おもしろニュース拾遺

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71歳女スリを逮捕:高齢化社会への視点

2006-01-17 18:43:08 | 変人
 高齢化社会では「生涯現役」でなければならない。そのために何をすべきなのか。犯罪報道ではあるが、一つの示唆を与えている。

 「高齢者狙った71歳女すり 窃盗容疑で逮捕」(北海道新聞1月17日)と言う記事によると、札幌・ススキノなどで高齢者を狙ったスリが相次いでいたため張り込んでいた署員が現行犯で逮捕した。逮捕された71歳の女性はベンチで休んでいる89歳の女性のバッグを奪った。事件二日前にも近くで七十六歳と六十七歳の女性が同様の手口のすりに遭ったため張り込んでいたという。

 我々の貧しい常識からすると71歳の「現役」スリはかなり高齢と言える。ただ、掏摸(スリ)は常習性があり、なかなか足を洗えないようで、最近でも次のような高齢者スリが捕まっている。

◆91歳女スリ師現行犯逮捕 過去10年で10回逮捕

 2004年に東京北区で捕まった『おそらく最高齢の現役常習スリ』(王子署)は捕まる度に『私は悪い人間。大変申し訳ありませんでした』と、土下座して犯行を認め、『これまで数多くのものを盗みました。治らないんです』と、それを10年で10回ということは、80を超えて、毎年捕まっているという”元気さ”だった。しかし逮捕されるたびに高齢等を理由に釈放されるなど、寛大な処分を受けていたという。

 男性スリも負けてはいない。男女の平均寿命差を考えれば上のおばあさんスリと双璧をなす。

◆82歳男性スリ 24回目検挙で懲役3年

 昨年名古屋地裁で「高齢で、同情の余地はあるが、常習性は非難されるべきだ」と実刑。4年ごとに逮捕されており、出所したらすぐにまたスリをやっていた。警察庁の「スリ紳士録」にも掲載されているほどの”著名人”という。

 「自然と指が動いてしまう」常習性とは別に、スリには自分の技術に対する「自負」があり、「職人」意識が強いことも再犯を繰り返し高齢になっても足を洗えない原因だろう。強盗のように”体力勝負”というより手先の技術なので体が衰えても続けていけるのかもしれない。

 スリの年齢分布の資料というのは見たことがないが、他の犯罪者よりも「定年」はだいぶ高いはずだ。小生の見るところその秘密は「手先」とりわけ「指」の訓練にある。

 池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズに『女掏摸お富』という腕利きのスリの「特訓」の話が出てくる。「砂の中へ人差しゆびと中ゆびを突きこみ、その砂の中で二本のゆびをしめたり放したり」、まるでフォークボールに磨きをかける村田兆治氏の苦労話を彷彿とさせる。この2本指の使いこなしこそ掏摸の生命線なのである。

 上記の高齢者スリの方々が「犯科帳」にあるような特訓をしていたかは定かではないが、それぞれの方法で指の訓練に励んでいたであろうことは容易に想像される。そして実はそのことが、巧まずして彼らの大脳を刺激し、恰好の老化防止となっていたのである。

 昔は老化防止と言えば運動physical exerciseだったが、今では脳を「鍛える」ことが優先だ。脳の活動の低下は身体能力や意欲の低下に直結する。そして脳を鍛えると言えば昔は難しい本を読むことだったが、今は大脳に刺激を与えることが重要だと考えられている。そのためには指先を動かすことだ。
 指先を使っているときの大脳の活性化状態は最近はMRIや脳波計でリアルタイムに分かるが、いわゆる「考えている」時よりもはるかに活動が活発になっている。指を使う人の方が従って老化しにくいのである。実際画家や書家や陶芸家は90歳を過ぎて現役の方は珍しくない(漫画家は比較的短命だがこれは締切のストレスが大きいからだ)。男性よりも女性の方がボケ難いのは家事で指先を活発に使うからだ。
 
 1933年と大昔に刊行された本だが、「賭博と掏摸の研究」という奇書がある。著者は大審院判事も勤めた法学博士の尾佐竹 猛という人。名著として復刻出版されているらしいが、高価で入手困難なので以下の紹介は遺憾ながら間接的な引用である。
 尾佐竹先生によると、日本は”スリ文化”の精華を極めた国らしい。それは子供の頃から箸を使うことになれていて、器用だからというのだが、同じ箸文化の「支那」などは足元にも及ばないほどそのテクニックが優れている(と、この日本犯罪史の草分けは”自慢”している)。「犯科帳」の話しもまんざらウソでないのかもしれない。現在の大脳生理学的な観点からは、「スリ道」は指先を制御する際に脳に適切な負荷をかける点で、書道と並んで脳を活性化する最適な訓練なのだろう。91歳の現役スリの脳を調べてみたい。

 以前かつての空き巣常習者がテレビで「防犯講座」に出演していた。「プロ」ならではの鋭い視点で盲点を指摘していた。どうしてもスリから足を洗えないこれら高齢者も、自らの日頃の訓練を伝授することで、老化防止という点(「スリ文化」保存でなく)で社会に貢献してもらえたらと思う。

 もちろん何もいつでも元スリの方を先生にしなければならないというわけではない。脳の刺激という点では、朗読でも、暗算でも、書道でも、編み物でも、ピアノでもいいわけだ。要はスリたちが指先の訓練を続けることで、老化と戦い生涯現役を続けている事実の重みから学ぶことではないか。もちろんスリの技術そのものを学んではならない。