おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

ミイラの「呪い」か?7人怪死:イタリア

2005-12-31 14:40:56 | 発見
 ミイラの呪いと言えばエジプトのツタンカーメン王が有名だけど、こちらはイタリアで発見されたミイラの「呪い」で関係者が次々と変死しているというニュース。
 イタリアの地元紙が報じているということで、まあこれも地域興しかなと思うけど、「イタリア北部のアルプス山中で1991年に発見された約5300年前の男性のミイラにかかわった7人が次々に謎の死をとげ」ている(読売新聞)というのはツタンカーメン王の「呪い」の話しに似ている。

 先にツタンカーメンの「呪い」についての誤解を解いておくと、「発掘に関わった全員が変死している」などというのは全くの作り話であることが分かっている(たとえばこのサイトなどを参照)。と言うよりも、なぜぞのような話が捏造されたのかその動機を探る方が、よほど興味深い仕事になるはずだ。
 もちろんツタンカーメンの発掘(1922年)に携わった人物はすでにみな死去している。死に方も色々であるが、それは発掘に関わらなくても同じだ。

 今回のミイラ(『エッツィ』と愛称がつけられている)は日本では通常「アイスマン」と呼ばれ、日本でも展覧会まで開かれた(上の写真はそのポスター。もちろん「山男」は復元された「アイスマン」)ほどの”有名人”だ。解剖したときに背中に傷があり自然死ではなかったことが判明した。ポスターに『エッツィ』氏の最後の瞬間が図解されているのがお分かりだろうか(白で書かれたマンガ)。

 氏が非業の最期を遂げていたことも、「呪い」伝説を産み出す原因だろう。しかし発掘から15年も経つと「関係者」(で、その範囲は?)の中に亡くなる人がいない方が不思議だ。今年10月に亡くなった研究者は「パソコンから『エッツィ』研究データが消えていた」というが、我々でもパソコンから意図しないのに「データーが消えていた」ということはよくあることだ。それも「呪い」なのかもしれないが、せいぜい「さっき殺した蚊の祟りかな」と思うくらいで、まさか5000年前に生きていた人が「介入」しているとは夢にも思わない。

 そうなのだ。日本の伝統的な考えでは死者の魂が「この世」に留まるのは「49日」で、あとは別の人間に生まれ変わる。時々成仏できない魂があったとしても、まさか5000年ということはない。そもそも「皇紀」でも二千六百何年だから、「日本国家の歴史」の倍以上まだ現世に執着している「魂」という概念は日本人には全く理解できない。
 発見された『エッツィ』氏は享年「46歳ぐらい」(なぜ”ぐらい”が付くのか分からないが)というから、まだ「呪い」をかけ続けているとしたら、「この世」よりも100倍以上も長く「あの世」にいるということだ。「輪廻転生」に失敗し続けているのだろうか。

 「輪廻」という言葉を使わなくても、魂の「転生」は別に東洋に固有の考えというわけではない。西洋でもあのピタゴラス学派は魂の生まれ変わりを力説していたという。ただ東洋とちょっと違うのは、古代の哲学者の間で「転生」説批判派が持ち出した論証法だ。「肉体を離れた魂はどこで待機しているのだ。受胎したら飛び込もうと他人のセックスを天からジーと観察しているというのは滑稽ではないか」というのだ。ハハハハ・・全くその通りですが、人類がスケベなのはそのせいでは?

 古代や中世と違い、近・現代においては「輪廻転生説」は独自の困難に直面する。それは人口の急激な増加だ。肉体と魂の一対一対応という「カントール集合論」的立場に固執すると当然魂の側の「不足」が避けられなくなる。しばらくは再エントリーできなかった古代人の魂の「ストック」でしのげるがすぐに限界がやって来る。他の動物からの「魂」の供給が避けられなくなった。
 よく芸能人などが「あなたは××の生まれ変わり」と「霊能力者」に言われたなどと吹聴しているが、××は「天草四郎」だったり「沖田総司」などの”好感度”の高い歴史上の有名人がほとんどだ。まあそう言わないと「霊能力者」はおまんまの食い上げになるからだが。ただ名前を失念したが、ある芸能人がテレビで、「私は虫の生まれ変わりだと言われた」と告白していた。「過酷な真実」を告げた霊能力者には「天晴れ」をやりたい。ちなみにピタゴラスは人間と他の動物の魂の相互転生を主張していた。

 さて、『エッツィ』氏の肉体はミトコンドリアDNAを解析され(母方の親類関係を調べる)、例えばオックスフォード大学のブライアン・サイクス博士によって、平凡なイギリスのマリー・モーズレーという主婦は『エッツィ』氏と同一のDNAを持っていることが発見された。『エッツィ』氏の子孫であるか、少なくとも親戚関係にあるということだ。

 一方『エッツィ』氏の魂は恐らくは100回以上?の輪廻転生を経て(”ローテション”の早い日本式ならそれくらいだ)、現在は生身の体を持っているだろう。すでに述べたように現在では「魂」の需要は逼迫しており、「人間経験者」の魂は引く手あまたであるから。
 その肉体は「アイスマン展」で”自分”の5300年前の肉体を食い入るように眺めながら、「こいつどんなもん食ってたんだろうね」と隣の恋人に水を向け、彼女に「あんたに似てるわね」と言われて、「こんな”原始人”と一緒にするな!」と食ってかかっていたかもしれない。
 最早『エッツィ』氏の魂は5300年前の怨讐を忘れ屈託ないが、DNAは姿を変えずに今に受け継がれているのだ。そして殺し合いの習慣もまた。これこそどんな「呪い」よりも恐ろしいものではないのか。殺し合いをし続けるべく「呪われ」ているとしたら!

 今日は除夜の鐘。鐘の数が108回なのはそれが煩悩の数だから。心を縛りつけて修行を妨げる10種の煩悩(十纏<じってん>)と、人々を輪廻の世界に結びつける98種の煩悩(九十八結<くじゅうはっけつ>)とを合わせて百八煩悩と数える(他にも諸説あり)。ああやはり「輪廻」からは逃れられないのですね。

ネパールの「断食」少年7ヶ月目に

2005-12-30 12:27:59 | 変人
 11月頃全世界で話題になったネパールの断食瞑想少年バムジョン君のニュースの続報があった(ロイター12月29日)。
 もちろんバムジョン君は今も写真のように菩提樹の下で瞑想を続けており、「断食」は7ヶ月目に入った。あと6年(正確には5年と半年)座り続ける予定は変わらないという。依然としてラタナプリ村にやってくる見物客は引きも切らないという。

 日本語の記事だけでは十分な情報が得られないので、海外の報道機関などの伝えることを総合して経緯を整理してみよう。

 今年15歳になるバムジョン君は、5人兄弟。もともと無口で瞑想癖があったが、変わったのは仏陀生誕の地ルンビニを訪れてから。突然7か月前に断食して瞑想に入り、母親を卒倒させた。何とこれから6年間飲まず食わずで菩提樹の下で瞑想に耽って「悟り」を開くのだという。

 ここで老婆心ながらお釈迦様の悟りについて事実関係を整理すると(と言うのもどうもバムジョン君自身、事実関係の把握に混同があるのでないかと思うからだ)、俗名ガウタマ・シッダールタは王子として何不自由のない恵まれた生活を送っていたが、29歳の時突如出家した。最初の修行では悟りを開けなかったので、6年間に及ぶ断食苦行の道に入った。文字通り骨皮筋衛門になり死線をさまよったが悟りは開けない。王子は断食を止め、ナイランジャナーという美しい川の流れで身を清め、付近に住む一人の少女がさしだす乳粥で体力を回復した。そしてブッダガヤーの一本の菩提樹の下に正座し、静かに瞑想しやがて悟りを得る。というのが今日に伝わる標準的な伝承である。
 つまり釈迦の「6年間の断食」は「悟り」につながらない失敗だったのだ。そうでなくて少女の差し出すヨーグルトの栄養を得て(あの琴欧州を見よ)正常な体で瞑想することで悟りを得られたというのが教訓なのだが、どうもバムジョン君は「6年間の断食」で「悟り」が得られたと短絡させているのでないか。

 しかしバムジョン君とその点で論争は不可能だ。そもそもバムジョン君は瞑想に入ったまま喋らないのだから。「私が話しかけても答えてくれません」と母親が語っているほどだ。ほとんど唯一声を発したのが、バムジョン君が瞑想中に蛇にかまれた(ちょうど釈迦の断食中に悪魔の軍団が襲いかかってきたように)ときのことだ。「これは私が超えねばならぬ試練の一つ。すまぬが私の周りにカーテンを張ってくれるか」と、やはりすでに釈迦になりきっている。
 ただ、世間でバムジョン君のことを「釈尊の再来」と騒いでいることに対しては少し迷惑のようで、「私はまだ悟りの第一段階に過ぎぬ」と15歳とは思えぬ成熟したコメントをしているという。

 言うまでもなく俗世間の下世話な興味は、果たして人間が半年も飲まず食わずで生きられるのかということだ。そしてついに「ネパール科学技術アカデミー」までが調査に乗り出すことになったのだが、バムジョン君の「瞑想」の妨げになるからと未だ着手できていない。見物人の中には、バムジョン君が差し出されるヨーグルト(釈迦の故事を思い出して欲しい)を飲んでいたと証言するものもいる。そして今は「夜になると信者によりカーテンの中に隠されることから、この間に飲み食いをしている可能性があると」当局は見ている(ロイター)などとつまらぬ詮索をしている。いいじゃないですか「断食」して太っても。基礎代謝と「瞑想」に脳が消費するカロリーがすべてだから、「カーテンの裏」で補給するカロリーは余って当然だ。

「求道のニート」は「究極のニート」だ

 バムジョン君は24時間「瞑想」中だからもちろん生産的な仕事はしていないわけだ。日本で言う「ニート」であることは間違いない。しかし「働かざるもの食うべからず」ではないが、バムジョン君は「飲み食いをしていない」のでそこが日本の甘えニートは違うところだ。

 しかしもっと決定的な違いはバムジョン君が地元に大きな経済的波及効果を与えていることだ。バムジョン君はまだ「悟り」に達していないにも関わらず圧倒的な信仰を得て、すでに11月末段階で7000$の寄進があったという。CIA The World Fact Bookのデータ(ネパールに関する数字はみなここから)によると、日本人とネパール人の購買力は20倍の差があるから、結局日本なら1700万円の寄付が集まったということだ(たぶん近くの仏教寺院にだろう。ちなみにネパールの仏教人口は全体の1割)。バムジョン君の瞑想の場は文字通り門前市をなしているので、その見物客目当ての屋台も次々と登場している。バムジョン君は仏教を再興する前にすでに村興しを実践しているのだ。

 30日付の各紙には<ニート現象「日本に衝撃」 勤勉が財産なのに、と米紙>という見出しで日本のニート問題が注目を集めていることを伝えているが、バムジョン君のように「ニート道」も究めれば大きな経済的効果をもたらすということだ。
 もっともネパールの失業率は47%にもなるというから、もともと2人に1人は「ニート」にしかなりようがない。しかも貧困線よりも下のレベルの人が42%と世界の最貧国の一つである。これでは「修行」でなしに「断食」せざるを得ない人が続出する。

 日本は今多くの「ニート」を抱えられるほどに「豊か」ではある。少なくともネパール人の何十倍の「現金収入」を得ている。しかし残念ながら「幸せ」の度合いはその数字に合わない。
 バムジョン君は日本でなら「引き籠り」として学校や児童福祉相談所が乗り出してくる。バムジョン君のお母さんは今では「息子が神かどうか確かめるためにあと6年(「断食」を終える)待ちます」と語っている。このキャパシティーは日本のお母さんでは手に入れられない。

 バムジョン君の「断食」は年を越しそうである。最新の写真(冒頭)を見ても、ふくよかで健康には問題はなさそうだから。「六年後」バムジョン君が「悟り」を開いた瞬間の言葉は世界に配信されるだろうか。釈迦が悟りを開いたのは35歳。一方バムジョン君(むしろバムジョン師と呼ぶべきか)は”その時”でも21歳だ。「タイゾー」先生よりもはるかに若い「ニート」の救世主の誕生があるのだろうか。

【上の記述はBBCの報道「デイリー・テレグラフ」の記事を基にしています】

「ぶっ殺す」発言で検事辞職

2005-12-29 10:16:32 | 迷言・妄言
 検事が取調中に「ぶっ殺すぞ」と暴言を吐いたために、横浜地検が厳重注意処分。この検事は即日辞職というニュース(朝日新聞)を読むと、たいていの人は「やっぱ、検察って厳しいよな。オレなんか酒飲んでケンカすると”ぶっ殺すぞ”が口癖なのにさ。」と感想を持つ人が多いかもしれない。
 それは勘違いです。この「不適切」な取り調べがあったのが2001年なので、発言そのものは昔から知られていたのです。
 この”ヤーさん検事”は佐賀地検時代に、不正融資の疑いをかけられた元農協組合長を取り調べた。そして起訴したが一審二審共に検察の敗訴になったため上告を断念。元組合長の無罪は確定している。

 当初検察側がこの組合長の「自白調書」を有力証拠として提出していたが、裁判の中で、<検事の取り調べでは、意に沿わない供述をすると「ぶち殺すぞ」「ふざけるな」と怒声を浴びせられ、目の前の机を手刀で連打された。取り調べに疲れ果て「自白調書」に、署名押印したという。>(西日本新聞)事実が明らかになると、検察はこの「調書」を撤回してしまった。すでにこの時点で、裁判官の心証を損ねて検察の敗北は決まっていた。

 ちなみに検察官が「ぶっ殺す」と言ったか「ぶち殺す」と言ったか、報道が別れているが、
ぶち【打ち】(接頭)動詞に付いて、その意味を強める意を表す。〔音便の形をとって「ぶっ」「ぶん」となることもある〕(大辞林)
ということなので、意味に違いはない。それでは具体的に「ぶっ殺す」とはどういう意味なのか?検察官という職業柄、死刑を求刑すると解釈できるが、背任で死刑は無理だ。となると言外の意味は・・・「お前なぁ、それは明日築後川で浮かんでたいということか?検察はな、警察より偉いんだよ。酒に酔って川に落ちましたで済んじまうんだよぉ。えー!そんなに死にてぇのか!」。コワ~!

 背任罪は被疑者に犯意がないと成立しないため、どうしても自白が決定的になる。自白を得るためには、証拠固めという知的な作業よりも、どうしても”ヤーさん検事”の脅迫が効果がある。これは刑事の取り調べでも同じだが、日本の裁判の場合は自白偏重なため、どうしても”ヤーさん”が登場してきてしまう。
 今回の地検の対応でも、「自白」がそのまま通用していれば逆にこの検事は「落としの寛さん」とか呼ばれて「敏腕検事」ともてはやされただろう。今回の措置は敗訴の詰め腹を切らされただけのことで、検察自身が「検事として極めて不適切な行為」(佐賀地検次席検事)と思っているならもっと早く処分していたはずだ。

 検察であれ警察であれ、こういう「自白」の強要を避けるためには、取り調べのすべてをテープにとって裁判で証拠として資料提出が可能になるようにすればいいのだが、もちろん”ヤーさん”側は嫌がっている。
 今回一敗地にまみれた検察としては、改革案として、検察官を希望する司法修習生には、これから”極道修習”課程を追加しますか。「われ、なめんとんか!ドスン」。「あ-君それじゃダメ。”ワレー”と”レ”を強く伸ばして。それから”なめとんか”でなくて”なめとんかぁ~?”だからね。手刀も弱い。それじゃ被疑者に逆になめられるよ」。

無銭ボーリング:11時間48ゲーム休みなしで

2005-12-28 16:52:45 | 変人
There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy.
(Hamlet: Act I, Scene v)
 「この天と地には、ねえホレーシオ、我々の哲学では夢にも想像出来ないことが山ほどあるねぇ」
 不可解な事件に遭遇する度にこのハムレットの名台詞を思い出す。知識や推理や学問の無力さを感じる瞬間である。
 建築設計大量偽装や国際紛争のようなA級ニュースだけでない。まったくつまらないC級ニュースにさえ、「我々の哲学」は全く歯が立たないことが往々にしてある。
 無銭飲食ならぬ無銭ボーリング。ボウリング場で約十一時間にわたり四十八ゲームをひたすら一人で投げ続けた末に料金を支払わなかったとして、60歳の男が埼玉県警狭山署に二十七日、詐欺の現行犯として逮捕された。踏み倒した金額は約二万四千五百円というが、ボーリング場の経営者以外はそんなことはどうでもいい。
 普通の人が知りたいのは「なぜ」だ。別に隠すほどのこともなかろう。男の供述は・・・しかし各紙の報道を読み比べて行き詰まった。各紙まちまちな上にいずれも説得力に欠けるのだ。以下、名前をつけて比べてみた。

情熱系朝日新聞:「ボウリングがどうしてもやりたかった。もっと投げ続けたかった」
投げやり系毎日新聞:「やりたいからやっただけだ」
憂さ晴らし系読売新聞:「むしゃくしゃしていたので、思いきりボウリングをやりたかった」
沈黙系共同通信:(動機についての記述なし)

 とまあ動機についても大手の報道機関でこれだけ違いがある。「情熱系」と「投げやり系」では180度違う。警察の記者会見発表だけならこれだけ違わない。事実この男の当日のスコアーについては報道が一致している。記者たちも動機が知りたくて知り合いの刑事にそれぞれ尋ねたのだろう。それぞれが違う答えをしたのでこういう結果になった。
教訓:たった一本だけの記事で判断するなかれ。特に「動機」という人間的な要素が絡んでいる問題は、真相の把握は困難である。

 余計なことながら小生の推理はこうである。この無職のお父さん、何とか職に就きたいと焦っていたが、そこで自分の好きなボーリングが活かせないかと思いついた。昔長時間プレーしたことのあるあのボーリング場にはプロのスカウトが来ているはず。そこでオレの「才能」を見出してくれれば・・・
 この日のお父さんのスコアーは「48ゲームのアベレージは133点、最高点が187」。「年齢を考えると、ボウリングの腕前はうまい方に入る」(同ボウリング場)が、とてもプロで通用するチカラではない。「就職活動」が失敗したことが照れくさくて、刑事には色々な言い方で動機を供述したに違いない。・・・しかし論証は不可能である。こんなC級ニュース、まさかこのお父さんに改めてインタビューなんて報道機関は現れないだろう。かくしてこのC級ニュースも「帝銀事件・下山事件」などの戦後未解決大事件同様、永遠に謎に包まれたままに終わってしまうのだ。

 それにしても還暦で11時間連続48ゲームという体力はスゴい。機械的なストップ(自動的に48ゲームで止まってしまう)がかからなければギネスが狙えたかもしれない。このお父さん、まずテレビのバラエティーに自分を売り込んだらよかったのに。「我々の哲学」でもそれくらいは提案できるのだ。

外務大臣秘書の殺人事件を非公表に

2005-12-27 23:50:40 | 珍事件
 奇妙な話だ。決して小さな出来事ではないのに、今のところ毎日新聞の報道しかない。

 警察が、実の父親に暴行して殺害という事件を1月以上隠蔽していたというのだ。その被害者は麻生太郎外務大臣の元秘書だった。
 福岡県飯塚市で事件が起きたのは11月13日。犯人(現在は起訴されているから被告)の音楽講師は、同居していた父親の胸を揺さぶって押し倒し、そのショックで約3時間後に搬送先の病院で死亡した。被告は「父が酒に酔って帰宅し、ささいなことからカッとなった」と殺害を認めているという。

 殺害された80歳の父親はかつて麻生外務大臣の秘書(私設公設不明)をしていたという。飯塚市は麻生大臣の故郷でもある。

 一昔前は刑法に「尊属殺人」の規定があった。そんな重要な事件をなぜ警察は公表しなかったのか。飯塚署の言い分:「当時は容疑を一部否認しており、共犯の関与も視野に捜査したため、公表しなかった。決して、麻生氏の関係者だから公表を控えたのではない」。
 妙な話だ。容疑者が「一部否認」しているだけで事件を明らかにしないことはない。また「共犯」がいることが明らかな事件でも逮捕された犯人だけでも氏名を明らかにしている。警察は辻褄の合わない言い訳をしたことで、かえって「麻生氏の関係者だから公表を控えた」という確証を抱かせている。

 となると、事件を公にするなと大臣サイドから働きかけがあったか、警察が配慮したのか。麻生氏は10月31日に外務大臣になりたてだったから、祝賀ムードに水を差したくないという官邸の意向もあったのかもしれない。

 こういう警察の事件発表をめぐって、偶々今日27日に重要な動きがあった。
 「犯罪被害者等基本法」の施行を受けた犯罪被害者等基本計画が策定されたのだ。この法律はこれまで、被害を受けながら何の法的な保護も受けられなかった犯罪被害者の権利を保障しょうというもので大いに結構なのだが、変な「オマケ」が付いた。それは被害者名の発表を実名でするか匿名でするかを警察が判断するようになったことだ。
 これに対しては、同じ27日に新聞と放送局、正式には日本新聞協会と日本民間放送連盟が「犯罪被害者等基本計画に対する共同声明」を出して抗議している。「匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える。」と事件が恣意的に隠蔽されることを懸念している。

 しかし実は今回の場合は、被害者でなく加害者の氏名、いやそもそも事件そのものを「警察の判断」で非公表にしてしまったのだ。呆れ果てた”先取の気風”だ。
 いったいなぜ警察はそこまで気配りせねばならぬほど麻生大臣に恩義があるのか?事件は「現場」に立ち返れというのが捜査の鉄則。麻生事務所のHPに手がかりがあった。
 HP上の「太郎は考える」2005年11月号で大臣はこう述べている。
 「警察官も地方公務員ですから、ただいま削減の対象となっております。警察官を例外にするのは、政治決断が要求されます。」私はあえて警察官を削減するなと訴えた。「そこで自民党は三年間で警察官の一万人増員というのを断行したんです。」そして成果は上がった。「それまで悪名の高かった東京新宿の歌舞伎町、渋谷等の盛り場からいわゆる「マジヤバイ」のが消えて健全とはいえませんが「軽くヤバイ」程度に治安が向上したんです。」
 これを読んで「警察は考える」今事件を公表すれば大臣就任間もない麻生先生に少なからず汚点になる。「警察の連中は気が利かん」と思われたら、警察官削減の報復があるかも知れん。しかも麻生先生はまかり間違えば「ポスト小泉」。ここで恩を売っておけば栄転間違いなし。不調法すれば左遷の運命だ。

 まあ警察官僚がそう考えたとすれば今回のような措置になるのは当然。しかし曲がりなりにも日本は法治国家だ。法に基づかないこのような措置は江戸時代に逆戻りだ。これは、「軽くヤバイ」程度ではなく、「マジヤバイ」問題だ。

「マザーテレサ」顔のシナモン・ロール盗難

2005-12-27 13:16:10 | 発見
 「故マザー・テレサの顔に似ているとして有名だったシナモン・ロールが、96年以来展示されていた米中部テネシー州ナッシュビルのコーヒーハウスから盗まれた」(毎日新聞と最初聞いてもそのシナモンを想像できなかった。ネットで探してようやく見つけました。↑がその店に置いてあった当時の写真(分かりやすいように○で囲った)。ああ、ホントだ!ワハハハハ・・確かに切っても切っても「マザーテレサ」。しかも金太郎飴と違って意図せずに出来たというのが神の恩寵でしょうか。

 「このロールは96年に同店の店員らが「マザー・テレサに似ている」などと言い出し、保存のため樹脂を塗って店内に飾られ」ていた(毎日)というのだが、「店主は「警察の評価では25ドルの価値しかない。食べたってうまくないよ」と首をかしげている。」というけど、この店主なかなか商売上手で、一時期はこのロールを使ったTシャツなどを売り出したほど(本人の抗議で中止)。このコーヒハウス(Webペ-ジはここ)のあるナッシュビルは米南部の敬虔なキリスト教徒が多い土地だから集客効果は抜群だったはず。

 しかし「マザーテレサ」という”先入観”なしで虚心に見ると、小生なら「悪い魔法使い」と答えているはずだ。
 そう、これは一種の「ロールシャッハテスト」なのです(シナモン・ロールシャッハテストと言いましょうか)

 雑誌などではたいてい1枚だけインクのシミを対象にした図形を見せて「何に見えますか」と聞いているけど、実際のテストは10枚の絵を次々と見せて、その結果から判断する。例えば上の絵を見て、1枚目は「狼の顔」、2枚目は・・・と答えていく。
 例えば、「狼、斧、悪魔、・・・」などと答えていく人は「攻撃的、被害妄想的」と判断されて、国によっては保護観察処分になったりする。答えに無意識が反映されているというのだけど、はなはだ頼りない「検査」だ。実際に、答える人がわざと小鳥、一家団らん、鳩とか「平和的」なイメージで答えれば「攻撃性」を簡単に偽装できる。
 このテストはロールシャッハ(スイスの精神科医ヘルマン・ロールシャッハHermann Rorschach(1884~1922))が開発したんだけど、きっかけは子供の頃から「シミ」を見つめるのが好きだったからで、何のことはない、ちょっと気味悪い地味な趣味で「起業」しただけの話し。余興としては面白いが、診断者の恣意の余地が大きい。到底「学問」とは少なくとも小生は認めていない。
 入学時や入社時にやる「バウムテスト」、つまり「リンゴの木を描いてください」というやつも同じ。リンゴの代わりにピストルばかり描いてるヤツは「コイツは凶悪犯罪の恐れあり」というのは分かりやすすぎてかえって信用できない。小生の場合、心理学や精神病理学というのをすべて「学問」として認めていないから、例えば「知能検査」というのも全く相手にしない。そもそも世間では「オレの知能指数は150で兄貴は100。オレの方が50%頭がいい」なんて「標準偏差」の概念を全く取り違えている人も多いのだ。「数値」を導入することでかえって誤解を広げている。

 そうは言っても精神科医が詐欺師だと言っているわけでなく、いわば白衣を着た占い師だと思っている。相談して悩みが解決されれば、それはそれで世のため人のためになっている。
 ただ、「学問」でないだけに詐欺師になるのも簡単で、例えば小生お勧めの詐欺は、相談者を洋書を並べた少し暗い部屋に案内して、パソコンの画面に下の絵を表示させる。

「これは何に見えますか?」、「若い婦人を右後方から見た絵です」。その答えをパソコンに入力すると、「あなたは自らの容貌にコンプレックスがあります」と表示。「いいエステを紹介しましょう」。で、紹介料がエステからキックバックされるというわけ。
 「鷲鼻の魔法使いの横顔です」。「えぇ?じゃあごはどれです?」、「こう猪木みたいに突き出ていて、ここに唇があります」、「そこは婦人の首ですよ。う~むとんでもない歪んだ見方だ。あなたは被害妄想の傾向がありますな。すぐに精神科医の指導を受けてください」。
 素人をだますのは簡単です。肝心なのは道具立てです。この絵が上記以外に見えた方は重症です。でも治療費を払っていただければ、少々お高いですが大丈夫、「普通の人」に戻してあげますよ。

「2600年の農民課税に終止符」:中国

2005-12-26 11:40:40 | 迷言・妄言
 「農民よ喜べ。君たちは2600年間の軛からついに解放される時が来たのだ」と中国政府。1958年に制定された農業税を来年1月1日から廃止する法案が可決されると新華社が伝えている。「春秋時代以来2600年間、大きな負担を強いてきた農民への課税の歴史に終止符が打たれる」と鳴り物入りの発表だ(毎日新聞)。
 しかし「中国4000年の歴史」ではないのか?<新華社などによると、中国の農民課税の歴史は「春秋左氏伝」に魯国(現在の山東省付近)が紀元前594年に税を始めた記載があるのが初めてという>(同上)。あくまでも文献上のことだ。

 それでは我が国の税の歴史はというと、「はい、大化の改新の後、租庸調の税制が整備されました」というのが学校で教える歴史だ。ただ、そこで初めて「税」という嬉しい制度(支配者にとっては)が導入されたのではなく、文献的にはすでにあの『魏史倭人伝』で邪馬台国の税制に言及されているという。
 古代日本の姿を凝縮したこのわずか2008文字を繙くと確かに「収租賦有邸閣(租賦を収む、邸閣あり)」という記述があり、これが日本の「税」に関する最古の記述だ(「邸閣」というのは「税」を収める蔵らしい)。卑弥呼たちは中国から学ぶことなしに独自の「税制」を編み出していたのか。文字を持たない彼らでも「取るべきもの」はちゃんと取るシステムを作っていたのは、人類の性(さが)というのか少し悲しい。

 その後もっと「ちゃんとした」税制を中国から導入したのは学校で教わるとおりだが、「税」がイヤなものであるのは中国も日本も変わらない。「」と言う漢字は、会意兼形声。兌は「八(はぎとる)+兄(頭の大きい人)」の会意文字で、人の着物をはがしてぬきとるさま。税は「禾(作物)+音符兌」で、収穫の一部をぬきとること(学研漢和大辞典)というから、ようするに強奪だ。「税」の字には合法的な追剥だという意識が込められている。

 だから「税」を進んで負担したがる人はいないわけで、これを「発明」した古代人のイデオローグはその理論化に相当苦心したに違いない。卑弥呼の時代のことは分からないが、中国の「王土王民」思想では最初から「土地も人民も”王”のもの」と決めてかかっているから、人民の負担は自明である。
 さすがに「民主的」な政治体制では「王」を持ち出すのは憚られるので、もう少し小難しい「理論」が学者によって編み出されているのだが、少なくとも子供には理解は無理だ。そこで編み出されたのが背理法というとまた難しくなるが、要するに「税金がなかったら」と仮定して矛盾を導くわけだ。

 その論法で税金の必要性を論証したのが、国税庁の小学生向け啓蒙ビデオ『惑星アトン』(1990年、文部省選定、30分)だ。「ある日、地球から未知の惑星アトンに連れ去られたカン太。そこは税金のない国であったが・・・」と、税金のない国が、学校も病院もない悲惨な状態であることを見せて(でもそんな貧乏なアトン政府がどうして拉致用の宇宙船を調達したのだ?というツッコミは勘弁して。「学校や病院だって別に民営のものがあるはずだ」というツッコミもやめて))、税金の「必要性」を理解させる。いわばネガティブなキャンペーン。もちろんこのビデオ税務署で無料で借りられるのは、国民の税金を投入しているから。

 実はこのパートII(1991年)もあり、さすがに「収奪者」の論理ばかりではまずいと思ったのか、そこでは、無事皆が税金を納めるようになって豊かになった「アトン国」だったが、悪い大臣が公害を隠すために不当な新税を発明して・・・とかなり?現実の日本に近づいている。つまり税金の使われ方を監視すべしという、お役所としては”危険思想”が表に出てしまった。広告代理店の「暴走」だったのか。パートIIIが作られなかった理由は・・・言うだけヤボだろう。

 話を中国に戻して、「2600年の軛」から解放された中国の農民はどれだけ楽になるのか?
「農民1人当たりの負担減は約62元(約930円)にすぎない。」(毎日)というから、政府の言うことを真に受けた人には完全なぬか喜びだ。
 昨日の読売新聞は<弱者の怒り・暴動多発、中国「調和社会」建設に限界>という記事で中国の農民の不満が急速に拡大していることを伝えている。「2600年間」の農業税の撤廃も目先を変えたいということだ。ちょうど日本の財務相が「第3のビール」課税を強化する代わりに、「みなさん来年からビールが減税になってお求めやすくなりますよ」と言っているのと同じだ。

 財政破綻した日本国は増税路線を進むことは間違いない。政府もありとあらゆる手段で「増税やむなし」の雰囲気作りに努めている。ただ、今の財務省などはまだ『惑星アトン』パートIの段階、つまり「増税しないと大変なことになります」というネガティブキャンペーンより先に進んでいない。税金の不適正な使用(「アトン2」)にはまだメスを入れようとしていないのだ。
 恐らくは政治的圧力で製作中止となった『惑星アトン』パートIIIの登場が待たれる。惑星アトンを訪れたカン太は、今や立派な「税金オンブズマン」。財政破綻を起こさせた役人や政治家を摘発していくが、ある日、アトンの公共建築物はすべて、構造設計データーが偽造されて地震で倒壊してしまうことを発見する。しかしその時、アトンを侵略しようとするソーケン星人と政治家、天下り役人のトライアイングルが、カン太を抹殺しようと・・・・

表彰式後に優勝逆転:男子フィギュア

2005-12-25 10:17:38 | 珍事件
 「ついにやりました。ご先祖様、信長様、フィギュア全日本選手権を制しました。あなたの手の中から思いもかけずに滑り落ちたあの”天下統一”。不肖この信成が見事手にしましたぞ!」
 キリシタンに寛容であった信長にクリスマスイブに捧げるまたとないプレゼントの金メダルを、代々木第一体育館で24日夜、織田信成は誇らしげに掲げていた。しかしそれはわずか数時間の「天下」であった。深夜にまたしてもあの「本能寺の変」が起こり、織田家の天下統一は幻と消えた。しかもあろうことか、今回も味方であるはずの日本スケート連盟が「光秀」を演じたのだ。

 一言で言えば採点ミスによる順位の変更ということだが、表彰式の後に「訂正」とは選手に気の毒だしこんなお粗末な話聞いたことない。「連盟」の発表を聞いても部外者にはよく分からない。合理的な説明が困難なことは、あの「本能寺」と同じだ。
 「織田君の演技で、するべき減点がなされていなかった。1位と2位が入れ替わり、高橋君の優勝とします」。という連盟の発表。「日本連盟が発注したコンピューターのプログラムには、これを自動的にチェックする機能がなかった。国際スケート連盟(ISU)が作成したシステムにはチェック機能があるが、高額なため、購入していなかったという。」(サンケイスポーツ) つまりケチってお粗末なソフトしか持っていなかったため、この不祥事になったということらしい。

(以下の記述については【追記】もご覧になってください。)
 確かに最近のフィギュアの採点は複雑になっているようだが、計算プログラムが特定の人しか作れないほど複雑なものであるはずはない。恐らくISUがソフトの使用権を独占してそれで収入を得ようとしているからこんな妙なことになる。採点アルゴリズムをオープンにして、テストデーターを入れて正常に作動するプログラムはそれを採点に使用して結構ということにしていれば、このような問題は生じなかった。この程度のソフトなら、熟練したプログラマー1名とスケート連盟の専門家1名が共同すれば恐らく1日程度で作成可能だ。テストを含めても、その手間に見合った費用しかかからない。ちゃんとしたソフトを「使いたくない」力学が連盟の中にあるに違いない。

「ソフトがあればなぁ」-姉歯偽装事件と共通

 これで連想するのが例の「姉歯構造設計偽造問題」だ。どうして「専門家」が偽装を見抜けなかったかというと、国交省が標準的な検査プログラム(ソフト)を作成していないからだ。もちろん建築物は多種多様であるから、数値を入れればパッと答えが出るソフトは不可能であるというのだが、これは言い逃れ。大部分の数字の矛盾を摘発できる検査プログラムの開発は可能なのだ。じゃなぜ国交省がそれを作らないかというと、業者に「規制」をかけることを懸念しているからだ。つまり徹底的に業者サイドに立つことで、姉歯という「光秀」がいくらでも出現する余地をわざと残してやっているということだ。

 「謀反人」は出ないという”性善説”に立っているという言い方をする人もいるが、ぶっちゃけた話し、国交省役人の天下り先に対する「気配り」が先に立ち国民の安全は二の次ということなのだ。

(話を戻して)
 ただ、今回のフィギュア採点トラブルには、人為的な側面も大きいという。「採点のチェック役のテクニカルコントローラー(城田憲子フィギュア強化部長)が減点を見落とした。」(サンスポ)というから、複雑な面も。つまり連盟の「反織田連合」による陰謀説が出てくるのでないか。「黒幕」は家康か秀吉か朝廷か。将来この事件が「代々木体育館の変」として歴史に記録されるかどうかは分からないが、とにかく「変」な事件ではあった。

【文中敬称略】
-----------------------
【追記】 ISU(国際スケート連盟)の販売する採点システムについて

 後でISUの「採点ページ」
http://www.isujudgingsystem.com/
で調べてみると、「高くて買えなかった」ISUのシステムというのは、ハードと
ソフトセット販売だということが判明しました。
 セットによって3つのレベルがありますが、例えば一番高価なセットのカタロ
グが、
http://www.isujudgingsystem.com/englisch/download/Eiskunstlaufen_Level3_eng.pdf
にあります。
 パソコンだけでなく、ビデオカメラや録画用デッキ、審判同士の通信用の
ヘッドセット、プリンターなどがセットになっているため高価なのです。
日本円にして200万円台というところ(オプションで価格異なる)でしょうか。
 それにしてもISUによると、購入の「財政支援」やレンタルもありということで、
「お金がないから」という言い訳はちょっと「すべって」ます。

 ただ、「動作を保証するため」という名目で、ハードウェアを選ばせない(だ
からかなり割高)というのはISUの「利権」のにおいがしないでもない。ちょう
ど「総研」が”コンサルタント”なのに建築材料まで指定しているのと似た不明
朗な構造が見える。
 これが嫌で独自ソフトをという日本連盟の選択は間違っているとは言えないが、
チェックルーティンさえないプログラムは、鉄筋を抜いたマンションの様なもの。
ソフト会社を訴えないと。

【追記2】
 産経新聞によると、<ソフト発注の際、「トリプルジャンプをそんなに跳べる選手は一握り。あまり起こらないだろうと、そこまでプログラムを要求しなかった」>という。つまりスケート連盟が「鉄筋を抜け」と言ったのと同じだ。プログラムの追加としてはまことに簡単なことなのに、それを要求しなかったのは全面的に連盟の責任だ。




「ヒトラーのように」校長発言謝罪:地元教委

2005-12-24 10:47:34 | 迷言・妄言
 「ヒトラーのように」発言で物議を醸した高校校長について、新潟県の教育委員会が記者会見で謝罪した。新潟日報12月22日

 事の起こりは今年10月26日、新潟県小千谷市にある県立高校の職員会議での校長の発言。この日会議では「授業中に携帯電話をいじったり、スカート丈が極端に短かったりした生徒」への対応を論議していたが、この場で校長が「生徒は、繰り返し指導しなければならない。ヒトラーのようにやればいい」と発言していたことが報道された(朝日新聞)。これに対して県高等学校教職員組合は「ヒトラーを容認する発言だ。人権意識や国際感覚が欠如している」と、発言の撤回と謝罪を求めたという。

 「ヒトラーのように」問題。このセリフで日本近代史のあのエピソードを思い出す人もいたはず。
 1938年の衆議院本会議で、国家総動員体制について賛成の議論に立ったのが社会大衆党西尾末広代議士(戦後「民社党」初代委員長)。
 「日本は未曾有の変革を為さんとしております。 明治天皇の五ヶ条の御誓文の中にも『旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし』と記されております。 近衛首相はこの精神をしっかりと把握されまして、もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、 かのヒトラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」
と演説したのである。
 内容的には政府の「改革」後押しであるし、ヒトラーやムッソリーニーは当時の日本の政界ではファシストとして英雄視されていたので、主旨は「問題ない」。最後の「スターリンの如く」が余計だった。社会大衆党がいち早く体制化と言うか、ファッショ化のバスに乗ってしまったのを妬む他の野党から、「共産主義の親玉のスターリンを賛美するとは何事か」と攻撃され、結局西尾は懲罰委員会にかけられ国会議員を除名された。

 さてこの校長発言。確かに現在の日本の常識ではヒトラー礼賛は「悪」である。しかし70年前はその正反対。例えば校長が「信長のようにやれ」と発言したらどうだったろう。これはOKだ。なぜなら現在の日本の首相も信長を尊敬しているからだ。しかしこれが延暦寺系の学校の校長ならクビが飛ぶでは済まない騒ぎになる。
 だからここでは「××のように」発言が穏当であるかはとりあえず問題にしない。また生徒たちが教師から学ぶものは、知識よりも教師の生き様なのだ。ヒトラーや信長が何をしたかの知識はすぐに忘れる。しかしどんな先生であったかの記憶は生涯残る。
 政治家も同じだ。「鬼畜米英」。上等じゃないか。それなら占領下でも(今のイラクのように)米軍と命がけで戦ったのかというと、一晩でコロッと変わって「皆さん、アメリカ民主主義を身につけましょう」と、「鬼畜」の命令をご神託扱い。この見事な転向ぶりがどれだけ日本の子供(後に戦後日本を作った)の精神に逆教育効果をもたらしたか。

 この「ヒトラー」校長、当初は「ヒトラーの例えは使ったが、『繰り返し繰り返し指導すれば、生徒は分かる』という趣旨。発言には何ら恥じる部分はなく、撤回する考えはない」(時事)と強気だった。また別のBlog情報では、この校長今年7月別の機会に「特攻隊のほうが君たちより幸せだったのかも知れない」と生徒の前で語っているという。まあそういうイデオロギーの持ち主ということだ。それならそれで堂々と「ヒトラーのごとく」演説を続けるのが教育者というものだ。
 ところがこの日の教育委員会の記者会見には当人は現れなかった。「冬休み前の最後の登校日でもあり、同席の必要はないと判断した」と教育委員会の説明(上記新潟日報)。「ぼくちゃんをかくまってください」と校長が教委に泣きついたことは明らかだ。

 教委によるとこの校長はこの問題で「全校生徒に謝罪」したという。何をどう謝ったのか不明だが、動機が自己保身であることは明らかだ。一連の発言は自己の信念でなく、右傾化という時流に単に乗っかっただけということか。「ヒトラーのごとく」勇猛に振る舞い、「特攻隊のように」命を捨てよと大声で弁じた校長が、自分の地位が危ういと感じるや泣き虫の子供のように振る舞う。このダブルスタンダードこそ、日本の教育不信の最大の原因なのだが、追求はヒトラー礼賛の是非というイデオロギー問題になっている。しかし周りの反応に応じてコロコロ言うことを変える人物と、「歴史認識」の議論などそもそも不可能だ。

教育とは信念を見せることではないのか。たとえそれが自分に不利であると承知でも、信念のために闘う姿を子供達に見せること。右であれ左であれ、その姿が人間への信頼を育てるのでないのか。と今日は熱血教育論で締めくくらせていただきます。

貸金業者に「クリスマスキャロルを読みなさい」:裁判長

2005-12-23 14:07:24 | 快挙・怪挙
 
(↑『クリスマスキャロル』の初版の挿絵から)

 クリスマス直前に、ちょっと粋な和製のニュースが。全国ニュースになっていないので、いっそう紹介する値打ちがあると思います。
 12月22日青森地裁での出来事。事件はよくある無許可貸金業の裁判。公判で突然裁判長が被告に語りかけた。「チャールズ・ディケンズの『クリスマスキャロル』を知っていますか」。

<裁判官は「この時期に、あなたを見ていて思い出した小説がある」と切り出した。評判の悪い金貸しの男が、クリスマスイブの夜に見た夢で改心し、町の人のために尽くしたというあらすじを紹介。「社会的弱者のために自分が何をできるか、考えてください」と諭した。> 河北新報12月22日

 この被告の罪は、青森市で貸金業登録を受けていないにもかかわらず、男女5人に計75万円を貸し付け、月3割の利息を取ったというもので、この手の犯罪ではそれほど悪質とは言えないでしょう(と言うか、あまりにも大きな「悪」の犯罪報道で感性が麻痺しているのかも)。まあ『クリスマスキャロル』の主人公、ケチで身勝手なスクルージ(Ebenezer Scrooge)爺さんも、別に犯罪をやっていたわけでないので、どうしょうもない「悪」というわけではありませんから。
 「被告の男も神妙な面もちで裁判官の話に聞き入った」と記事にはありますが、『クリスマスキャロル』を読んだかどうかは疑わしい。ただ、<傍聴席からは「クリスマス前に良い話が聞けた」との声が漏れ>たということで、少なくとも傍聴人には感動を与えたので、最近不祥事が続く日本の裁判官にもちょっと気の利いた人(季節を考えた発言)がおられるということを見せただけでも○。

 明日がクリスマスイブですが、『クリスマスキャロル』をまだ読んでいない方は、ここから無償で全文の日本語訳が手に入りますので今からでも間に合います。
 英語の原文はもっと簡単に入手できます。

 ディケンズの『クリスマスキャロル』については、ここに作品の背景や解説(英文)、初版の挿絵などがあり当時の雰囲気を楽しめます。

 それにしてもです、19世紀のロンドンから時空を隔てた21世紀の日本のクリスマス。気象予報士全員切腹かという想定外の寒空の下で凍えている人たちのことを想うと、日本の「スクルージ爺さん」に余計な一言を言いたくなるのが悪い癖。
 「ご利用は計画的に」しなかったからだと言われますが、急に妻が病気になって「計画」が狂ってしまったんです。ああたとえ姉歯設計のマンションでいいから入りたい。または電気を止められて震えている人は多いはず。
 「あんた地獄に落ちるわよ」なんて品のないことは申しませんが、ディケンズのスクルージよりももっともっと貯めこんでおられる「スクルージ」族の社長さんが、クリスマスだけでもちょっと粋な計らいをしても「精霊」から文句は出ないと思うのですが。

担任が小5生徒に「決闘」を強要

2005-12-22 09:53:38 | 迷言・妄言
 担任の杉崎は興奮していた。昼の掃除時間に生徒の太郎と良夫がつかみ合いのけんかをしているのを仲裁に入ったのだが、放課後教室に二人を残して言い分を聞いていると昨晩の学園ドラマが脳裏によみがえってきたのだ。杉崎はいつのまにか、ドラマの熱血教師と一体化して、普段と声も口調も変わっていた。

 「なんだ太郎、良夫の言ってるのと違うじゃないか。これはどちらかがウソを言ってるってことだ。いいか、確かに青春は傷つきやすいものだよ。」(この時目の前の生徒がまだ小5であり、「青春」と呼ぶにはいささか早すぎるということをすでに忘れていた)「しかしな、ウソは許さん。オレは絶対許さん貴様らこうなったら体で決着をつけろ。おれがレフリーをやってやる。決闘しろ!」

 太郎と良夫はビックリした。先生が仲裁してくれると思っていたのに、教室の中で暴力をけしかけるとは。そのためらいが杉崎をさらに興奮させた。「お前ら、決闘する勇気もないのか、それで青春と言えるか」と不必要に「青春」に拘泥し、罵声を浴びせて、二人の足首を蹴飛ばした。
 尋常でない担任の興奮ぶりに恐怖した二人はしょうことなしに組み合った。しかし恐怖のあまり硬直した足がもつれて、太郎が転び、太郎の服に手が絡まった良夫が腕から床に落ちた。
 良夫が学校中に響くような悲鳴を上げた。生徒や教師がこの教室に集まってきた。「決闘のレフリー」は我に返った。そこはドラマの熱血高校とは違う、川崎市立小学校の自分の職場であり、目の前には手首を骨折して泣いている自分の生徒がいた・・

 というのが読売新聞22日の記事に基づく実況中継ですが、この「決闘」をけしかけた先生の頭には「脚本」があったんでしょう。
 取っ組み合いをする太郎と良夫。いつまでたっても決着がつかず、ついに床の上で二人大の字になって倒れ込む。良夫、太郎を見遣ってニヤリと笑う。太郎、良夫に微笑み返す。杉崎「よーし、二人ともこれで納得したか」。窓から夕日が見える。3人並んで夕日を見つめる・・・

 学園ドラマで生徒のけんかがあると、先生は「暴力はやめろ」なんて野暮なことは言わずに好きなだけやらせるのがお約束で、たいていは上のようなベタな展開で締めくくっています。この学園ドラマ好きの先生もパプロフの犬のように反応しただけという言い訳も可能でしょう。

 しかし問題はこの事件が一年半経って明るみに出たときの校長のコメントです。
子供たちにぶつかっていくような姿勢で指導しようとするあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
 そうですか校長先生、あなたは例えば猥褻教師をかばうときは、「子供たちとのふれあいを重視するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
 盗撮教師をかばうときは「生徒の健康状態を記録するあまり、教育的な指導を超えた部分があった」
とおっしゃるんでしょうね。でも、実際には管理職としての自分の立場を守るあまり、教育者としての視点を忘れているんじゃありませんか。日本では「決闘罪」(明治二十二年法律第三十四号)があるので、これは犯罪教育になります。
 そして教育委員会も「処分するほどでない」と事件のもみ消しを図っている。隠蔽と口裏合わせと言い逃れ。日本型犯罪の3点セットを教育現場の幹部が率先して「教えて」いるわけで、世間を騒がせている耐震偽装問題のルーツは案外こういうところにあるのでないかという気がします。いわゆる”グル”の構造と舌先三寸の責任逃れ。

(文中の人名は仮称ですが、ストーリーは報道に基づいています)


「奥さんが学校で暴力」:振り込め詐欺

2005-12-18 11:35:43 | 詐欺
 「犯罪は世に連れ、世は犯罪に連れ」と申します。次にご登場いただくのは、「振り込め詐欺」にあった小学校教諭のお父さん。詐欺師の口車に乗せられついつい振り込んだ190万。帰って来いよと叫んでも、呼べど答えぬオンライン、こんなIT誰がした、鬼嫁故に信じてしまった「暴行事件」、万感の思いを込めて教育者として皆に警鐘鳴らします・・・それではお父さんどうぞ!

  ええ、あれは十六日正午すぎのことでした。私は小学校に勤めておるのですが、職員室に電話がありました。出ると、県教育委員会職員を名乗る男が「奥さんが生徒を殴り、鼓膜を破った。」と。ええ妻も同じく小学校で教鞭を執っています。その瞬間私の頭をよぎったのは、「まさか」ではなく、「ああついに」ということでした。
 大声では言えませんが、家内は世間で言う「鬼嫁」の部類でして、・・・ええ実はその前の晩も私は妻に激しく打擲されました。私は妻に殴られる度に、「ここでストレスを発散してくれればいい。学校で生徒に暴力を振るったらクビだからな」と思い我慢してきたのです。
 この「職員」は「保護者が告発すると言っており、逮捕されるので和解で済ませたい。百九十万円振り込めますか」と言ってきました。それくらいで済むのならと私はすぐに「よろしくお願いします」と言って、その日のうちに市内の金融機関から振り込みました。相手の口座が県外であったのは少し不思議な気がしたのですが、これで家内の家庭内暴力が少しでも収まるならという気持ちがあったので、むしろ心は弾んでおりました。ええ、この事件に感謝するとでも言いますか・・・。

 以上、大分合同新聞12月18日夕刊の報道に従って事件を再現してみました。実は幸いなことに、この振込先の口座が「凍結」されていて、この事件は金銭的な被害はなかったというのです。
 しかしこのお父さんにとっては「幸い」であったかどうか、家に帰ってこの「鬼嫁」に何と言われてどのような仕打ちを受けたかを考えるとむしろ憂鬱にならないでもありません。

 一昔前は「オレオレ詐欺」、今は「振り込め詐欺」と言われる犯罪、徹底的に捜査して残らず逮捕して欲しいのは言うまでもないのですが、この犯罪の「進化」の過程を見ていると、非常に興味深いものがございます。
 今では単純な「オレオレ」は絶滅して、主流は家族の「不祥事」になっています。教諭の家族の場合なら「旦那さんが生徒に性犯罪」というのが現代の主流。上のケースでは、それよりも一歩進んで、「奥さんの校内暴力」になっているところに進化の跡が見えます。もちろん奥さんがどこの小学校の教諭をしていることまでちゃんと調べた情報戦の様相も見せています。しかもこのケースの場合、「マスコミが家に押し掛けるので、振り込んだ後は家に帰らないように」と指示しているなど偽装にも世相を織り込んでいます。
 このように「知能」をフルに働かせることの出来ない単なる模倣犯は次々と逮捕されるか、稼ぎが悪くて絶滅に向かう。ここでもダーウィンの適者生存survival of the fittestの法則が働いています。

 それにしても、教育者の家族に対する、「ご家族が暴力・性犯罪」の電話に対する最初のリアクションが圧倒的に、「まさか」でなくて「ああやはり」というのは嘆かわしいというより恐ろしいことではないでしょうか。

異常寒波で北山杉が大被害

2005-12-17 09:58:45 | 動物・ロボット・植物
 
 政治家の公約と気象庁の長期予報は、ありがたいことにその「予言」の期日にはもう世間の人はそれを覚えていない。そうでないと永田町は毎年「政界再編」しないといけないし、気象庁は毎年大幅人事異動で混乱する。
 ただこの点では政界にわずかながら改革の兆しが見える。最近は「マニフェスト」なる一種の御誓文を政党が公表するので、これを保存しておけばチェックは可能になった。言いっぱなしで無責任なのが気象庁の長期「予報」だ。

 今年の冬は寒い。異常に寒い。平年以下などという生易しいものではない。然るにこの秋の段階で、気象庁の公表した”占い”はどうであったか。
 例えば、大阪管区気象台 9月22日発表の「近畿地方 寒候期予報」によると、「冬(12月から2月)の出現の可能性が最も大きい天候は以下のとおりです。 日本海側では平年に比べ雪の日が少ないでしょう。」 そして「12月の気温が平年よりも低くなる確率を20%」としている。
 正反対である。減税をマニフェストに掲げていた政党が大増税に踏み切るようなものである。占い師なら見料返せと迫られ、証券マンなら闇討ちにあっても文句の言えない背信だ。しかし気象庁幹部がカメラの前で「お辞儀ゲーム」をすることはない。
 それでもさすがにまずいと思ったのか、今日のニュースでは「気象庁は来週、あらためて今冬の見通しを示す方針で、暖冬予測の修正を迫られる可能性もある。」(東京新聞12月17日)と、非難の風向きを変えようという努力を見せている。

 気象庁の弁明は「想定外」の大気の流れ、具体的には「シベリアに現れた“謎の高気圧”」が原因(西日本新聞12月16日付)ということらしい。しかしこの異常気象の時代にそもそも過去の経験則を当てはめようというのが間違いなのだ。今の地球の気象は十年前の気象ではない。その様な危機を感じさせる兆候が。

北山杉は警告する
 12月に入っての雪害で京都の北山杉が深刻な打撃を受けているという報道。京都新聞12月16日付。「京都北山丸太生産協同組合だけで、少なくとも5000本以上が折れたり裂けたりした。12月上旬の雪害は経験がない」。(写真は倒れた北山杉。京都新聞記事から)
 <組合の中田治専務理事は「自然災害とはいえ、これほどの被害があると、北山での林業が難しくなるかもしれない」と話している。>というから、単に雪害というだけでなく、気候変動によって京都の北山杉自体が急速に消滅しようとしていることになる。

 地球温暖化対策を定めた「京都議定書」合意の地で、川端康成の『古都』に美しく描かれた北山杉が存亡の危機に立っているというあまりにも象徴的な出来事だ。温暖化の影響は誰が考えるよりも早く具体的な現象となっているのかもしれない。

 だから気象予報官も予想ハズレの言い訳をしたり雲隠れするのでなく、これを地球的な気候変動がもたらした異常事態の表れとして積極的に訴えることだ。
 例えば今年のような丸ハズレの場合には次のようなパフォーマンスで世間の耳目を引きつければよい。
 お白州の上に、白装束で胡座をかいた予報官。カメラに向かって語りかける。「拙者 浅野匠 気象予報官は今冬予報において決定的な間違いを犯しました。最早世間の人にあわせる顔もない。最後に辞世を詠むことをお許し願いたい。
  風さそふ 予報外して 我はまた 温暖化対策 いかにとやせん
それでは、さらば」と、前に置かれた短刀を手に取ったところに上司が駆けつけ、「待て、浅野、お前の予報が外れたのは地球温暖化のせい。この異常事態の原因を突き止めて対策を見出さぬ限りあの世に旅立ってはならん。ひとつここはお前の命、ワシに預けんか。」、「予報課長~!っ」二人抱き合う・・・
 
 まあこれくらいコテコテにクサくやれば、園児や政治家にも現在の地球的危機を訴えることが出来るんじゃないかと・・・

雪で生き埋めの男性を僧侶救出

2005-12-17 03:06:01 | 快挙・怪挙
 気象庁の長期予報をあざ笑うかのような12月の大寒波と記録的な降雪。
 雪国の人たちの苦労が前倒しになってしまった。雪景色は写真で見るには美しいが、その中で暮らすのは大変だ。今では合併で消滅した新潟県中里村は「雪国はつらつ条例」を作り、「雪の障害を克服し、雪と共存するとともに、雪を資源として積極的に活用する施策」を展開していた。ところがこの取り組みを紹介した東京書籍の中学公民の教科書がこれを「雪国はつらいよ条例」と書いてしまったことで話題になったのが2002年のこと。文部省の検定を通ったことから、やはり検定官も同じことを思っていたのだろう。

 雪が降ると、雪下ろしの際の事故が絶えない。これもその一つだが、これは奇跡の逆転生還劇。
 河北新報の報道によると、山形県小国町で15日、屋根からの落雪で生き埋めになった一人暮らしのお年寄りが、たまたま檀家回り中だった僧侶に救出された。この記事によると、発見に至る過程は以下のとおり。「僧侶は、脇さん宅の玄関が施錠されておらず、室内のストーブがついたままだったことから不審に思い、室内を見て回った。浴室の窓を通して脇さんらしい人の姿が見え、「助けて」という声を聞いた。」

 通常はこういう風に生き埋めになると、外からは分からないし、声も届かないことが多い。このケースは、お坊さんが家の中に入って今しがたまで人がいたことを確認したのと、浴室の窓ガラスから生き埋めになっているこの82歳の男性が確認できたことが発見につながった。「あっ、お留守ですか、それじゃ帰ります」という人間関係でなかったことが救出につながったわけ。

 発見したお坊さんは「誰か来てくれ」と大声を上げて人を呼んでこの男性を共に掘り出したのだが、檀家回りをしていなければこの男性のためにお経を上げることになっていたはずだ。

 それにしても、雪降ろし事故防止グッズ、つまり生き埋め通報と屋根からの転落防止だけど、真剣に開発に取り組んでくれる企業はないものか。



毎日新聞記者が児童買春で逮捕

2005-12-16 15:24:12 | 珍事件
 事件を報道する立場にある記者自身が、事件を引き起こすケースが最近目立っている。
 NHKの事件記者、いわゆるサツ回りの記者が放火で逮捕されたのはつい最近のことだが、今度は毎日新聞の記者が児童買春禁止法違反容疑で逮捕された。この事件を報じる毎日新聞の記事によると、佐賀支局に勤務する容疑者は出会い系サイトで知り合った15歳の少女相手に買春をしたということだ。
 まさか毎日のこの記事はこの記者が書いたものではないはず。しかしホントは事件の顛末は自身が一番詳しく知っているはずだから、「独占手記」でも掲載すればいやが上にも注目を集めることは間違いない。

 かなり前のことになるが、朝7時台のニュースを担当していたアナウンサーが酔っ払って後部座席からタクシーの運ちゃんの頭を蹴飛ばす刑事事件を起こした。しかしこのニュースを伝えるはずのアナウンサー席にはこのアナはいなかった。
 惜しいことだ。「えーそれでは次のニュースは・・私のことですが。NHKアナウンサーの**、つまり私ですが、がタクシーの運転手に暴行したとして渋谷署に逮捕されていたことが分かりました。・・・えー、以上報道内容に間違いはないことを認めさせていただきます。(そこへ報道局長とアナウンサー室長登場)この度は全く申し訳ありませんでした(3人そろって頭を下げる)とやってれば、報道とお詫びがシームレスに行えて時間の短縮だったろうに。
 もちろんこの程度のことでアナウンサーをクビにするような、そんな了見の狭いNHKではない。このアナはしばらく深夜番組で「謹慎」した後、今は歴史物など重要な番組の司会を務めるNHKアナの重鎮として活躍しておられる。まさに「その時NHKは動かなかった」のである。

 まだ事件の真相の分からないNHK大津放送局記者の放火事件であるが、一番気になっていること、つまりあの犯人である記者が事件をテレビで直接伝えたことは(NHKが言うように)なかったのか、ということだ。「えー、今私は大津の放火現場に来ています。この場所で恐らく犯人は段ボールに火をつけたのでないかと警察は見ていますが、・・・ちょっと私の推理で犯人の行動を再現してみましょう。犯人は最初マッチで火を付けようとしたが、風が強いので、ポケットから100円ライターを取り出してそばにあった段ボールに火をつけ・・・・・警察は聞き込み捜査を続けており、憎むべき犯人の割り出しに全力を上げています。以上大津の放火現場からお伝えしました」という犯人自身のレポートはなかったのかということだ。この点は大津放送局からのローカルニュース、つまり滋賀県の方だけがご存じと思うので、情報をお寄せください。

 それにしても、報道機関の不祥事が多すぎる。でも、報道機関の「事件」は他社の記者が嬉々として報道しているかのような印象を受けません?普段は、警察報道を適当にカットしてのんびりと本社に送っているだけの無気力記者が、他社の不祥事となると自分で文章を書きたがるような。
 朝日新聞の田中知事発言捏造事件では産経新聞が喜んだ。記事で叩いてさらに社説やコラムでもさんざんイヤミを並べて、もう鬼の首を取ったような騒ぎ。ところが今度はすぐに産経新聞がコウノトリの合成写真で「お返し」。朝日のそれを伝える記事に記者のはずむ心を感じたのは小生の勝手な思い入れか。

 いまだ真相不明の朝日新聞とNHKの、ドキュメンタリー政治家介入事件も、他の報道機関が「どっちももっとやれー。政治家にヘイコラするNHKも情けないし、記事を捏造する朝日も報道機関失格だぞー」と自分のことを棚にあげて喜んでいるのを見ると、結局割を食っているのはスポンサーである読者・視聴者であることが痛感されるのだ。