なかなか寝付かれない。今村や小出、それに木内典子ら組合員の顔が脳裏の浮かんでくる。彼らは啓太をじっと見据えて、「組合を脱退するのか?」と詰問しているみたいだ。それらの“幻覚”を振り払って啓太は眠りにつこうとする・・・しかし、眠れない。彼はベッドの上で上半身を起こし、しばらく放心状態になった。どうして俺は眠れないのだろうか。俺はそんなにも小心で気が弱いのか。啓太は自分が情けな . . . 本文を読む
そうして数日がたつうちに、啓太は25歳の誕生日を迎えた。誕生日といっても別にどうってことはない。ああ、そうかという感じだが、このテレビ局は変わった会社でいちいち「記念品」などをくれる。社長の陣内は、そうしたことに気を配るのだろう。家族主義的な会社経営が彼の方針だからだ。大きなガス爆発事故で例の討論集会は1週間延びたが、その日、ほぼ全員が出席して集会が開かれた。2階の会議室に20数人の社員が集まった . . . 本文を読む
時限ストの日が来た。みんな初めての体験だが、正午過ぎに会社の近くの○✖公園に集まる。啓太も小出や今村と連れ立って公園へ行った。すでに20人余りの組合員が集まっていたが、報道部では夜のニュースのADを務める木内典子(のりこ)が来ていた。「やあ、木内さんは早いね。張り切ってるな」今村が声をかけると彼女が答えた。「ええ、だって私は夜のニュースですもの。昼間はなんでもできます」木内がすっきりした笑顔を浮か . . . 本文を読む
第2部
<第1部に続く自伝的小説>
(6)報道部に戻る
5月の連休明けに山本啓太は報道部に戻った。顔なじみの同僚にまじって数人の新人がいたが、意外だったのは同期の大橋剛(つよし)がいたことである。彼はスポーツ部を志望していたはずなのに、どうして報道に移ってきたのだろうか。啓太はすぐに声をかけた。「大橋、君はどうして報道に来たの? 意外だな」「ハッハッハッハ、あとでゆっくり話すよ。それより、山 . . . 本文を読む
「そうですか、蔵原さんはそういう人ですか・・・」啓太はそれ以上は聞かなかったが、蔵原になにか不吉な予感を覚えた。そして、西尾と啓太は喫茶室を出たあとドラマ制作部に戻り、明日の予定を確認してから別れた。翌朝、出社すると岡山ディレクターが嬉しそうな顔をして言う。「放送予定日がようやく決まったよ。4月14日と21日の2回に分けて放送する。これで落ち着いてやっていけるね」啓太も安堵した気分になって聞いた。 . . . 本文を読む
そして、昭和41年・1966年を迎えた。国外ではベトナム戦争が激しくなり、アメリカ軍の北ベトナム空爆がいっそう拡大した。また、隣の中国では「文化大革命」という大衆運動が勃興してきたが、これは得体の知れないなにか不吉な予感を与えるものだった。しかし、日本国内は“ミニスカート”が登場するなど一見して平和でのどかな感じである。そうしたある日、五代厚子と石黒からスキーに行こうという . . . 本文を読む
このコルト600は白銀色に輝いている。啓太は車に乗り込むとギアやブレーキなどを点検したあと、駐車場からゆっくりと出発した。初めての路上運転なので緊張する。絶対に「安全第一」と自分に言い聞かせながら、コルト600を走らせた。そうは言っても、自分の車だと思うと胸が高鳴ってくる。自然に誇らしい気持になるのだ。ところが、彼が山手通りに出て北へ向かう途中の西池袋付近だったか、車が何かの拍子で突然 エンスト( . . . 本文を読む
そういう仕事を続けているうちに、いよいよ秋も本番となり素晴らしい季節になってきた。東京オリンピックの開幕が近づき、日本中が浮き立つような気分になってきた。聖火リレーが国中を回り、高速道路やモノレールが開通する。そして、10月1日には東海道新幹線も開通した。これは超ビッグイベントで、国内外の注目を浴びた。テレビは中継に大わらわで、外国メディアももちろん絶賛する。こんなに速く走る列車は世界中どこにもな . . . 本文を読む
<これは懺悔・告白のような自伝的小説で、2019年5月15日に完成しました。したがって、時制はその当時のものです。>
主な登場人物 <順不同>
山本啓太(主人公) 小出誠一(啓太の同期) 五代厚子(先輩アナウンサー) 江藤知子(同期アナ) 石黒達也(同期アナ) 森末太郎(同期アナ) 木内典子(報道部員) 山本久乃(母) 山本国義(父) 山本国雄(啓太の兄) 陣内春彦社長 星 . . . 本文を読む
その日は秋晴れの清々しい一日だった(1971年10月のある日)。 山村秀樹は結婚ホヤホヤの新妻に車で送られ、いつものように国鉄(今のJR)の北浦和駅から国電に乗り込んだ。通勤・通学のラッシュ時よりやや遅めであったが、電車の中は通勤客などでまだかなり混んでいた。秀樹は某民放テレビ・Fテレビの政治記者をしていたので、いつも本社には行かず、取材先の国会の「野党クラブ」へ直接通っていた。野党クラブというの . . . 本文を読む
第6幕・・・胡耀邦の失脚と趙紫陽総書記の誕生へ
第1場 (1986年の8月下旬、ホンコン(香港)の繁華街を宋哲元と李慶之が並んで歩いている。2人は妻や幼い子供をホテルに残して散策中だ。)
宋哲元 「盂蘭盆(うらぼん)になると、ホンコンも大勢の人で賑わうね。僕らのような観光客が多いということだ」李慶之 「そうだな、混んでるから、子供たちをホテルに置いてきて良かったよ。ところで、君は9月からま . . . 本文を読む
それからおよそ6年後、中国は華国鋒ら最後の文革派グループが失脚し、代わって鄧小平の指導のもと、胡耀邦や趙紫陽らの改革・開放派が完全に実権を掌握していた。 その間、国内は目覚ましい経済成長を続け、国力を増強していった。しかし、政権の内部では、民主化、自由化をめぐって対立がいっそう深まっていったのである。
第5幕・・・鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂
第1場 <1985年の&l . . . 本文を読む
第4幕・・・鄧小平の復活→華国鋒との戦い
第1場 <1976年の10月下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平のほかに胡耀邦、趙刻明、卓琳夫人がいる>
趙刻明 「四人組が逮捕されたのを、多くの国民は歓迎していますよ。いたる所に壁新聞が貼られ、喜びのメッセージが寄せられています」胡耀邦 「なにか世の中が大きく変わる感じがしますね。毛主席と四人組がいなくなって、こ . . . 本文を読む
第3幕・・・毛沢東の死と“四人組”の滅亡
第1場 <8月上旬のある日、北京・中南海にある江青の居宅。江青ら四人組が集まっている>
江青 「唐山の大地震はすごかったですね。ようやく余震も治まってきましたが、被害は甚大だと聞いていますよ」張春橋 「死者がどのくらいになるのか分からない。20万人、いや30万人以上になるとか・・・ もっと多いかもしれない」王洪文 . . . 本文を読む