、女性記者が大勢いて番記者をやっていたら、いかに金丸さんといえどもこんな話は出来ないはずだ。どえらいことになる。(そういう意味で、女性記者が増えたのは、風紀面で好ましいことだろう。)
 
話がずいぶん飛んでしまったが、政治家も人間だから失言や暴言はよくある。過去の大臣や政治家の失言・暴言を集めたら、一冊の本になるだろう。
 しかし、時代が変わったので昔のようにおおらかに(?)、無神経に失言することはできない。政治家はこれまで以上に自分の発言に気を付けるべきだ。今は、昔のような“おおらかな”時代ではないのだ。(2010年11月19日)

 

機密費について

“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。
国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。
日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)
彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊させようという狙いがあったのだ。明石大佐はこの他にもあらゆる謀略・諜報活動を行ない、日露戦争の勝利に大いに貢献したのである。なお、工作資金はもちろん「機密費」なので返す必要はないが、律義な明石は使い切れなかった27万円を、明細書を付けて全額陸軍に返却したという。
 
官房機密費の10数億円に比べると、余りにもスケールが違う話をしてしまったが、事ほど左様に「国家」には機密費が必要なのである。
現代に話を移せば、6年前に高遠菜穂子さんら3人の日本人が、イラクで武装グループに拘束され、その救出のために多額の“身代金”が支払われたという。一説には20億円(?)とも言われるが、これも我々の税金である機密費から出ているのだ。
あの時は、人道支援と言いながらも危険なイラクになぜ行ったのだという非難の声が上がった。「自己責任」論などが噴出したのだが、高遠さんらはとにかく日本の機密費によって救出されたのだ。このように、有事の際や外交問題を考えると、機密費というのはどうしても必要なのである。
 
問題は官房機密費である。1年間に14億6千万円といえば国家予算の中では微々たるものだ。しかし、この金が国会議員や政治評論家などにバラ撒かれていたとすれば、黙ってはいられない。前の某官房長官は退任する時に2億5千万円を引き出したという。前述の明石大佐に比べると、余りにも卑しいではないか。
機密費というのは、国家の一大事や外交問題が起きた時に使われるもので、一政権の要人が、自分の私利私欲のために使うべきではない。あくまでも「公用」のために使うもので「私用」のためにあるのではない。
こう考えると、官房機密費の使途についてはやはり公表すべきである。公表することになれば、受け取る方も慎重にならざるを得ないだろう。また、使う方(官房長官)も私利私欲のためにこれを流用するわけにはいかなくなる。
戦前は「機密費」というのは予算の一費目として認められ、議会にも使途を明らかにする必要はなかったが、戦後は機密費自体が認められていない。われわれが“官房機密費”と呼んでいるのは「内閣官房報償費」であって、本来は使途を明確にすべきものであろう。
14億6千万円とはいえ国民の税金なのだから、不透明な“裏金”にならないよう公表を義務付けるべきである。(2010年5月20日)

明石元二郎・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E

 

左翼的愛国主義」について

  現行憲法の精神の中で、最も個人にとって重要なものは「基本的人権」であろう。我々は戦後の教育でその重要性を徹底的に教えられてきたと思う。 そして、政治的にはその上に、「国民主権」が高らかに謳われている。いずれも侵されてはならない、民主主義の貴重な原理だと思う。 

 あのフランス大革命の「人権宣言」以来、この民主主義の原理は脈々と今日まで受け継がれてきている。これらの原理を最も強くアピールしたのは、「ジャコバン派」と呼ばれる左翼であった。 そういう意味では、21世紀の今日、「基本的人権」や「国民主権」が近代国家に生かされていることは、国家の基本が充分に左翼的になってきたと言えるのではないだろうか。 勿論、現代においては、右翼といえどもこれらの民主主義の原理を否定してはいないし、また否定できるわけがない。民主主義の原理が定着してきたと言えよう。

 以上の点から見れば、私もまちがいなく左翼的と言える。民主主義を最も強く推進してきたのが左翼だからである。そういう面から言うと、大多数の人が左翼的となってしまうだろうが、現実の左翼というのは不思議なことに、「国家」という理念をなぜか軽視する傾向がある。 

 民主主義の原理を保証し、それを更に推進しようという国家に対しては、もっと愛着と敬意を抱くべきではないのか。全体主義の国家ならば許しがたいが、民主主義の国家ならば、これを擁護し守っていくのが当然である。 こうした観点に立てば、民主主義体制をより強固なものにしようとしている、今の日本国に対して、我々はもっと愛着と敬意を抱いて当然ではないのか。

 私は別の所で、「日の丸」の国旗は良いが、「君が代」の国歌には疑問があると述べた。(別項を参照) それは「君が代」が「国民主権」の民主主義体制にふさわしくないからである。そういう意味では、私は左翼的だと言っていい。 しかし、今や民主主義「国家」の先頭を歩む日本に対しては、大多数の国民と同様に、深い愛着と敬意を抱いている。それを簡単に言ってしまうと、「左翼的愛国主義」とでも呼ぶのだろうか。

 その日本には「国民主権」は確立していても、「国家主権」があいまいであると先に述べた。独立国である以上、自衛のための戦力を保有しそれを行使できるのは当然であり、それを分かりやすくするために、憲法9条をただちに改正すべきだとも述べた。 もし仮に日本が、テポドンを撃つような或る全体主義国家に攻撃されれば、それは民主主義国家が危機に瀕することになる。そんな事は絶対にあってはならない。私はいかに左翼的と言われようとも、民主主義の国体を持つ日本を全国民が守るべきだと信じる。 従って、そういう考えを、あえて「左翼的愛国主義」と呼ばせてもらう。 (2002年1月14日)

 

「君が代」は国歌にふさわしくない新「国歌」の制定を!

 国旗と国歌について考えたい。 まず「日の丸」だが、これほど美しくて、純化され崇高な国旗は他にないと思う。一目瞭然、「日出づる国」日本を象徴するのにふさわしい国旗である。 我々国民は誇りを持って、「日の丸」を国旗として仰ぐだろう。

 しかし、「君が代」についてはどうであろうか。 この「国歌」は明らかに天皇による統治、絶対君主制を讃える歌である。 政府は「君が代」とは、「主権者国民の総意に基づく天皇を象徴とする我が国のこと」だと説明している。 これは現在の国民主権の原理に「君が代」がふさわしくないとする、多くの批判に対して弁明したものだが、はたしてこれで国民全体が納得するだろうか。 私自身は、どうしても納得がいかない。

 近い将来、憲法改正が行われるとしても、国民主権の原理は変わりようがない。憲法9条をはじめ改正すべき点は多々あると思うが、主権在民の考えは変えようがない。 憲法改正で、天皇が「象徴」のままであろうとなかろうと、国民主権の原理は変わらないし、むしろ、より鮮明にすべきである。

 将来の憲法改正について民間では様々な試案が出ているが、注目すべきは、天皇を「元首」とする保守的な試案の中にも、国歌は国民の手で新しく作るべきだという考えが少なからずある。私もその考えに賛成である。 

 いわゆる保守的な試案の中にも、そういう意見があることに注目すべきである。 私自身は、2005年頃までに、21世紀にふさわしい新しい「国歌」を策定して欲しいと思う。 勿論、私も皇室を敬愛する立場から、「君が代」は天皇と皇室を敬愛する歌として残すべきだと思う。しかし、天皇を敬愛し尊崇する気持と、国歌は別だと思う。

 この点について、民間の憲法改正試案の中に、私が最も我が意を得たりと思うものがあった。 それは、慶応義塾大学教授の小林節氏が著した「憲法守って国滅ぶ」(1992年3月5日初版。KKベストセラーズ発行)である。 その一部を引用させてもらう。 その中で小林氏は、「法律上の根拠がなくかつ日本国憲法の基本原理に反する君が代の慣用を止め、新しく、現在の国民主権国家・日本に相応しい国歌を制定し、そのことを憲法典の中に明記すべきであろう」(同書の129ページ)と述べておられる。 

 1992年当時は「国旗・国歌法」が成立していなかったので、「法律上の根拠がなく」という文章になるが、それ以下は私の考えとまったく同じであり、意を強くしたので紹介させてもらった。

 個人的な話しで恐縮だが、私は所沢にいるので「西武ライオンズ」のファンである。 よく西武球場に行くが、試合開始前に「君が代」が演奏される時には、起立もしないし歌いもしない。 戦後民主主義の教育を受けた世代なのかもしれないが、国民主権が骨の髄まで染み付いた人間として、違和感を覚えるから歌わないのだ。(観客席を見ていると、いつも大多数の人達が起立もしないし、歌ってもいない。) そのかわり、天皇誕生日など皇室の慶事の時は、喜んで「君が代」を歌うであろう。

 21世紀を迎えて、沈滞した日本国民の活性化のためにも、憲法改正など喫緊の課題が数多くあると思う。 国歌についても、新世紀にふさわしい明るい躍動感のある、日本国民の活力を取り戻すようなような、歌詞と曲を作って欲しい。 それを国民の中から公募して、「国歌制定委員会」で定めて欲しいと思うのである。(2001年12月29日)

(後記・・・野球などの楽しい時に、いちいち「君が代」を歌わされるというのは、少し場違いではないのか。 日米対抗野球の時などは、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」に対抗して、今のところは「君が代」が演奏されても不思議ではない。 しかし、公式戦の一試合ごとに「君が代」を歌わされるというのは、やり過ぎではないのか。 私は西武球場に行く時、「君が代」で悩むのが嫌だから、わざと試合開始前に遅れるように行くことがあるし、最近は行くこと自体が嫌になった。

 サッカーの場合もそうだ。有名な中田英寿選手は、国際試合の度ごとに「君が代」を演奏されるので、閉口しているようだ。 彼は「ダサイですね。 気分が落ちていくでしょ。戦う前にうたう歌じゃない」と言って、「君が代」を歌わないそうだ。(松本健一氏著『日の丸・君が代』の話。PHP新書を参照) 私は埼玉県民だから、“ダサイ”という言葉は好きでないが、中田選手の気持は実に良く分かる。

 たしかに「君が代」は、スポーツ選手を奮い立たせる歌ではない。荘重ではあるが、聞いていると、かえって気分が沈んでいくように聞こえる。 「君が代」を歌う時、私は戦前の曲「海ゆかば」を思い出してしまう。 やはり国歌は、明るくて活力を生み出すような曲であって欲しい。)

 

韓国よ、恩を仇(あだ)で返すな! 

昔は、産経新聞やフジテレビは韓国のために大いに貢献した。私はフジテレビの記者をしていたから、だいたい分かっている。産経新聞やフジテレビは、韓国や台湾に肩入れしていた。だから、中国や北朝鮮からは大いに嫌われたのだ。  

例えば中国の取材となると、産経やフジテレビだけは拒否された。どれだけ不愉快な思いをしただろうか。それも仕方がない。フジ・産経を統括していた鹿内信隆という人は、大の台湾びいきで韓国寄りだったからだ。まあ、自業自得ということか(笑)。 

だから、1965年の「日韓基本条約」締結の時は、フジ・産経は極めて協力的だった。韓国のパク・チョンヒ大統領(パク・クネの父親)は日韓関係の将来を思い、建設的で前向きだったと思う。また、日韓国交正常化は韓国の経済発展などのためにも良かったと思う。

こうして両国の友好関係は発展していったが、やがて日韓関係に最大のピンチが訪れた。それが世に言う『金大中事件』だったのである。この事件を長々と語る時間はないが、要するに、後の韓国大統領・金大中氏が東京でKCIA(韓国中央情報部)に拉致され、危うく命を落としそうになった事件である(1973年)。 

 日本側はKCIAの現場指揮官に出頭を求めたが、韓国側はそれを拒否、両国関係は一気に険悪になった。この事件は日本が明らかに主権を侵害されたもので、許されるものではない。しかし、その後、両国の間で“政治決着”が図られることになり、事件の真相はうやむやのうちに闇に葬られた。  

金大中氏は当時、韓国の有望な若手政治家あり、パク・チョンヒ大統領は彼の躍進を恐れてKCIAを動かしたのだろう。それはともかく、日本側は政治決着でこの事件を収拾し、パク大統領に恩を売る形で終わった。

 

個人的な話だが、その頃のことで忘れられない思い出がある。その年(1973年)の10大ニュースのトップはもちろん「金大中事件」だったが、わがフジテレビ報道でそれを大々的に取り上げようとしたら、上から待ったがかかった。たしか8分半ぐらいのドキュメンタリーに仕上げたが、放送日の前日、上から、つまり某報道局長から2分ぐらいに短縮しろという指示があったのだ。 

 冗談じゃない! 金大中事件はその年のハイライトではないか。短くなんかできるか! ということで、われわれ現場と某局長との間で、激しい応酬が繰り広げられた。深夜になってもラチが明かないので、最後は局長の「業務命令」で、短縮せざるを得なくなったのだ。ああ、無念・・・  

しかし、このようにフジテレビでも“上層部”からの指令で金大中事件を穏便に終わらせようとしたのだ。もう時効だから、話してもいいだろう(笑)。 ということは、日本の政界やマスコミの大部分が、金大中事件を円満に収束してパク・チョンヒ政権を助けたのである。その是非はともかく、それを忘れるな! と言いたい。 

 「報道の自由」とか何とか正論を言っても、韓国側は分かるわけがない。そこで今日は「恩を仇で返すな!」と、儒教的な精神で言った。産経新聞ソウル支局がいま、ウェブサイトの記事で韓国政府に“弾圧”されているが、冗談じゃない! かつて、産経やフジテレビがどれだけパク・チョンヒ大統領を助け、支援したか・・・娘のパク・クネは忘れたのか!? この恩知らずめ!  

今日はだいぶ情緒的な話で終わったが、次回からは報道の自由、表現の自由という“正論”から、韓国政府を徹底的に追及していきたい。


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