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松永安左エ門翁いわく 「官僚は人間のクズだ!」

2024年06月30日 01時41分07秒 | 経済・エネルギー・原発

<以下の記事を原文のまま復刻します。>

松永安左エ門翁

タイトルの「官僚は人間のクズだ!」というのは、私が言っているのではない。しかし、内心そう思っているかもしれないが(笑)。 この言葉を吐いたのは(年配の方なら知っていると思うが)、かつて日本の『電力王』 『電力の鬼』と言われた松永安左エ門である。先日、ある記事を書いた時に松永翁を紹介したことがあるが、よくぞ言ってくれたと今さらながら思うのである。
今の日本は「政財官」の癒着がよく問題視されるが、これは事実上、官僚が国政を牛耳っているということだろう。だから3年前、民主党政権が出来た時は「脱官僚・政治主導」という言葉が盛んに使われた。ところが、その後、民主党政権はほとんどの面で官僚に牛耳られてきた感じがする。これには異論もあるだろうが、私はそう思っている。脱官僚どころではない。官僚支配がますます強まってきた感じがするのだ。
ここで、TPPや消費税、普天間問題などを詳しく論じるつもりはない。要は「官僚支配」がどういうものなのか、松永安左エ門の例を挙げながら説明していきたいのだ。私は松永翁が大好きだから、お許し願いたい。

松永安左エ門は1875年(明治8年)に長崎県の壱岐で生まれたが、福沢諭吉の「学問のすすめ」に感激し慶応義塾に入ったという。あまり詳しく述べる時間がないので要約するが、その後、彼は日本銀行などを経て1909年(明治42年)に、福岡の市電を運営する会社の設立に参加した。そこから、彼の実業家としてのスタートが切られたのだろう。
市電とは“路面電車”であり、電力がなければ動かない。それもあってか松永は翌年、九州電気会社を設立する。そこから、彼の“電力人生”が始まるのだ。エネルギーは国家の基本である。松永はその後、ガス会社の経営にも乗り出す。
やがて彼は、ある大手電力会社の社長に就任し実力を振るっていくが、日本は次第に軍国主義の道を歩みだす。1931年(昭和6年)の満州事変がその好例だろう。軍部が国内最大の勢力となり、日本は中国との戦争に突入していった。日中戦争である。
このため軍部は、戦時体制では電力(エネルギー)の国家管理が絶対に必要だと主張するようになった。そこで「電力国家統制法案」というのが出てくるのだが、松永はこの法案に断固として反対した。彼はまた、戦争に訴えなくても日本は生き延びる道があると考えていたのだ。
ところが、当時の内務省や逓信省の官僚たちはひたすら軍部に迎合し、電力の国家管理に邁進する。むろん、中には国粋主義者もいたのだろうが、軍部に阿(おもね)りへつらう官僚を見て、松永の怒りは爆発した。「官僚は人間のクズだ!」と叫んだのである。

松永翁はもともと官僚が嫌いだったが、時の権力(軍部)に追従するだけの官僚が許せなかったのだろう。ところが、官僚をクズと呼んだことが大問題になる。いやしくも、天皇の勅命を頂いている者への最大の侮辱だというので、官僚や軍部はもとより激しい非難が松永に浴びせられる。ついに、彼は新聞に謝罪広告を出さざるを得なかった(1937年・昭和12年)。これを機に、松永は軍部から“危険人物”としてマークされ、やがて引退に追い込まれた。
時に松永翁は67歳だったから、昔ならこれで人生は終わりである。彼は茶道三昧の日々を送らざるを得なかった(小田原三茶人の一人だという)。
ところが、日本が太平洋戦争に敗北すると、再び松永翁の出番が回ってくる。詳しい話は省くが、彼は国家管理の電力会社の民営化に踏み切り、現在の9電力体制の礎を築いた。
長くなるのでもうすぐ止めるが、松永翁は徹底した現場主義者で、電力などの作業現場では第一線で働く人たちと粗末な小屋に泊り込んだり、ドラム缶の風呂に入るなど苦労を共にしたという。その辺が、高級官僚らの現場視察とは全く違っていた。

また、1963年(昭和38年)に復活した生存者叙勲の際の話は有名で、最初の勲一等瑞宝章には松永翁しかいないと誰もが認めた。そこで、当時の池田勇人首相が松永翁に会ってその旨を伝えると、彼は「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか!」と怒鳴って帰ってしまったという。
困った池田は、ある著名な実業家Nに松永の説得を依頼した。Nは松永に対し「あなたが叙勲を受け入れなければ叙勲制度の発足が遅れ、勲章を貰いたい人たちに迷惑がかかる。あなたは死ねば嫌でも勲章を贈られることになる。それなら、生きているうちに貰った方が人助けになるではないか」と説得したので、松永翁はしぶしぶ受け入れたという。しかし、彼は抗議の意思を示すため、叙勲式典を欠席した。叙勲などの栄典がよほど嫌いだったのだろう。この後、松永翁は死後も含め一切の栄典を拒絶した。

こういう話を聞くと、私は松永翁がますます好きになる。『電力王』だった彼がもし今生きていたら、原子力発電について何と言うだろうか。福島原発事故をどう見るだろうか。発送電分離についてどう思うだろうか。
日本の電力体制を水主火従(水力発電を重視、火力を従とする)から火主水従(火力発電を重視、水力を従とする)に切り替え、新時代を築いた松永翁なら、きっと原発から離れ自然エネルギーの開発に踏み切るのではないか。
それは分からないが、絶えず新しい時代を切り開いてきた松永翁に対し、あの世へ行ったら必ず“取材”したいと思っている。今日は松永翁礼讃の記事になってしまったが、最後に一言云っておきたい。
日本の官僚は、松永翁のような人物が大嫌いなのである。

参考記事
松永安左エ門・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E5%AE%89%E5%B7%A6%E3%82%A8%E9%96%80
東邦電力・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%82%A6%E9%9B%BB%E5%8A%9B
日本発送電・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BA%E9%80%81%E9%9B%BB

 

松永翁の墓(埼玉県新座市・平林寺)

奥様の墓と並んで


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2 コメント

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おねがい (ジョニーA)
2019-04-29 01:32:22
★マイブログに、リンク&引用貼らせてもらいました。
不都合あればお知らせください(削除いたします!)
なにとぞ宜しく、お願いいたしまっす!
返信する
了解しました (矢嶋武弘)
2019-04-29 10:25:55
了解しました。よろしくお願いいたします。
返信する

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