(画は 富岡鉄斎「太平楼暮年酒宴図」(部分))
政治家の発言を聞いていると彼らの常套句の一つが「清濁併せ呑む」であることに気付く。辞書的な説明は、「心が広くて、善悪の区別なく受け入れる。度量が大きいこと。」(大辞林)だが、彼らの言いたいことはむしろ”濁”に力点が置かれている。つまりワイロをもらって何が悪い、「悪人」とお付き合いしてても恥ではない。「清い」政治なんて絵空事の書生論だ。
「清濁」というのは清酒と濁酒のことだろう。政治家と酒は切っても切れない縁ということだ。
しかしその「酒」で政治家人生を棒に振ることになったのが、選挙に強く党として史上最高の議席を獲得したばかりの自由民主党の党首だ。と言ってもイギリスの話。自由民主党のケネディ党首が「アルコール依存症」で辞任した。
<親しみやすさで人気だったケネディ氏だが、予定のすっぽかしなど酒の飲み過ぎにまつわるうわさが絶えず、党内の「影の内閣」メンバー23人中約半数が今年になって不信任の書簡を送付。さらに同党所属国会議員の3分の1を超える25人が「党首を辞めなければ党内ポストを辞任する」と最後通告を突きつけた。>(毎日新聞1月8日)。
「清濁併せ呑む」日本の国会議員の場合は、後述するように酔っ払って本会議に「出席」していても別にお咎めはない。英国の場合厳しすぎるような気がするが、どうも党内抗争の結果のようだ。
「アルコール依存症」を克服した政治家に現在のブッシュ大統領がいることは誰でも知っている。ブッシュ氏の場合は酒で3度ばかり警察のご厄介にもなったほどだが、キリスト教原理主義セクト(当然禁酒が教義だ)に入信して立ち直った。もちろん本人にとってはよかったが、世界にとってどうであったかは別問題だ。件のケネディ氏もブッシュ氏に相談すればよかったのだが、英の自民党は日本と違ってイラク戦争反対で人気を伸ばした。聞きたくても会ってもくれない。
◆「亜爾格児(アルコール)中毒」のため議員辞職
日本にも議会史上たった一人だが「アルコール依存症」を表向きの理由に議員を辞職した人がいる。皮肉なことに恐らく彼は日本の議会史上最も知的な人物だ。1890年帝国議会でのこと、いつの時代にもある政府の野党への切り崩し工作(「前原君、自民党に来ないか」)にあっさり妥協した自由党に怒った衆議院議員中江兆民は、国会を「無血虫の陳列場」と痛罵し、「小生事近日亜爾格児(アルコール)中毒病相発し行歩艱難何分裁決の数に列し難く因て辞職仕候」と痛烈な皮肉の辞表を突きつけて議会を去った。色々な言葉を明治の日本に初めて紹介した兆民だったが、世間の人が「亜爾格児(アルコール)中毒」という言葉を知ったのも彼のこの行動のおかげだ。
◆いちおう「飲酒登院禁止」なんですが・・
最近の日本の国会での酒に絡む事件と言えば、2005年6月17日夜の衆院本会議に、数人の自民党議員が「酒気帯び」で出席したことに野党が反発、会期延長の議決が予定よりも30分ほど遅れた。<社民党の阿部知子氏が赤ら顔の議員を見とがめ、「即刻、退場すべきだ」>と、<これを聞いた自民党の秋葉賢也氏は議場閉鎖中にもかかわらず退場>,<民主党の岡田克也代表は本会議後の党代議士会で「小泉純一郎首相と森喜朗前首相も赤い顔をして投票していた。いかにいいかげんな国会か分かる」と批判した>(日経から)というから、本会議のクライマックスはさながら宴席である。なお日本の現行法では泥酔した議員の議決権を奪う規定はない。
とは言え、日本の国会では過去に「飲酒登院禁止」の決議がされている。
議場内粛正に関する決議
國会は國権の最高の機関なり。議場の神聖を守るは國民の信託を受けたるわれらの最大の義務なりと信ず。よつて今後議員は酒氣を帯びて議場並びに委員会に入ることを厳禁すべし。
(1948年12月22日衆議院本会議)
何でわざわざこんな当たり前の決議をしたかというと、この年、泉山三六蔵相(当時)が国会内で飲酒し、泥酔して女性議員に抱きつきキスを迫った。おまけに午後の答弁が泥酔で不可能になった。まさに国会と料亭が混然一体になる事態が発生したからだ。
スポーツの記録と日本の国会決議は破られるためにあると言われるが、それにしても・・・・結局この件で一人の「飲酒議員」もお咎めなし。兆民の時代と同じく与野党の妥協があったのだ。「無血虫の陳列場」。血の代わりに「亜爾格児」が入っているのだろう。
中国の三国時代には政治のバカバカしさに呆れた七人の賢人が魏の国の蓬の池の竹林にがつどい、酒を酌み交わし「清談」(世間を離れた、風流・高尚な話)にふけった。つまり素面の人間は政治に狂うがよい、我ら超俗の知識人は酒に酔って天下を超越するというのだが、日本の場合は酒に酔って政治を狂わせる。「清濁併せ呑む」とこういうことになる。
◆国会に「無礼講」を
どうせ守れないなら、逆に「飲酒解禁」の日を設けて大々的に本会議上で全議員出席の「酒宴」を開いたらどうだろう。そしてそれを完全生中継するのだ。
と言うのも、国会でのやり取りはすべて建前ばかりというのは誰でも知っている。そこで1日だけ議員や大臣が「真実」を語る場を設けるのだ。西洋では昔からIn vino veritas(酒中に真あり)というラテン語のことわざが人口に膾炙している。この「酒宴」で語ったことに関しては一切責任を問われないし何らの拘束力もないことにしておくのだ。それを聞いた有権者も「ああこういうことか」と納得するだけで、それを心の中に秘めておく。
「ポスト小泉」、「大連立」、「消費税」、「改憲」など重要テーマについてずっと政治が分かりやすくなるはずだ。「ああ与野党みんなグルだったのね・・・」と分かってもそれはそれでいいんじゃないでしょうか。
政治家の発言を聞いていると彼らの常套句の一つが「清濁併せ呑む」であることに気付く。辞書的な説明は、「心が広くて、善悪の区別なく受け入れる。度量が大きいこと。」(大辞林)だが、彼らの言いたいことはむしろ”濁”に力点が置かれている。つまりワイロをもらって何が悪い、「悪人」とお付き合いしてても恥ではない。「清い」政治なんて絵空事の書生論だ。
「清濁」というのは清酒と濁酒のことだろう。政治家と酒は切っても切れない縁ということだ。
しかしその「酒」で政治家人生を棒に振ることになったのが、選挙に強く党として史上最高の議席を獲得したばかりの自由民主党の党首だ。と言ってもイギリスの話。自由民主党のケネディ党首が「アルコール依存症」で辞任した。
<親しみやすさで人気だったケネディ氏だが、予定のすっぽかしなど酒の飲み過ぎにまつわるうわさが絶えず、党内の「影の内閣」メンバー23人中約半数が今年になって不信任の書簡を送付。さらに同党所属国会議員の3分の1を超える25人が「党首を辞めなければ党内ポストを辞任する」と最後通告を突きつけた。>(毎日新聞1月8日)。
「清濁併せ呑む」日本の国会議員の場合は、後述するように酔っ払って本会議に「出席」していても別にお咎めはない。英国の場合厳しすぎるような気がするが、どうも党内抗争の結果のようだ。
「アルコール依存症」を克服した政治家に現在のブッシュ大統領がいることは誰でも知っている。ブッシュ氏の場合は酒で3度ばかり警察のご厄介にもなったほどだが、キリスト教原理主義セクト(当然禁酒が教義だ)に入信して立ち直った。もちろん本人にとってはよかったが、世界にとってどうであったかは別問題だ。件のケネディ氏もブッシュ氏に相談すればよかったのだが、英の自民党は日本と違ってイラク戦争反対で人気を伸ばした。聞きたくても会ってもくれない。
◆「亜爾格児(アルコール)中毒」のため議員辞職
日本にも議会史上たった一人だが「アルコール依存症」を表向きの理由に議員を辞職した人がいる。皮肉なことに恐らく彼は日本の議会史上最も知的な人物だ。1890年帝国議会でのこと、いつの時代にもある政府の野党への切り崩し工作(「前原君、自民党に来ないか」)にあっさり妥協した自由党に怒った衆議院議員中江兆民は、国会を「無血虫の陳列場」と痛罵し、「小生事近日亜爾格児(アルコール)中毒病相発し行歩艱難何分裁決の数に列し難く因て辞職仕候」と痛烈な皮肉の辞表を突きつけて議会を去った。色々な言葉を明治の日本に初めて紹介した兆民だったが、世間の人が「亜爾格児(アルコール)中毒」という言葉を知ったのも彼のこの行動のおかげだ。
◆いちおう「飲酒登院禁止」なんですが・・
最近の日本の国会での酒に絡む事件と言えば、2005年6月17日夜の衆院本会議に、数人の自民党議員が「酒気帯び」で出席したことに野党が反発、会期延長の議決が予定よりも30分ほど遅れた。<社民党の阿部知子氏が赤ら顔の議員を見とがめ、「即刻、退場すべきだ」>と、<これを聞いた自民党の秋葉賢也氏は議場閉鎖中にもかかわらず退場>,<民主党の岡田克也代表は本会議後の党代議士会で「小泉純一郎首相と森喜朗前首相も赤い顔をして投票していた。いかにいいかげんな国会か分かる」と批判した>(日経から)というから、本会議のクライマックスはさながら宴席である。なお日本の現行法では泥酔した議員の議決権を奪う規定はない。
とは言え、日本の国会では過去に「飲酒登院禁止」の決議がされている。
議場内粛正に関する決議
國会は國権の最高の機関なり。議場の神聖を守るは國民の信託を受けたるわれらの最大の義務なりと信ず。よつて今後議員は酒氣を帯びて議場並びに委員会に入ることを厳禁すべし。
(1948年12月22日衆議院本会議)
何でわざわざこんな当たり前の決議をしたかというと、この年、泉山三六蔵相(当時)が国会内で飲酒し、泥酔して女性議員に抱きつきキスを迫った。おまけに午後の答弁が泥酔で不可能になった。まさに国会と料亭が混然一体になる事態が発生したからだ。
スポーツの記録と日本の国会決議は破られるためにあると言われるが、それにしても・・・・結局この件で一人の「飲酒議員」もお咎めなし。兆民の時代と同じく与野党の妥協があったのだ。「無血虫の陳列場」。血の代わりに「亜爾格児」が入っているのだろう。
中国の三国時代には政治のバカバカしさに呆れた七人の賢人が魏の国の蓬の池の竹林にがつどい、酒を酌み交わし「清談」(世間を離れた、風流・高尚な話)にふけった。つまり素面の人間は政治に狂うがよい、我ら超俗の知識人は酒に酔って天下を超越するというのだが、日本の場合は酒に酔って政治を狂わせる。「清濁併せ呑む」とこういうことになる。
◆国会に「無礼講」を
どうせ守れないなら、逆に「飲酒解禁」の日を設けて大々的に本会議上で全議員出席の「酒宴」を開いたらどうだろう。そしてそれを完全生中継するのだ。
と言うのも、国会でのやり取りはすべて建前ばかりというのは誰でも知っている。そこで1日だけ議員や大臣が「真実」を語る場を設けるのだ。西洋では昔からIn vino veritas(酒中に真あり)というラテン語のことわざが人口に膾炙している。この「酒宴」で語ったことに関しては一切責任を問われないし何らの拘束力もないことにしておくのだ。それを聞いた有権者も「ああこういうことか」と納得するだけで、それを心の中に秘めておく。
「ポスト小泉」、「大連立」、「消費税」、「改憲」など重要テーマについてずっと政治が分かりやすくなるはずだ。「ああ与野党みんなグルだったのね・・・」と分かってもそれはそれでいいんじゃないでしょうか。