おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

ど根性大根「大ちゃん」危篤に:相生市

2006-01-31 14:18:01 | 動物・ロボット・植物
 このBlogでも紹介した(まだの方は先にお読みください)「ど根性大根 大ちゃん」が危篤に陥っている。

 今年の正月には元気一杯だったのだ。上の写真のように1月1,2日相生市役所で開かれた大ちゃん展には本人も出席してのべ600人の来場者を出迎えていたのだ。
 容体が急変したのは1月末、これまでの水耕栽培から土に植え替えたことがきっかけだ。相生市の「大ちゃんのここだけのはなし」を見ると、大ちゃんの「肉声」の最後は1月23日、「さぁ~て、たくさん花を咲かせるため、しっかりと休養しょっと・・・」で終わっている。恐らく次の日に土に移動させられて急速に体力が落ちたのだ。28日には、「ジャンボ大根作り名人小林貞雄さん(64)=岡山県備前市=が“重体”と診断した。」(神戸新聞1月29日)。
 大ちゃんは今は「面会謝絶」になり、”集中治療室”に入れられて治療を受けているという。<小林さんはギネスブック登録の経験もある名人だが、「根の養分だけで生きている状態」と厳しい見方を示した。>(同上)「しっかりと休養しょっと・・・」と語った大ちゃんが永遠の「休養」の危機にある。

 まったく何をやっているんだか。なぜ土に移そうとしとしたかというと、水耕栽培では葉は育つが種をつけないという「専門家」のアドバイスがあったからだ。相生市としては、大ちゃんの「お世継ぎ」を残してその種を配りたかったのだ。水耕栽培で大往生できたはずの大ちゃんが、「人為」によって危篤に陥ってしまったのだ。

 この相生市の失態で思い出したのが、中国の哲人荘子の言行録にある不思議な物語だ。
 南海の帝を(しゅくー漢字JISになし)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、
中央の帝を渾沌(こんとん)といった。(しゅく)と忽とは、その渾沌の恩に報
いようと相談し、「人間にはだれにも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、
それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけにはそれが
ない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一
つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。(金谷治訳)
  -『荘子 応帝王篇』

 親切心から自分たちと同じように「穴」をあけてやったので、「渾沌」(この名前も興味深い)は死んでしまった。人知や「常識」の愚かさ、限界を語る荘子哲学だ。

 一部で「税金の無駄使いだ」という浅薄な批判のあった相生市の大ちゃん救出作戦だが、投入した税金とは比較にならない経済効果があった。とりわけ霊験を得たのは相生の市長さんだろう。
 市長は相生市のWebで「よっちゃんのここだけのはなし」というエッセイを連載しておられる。最近はそこで大ちゃんの比重は大変なものだ。

“大ちゃん”死んだらあかんぞ、オレがついてるぜ!
 オマエはたいしたやっちゃ。折られても、抜かれても、ボロボロになっても、まだ生きてる。本当に根性のあるやっちゃ、誉めたるで。
 ボクも、厳しい財政状況など先の暗いトンネルの中にいたのだが、一つの光を見つけた。
という文章と共に、大ちゃんを見守る「よっちゃん」の大きな写真が。「よっちゃん」が大ちゃんを励ましているというよりは、大ちゃんが「よっちゃん」を支えていたわけ。しかしその恩人の大ちゃんは「よっちゃん」の判断ミスによって命が脅かされている。「よっちゃん」が好きな話は、山中鹿之介が「我に七難八苦を与え給え」と月に唱えたというエピソードなのです(この言葉は”はなし”の中でイヤと言うほど繰り返されています)が、市民や大根に「七難八苦を与え」てはいけません。

 そうなのです。相生市も日本のほとんどの自治体と同じように大変な財政危機の中にあり、当然のごとく市民税のアップによって切り抜けようと(まあ誰でも考えつく「解決法」ですが)市長は考えていて、それを納得させる?スローガンが「七難八苦」であり、そのシンボルとして大ちゃんが活用されたという分かりやすくも情けない話です。

 「渾沌」に穴を開けて殺してしまったように、日本の財政にも愚かな「人為」から穴を開けてしまった人たちがいるのです。『荘子 応帝王篇』では話はあれで終わっており、責任者のしゅくと忽の二人の帝がどうしたかは分からない。しかし今の日本も同じことだ。穴を開けた責任者やその末裔は国民に「七難八苦」を説くばかりで、自分たちは利益は得たが犠牲は転嫁しようということだ。
 「“大ちゃん”死んだらあかんぞ」と叫んで死の床に追いやった市長の姿が、増税という「人為」によって日本を「救おう」としている指導者と重なってしまう。”大ちゃん”は日本の庶民を象徴している。

【訃報】2006.2.3

 ど根性大根大ちゃんにおかれましては、相生市が生命維持装置による延命を続
けてきましたが、2月2日自力再生を断念するとの声明を出しました(毎日新聞)。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます。

 大ちゃんの亡骸は宝塚市の医農薬研究支援サービス会社「住化テクノサービス」
研究所に移され、茎と葉の分かれ目部分を切り取り、ゼリー状の培養液につけて
芽が伸びるのを待つことになります。大ちゃんのコピー大根登場のおりには、す
ぐに風呂吹き大根にして食するのでなく、変わらぬご支援・ご愛顧を賜りますよう
お願い申し上げます。

初の民間公募の地図記号決まる

2006-01-30 10:25:08 | 発見
 国土地理院の新しい地図記号が初めて公募で決まった(1月25日公表)。
 追加されたのは上の二種類。風車と老人ホームだ。驚いたのは入選者が小中学生だということだが、そもそも昨年の10月に公募したときに応募者を小中学生と限定したのだ。
 風車の方は、中学1年生、老人ホームの方は小学6年生の図案だ。「老人」を表すために杖を使ったのはなるほどと思ったが、優秀賞のデザインを見ても多くが杖を使っている。ごく自然な発想なのだろう。

 この地図記号の公募については国土地理院のページのここに詳しい経過が紹介されている。

 公募は今回は初めてということは、これまでは「お上」が勝手に決めていたということだ。また国土地理院の地図記号は日本独自のもので国際性はない。そのため時にそのシンボルが誤解を受けて思わぬ波紋を呼ぶことがある。

 昔日本にやってきたドイツ人が、国土地理院発行の二万五千分の一の地図を見て愕然とした。「日本にはなんとナチスの事務所が多いのだ。とんでもない田舎にも必ず一つはある」。もちろんお寺のマーク「卍」ですよね。
 日本の漢字(と言うより記号)の卍はインド起源。サンスクリットではスヴァスティカといい、ビシュヌ神(ヒンドゥー教の最高神)の胸毛をデザインしたものらしい。陽光の象徴、仏教では仏心を表す。
 一方のナチスの鈎十字(ハーケンクロイツ)は、卍と鏡像の関係つまり”回転方向”が逆だ。つまり別物だが、油断していると同一記号だと思ってしまう。ドイツだけでなく欧州の多くの国でこの記号の使用は禁止されている。第二次大戦の直後、いくつかのアメリカインディアンの種族は、美術品に卍を使用しないとする法令に署名させられたほどで、政治と無関係でも”弾圧”されるほどである。
 昔ポケモンカードの背景に卍が描かれており、著作権者の任天堂がこの英語版を作る際には卍を削除した。明らかに別の記号であり、卍の方が先輩なのだが、文化や感情の問題なのでトラブルを避けたかったのだろう。

 現在国土地理院が使用している地図記号の一覧は、こちらにあるが、今回風車と老人ホーム記号が初めて付け加えられたことでも分かるように、まだまだ必要な記号が完備していないという気がする。

 今緊急に追加する必要のある記号は何か?言うまでもない。耐震強度偽装の大型建築物である。姉歯物件以外にもたくさんありそうだ。政治家の介入がなければドンドンこれから登場してくるはず。地震の時に近くにいると危ないという意味で、地図には明記が必要だ。僭越ながらそのデザインを提案させていただいた。三か月前の日本人では某一級建築士を除いて誰一人としてこの記号の意味するところを理解できなかっただろう。しかし今は、説明は不要。崩れ行く日本の信頼性をも象徴している。

BSEよりも交通事故の方が危険だ:米高官

2006-01-28 19:14:08 | 迷言・妄言
 「コラ日本人、お前らアメリカの牛肉に背骨が入ったくらいで騒ぎ立てるな。牛肉買いに行く途中に車にはねられて死ぬのと、買った米牛肉がBSEで死ぬのと、どっちが可能性が高いか考えても見ろ。」と逆切れしているのは、来日したペン米農務省次官。日本に謝りに来たんだと思っていたら記者会見で日本人にお説教を始めた。

 発言は1月24日。<BSEの危険性を「車でスーパーに買い物に行って事故に遭う確率の方がよほど高い。その事実を日本の消費者に伝えたい」(ペン農務次官)と指摘。厳しい日本の輸入基準へ不満をあらわにしたが、背骨混入を見逃した原因について明確な説明はなかった。>(朝日新聞1月25日)というから、やはり謝罪でなく「啓蒙」に来たのだ。ただ次官がこれに先立つ局長級会議でもこの持論を展開したのかは分からない。
(ちなみにこの発言、在日アメリカ大使館のWebに原文が載っているので、その部分を最後に資料として掲げた。さすがに日本人に反感を買ってもと思ったのか?英文だけなので、日本語訳をつけた。)

 武部幹事長、麻生外務大臣などは日本では”失言居士”として有名だ。この記事だけ読むとペン次官、つい感情的になって「居士」の仲間入りと思いがちだが、全く違うのだ。昨年6月24日のことだが、ジョハンズ米農務長官が記者会見で全く同じ「交通事故理論」を展開しているのだ。つまりこの「理論」は、米国産牛肉の「安全性」を訴えるために米国の農務省が編み出した”戦略兵器”なのだ。

 何しろ会見のおしまいでイタチの最後っ屁みたいに言われたので、日本の記者から「その理屈はおかしい」という指摘はなかった。しかし米農務省が英知を結集して磨き上げた理論である。その場の記者の”常識的な”質問はかえって恰好の餌食になったはずだ。「いいだろう、じゃ君、米国産牛肉を食ってBSEで死んだ日本人は何人いる?・・そう0だ。そして”さあ今日はカレーにしましょ”と牛肉を買いに出かけて交通事故で死んだ日本人は何人だ?一人や二人ではあるまい。君たちがBSEよりも交通事故を心配しなければならないというのは、統計が証明しているのだ」と勝ち誇るに違いない。

 面白いのは「2ちゃんねる」なんかを見ると、昨年この「交通事故理論」が発表されたときに、「まったくアメリカの言うことは論理的だ。」と賛同する日本人も珍しくなかったことだ。もちろん米農務省の”エージェント”が日本人を装って書き込みしていることも考えられないではないが、内容から判断する限り、単なるお人好しの素人だ。詐欺師が滅びないのも無理のないことだ。

◆『統計でウソをつく法』

 19世紀の大英帝国の保守政治家ディズレーリ(1804~1881)は「ウソには3種類ある。ウソ、みえすいたウソ、そして統計だ」と言ったそうだ。これを紹介しているのがその題名もズバリ『統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門』(ダレル・ハフ 著,講談社ブルーバックス)だ。
 「統計」というのは正確な数字で事実を証明するものだと思っている人が多いが、それは全くの誤りで、詐欺師ほど統計の好きなものはいない。その詐欺の手法を学ぶことで、統計学の概念を学ばせるという手法だ。
 書店に行くと統計学の入門書というのは、日本人の書いたものや翻訳物が無数に並んでいる。手法の解説は大きな違いはないが、翻訳物と国産の違いは練習問題の内容の違いだ。アメリカ人の本の例題はその中味が現実に起こったことから作られており、それを読むだけで興味深い。日本人のものは著者が頭の中でこしらえた数字で全く無味乾燥だ。ハフの本は実際の”統計詐欺”が縦横に使われていて、それを読むだけでも笑ってしまう。

 最後のペン次官の発言をお読みになれば分かるとおり、「probability確率」なる言葉を乱発している。日本人記者を前にして、畜産学でなく「確率・統計学」を講義しているわけだ。よろしいペン次官、それならお尋ねしますが、あなたは何と何の「確率」を比較しているのですか。
 そもそも病気と事故の「確率」を比べるのが無意味なのだ。あるホテルではスキー事故でこれまで10人亡くなったが、食中毒では4人だ。このホテルはかなり安全な食事を提供していると思う人がいるだろうか?
 例えばハフの本では、列車事故と飛行機事故の件数を根拠に安全性を論じることや、海兵隊の方が一般市民よりも死亡率が低いので海兵隊は安全という主張が統計的に意味がないことを指摘している(その理由が分からない方はこの本を見てください)。どちらも全く違う母集団を比較してしまっているからだ。「交通事故理論」は母集団どころか概念の異なるものを強引に「確率論」でくっつけている。数字や統計に弱い人の目をくらますためだが、端的に言えば日本人をなめているということだ。間違っても謝罪する側の持ち出す論理ではない(が、何とも言えぬ可笑しみはある。例えば「雨降って地固まる」という諺を持ち出した米軍の司令官の不愉快さと比較せよ)。

 『統計でウソをつく法』は原著は半世紀以上前に書かれている。日本ではまだ刊行されているのだから超超ロングセラーだ。実はその統計というのは大部分は二十世紀前半の事実なのだからむしろ歴史書だ。もう著者は鬼籍に入られていると思うのだが、健在であればこのペン次官の発言を教えてあげたかった。喜んで「ウソ」の見本として書き加えただろう。

 ペン時間はこの会見でまともなことも言っているのだが、最後に「統計のウソ」が混入した。ちょうど米牛肉に「特定危険部位」が混入したように。日本人も論理の偽装を見破れるように「検査体制」を強化する訓練と教育が必要だ。

【付録-ペン発言該当部分原文】

As I said, no more than about 150 people have ever contracted the human variant of this disease and died. If you look at all of the other possibilities of having something bad happen to you, the probabilities are much higher. In fact, probably, getting out of your automobile and walking into the store to buy beef has a higher probability that you will be hit by an automobile than it does from the probability of any harm coming to you from eating the beef.

 以前に申しましたように、狂牛病にかかって死んだ人の数は150人もないくらいです。それ以外の色々な悪いことが皆さんの身に降りかかる確率というものの方がずっと高いのです。実際にですね、恐らく、牛肉を買おうとして車を降りて店に歩いて入っていくとしましょう。その時に車にはねられる確率というのは、牛肉を食べて何らかの害がある確率よりも高いのです。

「ハーレム男」のオットセイ的生活

2006-01-28 15:54:53 | 珍事件
 女性10人と自称「一夫多妻」の生活を送っている艶福家のオジサンが脅迫罪で逮捕された。
 巷からは非難というよりやっかみの声が多いようだ。
 例えば、半世紀前に「太陽の季節」という芥川賞作品で、○○○でバリンと障子を破るような規制の性概念にとらわれない若者を描いた現都知事は、「1人の男として考えると、夢みたいな話でね。はぁー、とただただ嘆息する」と発言したという(スポーツ報知1月28日)。

 誰でも驚き呆れたのが、この自称「占い師」の、「占いの女性客たちに呪文(じゅもん)を唱えると、女性たちが居着くようになった」(読売)という台詞。しかしこのスキンヘッドはその呪文について「明らかにすれば殺されると夢の中で言われた」と何とも人を食った対応。石原知事は「呪文、ぜひ聞きたいねー。ハリー・ポッターみたいにね。それを唱えれば、天下の美女が手に入るなら、男は万金を払ってでも知りたい」と笑ったという。
 しかしこの「ハーレム」男、「オレは自衛隊幹部。周りにはスパイがいる。」などと嘘をついて女性を脅した容疑で捕まったのだが、逮捕直前にマスコミを集めて記者会見していた。目立ちたがり屋、自慢したがりの性格のようだ。

 その中で、TBSとの「単独会見」には驚いた。まるでオットセイのようにソファに横になり横言を並べるという、横着と言うか横柄ぶり
 そうだ、スキンヘッドのせいもあってオットセイそっくりだったのだが、オットセイと言えば一夫多妻だ。一頭のオスが20~30頭のメスを従えるというからこの絶倫男も負けるが、中には100頭も従える強者のオスもいるという。
 その姿に憧れるのは何も都知事だけでない。歴代の徳川将軍はその精力にあやかりたいと、オスの生殖器から精製した海狗腎(カイクジン)といわれる漢方薬を愛用したという。ガハハハ・・確かに「お世継ぎ」を残すために側室を抱えて、その交接にはオットセイ並みの精力を必要としたことは分かるが、「特定危険部位」だけで効果があると思うのは単純すぎる。実際に徳川は父系を維持できなかったのだから。

 このオットセイおじさんも徳川の世なら、「其方の精力の秘密分けてくれぬか」と召し抱えられて、働かなくても(今も女性たちを働かして自分は遊んでいたのだが)豪勢な生活が送れたろう。そしてこのオジサンの「呪文」は徳川埋蔵金と共に永遠の秘密になったことだろう。

 石原氏はまたこの際、「女の人は、そんなに呪文に弱いのかね。日本人全体が呪文に弱いからね。」とコメントしている。まさにその通り、ホリエモンは「時価総額」という呪文に自縄自縛に陥ってお縄を頂戴することになった。そしてそのホリエモンを利用した小泉政権の呪文は「改革」という言葉だったが、その呪文の魔力は今、牛肉・堀江・耐震偽装の「3点セット」の呪いによって急速に消えつつある。

 このオットセイおじさんの呪文を警察が聞き出したとしても、国家機密として公表されることなく、首相に伝えられるだろう。小泉政権が人気を回復するとしたら、この呪文以外にない。そのためにこの艶福家が逮捕されたとしたらまさにスキャンダルだ。

銃口突きつけ「自白」迫る:警部補逮捕

2006-01-27 11:05:26 | 不祥事
 あの「天才バカボンの」お巡りさん、何かあると(何もなくても)やたらに拳銃を発砲するお巡りさん(「本官さん」)がまともに思えてくるニュース。

 長崎市で警部補が取調中に拳銃を取り出して、「自白」を迫ったというのだ。この警部補は、「特別公務員暴行陵虐と銃刀法違反の疑い」で逮捕された。
 この警部補は、<今月十七日、当時勤務していた同署高島駐在所(長崎市高島町)の門扉が何者かに外されたことについて、任意の事情聴取の名目で、同市高島行政センターの男性職員(56)を駐在所に呼び出し、拳銃と実弾数発を机上に置いて脅迫。その後、別に呼び出した同センター嘱託職員(34)の顔に銃口を向け、「うそばかりつくな」などと自白を迫った疑い。>(西日本新聞1月27日

 この脅迫された男性は以前この警部補と口論になっていたらしい。<男性職員は十三日朝、トラックの荷台にこの知人ら五人を乗せて、草刈り作業に向かう途中、入江容疑者から「荷台に乗るのは道交法違反。年末までは黙っていたが、もう許さない」と注意された。知人らが「島では慣例としてこれまでもやってきた」と反論し、口論になった。>(同上) つまりどうも恨みを晴らすために、門扉の件で「事情聴取」して、拳銃で脅迫へとエスカレートしたらしい。

 この警部補については<地元住民から大浦署に「意味不明のことをつぶやきながら歩いている」と電話があり、同署が調査。> すこしおかしな所があったらしいが、「まあ大丈夫、正常だ」ということで転勤はさせたが、異動して勤務させていたらしい。

 警察官や自衛官など武装した公務員の銃器を使った犯罪は非常に恐ろしい。特に精神疾患が絡んでいる場合大惨事になりかねない。自衛官の「クスリ」の使用が問題になっているがまだ対策は取られていない。警察官についてはそもそもチェック体制さえない。長崎県警は「職員の職務倫理教養を徹底し」と言っているが、そういう問題ではない。精神疾患の問題と「教育」は分けて考えなければならないという基本が理解されていない。

 ちなみにバカボンの「本官」さんだけど、実は公務員でないというのはご存じでした?落とし物を猫ばばするために勝手に派出所を作って、落とし物のお金で妻と息子を養っているのです。偽装警官だけど、悪徳警官や警察官の天下りよりは社会に与える害は少ない。とにもかくにも「自活」しているのだから。


ホリエモン逮捕:賛美論を振り返る

2006-01-24 16:16:09 | 詐欺
           (「裸の大将」じゃない。ホリエイカロスだよ)

 マクベスは、「グラミスの領主、コーダの領主、いずれは王ともなられるお方」という魔女たちの予言を聞いて、王を殺害して自ら玉座に座ったのだが、果たしてこのような不正義で権力が維持できるのか悩む。しかしまたしても魔女たちの予言を聞いて自信を回復する。「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻め上って来ぬかぎりは。」というのである。「バーナムの森が動くわけはないではないか。王座は永遠だ」。しかし「バーナムの森」は動き、マクベスは滅んだ。魔女たちの予言は100発100中だったのである。ただ、マクベスがその予言の意味を取り違えただけであった・・・・

 シェークスピアの悲劇の中で『マクベス』がストーリー的には一番面白いと思う。謎の予言、王位の簒奪、栄光の絶頂、反乱、破滅・・とドラマチックな要素が盛りだくさんで展開も速い。そしてシェークスピアなんて難しいという日本の”庶民”のために、役者的には不足があるが同等のストーリー展開で世間を賑わせてくれたのが、ホリエモン逮捕劇だ。

 それにしてもホリエモンマクベスはどんな「魔女の予言」を聞いてあそこまで突っ走ったのか。「魔女」と呼ぶのが適当かどうか分からないが、実はホリエモンは年頭に日本で最も有名な(つまり稼ぎ頭ということ)女性占い師に未来を予言してもらっているという。その番組は「仇敵」フジテレビの「幸せって何だっけ カズカズの宝話 新春緊急スペシャル」(1月6日放映)。その中でこの「大占い師」はホリエモンを「日本を変える良い魂と腹を持っている」と絶賛したという(ゲンダイネット1月23日)。さらに「いつ(時価総額)世界一になれるか」というホリエモンの問いに、この先生「私の言うことを聞かないとなれない。十中八九なれる要素はあります」と回答したという
 マクベスの魔女ほどとは言わないが、ホリエモンももう少しいい「予言者」に金を払っていれば運命も少しは好転したかもしれない。いや、それでもマクベスと同じ運命だったかもしれないが。

 マスコミのホリエモン評価は昨年とは文字通り手のひらを返したように、もう攻撃一辺倒だ。持ち上げて視聴率を稼ぎ、今度は突き落として世間の喝采を浴びてさらに視聴率を稼ぐ。一つのコンテンツで「二度おいしい」、いつものマスコミの荒稼ぎのパターンだ。ホリエモンは自分にゾロゾロ付いてくる取材陣を従者のように思っていただろうが、実は「バーナムの森」だった。六本木ヒルズの「丘に攻め上って来」る敵軍のように今は彼に襲いかかる。
 もうほとんどリンチ状態なので、ホリエモン嫌いの小生でさえ援軍でも出してやろうかという気持ちになるが、すでにこのBlogで書いたように、「BC級」の範疇外になってしまう。ここでは視点を変えて、「play backホリエモンを絶賛したお偉方」。いかに権力者の「言葉」が軽いものであるか、イカロスの翼をくっつけていたロウのように頼りないものであるか、「日本を変える良い魂と腹」を持つためにもじっくり味わってほしい。

【財界】
 と言えば経団連だ。ライブドアは滑り込みで経団連への加盟を果たしている。これも経団連会長の覚えめでたかったおかげだ。「個人的に付き合えば(堀江君は)まじめな人。あれだけのお金を運用して利益をあげている。若いが情熱をもった人として付き合っている」(05年10月19日の奥田碩会長の会見) 「まじめな人」が粉飾決算をやりますか。奥田会長は「堀江無罪論」を展開すべきだ。経団連として大弁護団を組織すべきでしょう。

【政界】
<武部勤幹事長>
 前回の衆院選で民主党もアプローチしたが、結局ホリエモンは自民党を選んだ。公認候補ではなかったが、応援演説にきた武部幹事長はホリエモンを「わが弟、わが息子」と呼んだ。 幹事長、「息子」が逮捕されたのに何もしなくていいのですか?
 幹事長のホリエモンへの入れ込みようは尋常でない。ライブドア社の広報誌「livedoor 2005 winter」で武部氏はホリエモンとの対談でこう絶賛する。「堀江君は素晴らしい青年だと思うな。奔放に広がっていく」、「経験も豊富だし、勉強もしているし、ネットワークも広い」(北海道新聞1月21日 「奔放に広が」り過ぎたのでしょうか。

竹中平蔵総務大臣
 昨年のホリエモン選挙応援で、「郵政民営化、小さな政府づくりは小泉純一郎、ホリエモン、竹中平蔵の3人でスクラムを組んでやり遂げる」と締めくくった(8月30日)。 改革「3人衆」の一人がこけたのですから郵政民営化に暗雲が立ちこめてきたのではないでしょうか。

<小泉純一郎総理大臣>
 ホリエモン立候補について、「新しい時代の息吹というか、若い感覚をこれからの日本の経営に与えてくれるんじゃないか。反発もあるけど、時代の変革期という感じがする」(2005年8月16日) ご自身は今ホリエモンに「反発」は感じておられますか?

 ちなみに上記の占い師の先生はこの番組で、ホリエモン選挙再出馬について「絶対、出ちゃダメ。こんな口下手な人はいないの。結果しか言わないから。政治はやめなさい。風評が悪くなる。」と言ったらしい。もう出たくても出れません。確かに【政界】の先生はホリエモンよりも口はうまいですね。自分の言ったことになんの責任も取らずにスルリと逃げておしまいになられた。さすがのホリエモンも政治家の要領のよさには唖然として言葉もないだろう。「政治はやめなさい」と言われるまでもなかった。

 マクベスの魔女たちは劇中不思議な歌を歌っていたことを覚えておられるだろうか。
 「♪綺麗は穢い、穢いは綺麗」というのである。そう、世間というのはあるいはマスコミというのは、あるいはお偉方というのは、一瞬にして「綺麗は穢い」と評価を180度転換するものなのだ。喝采は罵倒に、六本木ヒルズは東京拘置所に、時価総額1兆円は買手なしに、一瞬にして変わる。「人の心は金で買える」と豪語したホリエモンだったが、「人の心を変える」ものについての理解は足りなかったのだろう。

「クマと逢ったら」を教えるビデオ製作

2006-01-24 10:43:00 | 動物・ロボット・植物
ある日森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ

  -「森のくまさん」(訳詞:馬場祥弘)

 森の中でクマに出会ったら誰でも動揺する。でもこの童謡の「クマさん」はご存じのように親切で落とし物まで届けてくれた。同様の幸運はしかしいつでも期待できるわけではない。そこで、「ヒグマと遭遇した場合の対処方法などを解説したビデオを北海道内1400の全小学校に配布しようと」今最終仕上げの段階というニュース(毎日新聞1月23日)。

◆「クマと逢ったらむやみに逃げるな」

 ビデオは10分ずつの3部構成で、一部はクマの生態、二部が実際にクマと遭遇しない、あるいは遭遇したときの対処方法、三部がクマとの共生の取り組みを紹介するというから、単なるハウツービデオではない。
 「ヒグマは人間の食べ物の不始末に引き付けられて人里に現れるケースが多い。逃げるものを追う習性があり、むやみに逃げるのも危険だ。」などと説明しているという。

 異常気象のせいで食べ物が少なくなっているせいか、北海道だけでなく本州でもクマが人里に降りてくることが多くなった。日本ではクマが最強の野生動物だから人間を守るためにどうするという議論が当然起きてくる。
 「クマと共生できるように環境整備するべきだ」という自然保護派の意見がマスコミでは紹介されるが、「そんな甘っちょろいことを言ってたら人が殺される。猟師を大量に山に送ってクマの数を減らさないとダメだ」という「武力行使」派の人も結構多い。単なる安全策の議論でなく、どうやらその人の「クマ観」と言うか、世界観、イデオロギー問題になってくる。

 アメリカと違って、日本では我々「フツーの人」は丸腰だ。その普通の人がクマにあったらどうすればいいのか。日本で最も熊を知る人の証言がある。
 ズバリ、『クマにあったらどうするか』(木楽舎2002年刊)という本がある。これは「アイヌ民族最後の狩人」である姉崎等氏の話を書き留めたもの。「65年間」狩りをしてきたクマ狩りの巨匠がヒグマを語っている。
 姉崎氏によると一番大事なことはクマと遭遇しないことだ。「クマも、人間を恐れています。クマも人間が通り過ぎるのを、待っているんです」。ああだから鈴をつけたり、ラジオを鳴らしたりするんですね。でもそれでもばったり出会ったら? 「クマの目をじっと見据えてください。自分より強い相手には向かってきませんから」。すぐに背中を向けて逃げるのが間違いなのですね。気合いでクマを圧倒するというのはいいですね。しかしそれでも襲ってくる凶暴なやつはいませんか? 「その場合は、あきらめてください」。

◆「平和共存」か「武力行使」か-「クマ観」の相克

 「ほーれ見ろ!、だから武力行使だというんだ。山に入るときは銃を持てと」。ちょ、ちょっと、横から口を出さないで。それなら銃刀法を改正して「国民皆兵」にしろというの?アメリカみたいな銃社会になってそっちの方がよっぽど危ないでしょ。第一、クマじゃなくてイノシシだけど、ベテラン猟師が手負いの猪に逆襲されて死亡するという事件が22日に起きている(読売)。武装は命の保証にはならないんだ。

 クマを「殺るか殺られるか」の不倶戴天の敵と考えるか、共存できる相手と見るか、自然観の違いで対応は全く異なる。姉崎氏のようなアイヌの人達はクマ狩りを続けてきたわけだが、別に憎い敵と考えているのでなく、「クマはアイヌにとってもっとも偉い神のひとつです。クマ神の国は山奥にあって、そこでは人間と同じ姿をし、人間と同じような生活をしているのです。クマ神が人間の前に姿を現すのは、人間と交易をするためだと考えられていました。」(アイヌ民族博物館より)
 大切な「交易相手」をむやみに殺生することはあり得ない。アイヌの人でも確かにヒグマに襲われて殺される人はあったが、それは「その人間がクマ神から好かれているかどうか」の問題で、すぐに「報復攻撃」という発想とは無縁だった。

◆本当は怖い「森のくまさん」

 日本で歌われている「森のクマさん」の歌詞はなにか不自然だと誰でも思う。最初「お嬢さん」はクマから逃げたのに、最後にはいっしょに歌を歌っている。
 この疑問はアメリカ民謡である原詩"The Bear"を読めば氷解する。つまり共通なのはクマとの遭遇の場面だけで、後は日本人的価値観に合うように中味が全く変えられているのだ。
 原詩では、クマが最初に「お前はなぜ逃げない。銃もないのに」、と話しかけてくる。「それはもっとも」と「私」が逃げると、クマが追ってくる。私は目の前にある木の枝に飛びつこうとするが失敗。今度は別の枝にしがみついて一命を取り留めた、という内容で、クマさんとの和解など微塵もない。そして「私」は恐らく「お嬢さん」と言うより、成人男子だ。

 日本ではこれは最初NHKの「みんなの歌」で紹介されたという。この時に訳詞をされた馬場氏が子どもにも歌える「平和的」な内容に書き換えたということだが、当然アメリカでは子供たちがこのまま歌っているわけだ。最後の部分はいくつかのバージョンがあって、「教訓」で結ばれるのだが、それが、「木の枝のない森には入らないようにしましょう」か、「テニスシューズでクマに話しかけないようにしましょう」か、ちょっとずらした「教訓」もアメリカ的だ。いずれにしてもクマと人間の非和解性を説いているところは同じで、アメリカ人の自然観というか世界観をよく表している。

 なお、Webで調べると、結末部分が以下のような内容のアメリカバージョンが存在すると指摘している_日本人の_ページが複数あった。ただし現在のところ、果たしてこれがアメリカ人の作詞なのか確認できなかった。と言うのも、内容があまりにもアメリカ的で、パロディの可能性が高いと思われる。帰ってから今度は森に戻ってクマに報復する「私」は、アフガン・イラク戦争に出かけたアメリカ人と重なる。さすがにアメリカでも子どもに歌わせるのは憚られるのでないか。

これで話は終わり
もう続きはないよ
私がもう一度あのクマに出会わない限り
それでもう一度ホントに出会ったのさ
今ではクマは私の部屋の敷物さ

this is the end
there ain't no more
unless I meet that bear once more
and so I met that bear once more
now he's a rug on my cabin floor


先生が生徒の点数を「偽装」

2006-01-23 15:37:07 | 不祥事
 その昔とある「帝國大学」に伝説的な大先生がおられた。この先生、研究は熱心なのだが、学生の試験の採点というのにはどうも意義を感じられなかった。だからその「採点」方法は、豪快かつ超「省力化」されたものだった。学生の答案用紙の束を抱えた先生は研究室近くの階段の中ほどで立ち止まると、やにわに答案を投げ上げた。ひらひらとしばらく宙を舞ったあと、当然ながら答案用紙は階段の上に散らばる。先生は最も上の段に落ちた答案に100と朱で書き、次の段の答案をまとめるとそれらすべてに90と書き、・・・一番下の答案は0。これで「採点」は終わった。

 まあ今やれば、採点偽装だとマスコミが書き立てるだろうが、古き良き時代の話である。この宝くじ的な「採点」を非難されることもなく、この「階段教授」は定年を全うされたと聞く。学生が一生懸命書いた答案を、とお怒りの方はこの「合理性」をよく考えていただきたい。「階段教授」には再度ご登場願う。

 このエピソードを思い出したのは、公立中学で先生が生徒の点数を偽造したというニュースを聞いたとき。藤沢市で<昨年12月、2年生の理科を担当する男性教諭(39)が、後期中間試験の採点を期日内に行わず、生徒や保護者に点数を通知する「成績カード」にでたらめな点数を記載していた>(読売1月21日)。
 この教諭、<「部活動が忙しかった」として採点に取りかからず、2年生161人全員の点数を過去の試験結果などから推測し、9日に成績カードにパソコンで入力、12日に生徒に配布した。>という。もちろん帰ってきた答案用紙の点数と「成績カード」の点数が違うので発覚したというお粗末。

 このニュース、二日間に渡って各紙各局とも取り上げた。確かに点数の「偽装」は褒められたことではないし教育上よろしくない。ただ、耐震強度偽装や米牛肉偽装(前者は骨抜き、後者は骨抜かずの犯罪だ)のような命にかかわることではない。これほど大きく取り上げられるのが不思議だ。答案が返却されるテストであるから、そうでない例えば入試などの偽装と違い、バレるまでの時間稼ぎをやったに過ぎない。

 「階段教授」と「”部活動命”先生」の違いは何だろう。「罪」としては「階段教授」の方が重いと思うが、「採点」の方法は「階段教授」の方がはるかに”優れて”いる。それは、「採点」が迅速ということもあるが、もっと本質的な問題、つまり得点の分布が、「教授」の方は”実際”に近い「正規分布」(冒頭のグラフのような)を示すはずだが、「先生」のように「過去の試験結果などから推測」して人為的に点数を決めた場合は、「分布」に非常な偏りが現れる。だから照合することなしにその分布だけを見て簡単に偽装を見破られてしまう。あるいは「採点」結果がトータルとして非現実的とも言える。
 小生としては、むしろこの「理科の先生」の、統計学の初歩も忘れ去っている?その「学力」が心配だ。クラブ活動ばかりに熱中しすぎているのでないかと。

◆正規分布と偏差値ー計算方法のおさらい

 同一集団での身長や体重の分布、また平等な社会での所得の分布、50m走りの記録、学校のテストの成績などは、経験的に上に掲げたような分布、つまり「正規分布」になると言われてきた。だいたい「平均値」の周りに「人」が密集する。山の一番高いところの付近にいることで、多くの人が「自分は人並み」という安心感を得る。いわば日本人好みが「正規分布」なのだ。

 統計学でも一番基本的な分布であるこの「正規分布」の理論をいわゆる進路指導に活用したものが、日本人なら誰でも知っている「偏差値」だ。実はこの「偏差値」は日本独自のもので、東京都港区の中学校教諭であった桑田昭三先生が、1957年に進路指導を数値を使って正確にやるために開発したものだ。
 ちょうど平均点なら偏差値は50になり、科目ごとの平均点の違いなどが隠れて自分の相対的な順位が容易につかめるというメリットがあったため、この偏差値は全国の学校に拡がり、特に1965年に旺文社がコンピューターで計算した「偏差値による大学ランキング」を公表したことから瞬く間に認知された。以降、日本では受験と偏差値は「政治とカネ」のように堅く結びつくことになった。

 偏差値を計算するにはまずすべての得点のデーターから標準偏差σという値を計算する。σは直感的に言えば得点の「散らばり具合」を表す指標である。国語のように点数の散らばりの少ない科目ではこれが小さく、数学のような科目では大きくなりがちである。昨年の「大学入試センター」の結果では数学Iでσ=24.02, 国語Iでσ=17.65(100点満点換算)である。

 全体の平均点をμとすると、ある人の偏差値は次の式で計算される。偏差値=(その人の得点-μ)×10÷σ+50  例えば上のセンター試験の「数学I」では平均μが51.86点と公表されている(科目ごとのμとσはセンターから必ず公表される)ので、例えば 90点を取った人の偏差値=(90-51.86)×10÷24.02+50。つまり65.88。0点でも、28.41。100点でも70.04だから、100点満点のテストの点数よりも数字的には「幅」が小さくなる。平均点が同じでも、σが違うと偏差値は異なる。例えば上の「国語I」が偶然「数学I」と平均点が同じであったとしても、90点の人の偏差値は71.61になる。つまり国語の方が同じ90点でも「成績が良い」ことを意味している。

 この偏差値の計算法で分かるように、偏差値を絶対的な比較に使うことはできない。つまり「オレ得点55点、お前50点。オレの方が1割成績がいい」は正しいが、この得点を偏差値に置き換えて議論してもも意味がない。これは同じ考えで数値化している「知能指数」(たぶん桑田先生はこの計算方法を参考にしたのだ)についても同じことが言える。「偏差値」が平均を50としているように、「知能指数」では平均を100としている。だから「オレ知能指数150,お前100。オレの方が50%頭いい」という人の知能は高くないと言うか、全く数値の意味を誤解している(そもそも「50%頭いい」という比較が無意味だが)。

 「偏差値」から得られる数値的な情報は、実は自分の「順位」、つまり「分布」のどのあたりにいるかということだけなのだ。そしてその大前提には成績の分布が「正規分布」であることが仮定されている。つまり実際には試験によって、成績が二極化した「らくだのこぶ」型の分布になることがある。この場合にも、「偏差値」はもちろん計算できるが、「順位」はデタラメになり、つまり「偏差値」を基にした「進学指導」は崩壊するのである。
 このことを逆にとらえて、「試験の成績が正規分布をしているからいい問題だった」と主張する先生がある。大学入試センターの問題の「適切さ」を「証明」するのに、成績分布が美しく正規分布をしているグラフを示されたこともある。「階段教授」の「採点」が「合理的」と言ったのは、恐らくこの分布が「正規分布」になったであろうからだ。しかし「適切」とは言えないだろう。

◆「正規分布」社会にサヨナラ-勝ち組/負け組の「ラクダ分布」社会へ

 日本の「進学指導」に神のように君臨し、いわば「神学指導」の域にまで高めた偏差値だが、その賞味期限は終わりを迎えつつある。第一の大きな理由はもちろん少子化だ。これまでのように大学や高校が受験者を選ぶ時代にこそ、「偏差値」による生徒の”輪切り”は有効だったが、生徒の方が学校を選ぶ少子化の時代には笑止千万なただの数字だ。

 しかしもっと大きな理由は日本が急速に<「正規分布」社会>でなくなりつつあることだ。日本は長い間「同質社会」であると言われてきた。同じ程度の収入、同じような価値観、つまり「平均的」な人が圧倒的多数を占めるという、正規分布のグラフで言うと、平均μの周りに押し合い圧し合いしている、標準偏差σの小さい社会。当然子供たちの成績の分布も典型的正規分布になり、「どんぐりの背比べ」なので競争も激しかった。選択肢の少ない社会と言えるが、周りを見渡して、「まあ人並み」と正規分布の”山”の中心にいることで安心感を得ていた安定的な社会でもある。

 しかしいわゆる「小泉-竹中改革」路線は、日本社会を「勝ち組」と「負け組」に積極的に分化させ、正規分布から、「らくだのこぶ」分布社会へと変えようとしている。所得で言えば、平均値μの周りにはほとんど人がいなくて、大部分の人はそれよりもはるかに貧しい。それは「六本木ヒルズ族」のような人達がμを「右側」に移動させているためだが、圧倒的多数にとってはμさえ高根の花という明治以降の日本人が知らない社会になろうとしている。「平民社会」から「貴族社会」への移行と言ってもいい。

 親の収入格差は子供の学力格差に直結する。もはや全国学力テストでは成績が「正規分布」することなどあり得なくなるだろう。「正規分布」を前提にしてきた「偏差値」はその意味を失う。「勝ち組」の子弟は「勝ち組」学校に”自動的”に進むので、進学競争はなくなるだろう。現在の憲法が続く限り、法の下の平等は継続されるが、「身分」の違いは歴然として、例えばイギリスのような階級社会になっていくのだろう。

 そう考えると例の「階段教授」が許容されていたわけも分かる。戦前の「帝国大学」は貧しいが前途有為な子弟を”国策を担う”人材として吸収するための装置だった。その中での”民主的な”「採点」は許容の範囲内である。しかし身分社会(日本では政治の世界はすでにそうなっている)においては、自動的に「正規分布」となるような”急進的な”採点方法は御法度である。「階段教授」は今後は「シュギ者」と見なされ、、突然検察の家宅捜索を受け、ワイドショーで叩かれて、国会喚問に呼び出されるような罰を受けるに違いない。そうだ、あの時の点数は風任せだったが、これからの日本では点数もカネ任せになっていくのだ。

「小泉改革」に便乗の振り込め詐欺

2006-01-21 16:00:29 | 詐欺
 たぶん世界の数ある喜劇の中で、ウクライナの天才ゴーゴリが書いた『検察官』ほど可笑しい作品はないだろう。帝政ロシアの官僚制度の腐敗を題材にしているが、いわば人間の弱さ卑屈さを普遍化していて現在の日本社会の風刺作品としても通用する。だから、いま日本にゴーゴリがいたら、例えばあの姉歯事件を題材にしたらどんな可笑しい作品に仕立て上げたろうと思うといささか残念ではある。

 帝政ロシアに負けず劣らず腐敗しているのが官僚制日本だ。日本にはゴーゴリのような天才はいないが、笑いのめすべき不祥事は同じくらいあるはず・・・と思わせる事件が昨日明らかになった。巧まずして記事自身が『検察官』の滑稽味を帯びているのだ。(以下は毎日新聞産経新聞の記事から抜粋)

◆またまた新手の振り込め詐欺

 「あんたの悪いことしてるの知ってるよ。金出さなきゃバラすよ」というごくありふれた恐喝事件、振り込め詐欺なのだが、この手紙を受け取ったのがみんな公務員の「幹部クラス」だったという。
「農林水産省とその出先事務所に約200通▽都市再生機構(横浜市)に97通▽厚生労働省山梨労働局(甲府市)に1通▽北海道・釧路市役所に14通▽滋賀県・彦根市役所に6通――など。数は不明だが、日本郵政公社の職員にも送られている。」(毎日)


◆「小泉改革」に便乗

 面白いのはその文面で、「小泉内閣の構造改革による内閣府の命を受けて、公務員の緊急調査を行った」として「貴殿と取引先民間業者との癒着、公金横領が明らかになった」と、ちゃっかり「小泉改革」に便乗している。「詐欺は世に連れ」というか、詐欺師も時流に乗り遅れてはならないことがよく分かる。<「国家公務員犯罪摘発強化委員会」から公務員の調査依頼を受けた
>(産経)とあるそうで、ギクリとした幹部公務員も多かったはずだ。

 「実際に振り込んだ例は報告されていないが」とあるが、ククク・・当たり前でしょ、警察に「私振り込みました」と被害届を出した途端、「容疑者」に変わるわけだから。<「処分費用と口止め料」として1週間以内に50万円>を振り込んだ汚職幹部の人数は従って不明と言わざるを得ない。
 ホントなら、というか本人が清廉潔白なら一笑に付すべき中味なのだが、日本のお役所は深刻にとらえていて、厚生労働省などは「全職員にメールで注意を呼びかけたという」(毎日)。つまり「身に覚えがあっても振り込まないように」ということだから、厚生労働省のお偉いさん相当”汚れて”いるんだね。「取引先民間業者との癒着、公金横領」ウィルスが蔓延しているらしい。早急に治療薬の開発が必要だ。

 それにしてもこれが事件の全容だろうか。なにせ「小泉改革」の旗手?とも言うべきこの詐欺犯のこと、幹部公務員だけでなく、政治家にも同様の文書を送りつけているのではないだろうか。そしてすでに何人かの政治家が振り込んでしまって・・・・(当然「先生この件内密にしときますからご配慮よろしく」と警察幹部の暗黙のサイン)と考えると、あまりにもありそうな次のような妄想が浮かんで来るのを止められないのだが。


◆「姉歯」と汚職政治家の対話

 ああ弱った弱った。この思わせぶりな書き方は何か証拠を握っているに違いない。バラされたらオレの政治生命は終わりだ。

 「フフフ、先生らしくもありませんな。そんなことでお悩みとは。」
 そ、そういう君は、ま、まさか・・
 「フフ、鉄筋なきマンションこそ我が理想。そう、建築界のブラックジャック、姉歯秀次です。この前は証人喚問の時にお会いしましたかな。」
 あ、姉歯君、偽装の天才の君なら分かるだろう。政治資金収支報告を何とか誤魔化さないといけないんだ。ワシに力を貸してくれ。
 「どうして偽装する必要などあります? ワイロは政治の潤滑油、いや、むしろ鉄筋と言った方がいいかもしれません。これを無くすことは許されません!ワイロの”低減”こそ犯罪でしょう。」

 そんなことを言っても、日本は法治国家だ。法律に違反すれば逮捕される。
 「自分だけが”悪”をしょい込むのはお止めなさい。私の場合は、建築主・施工者・検査機関、みんなグルになったからごまかせたのです。日本の良き伝統である政・官・業の癒着構造をどうして活用しないのです。」
 ちゃんと買収しなかったのが悪いと言うのか。しかしワシはホリエモンではない。そんなカネがどこにある?オヤジが政治家だったから「世襲」で当選。苦労知らずのボンボン育ち、そんなワシにマネーゲームの才能などあるわけないじゃないか。
 「いずれにしても、収支報告の偽造はお勧めできません。”専門家が見ればすぐに偽装が分かる”シンプルな方が騙しやすいのですが、政治資金はそれ自身が複雑ですから、下手に細工するとかえって墓穴を掘ります。」

 しかし正直に公表するとマスコミが書き立てる。野党は証人喚問だと騒ぎ出す。
 「証人喚問はお受けになればいいのです。そのコツについては小嶋社長を紹介しますよ。マスコミからはしばらく姿をくらましてください。私の設計したホテルが、いまは全室”空き室”になってますからご自由にお使いください。地震の時?もちろん倒壊しますが、なに、上の部屋に泊まっていれば命は大丈夫でしょう。ただし、ヘルメット被って就寝してくださいね。」

 あ~あそれでも心配だ。姉歯君、君の立場でどうしてそれほど元気でいられるのかね。ワシは不思議でしょうがない。
 「先生は昨日のニュースをお聞きになっていないのですか?アメリカ産の牛肉に”危険部位”が残っていましたよね。”背骨”を抜き取るのを忘れてたんですよ。まったくアメリカ人というヤツは本当に大雑把で困ります。日本の消費者の”安全”をどう考えているんでしょうね。そこで”骨抜き”は私の得意技。この妙技をアメリカ人に教えてやろうと企んでいるのですよ。そう言えば、先生も政治資金規制法を骨抜きするのに暗躍されたとか。どうです。いっしょにアメリカに渡って”安全な”牛肉を日本人に供給するのに暗躍、いや活躍しませんか?」

IT時代のガサ入れ「傾向と対策」:livedoor事件

2006-01-20 12:51:13 | 不祥事
 もちろん検察がホリエモンの首を狙っている事は言うまでもない。ガサ入れの仕方でそれは判る。
 宿敵の亀井静香はもう鬼の首を取ったようなコメント。「次なる敵はヤツを刺客に仕立てた小泉信長にあり」とボルテージを上げている。「お前らなんて買収してやる。右翼活動なんてゼニにならんことは止めろ」と言われた産経新聞などは、連日コラムでもう手の舞い足の踏むところ筆の赴くところも知らないというはしゃぎようだ。
 建前の「社会正義」とは別に、ホリエモンのこれまでのコメントが検察魂に火をつけてしまったのだ。曰く、「法と制度の不備」。本人はそう思わなくても、検察には挑発と映る。「なめるんじゃねぇ!若造!!」というのが検察の気持ち(と言うか、内部では実際そう声に出しているはずだ)。

 今回のガサ入れの「政治的」狙いや、ホリエモン的なるものについて小生も興味津々ではあるが、それはすでにA級ニュースの範疇だ。ここでは「BC級」的な別の観点から論じてみる。
 それは「IT時代のガサ入れ」についてだ。

◆「敵はサーバーの中にあり」

 「東京地検特捜部は証拠隠滅などを恐れ、通常は方針決定の翌日に行う家宅捜索を、数時間後に強行する異例の捜査態勢を取った。」(毎日1月18日)。「パソコン計約100台、電子メール約10万通などの電子データを押収した。」(共同1月20日)というから、IT企業にとっては商売道具をごっそり持っていかれたわけで、これだけでも企業に打撃を与えることが出来る。
 予兆無しに会社とりわけサーバーを急襲したことは、今後IT企業のガサ入れの手本になるだろう。これまでのように文書を「ダンボール箱数百箱」分も押収するというのは時代遅れで、これからはコンピューター、その中のデーターだ。また社内のやり取りはサーバーを介して行われるため、その記録(ログ)は必ず残る。今回の検察の捜索も、その消しにくい(と言うか通常の業務では消さない)サーバーのログを入手する事が最大の眼目だった。
 実際今回の捜索で「社内ネットワークのサーバーからデータが消去された形跡は見つかっていない」(共同1月20日)というから、急襲の意味はあったわけだ。

◆消しても「消えていない」パソコンのデーター

 急襲とは言え、ガサ入れから押収までのタイムラグを利用して、ライブドアの幹部達はヤバいメールの消去を図ったようである。ただその消し方がOS(Windowsとか)の機能を使った通常の削除の場合、それはいわば「目次」を消しただけで「本体」は残っているので、特殊なソフトを使えば復元される可能性が高い。昔からパソコンを使っている人なら、MS-DOS(Ver6以降)ではdeleteされたファイルを元に戻すundeleteなる機能があったことを覚えているだろう。だから「データが不自然に失われ、隠すために消去した痕跡が多数あることが判明」(共同1月20日)したから、「専門家などの協力を得て、データの復元も図るとみられる。」(毎日1月18日)となるわけだ。

 もちろん「IT企業の幹部」がそんな基本的なことを知らないはずはない。ただ今回の場合、ガサ入れは「想定外」だったので、メールなども通常の削除で済ませていたはずだ。ライブドアのようにヤバイことを日常的にやっている企業では、こまめなデーターの完全削除を徹底しておかねばならないが、舞い上がってしまって「光秀」特捜部の急襲を「想定外」にしていたホリエモンの未熟さがあだになった。
 逆に検察の側からすれば、これまでのようにまず事情聴取から始めていたのでは、ヤバイと思った企業側に特殊なソフトを使って完全にデーターを消滅させられてしまう。これからの検察は隠密の内偵と急襲が本質的に重要になってくる。

 ところでサーバーを押収されたのに、livedooorのWebは生きている。それどころか、今日もlivedoorのメルマガは配信されていて、<ホリエモンが泣き言「大変なことに…」>なんて記事も載っている。そしてホリエモンのBlog「livedoor 社長日記」も継続されており、この点は最低の責任は果たしている(「山崎えり子」も少しは見習ったらいい!)
 これによると、「パソコンが押収されたのですが、データを全部コピーすることは認めてくれたので、当社のスーパー何でも屋のS君が新しいノートPCに全部コピーして動くようにしてくれた」(1月17日)とホリエモン自身が書いている。「特捜部は今回の捜索でサーバー内のデータを記録媒体にコピーして持ち帰った」という朝日新聞1月19日の記述は逆だということになる。

◆独自ソフト開発と政界工作を怠る

 今回の事でホリエモンが学んだのは、データー削除作業の重要さだろう。マネーゲームに現を抜かして彼らにとって死活的に重要なソフトの開発を怠ってきたつけがまわって来た。
 そもそもライブドアというのはいわゆるM&Aで大きくなってきたので、あまりIT企業という印象もないし、それらしい商品も出していない。唯一の例外は等身大のホリエモンフィギュアが誇らしげに掲げている「弥生会計」だが、これとて最近買収したばかり、自身で開発したものではない。

 ライブドアの今後は全く不透明だ。産経とは反対に日経はホリエモンに好意的なのだが、本日のコラム「春秋」で、吉野家の例を引いて再起を促している。小生の予想では、ホリエモンがしぶとければ、「敗北」から学んだ独自開発ソフト「消しえもん」を売り出すことだろう。

 ホリエモン自身がTVCMに出演してこう呼びかけるのだ。
 「ヤバイ商売をしている企業の皆さん。ヤバイ口利き、ワイロを知られたくない政治家の皆さん。あなたのパソコンのヤバいデーターを検察官からお守りするのが”消しえもん”です。データー削除の際に”ヤバイ"ボタンをクリックするだけで、データーを完全に消し去り、検察に押収されてもどんなソフトを使っても、決して読まれることはありません。万が一検察が突然家宅捜索に来ても(横から検察官乱入)、あっ、特捜部の皆さんまあお茶でもどうです。と時間を稼いでいるこの瞬間に、”非常にヤバイ”ボタンをクリックすれば大事なデータを完全に消し去る機能もあります。塀の中に入らないためにあなたのパソコンの中に”消しえもん”。検察官諸君、君たちの家宅捜索は完全に”想定内”だ。ハーハッハッハッハ・・・」

 まっ、こんなの流せば別件逮捕確実ですけど、ライブドアの「蹉跌」の隠れた原因は実は「政界工作」を怠ったことだ。自民党の方から選挙で「工作」されたことはあったが、その「お返し」をやっていれば東京地検の対応は全く違ったものになったはずだ。
 それをやらなかったのはホリエモンがクリーンであったからでなく、日本社会の仕組み、とりわけ「ウラ社会」の存在を軽視していたからだ。話は佳境に入り、日本社会の深層に切り込む展開となったが、もうこれは「超A級」ニュースの世界に入り込むことになる。従って本Blogではここで追求を断念する。残念!

【追記 2006.1.25】

 25日の産経新聞に押収したデータが専用ソフトを使って削除されているものが5万通になるという記事が出ている
 この市販の専用ソフトはデーターの中味を乱数で置き換えてしまうため、復元は不可能になる(はずだ)。
 ただ、これは独自開発ソフト(「消しえもん」のような)でないため、かなり使いにくかったはずだ(だから「消し忘れ」がある)。ライブドアが本当の「IT企業」であったら当然独自開発したものを使っていたはずだ。やはり指摘したように「原点」を忘れ、マネーゲームにうつつを抜かしたしっぺ返しを受けているのだ。

殺人事件で「雨降って地固まる」:米司令官

2006-01-19 10:53:10 | 迷言・妄言
 最近鬼籍に入られたがアメリカにレーガンという大統領がおられた。彼は衆院本会議場で公式演説をした最初の大統領だが、それは1983年11月11日。その中で彼は芭蕉の句を日本語で引用したのだ。「草いろいろ おのおの花の 手柄かな」。日本中が驚いたが、その時議場にいた山拓氏はその衝撃を次のように書いている。
<私は中曽根総理に「総理、いまの俳句知っていましたか?」と聞きました。「知らなかった」「おまえは知っていたか?」「私も知りませんでした」という会話になりました>。

 驚いた理由はもちろん日本語のせいではない。アメリカ大統領が「俳人」でもある中曽根氏さえ知らない芭蕉の句を持ち出したからである。中曽根氏といえば、最近自民党の改憲草案を起草し、その中で「日本文化への敬意」を高らかに謳った(主流派に「復古的」とされ削除されたが)いわば日本文化の「巨匠」である。その人が知らない句を普通の日本人が知る由もない。

 もちろん演説草稿は大統領直属のスピーチライターが書くので(レーガンは芭蕉さえ知らないはず)、彼は図書館で「日本の名句」というような文献を渉猟したに違いない。文脈的に適当と思って引用したはずだが、日本人の間でこの句がどれだけ膾炙しているかは調べなかった。そのため「巨匠」だけでなく、一般の日本人にも自分が無学者扱いされたような奇妙な屈辱感を抱かせてしまったのである。

 レーガン大統領の「失敗」の教訓はしかし、アメリカのお偉方に共有されていないようだ。すでにこのBlogでも取り上げた米兵による横須賀女性の殺害事件で、昨日第7艦隊司令官と在日米海軍司令官が連名で、日本人に向けた「公開書簡」(全文はここで)を明らかにした。「日本人向け」という割には英文しかないのだが、その最後で次のように日本の「ことわざ」を引用している。
There is a Japanese saying that "after the rain, the ground becomes firm"
- it is our hope that this sad affair will prove the catalyst to make
our relationships and our alliance even stronger.
(日本のことわざに「雨降って地固まる」というのがあります。この悲しい出来事が、将来両国の関係と同盟をより強固なものにするきっかけになることを望みます)

 えっ!え~え、「雨降って地固まる」ってこういう時に使っていいの?殺人犯の親がですよ、遺族に向かって「”雨降って地固まる”と申します。これをきっかけに両家の関係が深まることを願っています」と「声明」を出したとしたらどうよ? 朝日新聞は「謝る側が使う言葉ではない。市民感覚が分かっていない証拠だ」という地元の声を伝えている。

 よその国の諺を外国人が引用するときはその辞典的な意味だけでなく、それがどのようなシチュエーションで使われるかを知っておかないととんでもない騒動になることがある。米軍司令官は日本語も解さないし、日本人と深く付き合ったこともない。基地の日本語の通訳に聞いてこれを最後の「下げ」として引用したに違いない。
 これがアメリカの似たような諺、例えば"After a storm comes a calm."(嵐のあとに凪が来る)を引用しておけば、「いやアメリカではこう使う」という言い逃れが出来たのだが、日本語の場違いな諺を引用することで、逆に日本人を見下しているというメッセージを発することになってしまったのだ。この場合むしろ「沈黙は金 Silence is golden」の方針の方がましだった。

 米軍司令官は「一葉落ちて天下の秋を知る」という日本のことわざ(英語では"A straw will show which way the wind blows.")を知っているかどうか、とにかくこの「たった1件」の不祥事に気を使っていることは分かるが、逆効果になっているのは日本人の国民感情というものを理解していないからだ。

 情けないのは日本の政治家だ。冒頭に掲げた在日米軍の「徽章」(エンブレムというのか正式名称は知らないが。正確にはこれは在日米海軍のマーク))を見せられると、黄門様の印籠を見せられた「悪人」達のように「へへー!」となって、米軍に文句を言う場面で、クルリと国民の方に向き直って「お前たち、無理を言うものでない。日米関係は世界の中で最も重要な関係で・・・」とお説教。ええぃ!小賢しいわ!そのような台詞は学者に言わせておけばよい。政治家は心の問題、ハートだ、プライドということを考えぬか。

 実際在日米軍の「徽章」はあまりに象徴的だ。よく見て欲しい、アメリカを表すワシが日本列島を「鷲掴み」にしている。米軍の意識は明らかに「占領」軍なのだ。そして戦後60年経っても「それでいい」と考える「選良」が日本人の誇りを失わせている。
 個人でも国民でもそうだが、人間プライドを失うと、謙虚になるのでなく、逆に”弱い者イジメ”に走ってしまうのだ。血眼になって自分より弱い者を探して攻撃を始める。そのような情けない国民になるのを防ぐためにも、「占領軍」問題を解決するように政治家が真剣に動かないといけない。

 この事件は「たった一人」ではないのだ。日本のことわざに「蟻の一穴」というのがある。また間違って日本のことわざを引用してしまうといけないので、米軍司令官には"A small leak will sink a great ship."(小さな漏れでも空母さえ沈む)という英語の諺を教えておこう。


「鄭和が米大陸発見」証明する?地図公開

2006-01-18 15:11:40 | 発見
 考古学的「発見」についての有名な小話二題。
【第1話】「紀元前」のメダル
 古代ギリシャの都市遺跡を発掘していたチームが銅製のメダルを発見した。これは何と古代オリンピックが開催されたことを記念して発行されたものであることが確実という。その理由はこのメダルに「紀元前776年」とはっきり刻印されていたからである。「間違いありません」。発掘チームは記者会見で胸を張った。ある記者がそこで言った。「間違いありません。そのメダルは偽造です」。

【第2話】古代の無線通信技術
 古代メソポタミア学者が中国の学者に自慢している。「メソポタミアの遺跡を発掘していると銅線が出てきます。これはすでに当時から彼らが有線通信の技術を持っていた証拠なのです。」 悔しい中国人学者が言い返した。「それ以上の技術を中国では殷の時代から持っていました。つまり無線通信ですな。それが証拠には遺跡を掘っても銅線など出てきませんから!」


 中国・明代の大航海家、鄭和が最初に米大陸を発見し、世界一周にも成功したとの説を裏付ける15世紀の地図の写しが見つかった、と北京の地図収集家が主張、この写しを公開したというニュース(時事通信1月18日)が流れた。
 歴史教科書的には鄭和は明の永楽帝の命を受け、1405-1433年の間に艦隊を率いて南海を探検しアフリカにまで足を伸ばしたとされているが、実はこの時喜望峰を超えて大西洋に入りアメリカ大陸を「発見」したという説が以前からある。最近ギャヴィン・メンジーズという人がこのテーマで「1421-中国が新大陸を発見した年」という本を出版(日本語訳は2003年12月刊)している。これによると日本人(世界中だが)の「1492 いよー国が見えた」という分かりやすい語呂合わせは事実に合わないということになる。「1421 いっしょに行ってアメリカ”発見”-鄭和の大艦隊」とでも語呂を変えないといけない。

 メンジーズは鄭和が地球を一周して明に戻ってきて世界地図を作ったというのだが、それらは後世破棄されたり焼かれたりして残っていないという。今回発見された世界地図はその鄭和の地図を写したもので、1763年のものだが、1418年の地図の複写であると明記されているのだという。
 それが冒頭の地図だ。ムハハハハ・・こ、これは違う。「1418年の地図の複写」というが、「作成された」1763年時点の知識(あるいはもっと後)で描かれていることは明らかだ。
ご参考までにコロンブス後だが、1507年にフランスで作られた世界地図を掲げた。当時の知識ではこのレベルでしょう。上の「鄭和の地図」では南北アメリカがかなり正しいプロポーションで描かれているだけでなく、オーストラリアまで”サービス”されている。これは"行き過ぎ"だ。

 この地図は北京の弁護士、劉剛さんが上海の収集家から「500ドル」で買ったものという。最初は気付かなかったが、メンジーズの本を読んでその重大性に気づいて公表したという。<劉さんは「多くの記録がまだ存在すると思う。中国の学者はそれに注意を払っていない。彼らを目覚めさせるのが私の目的だ」と話している。>というから、その動機は愛国的なもので、決して自分の地図をオークションで高く売ろうという下心があるのではなかろう。しかし劉さんには気の毒だが、これでは素人さえ100ドル以上の値をつけないだろう。

 歴史的資料の捏造というのは、金銭を超えて不思議な魅力があるらしい。日本でもいわゆる「古代文字」がどれだけ「発見」されたか分からない。文字の数だけデザインを考えないといけないのだから、捏造するだけで汗をかくがその苦労を厭わない人達が大勢いる。「源義経はジンギス汗」説のルーツとなった江戸時代の偽書『金史別本』も、今では近江の沢田源内の捏造と分かっているが、なぜ一文にもならぬ苦労をしたのかと考えると、今後も資料の捏造は止みそうになり。

 歴史資料の捏造といえば、日本でも最近では「”原人”の石器発掘」の騒ぎがあった。これは石器を埋めた当人よりもこれを大発見と持ち上げた学者たちが問題だ。幸い?今回の劉さんの地図を「中国人の偉大さ」の証明と騒ぐ”愛国的”学者はいないだろう。

 しかし気をつけなくてはならない。【第1話】のように捏造を直接的に証明できる場合はいいのだが、【第2話】のように「非存在」によって「存在」を証明するという高度なテクニックを駆使された場合、反証は難しい。この小話の作者は相当頭のいい人物だ。とりわけこの「中国人学者」のように”愛国心”が絡むと妙に説得力を持ってくるからだ。

【付記】
 たとえこの「劉さんの地図」が本物としても、鄭和が最初にアメリカ大陸を「発見」したことにはならない。とっくの昔に北回りでモンゴロイドが大陸に入って住み着いていたのだから。最近の教科書はだから、「コロンブス米大陸に”到達”」と書いてあるのが普通だ(オーストラリアも同じ)。逆に「発見」とある検定済み教科書をご存じの方は教えてください。


71歳女スリを逮捕:高齢化社会への視点

2006-01-17 18:43:08 | 変人
 高齢化社会では「生涯現役」でなければならない。そのために何をすべきなのか。犯罪報道ではあるが、一つの示唆を与えている。

 「高齢者狙った71歳女すり 窃盗容疑で逮捕」(北海道新聞1月17日)と言う記事によると、札幌・ススキノなどで高齢者を狙ったスリが相次いでいたため張り込んでいた署員が現行犯で逮捕した。逮捕された71歳の女性はベンチで休んでいる89歳の女性のバッグを奪った。事件二日前にも近くで七十六歳と六十七歳の女性が同様の手口のすりに遭ったため張り込んでいたという。

 我々の貧しい常識からすると71歳の「現役」スリはかなり高齢と言える。ただ、掏摸(スリ)は常習性があり、なかなか足を洗えないようで、最近でも次のような高齢者スリが捕まっている。

◆91歳女スリ師現行犯逮捕 過去10年で10回逮捕

 2004年に東京北区で捕まった『おそらく最高齢の現役常習スリ』(王子署)は捕まる度に『私は悪い人間。大変申し訳ありませんでした』と、土下座して犯行を認め、『これまで数多くのものを盗みました。治らないんです』と、それを10年で10回ということは、80を超えて、毎年捕まっているという”元気さ”だった。しかし逮捕されるたびに高齢等を理由に釈放されるなど、寛大な処分を受けていたという。

 男性スリも負けてはいない。男女の平均寿命差を考えれば上のおばあさんスリと双璧をなす。

◆82歳男性スリ 24回目検挙で懲役3年

 昨年名古屋地裁で「高齢で、同情の余地はあるが、常習性は非難されるべきだ」と実刑。4年ごとに逮捕されており、出所したらすぐにまたスリをやっていた。警察庁の「スリ紳士録」にも掲載されているほどの”著名人”という。

 「自然と指が動いてしまう」常習性とは別に、スリには自分の技術に対する「自負」があり、「職人」意識が強いことも再犯を繰り返し高齢になっても足を洗えない原因だろう。強盗のように”体力勝負”というより手先の技術なので体が衰えても続けていけるのかもしれない。

 スリの年齢分布の資料というのは見たことがないが、他の犯罪者よりも「定年」はだいぶ高いはずだ。小生の見るところその秘密は「手先」とりわけ「指」の訓練にある。

 池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズに『女掏摸お富』という腕利きのスリの「特訓」の話が出てくる。「砂の中へ人差しゆびと中ゆびを突きこみ、その砂の中で二本のゆびをしめたり放したり」、まるでフォークボールに磨きをかける村田兆治氏の苦労話を彷彿とさせる。この2本指の使いこなしこそ掏摸の生命線なのである。

 上記の高齢者スリの方々が「犯科帳」にあるような特訓をしていたかは定かではないが、それぞれの方法で指の訓練に励んでいたであろうことは容易に想像される。そして実はそのことが、巧まずして彼らの大脳を刺激し、恰好の老化防止となっていたのである。

 昔は老化防止と言えば運動physical exerciseだったが、今では脳を「鍛える」ことが優先だ。脳の活動の低下は身体能力や意欲の低下に直結する。そして脳を鍛えると言えば昔は難しい本を読むことだったが、今は大脳に刺激を与えることが重要だと考えられている。そのためには指先を動かすことだ。
 指先を使っているときの大脳の活性化状態は最近はMRIや脳波計でリアルタイムに分かるが、いわゆる「考えている」時よりもはるかに活動が活発になっている。指を使う人の方が従って老化しにくいのである。実際画家や書家や陶芸家は90歳を過ぎて現役の方は珍しくない(漫画家は比較的短命だがこれは締切のストレスが大きいからだ)。男性よりも女性の方がボケ難いのは家事で指先を活発に使うからだ。
 
 1933年と大昔に刊行された本だが、「賭博と掏摸の研究」という奇書がある。著者は大審院判事も勤めた法学博士の尾佐竹 猛という人。名著として復刻出版されているらしいが、高価で入手困難なので以下の紹介は遺憾ながら間接的な引用である。
 尾佐竹先生によると、日本は”スリ文化”の精華を極めた国らしい。それは子供の頃から箸を使うことになれていて、器用だからというのだが、同じ箸文化の「支那」などは足元にも及ばないほどそのテクニックが優れている(と、この日本犯罪史の草分けは”自慢”している)。「犯科帳」の話しもまんざらウソでないのかもしれない。現在の大脳生理学的な観点からは、「スリ道」は指先を制御する際に脳に適切な負荷をかける点で、書道と並んで脳を活性化する最適な訓練なのだろう。91歳の現役スリの脳を調べてみたい。

 以前かつての空き巣常習者がテレビで「防犯講座」に出演していた。「プロ」ならではの鋭い視点で盲点を指摘していた。どうしてもスリから足を洗えないこれら高齢者も、自らの日頃の訓練を伝授することで、老化防止という点(「スリ文化」保存でなく)で社会に貢献してもらえたらと思う。

 もちろん何もいつでも元スリの方を先生にしなければならないというわけではない。脳の刺激という点では、朗読でも、暗算でも、書道でも、編み物でも、ピアノでもいいわけだ。要はスリたちが指先の訓練を続けることで、老化と戦い生涯現役を続けている事実の重みから学ぶことではないか。もちろんスリの技術そのものを学んではならない。

250人の誕生日が同じ日で論文偽装バレる

2006-01-16 22:11:56 | 詐欺
 韓国の黄禹錫ファン・ウソク ソウル大学教授の論文捏造事件の後を追うように、日本でも東大教授のグループが英科学誌ネイチャーなどに発表した論文について捏造の疑いが出ている。再実験で論文の結果が再現できなかったとして、東大では教員懲戒委員会に審査を依頼するかどうか判断するという。

 そして今日もまた論文捏造のニュース。「ノルウェー・ラジウム病院(オスロ)は15日、同病院の医師(44)が昨年10月、英医学誌ランセットに発表した口腔(こうくう)がんに関する論文が架空のデータに基づいていたことを明らかにした。」(ロイター共同1月16日)というが、バレた理由が何ともお粗末で、「論文でサンプルとされた908人のうち、250人の誕生日が同じ日だった」というから、完全な手抜きだ。

◆「この中に同じ誕生日の人が必ずいる」

 この記事を読んで思い出したのが、確率の入門書などには必ず出てくる「誕生日の問題」だ。今、あなたが参加者30人のこぢんまりしたパーティに出席しているとしよう。そしてそれぞれお互いのことをよく知らない。「皆さん、ここで賭をやりましょう。この中に同じ誕生日の人がいるかいないか。私はいる方に賭ける」。「いる」確率をpとすると、この場合p=0.706・・程度なので賭に勝つ確率は7割と高い。(どの日も均等に生まれると仮定した。実際はそうでない。この点は記事末の【付録】参照)

 計算方法は、なぜかWebにはやたらとこの「誕生日のパラドックス」問題を解説したページが多いのでそちらを参照されたい(たとえばここ)。高校で習う確率論の、「積事象」と「余事象」の概念を知っていれば計算方法の理解も容易だ。計算も100円電卓で(関数電卓があればもっと便利だが)可能だ。
 なぜこの問題が「パラドックス」と呼ばれるのかというと、たぶん直感的に予想されるよりも「いる」確率が高いからだ。その場の人数をnとして、n=23でp=0.507..なのでこの人数ですでに「いる」確率の方が高くなり、40人学級だとp=0.891..だから10クラスに9クラスは「同じ誕生日の人がいる」ことになる。

 なぜこの確率が高く感じられるかというと、この問題を「この場に自分と同じ誕生日の人がいるか」という問題と混同するからだ。後者の場合は、「いる」確率が五割を超えるのは、n=>253だから、相当の人を集めないとダメだ(計算方法は上記URLで)。直感的には180人程度かと思う(n=180ではp=0.39に過ぎない)ので、これもまた誕生日のパラドックスと言えるかもしれない。(実際365人集めるとほとんど確実思えるが、この場合でもp=0.633に過ぎないからあまり自信を持って断言できない)。

◆新「誕生日のパラドックス」

 ちなみに「908人のうち、250人の誕生日が同じ日」という確率はどれほどになるのか?こういう問題も考えておかないと、数学に弱い人は偽装家に「こうなることは確率論的に0ではない」と言われると黙ってしまうかもしれないからだ。
 この計算は「二項分布」の計算だが、nが大きいので、「ポワソン分布」で計算。これらについてはWebでは例えばここを見ていただきたいが、統計学の入門書が必要かもしれない。計算も関数電卓か表計算ソフトが必要なので、何でも自分で計算しないと納得しない方以外は、以下の結果だけを信じてください。

 「250人の誕生日が同じ日」というのは「250人以上の誕生日が同じ日」として考えるのが妥当。それでもこれはあまりにも大きい数字(小さな確率)なので、その無意味さを理解してもらうためにもっと小さい数字で計算してみた。
「908人のうち、ある特定の日に5人以上の誕生日が重なる確率p」  p=0.041
「10人以上」p=0.000059    「30人以上」p=6.8e-12
最後の数字は小さすぎて分かりにくい。だいたい1470億分の一という確率だ。30人にしてこの数字。250人なら pはもう「無限小」、完全に起こり得ないと断言してよい。

 まさしくこの医師の偽装は「誕生日のパラドックス」だった。あまりにもあり得ない数字を持ち出して馬脚を現した。データーを偽造するなら、少しは汗をかけ。誕生日欄を単にコピペで作っているからこういうことになる。姉歯の爪の垢でも煎じて飲めばいい。彼は「専門家が見れば一目瞭然」と”謙遜”しているが、「専門検査機関」が「複雑すぎて見抜けない」ほどの数値の偽装を何十件(何百件?)もやってのけたのである。

【付録】 誕生日の分布
 うるう年を考えないとしても実際の誕生日は1/365の確率で均一に分布していない。厚生省がそのデーターを持っているはずだと思い、Webを検索したが見当たらない。直接問い合わせると、かなり時間がかかっての返答は、「厚生労働省に直接来れば資料を見せてやる。」
 別に担当者が意地悪なのではない。これがお役所発想というものです。つまりコスト概念が全くないのです。一般の人も自分たちと同じく情報を得るためにコストを払わなくていいと思ってしまう。
 しょうがないので、ここでは西日本新聞が厚生労働省「人口動態統計」をもとに作成した1998年の資料を使わせてもらう。
 この年、一番出生者が多かったのは9月22日(4236人)だ。最下位の1月1日(2201人)とは倍近くの差がある。しかしこれは届け出上の数字であることに注意。元日生まれの子供は「お目出たいヤツ」と学校でいじめられるかも知れぬ、元旦と誕生日の祝いが重なるのは面倒だ、などの理由でこの日を誕生日と届けるのを避ける傾向があるのだろう。実際例えば12月24日が26位と上位に来ているのは、誕生日とクリスマスパーティが一緒にできてケーキ代が節約できるという親の配慮があるに違いない。

 厚生省が秘密にしている?この資料を別の方法で集計すれば、日本人の「繁殖期」が突き止められると思うのだが、その様な研究をご存じの方はぜひご教示ください。

「土佐宇宙酒」まもなく出荷へ

2006-01-16 11:14:08 | 発見
 だいぶ昔のことだが、高知県のある大学の学長が酒宴の最中トイレに立って階段から足を滑らせてお亡くなりになるという気の毒な事件があった。しかしこの事件を伝えたある週刊誌が、地元ではこの学長に対する同情よりも非難の声が出ていると伝えていた。「1升程度の酒で足元がふらつくとは情けない」というのである。
 昔から土佐では「酒をしょうしょう飲む」とは、「升升」ということで2升程度を意味する。高知と秋田は昔から酒豪の多いところとして有名だ(単純に一人当たりの酒量では「酒好き」かどうか分からない。この議論は煩瑣になるので記事末を参照)。

 その酒好き高知で世界初の「宇宙酒」の醸造が始まっている。<「土佐宇宙酒」の初搾り>asahi.com高知1月11日。実は日本酒なのだが、この酵母がロシアの宇宙船ソユーズに乗せられて宇宙を旅したことから「土佐宇宙酒」と命名されているのだ。
 この酵母は冒頭に掲げた写真のようにカプセルに入れられて、昨年の10月1日カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、同11日に地球に帰還した。乾燥させた粉末状のドライ酵母8種類、寒天を培地にしたウエット酵母4種類が2グラムずつ10日間の「宇宙旅行」を体験して、現在もう初搾りの段階にまで進んでいる。

 関係者は「地球を回っている時の地磁気の影響で、酵母に変化があったかもしれない。」と語っている(朝日新聞1月5日)が、影響があるとすれば、「磁気」よりも重力だろう。そして細胞分裂の盛んなウエットタイプの酵母が突然変異の可能性が高い。しかし10日間は短い。もう少し長く滞在していればもっと「変異」の可能性が高かっただろう。
 とは言え、それは費用と効果のバランスの問題。いくら酵母が軽いとは言え、宇宙船への「乗車賃」が必要だった。今回の費用は総額1200万円。700万円を酒造組合と県の補助金でまかない、残りは賛同する企業などが負担したという。

 この「宇宙酒」は一般にも販売され、Webなどで予約(4月1日から販売)を受け付けているが、気になるお値段は、720mlビンで一本3150円とされている。
 その「効能」については誰にも分からない。酔っ払って突然「宇宙人語」をしゃべる人があるかもしれないし、「たま出版」に入社したくなる人が出るかもしれないし、何の変化もないかもしれない。

 「宇宙酒」は酒文化の成果の一つと言えるが、一方飲酒のもたらす弊害、特に公務員の飲酒運転の頻発に苦慮した高知県は1997年に下戸の橋本知事が、飲酒運転の県職員は即刻懲戒免職との通達を出し、これが「厳しすぎる」といまだに議論が続いている。しかしこれも驚きだ。つまり飲酒運転「程度」では懲戒免職にしないというのが「普通」のお役所ということだから。

 最近少し厳しくなったが、日本の法律が飲酒運転に「寛大」なのは”国策”のせいである。飲酒を制約して酒税が減少するのがイヤな大蔵省と、モータリゼーションにブレーキがかかってしまうのを恐れる通産省がバックにいた。罰則強化の「抵抗勢力」だったと言えよう。
 このように我々が「日本の文化」と思っているものの多くは、実はお役所の「指導」によるものが多い。例えば、お花見と言えば今ではソメイヨシノだが、これは戦前に「パッと咲いてパッと散る」この品種が、「お国のために命を捨てる」教育に効果的と思った国が植樹を奨励したからだ。ちなみにソメイヨシノは江戸時代に作られて以降接ぎ木で増えていったから、日本中にあるこの桜はすべて「クローン」である。恐るべき「画一化」だ。だから例えば西行が今の日本の「花見」を見たとしたら、「これは”日本文化”でない」と抗議することだろう。

 宇宙空間での滞在がもう少し長くなれば、突然変異で酔い覚めのスゴく早い日本酒を産み出す酵母が誕生するかもしれない。費用が問題だが、アルコール中毒の増加に悩むロシアにうまく働きかけて共同研究という形を取ればかなり節約できるはずだ、

【付録】 「飲んべえ」都道府県はどこ?

 国税庁の統計によって、一人当たりの消費酒量を知ることはできる。これによると東京、大阪、高知の順だ。しかしなぜ東京、大阪が多いのか?これは要するに飲食店の数が多いからだ。例えば埼玉から都心に通っているサラーリーマンが飲酒するのは東京都に換算される。だから本当の自家消費量を知ることが出来ない。
 東京、大阪の特殊事情を考えれば、やはり高知県が一番の「飲んべえ」県と推定される。

 またアルコール度数の問題がある。強い酒と日本酒は単純に量を比較してもダメだ。これについては「エチルアルコール換算の都道府県別1人当たりのアルコール消費量」を計算した結果がある。これについても、上記の「補正」をしなければ東京人が一番の飲んべえという誤った結果に導かれてしまう。
 このページでは、酒に弱い人強い人と遺伝子の相関についての議論がされている。詳しくは上記ページを参照されたいが、結論的に言うと、「縄文人は酒に強く、弥生人(渡来人)は弱い」ということだ。日本人の起源について一つの示唆を与えている。