おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

「モーツアルト」頭蓋骨、鑑定は「証明できず」

2006-01-09 11:05:52 | 発見
 「モーツァルトの頭蓋骨論争ついに決着!今夜ドキュメンタリーですべてを公開!生誕250周年に遂に謎を解明」とオーストリア国営放送(ORF)が鳴り物入りで予告していたDNA鑑定の結果だが---結果はネガティブ。つまり問題の頭蓋骨(上写真)はモーツアルトのものであると証明できなかった。--と言うか、ほぼ偽物であると言っていい。視聴率を稼ぐためとは言え、国営放送がこんな”前宣伝”をやるなんてひどい話だ。
(今のところ日本の報道機関は伝えていない。なぜ?海外では大きく、例えばイギリス「ガーディアン」紙など無数)【追記】共同通信がようやくAPの転載で。

 「モーツアルトの頭蓋骨」は、彼の姪と祖母であるのが確実である遺骨のDNAと照合されたが、親族関係を示す結果は得られなかったと、米陸軍のDNA鑑定所(兵士の遺骨を調べる必要がある)などが調査の結果を公表した。「モーツアルトの頭蓋骨」は凱歌を奏でることはなかった。ヨーゼフ・ロートマイヤーという墓堀人が1801年に共同墓地から、これはモーツアルトの遺骸であると思って掘り出した頭蓋骨は別人であった。「オレは違う、オレは作曲どころか生前は楽譜も読めなかったんだ」と200年間訴えようとしたが、顎がなく喋れなかったこの気の毒な人物には「お騒がせしました。これからは静かに眠ってください。生前のいや死後の数々の失礼お許しください」と謝るしかない。この骨を「モーツァルト」と言ってきた人たちは「謎は深まった」なんて曖昧な言い方をしているが、正直に「謎は解けた。すべては捏造だった」と認めた方がいい。

 ミステリアスな生涯を送った大芸術家としては日本ではいつも「東洲斎写楽」は誰か?というのが論争と好奇心の種だが、モーツアルトはその死因が常に論争の種になってきた。1984年のアメリカ映画『アマデウス』は、モーツアルトの”ライバル”宮庭音楽家アントニオ・サリエリの「殺害」説でストーリーを組み立ててアカデミー賞(監督賞など8賞)を受賞した。モーツアルトのあまりの才能に宮廷で「恥をかかされた」と思ったサリエリが、「土曜ワイド劇場」のような手の込んだ手段(変装してモーツアルトに依頼をするとか)で間接的にモーツアルトを「病死」させるという完全犯罪だ。サリエリが晩年に癲狂院で行った告白(これは歴史的事実のようだ)に基づいている。しかしサリエリと同じくここにおられた患者の方は、例えば「ひょっとしてあなたはモーツアルトではありませんか?」と問いかけると、「Nein(ノー)!」と狡賢い笑いを浮かべ否定するが、ウソ発見器の針は激しく振れるという人達だから、彼の「告白」の真偽も神のみぞ知るである。

 殺害された天才芸術家と言えば、日本では江戸時代の天才画家長澤蘆雪{長沢芦雪}(1754-1799)がいる。彼は円山応挙の一番弟子(しかし破門された)で奇行でも知られた天才だったが、大阪で芝居見物中に食べた弁当があたって亡くなった。死ぬ間際に「毒を盛られた」と叫んだという伝説から殺害説が生まれ、蘆雪と喧嘩別れした応挙までが「容疑者」として「捜査線上に浮上」する(後世のでっち上げだが)という、この巨匠には迷惑至極な展開もあった。
 司馬遼太郎氏と言えば、いわゆる「司馬史観」で「日本人として自信を持った」と世間では評判がいいようなのですが、「えー!これは単純すぎるのでは」とこちらはオロオロするだけ。でも彼の『蘆雪を殺す』は蘆雪「殺害」事件をうまく料理した好短編としてアンチ司馬の小生もお勧めします。

 モーツアルトに話を戻して、この頭蓋骨に傷があることからこれが彼の死の原因では(晩年頭痛に悩まされた事実がある)という説もあったが、それも振り出しだ。『アマデウス』ではモーツアルトは音楽の才能をのぞけばただの頭の悪いスケベとして描かれているが、確かにそれ以外では人格的にあるいは知的に秀でたところはなかったようだ。
 ただ人類に音楽だけを与えて、貧しい共同墓地に姿を消した「モーツアルト」。「たま出版」あたりが「モーツアルトは宇宙人だった」(だから遺体は「宇宙人」が回収してしまった)という本を生誕250周年を記念して出すのでないかと期待しているのですが・・・

【付記】

 それにしても惜しいことだ。もしこの頭蓋骨がモーツァルトのものであることが確定すれば、我々はあの天才のDNAを手にしていたわけで、そうなると・・・・・
「そうです皆さん、我々は人類の宝を手にいれたのです」。
 あっ!そうおっしゃるあなたは韓国の・・・
「左様、ソウル大学教授 黄禹錫(ファン・ウソク)です。今初めて発表するのですが、われわれはすでにそのモーツァルトのDNAを入手して、世界で初めて万能ES細胞からモーツァルトの脳を作ることに成功したのです。これが蘇ったあの天才の脳味噌です!」
 し・・しかし先生、それはどう見てもただのコチュジャンじゃないかと・・
「だまらっしゃい!このコチュジャンじゃない、脳味噌を食べることで、あなたの脳細胞の一部がモーツァルトのそれに置き変わって、あなたは天才作曲家になれるのです!」
 先生どうもそれはウソクさいような気がするのですが。
「あなたは私がこの味噌を醸造、いや捏造したとでも言うのですか?私のファンはすでにこの脳味噌を食べて天才作曲家になっています。彼らが作った音楽を聞きなさい」
 せ、先生、それはモーツァルトのCDだと思いますが・・・・
「彼のDNAが複製された脳が作曲するのですから同じ曲が出てくること自体、これがモーツァルトの脳味噌である証明なのです!」



仙台赤ちゃん誘拐事件「脅迫文」を読む

2006-01-09 00:42:32 | 発見
 極めて特異な事件だった。最初は赤ちゃんの欲しい夫婦の犯罪かと思ったが、男の異様な行動の報道で異常性格者の犯罪という印象を得た。そうなると赤ちゃんの命が危ない。しかし身代金目当ての犯行だった。報道協定で肝心なことを知らされていないために全く勘違いさせられた。
 そのことを知ったのは、赤ちゃんが保護されたというニュース速報(1月8日7:00AM)を見てホッとした後だった。この犯罪の卑劣さはここではあえて論じない。他の人たちがそれぞれの場所で行っているだろうから。

「文学」としての「脅迫文」

 この事件の特異性は犯人からの脅迫文にある。その全文が公表された。もちろん原文ではなく、警察が打ち直したものなので、伏せられている部分がある可能性が否定できない。しかしそれでもこの「全文」から見えてくることは多い。完成度は低いながらこれはある種の「文学」なのである。もちろん犯人たちを褒めるという意味でもなく、文章の技巧が見られるという意味でもない。脅迫文にあっては「ならない」ことだが、犯人の心の動きや屈折が絶妙に表現されているという点においてだ。
 毎日新聞がWebでいち早くこの漢字カタカナ(たぶん筆跡を隠したかったのだろう)の脅迫文の全文を掲載したが、まもなく削除した(表から見えないところに移動しただけで残されていました)。犯人への同情と取られてはまずいと思ったのか。ここでは河北新報に掲載(全文、しかしいつまでも掲載されているかは保証できない)されたものを原文の通りカタカナに戻して引用する。

赤ちゃんの容体を詳しく描写

 脅迫文は赤ちゃんの容体から始まる。
「赤チャン シュー君ハ トテモ元気ダ 心配シナイデイイ
ミルクモタップリ飲ムシ ウンチモ異常ナイ」
 誘拐犯が人質の無事を告げるのは常套手段だが、この犯人の場合不必要なまでに詳しく赤ちゃんの様子を伝えている。この脅迫文を見て警察も犯人が性格異常者でなく赤ちゃんも大切に扱われているという感触を得たはずだ。
「私ノ元デハナクテモホントニ大事ニ世話ヲサセテモラッテマス
室温ハ24℃ ミルクモ温度ヲハカリホトンド100ccヲ一度ニ飲ミマス
日中ハケッコウ起キテマスガ夜ニナルトグッスリ寝マス。」
とまるで我が子について語っているようだ。そして脅迫文とは思えないこんな文が続く。
「ホトンド泣カズ本当ニイイ赤チャンダト思イマス。」

 面白いのは脅迫文として「必要」な文章は「目ヲ通シテイルハズダ」、「復習シテオコウ」、「取引キハ中止ニスル」などと”常体”だが、赤ちゃんのことや心情を吐露するところでは「オ母サントオ父サンヘ 心カラ申シ訳ナイト思ッテマス」と”敬体”になることだ。犯人の心の揺れを文章心理学者でなくとも感じ取れるという意味で、これは立派な「文学」なのだ。

犯罪者の心理を理解しない「法律家」

 ところで8日のある報道番組で、元検事で「犯罪コメンテーター」の方がこの脅迫文を「分析」していた。そこで、「この犯人のやったことはまず未成年者略取罪で、法定刑が3ヶ月以上7年以下の懲役なんですが、この脅迫文を書いたことで身代金目的略取になり懲役3年以上で無期懲役になります。そのくせ赤ちゃんを大事にしてますと言って罪を軽く見せようという行動は矛盾している」と指摘してたが、なんとまあ法律家というのは犯罪者の心理を理解できない人種かと感心。
 犯罪者で六法全書と相談しながら犯行を行う者は稀だ。彼にとっての最大関心事は捕まるか否かということなのだ。そして罪の意識も六法に従うのでなく、自らの「倫理規範」によって変わってくるのだ。例えば、彼が殺生をするのが嫌いな性格の場合、偽札作りの方が傷害よりも罪は重いが、彼にとっては全く逆になる。
 だから法律家が罪を重くすることによって犯罪を抑止できると考えるのは単純に過ぎる。犯罪の抑止とは、人にいかにして罪の意識を感じさせるかということなのだが、法定刑の上下だけでそれができると検事が考えている限り犯罪は減らないというより、犯罪者を更生させることはできない。

最大の謎は院長との関係

 容疑者が確保されているのだから、事件の真実はまもなく明らかになるだろう。この事件の大きな謎は、犯人と病院の院長との関係だ。院長は予想通り、「身に覚えがない」。
 しかし脅迫状は、「院長ニハ些細ナコトデモ 私ニハ大キナ貸シガアリマス」、と過去に何かあったことを匂わせている。もっと決定的なのは6150万円という身代金の中途半端さだ。この院長の誕生日は6月15日という。偶然とは思えない。松本清張の「Dの複合」という作品では、元船長に復讐を企てる男はある緯度と経度の地点だけを選んで殺人を続ける。船乗りは緯度と経度に敏感であることを活用して、「ターゲット」にだけ分かるメッセージを送って心理的に追い詰めていく。その話を思い出した。
 また「一通目ハ目ヲ通シテイルハズダ」、「院長 志村サンハ 今日 例ノバッグヲ持ッテ」などとすでに何らかの「連絡」を行っていることを示唆している。初めてなら「例ノバッグ」とは書かない。

 身代金の受け渡しの指示も「各駅ゴトニ1両ズツ前ニ乗リ換エル 1番前マデ行ッタラ
今度ハ後ニ移ルコト イツモ携帯ニ注意スルコト」などとやたらに綿密で、「何ニシロ 警察ノ臭イガスレバ スベテ中止」、そして逆探知を警戒するなど細かく計画を練っていることが分かるが、一方で、「イズレ私ハ捕マルダロウ」と揺れる心を覗かせている。


「若イ看護婦」と「年増ノ看護婦」

 しかしこの脅迫文の「文学的」価値は彼が「ドーデモイイコトダ」と書いた次の連続する4行にある。
「若イ看護婦ハ最後マデ患者ノソバデ守ロウトシタガ
年増ノ看護婦ハ 1人デ逃ゲテ行ッタ
ソレニ 私ハ誰モ 監禁シテイナイ。
豹変(ヒョウヘン)モシテイナイ。」

 確かに脅迫文には「不必要」な記述なのだ。先に後半の二行について。「監禁」というのは当初の報道で看護婦を新生児室に「監禁」したと報道されたこと、「豹変」というのは男が受付で最初は丁寧に、途中で「豹変」して火をつけると脅したと報道されたことを憤っているのである。事実と違う、オレは常に冷静だったとマスコミに抗議しているのだ。
 前半の二行は報道されなかったことだ。確かに応対した「看護婦」は2人いた。犯人によると、責任ある立場にある「年増ノ看護婦ハ」自分の安全だけを考えて「逃ゲテ行ッタ」が、「若イ看護婦ハ最後マデ患者ノソバデ守ロウトシタ」。このことが男にある感銘を与えたことは間違いない。彼にとっては、「年増ノ看護婦」が院長とダブって見えた。しかし命を賭けて患者を守ろうとした「若イ看護婦」は全く違う人間だった。
 「善良な市民」から凶悪な誘拐犯への”三途の川”を渡るその最後の瞬間に、彼は「人間」を見たのだ。もしこの2人の看護士とも逃げ出していたら、彼もまた人間性を喪失し、赤ちゃんの命も危なかったという気がする。この「若イ看護婦」こそ本当に患者を「守ロウトシタ」そして実際に命を守った英雄(英雌と言うべきか)だ。