おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

サメを操り情報収集:米海軍

2006-03-09 12:09:17 | 動物・ロボット・植物
(写真はイラク戦争中にアラビア海で米軍から機雷探知訓練を受けるイルカ) 

 「土曜ワイド劇場」かなんかの再放送だったのだろう。途中から見たので展開はよく分からないが、海にいるサメ(陸サメってのはないけど)が島のイケメン猟師を見初めてしまった。人間の妙齢の女性に身をやつして島に上がってきたのだけど、運の悪いことに島一番のワルに捕まってしまった。お約束通りレイプされてさめざめと泣く「女性」に向かって、このワルが捨てぜりふ。「ちっ、サカナ臭え女だな」(ククク・・当然でしょ!でもそれを言うなら、「おめぇ、すげえ鮫肌だな」と付け加えて欲しかった)。もちろん後日、このワルが被害者のサメに海に引きずり込まれて彼女のディナーと化したのは言うまでもない・・・・その後のストーリーは忘れたと言うか、あまりのバカバカしさに呆れていると、エンディングテーマーが。「原作者・・」 へぇーこんな出鱈目なストーリーでも作者が出るんだねぇ、どうせ名もない・・ん「・・石原慎太郎。」 と、都知事ぃ~!たしか昔芥川賞とか受賞されたんですよね?

 言いたいことは、サメというのは魚類でありながら知能の高い動物だという話。その知能を悪用?している、日本にも因縁浅からぬ某組織のニュース。
<サメ操縦し情報収集 米軍「新兵器」実用近づく>(西日本新聞3月9日)という記事。
 <米海軍水中戦争センター(ロードアイランド州ニューポート)がサメを「情報収集兵器」に使う研究を行い、実用に近づいていることが分かった。> 具体的には、<研究は「音をたてずに泳ぎ、鋭い嗅覚(きゅうかく)で獲物を追尾する」サメの能力に着目。神経刺激装置を埋め込んだサメをソナーで操縦し、艦船を追尾したり、潜水艦などの海面下の軍事情報を得る。>
 サメに「指令」を送るのは水中を伝わる音響による。すでに300km先のサメに「指令」を伝える専用の音響タワーが完成しているという。サメから司令部に情報をどう伝えるのか、記述がないが、ヘッドフォンマイクなどを使って「ボス、敵潜水艦を見つけやしたぜ」としゃべるのか、帰還してからセンサーで蓄積した電子化情報を渡すのだろう。

 米艦に近づくテロリストをぺろりと平らげてしまう訓練をしているのかと思ったら、かなり「知的」な活動だ。心配なのは、調教している海軍の人間がエサになってしまうことだが、記事は「小型のツノザメ」とあるのでたぶん体長1m程度だからその危険はない。う~ん、確かにこの知能なら上記の「石原ストーリー」もありかなと、サメの賢さに目ザメてしまう。

◆イルカの「兵士」は米海軍では当たり前

 昔から米軍がイルカを「軍事利用」してきたことは有名だが、昨年の「カトリーナ」騒動の際、イルカが米軍の「テロリスト」として養成されていることが表沙汰になった。<英紙オブザーバー(電子版)は26日までに超大型ハリケーン「カトリーナ」が8月末に米南部を襲った際、米海軍が飼育する軍事用イルカがメキシコ湾に逃げ出した可能性があると報じた。イルカは水中でウエットスーツを着た人間に向けて毒矢を放つ訓練を受けており、ダイバーやサーファーが襲われる恐れがあると懸念されている。>(時事2005年9月27日)。怖いねぇ~、このテロリストイルカたち、もう実戦配備されているのだろうか。ならば横須賀(佐世保も)海軍基地の近くで潜るのは非常に危険だ。「お~イルカだ。おいでおいで」と喜んでいると、いきなり毒矢でぐさり。

 「テロリストイルカ」はその任務の性質上、米軍がその実態や訓練を明かすことは決してない。海軍が公表しているのは、機雷探知と除去の任務だ。上の写真はイラク戦争時の米海軍のイルカ訓練だ。右肩(フィンというのか)に何か付けているのが見える。これが機雷探知装置だ。イルカを先導させて、航路の安全を確保するわけだ。あの独自のソナーと運動能力で人間よりもはるかに効率的に機雷を発見できる。ただし「殉職者」も出ているようだが、動物愛護団体を恐れてその実態は機密とされている。

 自衛隊は同様の研究をやっていないはずだ。もし日本だけがこういう研究をやってたら、どれだけ叩かれるか、クジラ問題を考えただけでよく分かる。アメリカ人でもこのようなイルカの「軍事利用」を懸念している人はいるが、運動にはなっていないようだ。
 むしろイルカやクジラで大きな問題になっているのは、軍の使うソナーが彼らに致命的な打撃を与えていることだ。

◆海軍のソナーでイルカやクジラが大被害

 最近、日本を含む世界中の海岸でイルカやクジラが大量に打ち上げられるという事件が頻発しているのはご存じの通り。その原因の一つと考えられているのが、海軍の使うソナーだ。潜水艦を探知するために音波を出すわけだが、海洋生物、特に聴覚が敏感なイルカや鯨類にとっては致命的だ。米軍は散々イルカを「忠良なる兵士」として活用(米軍自身がが彼らをどう訓練しているか公開したページがある)しながら、一方でイルカの最大の弱点を”攻撃”して多くのイルカを殺戮しているのだから身勝手もここに極まる。

 昨年10月に米国の環境保護団体NRDCが、米海軍にソナーの使用を制限する訴訟を起こしている。詳しくはこのプレスリリースを見ていただきたいが、ここではそこから1枚だけ写真を紹介しておこう。

耳から血を流して死んだイルカ。NRDCによると、今回の訴訟対象は中域周波数のソナー(つまり普通の)だが、これでも235デシベル、人間で言えば、ロケット打ち上げのそばにいるようなものという。聴覚は完全に破壊される。同じく昨年10月に、欧州議会は「潜水艦探知のために高強度のアクティブ・ソナー(水中音波探知機)を使用することを禁止する決議を採択した」(琉球新報2005年10月30日)。

 実は米海軍もこの種の非難を気にはしていて、ソナーのうち周波数が低く出力の大きい「新型低周波ソナー(LFA)については、環境保護団体の主張に譲歩して、このLFAの使用は「特定の海域」のみに限定することで合意している。
 ところが、この「特定の海域」というのが、「日本周辺」なのだ。<米海軍が「日本周辺」にこだわったのには、中国、北朝鮮のディーゼル潜水艦が従来のソナーでは探知しにくい背景がある。>(琉球新報2003年10月14日) 
 日本近海のクジラやイルカ、あるいは沖縄近海のジュゴンなどは全く保護されない状態が続いている。このことに日本の環境保護団体はあまり反応していない。どうも日本の環境団体は軍事問題になると腰が引けてしまうが、これは怖がっているのでなく、日本では「軍事情報」が入手しにくいからかもしれない。

 というわけで、日本近海の海洋哺乳生物の皆さんは自分で決起していただくほかなさそうだ。「石原ストーリー」風に人間に姿を変え、日本の裁判所に提訴すればと思うが、よく考えると米軍については日本の裁判権は及ばない
 もうかくなる上は啄木の歌った「奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らんとする」、「テロリストの かなしき心を」実践するしか、イルカ達の取るべき道はない。しかしその米軍を守っているのがまたイルカ達である。人間世界の代理戦争が海洋哺乳類の間に持ち込まれるのだろうか。

おとり捜査猫ニセ獣医師逮捕

2006-02-10 13:43:56 | 動物・ロボット・植物
 「猫の手も借りたい」という表現は、猫というものがいかに役に立たないペットであるかということを逆説的に表現している。麻薬犬や警察犬など犯罪捜査に戦力として投入されている犬とは正反対だ。
 ところが「三毛猫ホームズ? いえ、おとり捜査猫」という朝日新聞2月10日の記事。これには仰天した。

 獣医師免許なしに手術をしていた男を逮捕するのに猫が活躍したというのだ。「囮捜査猫フレッド 8ヶ月」。「捜査陣はブルックリンのアパートに録音、撮影装置を仕掛けたうえで、去勢手術のためにフレッドを引き取りに来るよう男に要請」。まさに「猫に鰹節」。「男は135ドルで去勢手術を請け負い、現金を受け取ってフレッドを連れてアパートを出たところで逮捕されたという。」(朝日)
 そもそも捜査官がこの男を内偵したのは、「5歳の犬が開腹手術を受けた後、縫合部分に感染症を起こし、安楽死を勧められたという飼い主からの通報」だった。「猫も杓子も」手術して荒稼ぎしていたようだ。命を助けられた犬バートは、記者会見で恩猫フレッドをペロペロなめて感謝の気持ちを表している(上の写真)。

 「フレッドは生後4カ月で市動物保護管理事務所に保護された迷いネコだった。片方の肺が機能せず、衰弱が激しく、たまたま検察官事務所の職員が養育を買って出た。その後、健康は回復したため今回のおとり捜査官に任命された。」(朝日) 飼い主によるとフレッドは落ち着いた性格で、見事に「猫をかぶって」淡々と任務をこなし、記者会見でも堂々の対応をしていた。

 そう言えば、あの大西洋を渡った猫エミリーも動物愛護協会に保護されていた迷い猫だった。日本のようにまだペットを保護するNGOが未整備の国では、フレッドもエミリーも幼いうちに消えていて、世界中でニュースのネタになることもなかっただろう。日本では「猫を殺せば七代祟る」と言うが、命を助けられた猫フレッドは、多くの犬猫の命をニセ獣医師から救うことになったのだ。




グラウンドホッグの予報は信頼できず

2006-02-04 15:58:23 | 動物・ロボット・植物
 2月4日は日本では立春。アメリカでは同じ頃、2月2日が春を占う「グラウンドホッグデイ」という祝日(州による)になっている。なぜ「グラウンドホッグ」なのか? 昔からこの日にグラウンドホッグ(日本では「マーモット」が普通か、上の写真)が穴を出て、自分の影をみるとまた冬眠に引き返す、つまりこの日が晴れていると冬がさらに6週間続き、この日が曇りなら、春が近いといわれてきたから(立春というより啓蟄ですね)。
 要するに2月2日の晴か曇りかが長期予報につながるというわけだが、グラウンドホッグの予報は<今週始めにアトランタで開かれた「第86回米気象学協会」の年次会議で話し合われたが、あまり信用できないとの結論に至ったようだ。>とロイター通信(2月2日)は伝えている。「グラウンドホッグによる天気予報は1887年に初めて記録されて以来続けられているが、その正確性は39%だと研究者の1人は述べている。」からという。我が国の気象庁の長期予報よりは正確とは言え、これでは信じたら損をする。

 ま、この言い伝えは、グラウンドホッグに気象予報士としての働きを期待しているというよりは、一種の風物詩だ。2月2日の晴か曇天かというよりも、グラウンドホッグが影を見るか見ないかという方がはるかに情緒があるし、実際にズバリ「Groundhog Day」という映画まで作られたという。

 日本でもこれにちょっと似た話として、カマキリの巣はその年の積雪を予測するという言い伝えが雪国にある。下の写真のように、カマキリは植物の茎に卵を産みつけるが、大雪の年はあらかじめ高いところにこの卵のうをつけることが知られていた。

 この言い伝えを実際にデーターを集めて研究した人がいる。新潟県長岡市で無線店を経営していた酒井與喜夫氏で、このカマキリの研究で博士号(工学)を取得したというから、もう大まじめな研究である。
 酒井氏は『カマキリは大雪を知っていた』(農文協)、『カマキリが高い所に産卵すると大雪は本当か』(『日経サイエンス』)などで、その研究の成果を世に問うているが、20年間集めたデーターによると、「的中率に相当する相関係数は0.93~0.97と驚く数値になった。この値は取りも直さず、カマキリは数ヶ月先の最深積雪を予知していると言っても過言ではない。」

 まさにグラウンドホッグなど遠くに蹴飛ばしてしまうような途方もない的中率である。しかも積雪量は同じ地域でも、吹き溜まりになるところ、平地など条件によってかなり異なる。カマキリはそのことも完全に「想定内」で卵を産みつけるという。
 なぜカマキリにその様な予知能力があるのかは全く不明であるが、卵の位置は彼らにとって趣味ではなく生き死にに関わる最重要事だ。というのも、雪に埋もれてしまえば子孫は全滅であるし、不必要に高いところに産めば愛する子達が天敵のディナーに変わってしまう。長期予報を「コペルニクス的」に外しても、命どころか減給されもしない気象予報官とは真剣さが違うのである。予報を外したカマキリたちは子孫を残せなかった。「予知能力」の高いカマキリばかりが自然選択されてますますその能力が高まったのだろう。

 人間でも、予言を外した占い師は子供を残してはならないという掟でもあったら、今ごろは100発99中くらいの占い師ばかりになっていただろうが、まっ、外れることもあるから占いは自己責任という当然のルールが確立したわけだ。
 しかしあのホリエモン騒動でライブドア株が下がったが、<「ライブドア株価が5倍になる」などと“予言”していた>超売れっ子占い師が、それを信じて同社株を購入した株主から批判されているという(日刊スポーツ2月4日)。

 「アンタ、そんな低いところに卵産んだら雪に埋もれて子供たち地獄に落ちるわよ」、「何言ってんのよ、アンタこそそんな高いとこに産んだら、カラスに食われて地獄行きよ」とカマキリのお母さんたちは何万年も論争を続けてきたに違いない。とにかく決着はついたのだ。「予言」を外したカマキリは「お家断絶」という結果責任を取らされたのだから。

【付記】
 上記の酒井氏は、カマキリの予知能力は「樹木の振動音」を聞き取っているという仮説の下、その振動音によって長期予報を公開しています。例えば今年の冬の予報はここ
 個人的には「振動音」説には首肯し難いのですが、とにかくこの予報を実際と比べて検証することは可能です。


闘牛場で牛が観客席に乱入:メキシコ

2006-02-01 14:04:55 | 動物・ロボット・植物
 それにしてもあの闘牛というのはスポーツなのだろうか。宇和島や沖縄で行われている牛同士の相撲ならスポーツだ。しかしスペインなどの闘牛は単なるショーではないか。闘牛士が負けることはない(と言うか、ドンクサイ闘牛士がやられそうになると助けが入る)。必ず牛は殺される。闘牛士も牛と「闘う」と言うなら、剣など持つな。牛の方は丸腰なんだから。しかしもっと分からないのは、観客だ。自分はなんのリスクも負わずに、結末の分かっている「勝負」を何のために金を払って見物するのか。それなら大晦日の曙のK-1の試合の方がましだろう。

 牛の虐殺をサカナに喜んでビールなどあおっている愚かな観客に、一矢を報いた勇気ある牛の物語がメキシコから届いた。<メキシコ市の闘牛場「プラサ・メヒコ」で29日、牛が柵を乗り越えて観客席に乱入し、観客7人が骨折などのけがをする騒ぎがあった。 >(共同通信1月31日)。もちろん闘牛場の柵は牛が飛び越えない高さに設定されているので、まさしく想定外のことが起こったということだ(上の写真)。牛は観客席にやってきた闘牛士に殺された。

 この牛は"Pajaritos"(小鳥)と可愛い名前がつけられていた(でも体重530kgもあった)ことから推測すると、大人しい人なつこい性格だったのだろう。しかし自分をなぶり者にして喜ぶ観客にキレて、馬術競技の馬のようにひらりと柵を飛び越えて観客席に死の抗議をした。「牛生」の最後の最後に彼が見せた「超牛」的なワザこそ、彼の矜持であり人間への警告だったのだ。

 ラテン系の民族の間では闘牛は人気の「スポーツ」だ。このメキシコの闘牛場も四万八千人収容というから、甲子園球場くらいだ。しかし国によって若干作法は異なっていて、例えばポルトガル人に言わせると「スペイン人って残酷だね。闘牛場で牛殺すんだから」。ポルトガルでは殺戮は禁止。でも闘牛場で剣(槍というのか)を牛に刺すところは同じ。「競技」後、結局牛は殺されるのだから、ポルトガル人の「人道的」な声もあまり信用できない。

 闘牛は野蛮だねというと、すぐに訳知り顔の文化人の先生が登場して、「よその国の風習を簡単に決めつけてはいけない」とお説教される。しかし実は最近はスペインでも世論調査をやると闘牛に反対する人の方が多数派だという。実際、2004年にバルセロナ市は「闘牛反対」を市議会で決議している。

 スペインで闘牛で殺される牛の数は年間3万頭という(「練習用」の殺戮を含む)。殺された牛はどうなるのか。闘牛で”元気さ”を証明した後、保健省の監督のもとに解体されて牛肉になるというから、いわば二重の「全頭検査」だ。アメリカ農務省も少しは見習うがいい。スペインにはこの闘牛での犠牲牛だけを食わせるレストランがあるという。闘牛で目を楽しませ、今度は舌で味わう、まさに「一頭で二度おいしい」ということだ。

◆イラクで「闘牛士作戦」を実施

 フライドチキンになるニワトリの殺戮さえ反対する動きが拡がって、またしてもカーネルおじさんが道頓堀川に投げ捨てられるという危機が迫っている。。闘牛さえ残酷と感じ始めたこの時世に、人間の殺戮を「闘牛」と称して楽しんでいる集団があるのはご存じだろうか。

 昨年の5月のことだ。「非戦闘地域」イラクで先頭に立って戦闘を行っている米軍は自ら"Operation Matador"と名付けた作戦を展開した。Matadorというのはスペイン語で闘牛士。「闘牛士」は米軍だ。確かに立派な衣装立派な「剣」を持っている。「牛」は?米軍によるとシリア国境にいる"insurgents"(日本の報道では「武装勢力」と訳されている)だ。
 その「作戦」の”戦果”はCNNのMay 14, 2005記事によると、125人の「武装勢力」(つまり「牛」ですね)を殺戮し、「闘牛士」の海兵隊9人が亡くなったという。これまでのアメリカの作戦の様子から判断すると、「牛」の125人の大半は無辜の市民(つまり女性や子供)であったと断言してよい。あの闘牛好きのスペイン人さえ、「ついていけんわ」とイラクから兵隊を引いたわけが分かるだろう。

 事情通の人なら完全に「想定内」だが、アメリカ政府の言うことを鵜呑みにしている今や少数派のお人好しアメリカ人や、”ポチ”と呼ばれる某国の首相なら仰天する報道が最新のNewsweekに掲載された。米当局者が、スンニ派のイラク武装勢力の指導部と直接交渉したというのである。多数派のシーア派が強くなりすぎては、イランの影響力が強くなって米国には好ましくないからという。
 しかしスンニ派武装勢力と言うと、「闘牛士作戦」の「牛」役ですよ。「敵の敵は味方」といういつもながらのアメリカのご都合主義とは言え、これでは亡くなった「闘牛士」も浮かばれまい。

 「牛」を見くびってはならない。いつあのメキシコの「小鳥ちゃん」のように思いがけない報復をするとは限らないのだから。日本人だって、いつまでも安全な「観客」ではいられないはずだ。

ど根性大根「大ちゃん」危篤に:相生市

2006-01-31 14:18:01 | 動物・ロボット・植物
 このBlogでも紹介した(まだの方は先にお読みください)「ど根性大根 大ちゃん」が危篤に陥っている。

 今年の正月には元気一杯だったのだ。上の写真のように1月1,2日相生市役所で開かれた大ちゃん展には本人も出席してのべ600人の来場者を出迎えていたのだ。
 容体が急変したのは1月末、これまでの水耕栽培から土に植え替えたことがきっかけだ。相生市の「大ちゃんのここだけのはなし」を見ると、大ちゃんの「肉声」の最後は1月23日、「さぁ~て、たくさん花を咲かせるため、しっかりと休養しょっと・・・」で終わっている。恐らく次の日に土に移動させられて急速に体力が落ちたのだ。28日には、「ジャンボ大根作り名人小林貞雄さん(64)=岡山県備前市=が“重体”と診断した。」(神戸新聞1月29日)。
 大ちゃんは今は「面会謝絶」になり、”集中治療室”に入れられて治療を受けているという。<小林さんはギネスブック登録の経験もある名人だが、「根の養分だけで生きている状態」と厳しい見方を示した。>(同上)「しっかりと休養しょっと・・・」と語った大ちゃんが永遠の「休養」の危機にある。

 まったく何をやっているんだか。なぜ土に移そうとしとしたかというと、水耕栽培では葉は育つが種をつけないという「専門家」のアドバイスがあったからだ。相生市としては、大ちゃんの「お世継ぎ」を残してその種を配りたかったのだ。水耕栽培で大往生できたはずの大ちゃんが、「人為」によって危篤に陥ってしまったのだ。

 この相生市の失態で思い出したのが、中国の哲人荘子の言行録にある不思議な物語だ。
 南海の帝を(しゅくー漢字JISになし)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、
中央の帝を渾沌(こんとん)といった。(しゅく)と忽とは、その渾沌の恩に報
いようと相談し、「人間にはだれにも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、
それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけにはそれが
ない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一
つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。(金谷治訳)
  -『荘子 応帝王篇』

 親切心から自分たちと同じように「穴」をあけてやったので、「渾沌」(この名前も興味深い)は死んでしまった。人知や「常識」の愚かさ、限界を語る荘子哲学だ。

 一部で「税金の無駄使いだ」という浅薄な批判のあった相生市の大ちゃん救出作戦だが、投入した税金とは比較にならない経済効果があった。とりわけ霊験を得たのは相生の市長さんだろう。
 市長は相生市のWebで「よっちゃんのここだけのはなし」というエッセイを連載しておられる。最近はそこで大ちゃんの比重は大変なものだ。

“大ちゃん”死んだらあかんぞ、オレがついてるぜ!
 オマエはたいしたやっちゃ。折られても、抜かれても、ボロボロになっても、まだ生きてる。本当に根性のあるやっちゃ、誉めたるで。
 ボクも、厳しい財政状況など先の暗いトンネルの中にいたのだが、一つの光を見つけた。
という文章と共に、大ちゃんを見守る「よっちゃん」の大きな写真が。「よっちゃん」が大ちゃんを励ましているというよりは、大ちゃんが「よっちゃん」を支えていたわけ。しかしその恩人の大ちゃんは「よっちゃん」の判断ミスによって命が脅かされている。「よっちゃん」が好きな話は、山中鹿之介が「我に七難八苦を与え給え」と月に唱えたというエピソードなのです(この言葉は”はなし”の中でイヤと言うほど繰り返されています)が、市民や大根に「七難八苦を与え」てはいけません。

 そうなのです。相生市も日本のほとんどの自治体と同じように大変な財政危機の中にあり、当然のごとく市民税のアップによって切り抜けようと(まあ誰でも考えつく「解決法」ですが)市長は考えていて、それを納得させる?スローガンが「七難八苦」であり、そのシンボルとして大ちゃんが活用されたという分かりやすくも情けない話です。

 「渾沌」に穴を開けて殺してしまったように、日本の財政にも愚かな「人為」から穴を開けてしまった人たちがいるのです。『荘子 応帝王篇』では話はあれで終わっており、責任者のしゅくと忽の二人の帝がどうしたかは分からない。しかし今の日本も同じことだ。穴を開けた責任者やその末裔は国民に「七難八苦」を説くばかりで、自分たちは利益は得たが犠牲は転嫁しようということだ。
 「“大ちゃん”死んだらあかんぞ」と叫んで死の床に追いやった市長の姿が、増税という「人為」によって日本を「救おう」としている指導者と重なってしまう。”大ちゃん”は日本の庶民を象徴している。

【訃報】2006.2.3

 ど根性大根大ちゃんにおかれましては、相生市が生命維持装置による延命を続
けてきましたが、2月2日自力再生を断念するとの声明を出しました(毎日新聞)。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます。

 大ちゃんの亡骸は宝塚市の医農薬研究支援サービス会社「住化テクノサービス」
研究所に移され、茎と葉の分かれ目部分を切り取り、ゼリー状の培養液につけて
芽が伸びるのを待つことになります。大ちゃんのコピー大根登場のおりには、す
ぐに風呂吹き大根にして食するのでなく、変わらぬご支援・ご愛顧を賜りますよう
お願い申し上げます。

「クマと逢ったら」を教えるビデオ製作

2006-01-24 10:43:00 | 動物・ロボット・植物
ある日森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ

  -「森のくまさん」(訳詞:馬場祥弘)

 森の中でクマに出会ったら誰でも動揺する。でもこの童謡の「クマさん」はご存じのように親切で落とし物まで届けてくれた。同様の幸運はしかしいつでも期待できるわけではない。そこで、「ヒグマと遭遇した場合の対処方法などを解説したビデオを北海道内1400の全小学校に配布しようと」今最終仕上げの段階というニュース(毎日新聞1月23日)。

◆「クマと逢ったらむやみに逃げるな」

 ビデオは10分ずつの3部構成で、一部はクマの生態、二部が実際にクマと遭遇しない、あるいは遭遇したときの対処方法、三部がクマとの共生の取り組みを紹介するというから、単なるハウツービデオではない。
 「ヒグマは人間の食べ物の不始末に引き付けられて人里に現れるケースが多い。逃げるものを追う習性があり、むやみに逃げるのも危険だ。」などと説明しているという。

 異常気象のせいで食べ物が少なくなっているせいか、北海道だけでなく本州でもクマが人里に降りてくることが多くなった。日本ではクマが最強の野生動物だから人間を守るためにどうするという議論が当然起きてくる。
 「クマと共生できるように環境整備するべきだ」という自然保護派の意見がマスコミでは紹介されるが、「そんな甘っちょろいことを言ってたら人が殺される。猟師を大量に山に送ってクマの数を減らさないとダメだ」という「武力行使」派の人も結構多い。単なる安全策の議論でなく、どうやらその人の「クマ観」と言うか、世界観、イデオロギー問題になってくる。

 アメリカと違って、日本では我々「フツーの人」は丸腰だ。その普通の人がクマにあったらどうすればいいのか。日本で最も熊を知る人の証言がある。
 ズバリ、『クマにあったらどうするか』(木楽舎2002年刊)という本がある。これは「アイヌ民族最後の狩人」である姉崎等氏の話を書き留めたもの。「65年間」狩りをしてきたクマ狩りの巨匠がヒグマを語っている。
 姉崎氏によると一番大事なことはクマと遭遇しないことだ。「クマも、人間を恐れています。クマも人間が通り過ぎるのを、待っているんです」。ああだから鈴をつけたり、ラジオを鳴らしたりするんですね。でもそれでもばったり出会ったら? 「クマの目をじっと見据えてください。自分より強い相手には向かってきませんから」。すぐに背中を向けて逃げるのが間違いなのですね。気合いでクマを圧倒するというのはいいですね。しかしそれでも襲ってくる凶暴なやつはいませんか? 「その場合は、あきらめてください」。

◆「平和共存」か「武力行使」か-「クマ観」の相克

 「ほーれ見ろ!、だから武力行使だというんだ。山に入るときは銃を持てと」。ちょ、ちょっと、横から口を出さないで。それなら銃刀法を改正して「国民皆兵」にしろというの?アメリカみたいな銃社会になってそっちの方がよっぽど危ないでしょ。第一、クマじゃなくてイノシシだけど、ベテラン猟師が手負いの猪に逆襲されて死亡するという事件が22日に起きている(読売)。武装は命の保証にはならないんだ。

 クマを「殺るか殺られるか」の不倶戴天の敵と考えるか、共存できる相手と見るか、自然観の違いで対応は全く異なる。姉崎氏のようなアイヌの人達はクマ狩りを続けてきたわけだが、別に憎い敵と考えているのでなく、「クマはアイヌにとってもっとも偉い神のひとつです。クマ神の国は山奥にあって、そこでは人間と同じ姿をし、人間と同じような生活をしているのです。クマ神が人間の前に姿を現すのは、人間と交易をするためだと考えられていました。」(アイヌ民族博物館より)
 大切な「交易相手」をむやみに殺生することはあり得ない。アイヌの人でも確かにヒグマに襲われて殺される人はあったが、それは「その人間がクマ神から好かれているかどうか」の問題で、すぐに「報復攻撃」という発想とは無縁だった。

◆本当は怖い「森のくまさん」

 日本で歌われている「森のクマさん」の歌詞はなにか不自然だと誰でも思う。最初「お嬢さん」はクマから逃げたのに、最後にはいっしょに歌を歌っている。
 この疑問はアメリカ民謡である原詩"The Bear"を読めば氷解する。つまり共通なのはクマとの遭遇の場面だけで、後は日本人的価値観に合うように中味が全く変えられているのだ。
 原詩では、クマが最初に「お前はなぜ逃げない。銃もないのに」、と話しかけてくる。「それはもっとも」と「私」が逃げると、クマが追ってくる。私は目の前にある木の枝に飛びつこうとするが失敗。今度は別の枝にしがみついて一命を取り留めた、という内容で、クマさんとの和解など微塵もない。そして「私」は恐らく「お嬢さん」と言うより、成人男子だ。

 日本ではこれは最初NHKの「みんなの歌」で紹介されたという。この時に訳詞をされた馬場氏が子どもにも歌える「平和的」な内容に書き換えたということだが、当然アメリカでは子供たちがこのまま歌っているわけだ。最後の部分はいくつかのバージョンがあって、「教訓」で結ばれるのだが、それが、「木の枝のない森には入らないようにしましょう」か、「テニスシューズでクマに話しかけないようにしましょう」か、ちょっとずらした「教訓」もアメリカ的だ。いずれにしてもクマと人間の非和解性を説いているところは同じで、アメリカ人の自然観というか世界観をよく表している。

 なお、Webで調べると、結末部分が以下のような内容のアメリカバージョンが存在すると指摘している_日本人の_ページが複数あった。ただし現在のところ、果たしてこれがアメリカ人の作詞なのか確認できなかった。と言うのも、内容があまりにもアメリカ的で、パロディの可能性が高いと思われる。帰ってから今度は森に戻ってクマに報復する「私」は、アフガン・イラク戦争に出かけたアメリカ人と重なる。さすがにアメリカでも子どもに歌わせるのは憚られるのでないか。

これで話は終わり
もう続きはないよ
私がもう一度あのクマに出会わない限り
それでもう一度ホントに出会ったのさ
今ではクマは私の部屋の敷物さ

this is the end
there ain't no more
unless I meet that bear once more
and so I met that bear once more
now he's a rug on my cabin floor


チンパンジーが人類を「観察」:旭山動物園

2006-01-12 10:35:12 | 動物・ロボット・植物
 日本最北の動物園でありながら、今や日本最大の入場者数を誇る旭川市の旭山動物園。人気の秘密は何と言っても動物の「ありのまま」を見せる独創的な「展示」方法だ。「珍獣」を見せるのでなく、誰でもが「知っている」という動物の知られざる姿を見せて驚きを誘う。
 その旭山動物園が今夏よく知られた「動物」を全く違うプレゼンテーションで紹介するという。その「動物」とはホモ・サピエンスつまり我々、しかも「観客」はチンパンジーなのである。1月11日の共同通信が伝えている。
 今夏完成の<新施設「ちんぱんじー館(仮)」は屋内外でチンパンジーを放し飼いにする。約450平方メートルの屋外放飼場には、地上5メートルの高さにアクリル製で直径約2.5メートルの透明なトンネルをL字形に設置。途中の観察ホールにはカプセル状の窓を内側に向けて設けることで、チンパンジーが外から中の人をのぞくような形になる。」> チンパンジーの側からすれば自分たちの住居の中を”ホモ・サピエンス”が移動するのを観察できる。<坂東元副園長は「好奇心旺盛なチンパンジーの方がトンネルを通る人を観察するような施設にしたい」と狙いを話している。>

◆サルたちの急追

 どれだけの人類が気付いているだろう。「万物の霊長」として頂点に君臨してきた人類が、まるで老いたサル山のボスのように、頂上から転げ落ちる危機に瀕している。米科学誌「サイエンス」は2005年の科学界の最重要発見の一つとして、チンパンジー「クリント」の遺伝子配列がすべて解読されたことをあげている。人類と比べるとDNA配列は4%の違いしかなかった。
 このBlogでも取り上げたニホンザルは方言を駆使するというニュースも、人間の「特権」が危ういことを示唆している。この「ちんぱんじー館」で、我らホモ・サピエンスの愚行が彼らにつぶさに観察されて、その情報が他のサルたちに伝わる(彼らは今や「言語」を駆使することに注意して欲しい)ことにでもなれば、人類のメンツは完全に失われることになる。

◆人類の「展示」は失敗

 実はホモ・サピエンスを動物園で展示するという企画は、昨年の夏「ロンドン動物園」で行われたばかりだ。連休の特別企画として、男女8人を、クマがいた園内の小山において、「動物界の一員としての人間の姿」を入園者に見せた。

 上に掲げたのがその8”匹”の写真だが、もうこれを見ただけでこの企画は完全にすべったということがお分かりだろう。「慎み深さを表すために大事なところは葉っぱで覆い」というのがすでに「人の道」に外れている。飼育員が他の動物と同様の世話をするが、夜間は帰宅を許されているし、たった4日間だけ。そもそも文明に”汚染”された人類を観察してもホモ・サピエンスの実相は分かるはずもない。
 この企画の唯一の収穫は、人類というのは動物園で飼うにはもっともつまらない不適な動物であることを悟ったことだ。何一つ”芸”をしないし、見栄えもしない。騒々しくて食い物にうるさく、不思議なことに年中「繁殖期」なのでケアが大変だ。

◆「いい家系」では指導者たり得ず:サル社会

 旭山動物園のチンパンジーたちが人類を観察してどのような「教訓」を引き出すのかは分からない。ただ、人類と言うか特に日本人だが、これまでにサル社会を観察して多くの教訓を学んでいることは事実だ。
 政治の世界や大組織にいる人間にとっては「サル山」の順位争い、特にボスの交代の力学が関心の中心だ。だいぶ昔だが、総裁争いの渦中にあったある与党幹部は、秘書に「サル山」ウオッチングを命じたということだ。

 日本での(と言うか世界での)「サル山」研究のメッカと言えば、宮崎県にある幸島(こうじま)だ。幸いここを管理する串間市観光協会が幸島のサルについてのHPを開いているので、簡単に彼らの政体(?生態)を知ることが出来る。
 のっけからあまりにも「人間くさい」質問で恐縮だが、「サル社会で最高権力者になるのはどういう人物、いや猿物ですか?」
 「どんなサルがボスになるのか、いまのところ定説はありません。幸島での例を見る限り、高順位のいい家系出身のオスはどうもボンボンすぎて覇気がないようです。」

 あ痛たた・・耳が痛い。と言うのも、マスコミが日本国次期”ボスザル”ともてはやす「麻垣康三」の4人はみな、「高順位のいい家系出身」だからだ。「麻」は祖父がボスザル。「垣」は父が大臣ということは準ボスザル。「康」は父がボスザル。「三」の父はボスザルに次期後継者と指名される寸前だった。誰がなっても「ボンボン」だ。サルの世界ではとうてい「ボス」の器ではないということだが、永田島では逆だ。

 幸島では「低順位の家系に生まれたサルが、ちょっとしたチャンスをつかんでボスザルになっています。」というから、日本は貴族制、サル社会は民主政体と言っていい。民主制の方が貴族制よりも歴史的には後から誕生したものだから、やはりサルの方が人類より(少なくとも日本人より)も進化している。旭山動物園の「サルが人間を観察する」コンセプトはむしろ自然なものだということに気付くのである。

ネッシー保護を熱心に議論:1985年英政府

2006-01-10 00:17:53 | 動物・ロボット・植物
 笑い物にするなんてとんでもない。まさしく大人の対応だ。成熟した政府だけがこういう対応が出来る。
 1985年のことだが、英国政府はある種「想定外」の事態で鳩首協議を開いていた。ネッシーがハンターに狙われたらどうするのか。守る法律がないのでは? そこで「外務省とスコットランド省の当局者が協議。新たな法整備は行わず、八一年に制定の野生生物・田園地方保護法で、ネッシーをわなで捕らえたり撃ったりする行為を禁止できると結論づけた。」(西日本新聞1月9日)。

 元記事は「サンデー・タイムズ」紙の"Yes Minister, we'll save Nessie from the poachers"と題する記事だが、ネッシー保護について同じ年のもう一つのエピソードを紹介している。
 ストックホルムの英大使館にスウェーデンの高官から照会があった。「我が国でも貴国のネッシーのような未発見動物がいる。その保護についてだが貴国はいかなる法的措置をされいるのか」。これは考えたことがなかった。「笑わないで考えてね」と英大使館は本国に秘密公電を送った。本国と大使館の間で何度か公電の交換が行われて、結論は「スコットランド当局は絶滅の危機に瀕している生物の保護に関して法的権限を与えられております」という返事だった。

 確かにネッシーはその時「絶滅の危機に瀕して」いたのだ。なぜなら1993年11月にネッシーは突如として姿を消したからだ。我々が子供の頃から何百回となく見せられているネッシーの写真(上、撮影は1933年)は、トリック写真であると撮影者の関係者が今際の際に告白したからだ。おもちゃを改造したものを池に浮かばせて撮影しただけの素人作品。そう言えばそれなら波の大きさと「ネッシー」が適応する。
 撮影者とこの告白した「関係者」は撮影は4月1日でしたと伝えることでジョークと分かってもらえると思っていたのだが、案に相違してマジで大騒ぎになってしまったためとうとう言い出せなくなってしまったのだ。
 もちろんまだまだ「ネッシー実在派」は頑張ってはいるが、日本で言えば「朱鷺」のオリを淋しく眺めている飼育係のような立場になってしまったことは否めない。


 日本なら「ツチノコ」の保護をどうしてますと環境庁が聞かれたらいかに答えるかという問題だ。あるいは溺れた河童の救助法の講習会の話をするような。

 「サンデー・タイムズ」は上記のネッシー捏造を暴くスクープを掲載した新聞でもある。今回は情報公開法で入手した機密文書で政府のネッシー対策を暴いた。なぜ秘密にしていたのか。冷戦時代だったから、「こんな間抜けな議論をしていることがソ連に知れたら、彼らはネッシーを”軍事利用”する」と心配したのでないか。「密猟者がネッシーを爆破して殺したら大変。罰する法律はあるのか。」と政府高官が真剣に議論できた時代が懐かしい。

異常寒波で北山杉が大被害

2005-12-17 09:58:45 | 動物・ロボット・植物
 
 政治家の公約と気象庁の長期予報は、ありがたいことにその「予言」の期日にはもう世間の人はそれを覚えていない。そうでないと永田町は毎年「政界再編」しないといけないし、気象庁は毎年大幅人事異動で混乱する。
 ただこの点では政界にわずかながら改革の兆しが見える。最近は「マニフェスト」なる一種の御誓文を政党が公表するので、これを保存しておけばチェックは可能になった。言いっぱなしで無責任なのが気象庁の長期「予報」だ。

 今年の冬は寒い。異常に寒い。平年以下などという生易しいものではない。然るにこの秋の段階で、気象庁の公表した”占い”はどうであったか。
 例えば、大阪管区気象台 9月22日発表の「近畿地方 寒候期予報」によると、「冬(12月から2月)の出現の可能性が最も大きい天候は以下のとおりです。 日本海側では平年に比べ雪の日が少ないでしょう。」 そして「12月の気温が平年よりも低くなる確率を20%」としている。
 正反対である。減税をマニフェストに掲げていた政党が大増税に踏み切るようなものである。占い師なら見料返せと迫られ、証券マンなら闇討ちにあっても文句の言えない背信だ。しかし気象庁幹部がカメラの前で「お辞儀ゲーム」をすることはない。
 それでもさすがにまずいと思ったのか、今日のニュースでは「気象庁は来週、あらためて今冬の見通しを示す方針で、暖冬予測の修正を迫られる可能性もある。」(東京新聞12月17日)と、非難の風向きを変えようという努力を見せている。

 気象庁の弁明は「想定外」の大気の流れ、具体的には「シベリアに現れた“謎の高気圧”」が原因(西日本新聞12月16日付)ということらしい。しかしこの異常気象の時代にそもそも過去の経験則を当てはめようというのが間違いなのだ。今の地球の気象は十年前の気象ではない。その様な危機を感じさせる兆候が。

北山杉は警告する
 12月に入っての雪害で京都の北山杉が深刻な打撃を受けているという報道。京都新聞12月16日付。「京都北山丸太生産協同組合だけで、少なくとも5000本以上が折れたり裂けたりした。12月上旬の雪害は経験がない」。(写真は倒れた北山杉。京都新聞記事から)
 <組合の中田治専務理事は「自然災害とはいえ、これほどの被害があると、北山での林業が難しくなるかもしれない」と話している。>というから、単に雪害というだけでなく、気候変動によって京都の北山杉自体が急速に消滅しようとしていることになる。

 地球温暖化対策を定めた「京都議定書」合意の地で、川端康成の『古都』に美しく描かれた北山杉が存亡の危機に立っているというあまりにも象徴的な出来事だ。温暖化の影響は誰が考えるよりも早く具体的な現象となっているのかもしれない。

 だから気象予報官も予想ハズレの言い訳をしたり雲隠れするのでなく、これを地球的な気候変動がもたらした異常事態の表れとして積極的に訴えることだ。
 例えば今年のような丸ハズレの場合には次のようなパフォーマンスで世間の耳目を引きつければよい。
 お白州の上に、白装束で胡座をかいた予報官。カメラに向かって語りかける。「拙者 浅野匠 気象予報官は今冬予報において決定的な間違いを犯しました。最早世間の人にあわせる顔もない。最後に辞世を詠むことをお許し願いたい。
  風さそふ 予報外して 我はまた 温暖化対策 いかにとやせん
それでは、さらば」と、前に置かれた短刀を手に取ったところに上司が駆けつけ、「待て、浅野、お前の予報が外れたのは地球温暖化のせい。この異常事態の原因を突き止めて対策を見出さぬ限りあの世に旅立ってはならん。ひとつここはお前の命、ワシに預けんか。」、「予報課長~!っ」二人抱き合う・・・
 
 まあこれくらいコテコテにクサくやれば、園児や政治家にも現在の地球的危機を訴えることが出来るんじゃないかと・・・

植物「ど根性」物語:大根&ミカン

2005-12-11 12:02:31 | 動物・ロボット・植物
  
 「私は新聞はまずスポーツ面から読む。そこには人間が何を成し遂げたかが載っている。その他の面は--人間がどういうヘマをやったかが載っているだけだからだ。」 子供の頃に読んでなるほどそういものかと感心したが、残念ながらこの言葉の主は記憶しなかった。最近のニュースを聞いているとまたこういう風にも言えるのでないか。「動物ネタは快挙だが、人間ネタは不祥事である。」

 物言わぬ動物が人間を励ましているだけではない。動かぬ植物までもが健闘している。最近注目を集めたのが、兵庫県相生市の「ど根性大根」だ。道路のアスファルトを破って一本だけ生えてきた大根が町の話題になる。そしてマスコミの格好のネタに。ここまではよくある話。その後にドラマがあった。
 この大根が折られて上の部分が持ち去られているのに気がついたのが11月13日朝。住民は嘆いて現場に写真と花を添え「供養」をしていた。ところがこのニュースが大きく取り上げられて怖くなったのか、犯人が現場近くにこの折られた大根(切り口が一致)を置いているのが発見されたのが16日。ただちに市役所に運び込まれて、いわば「緊急救命室」に運び込まれた人間のように蘇生の努力が続けられた。
 そして大根は蘇った!「大ちゃん」と名付けられたこの大根「回復」の様子は相生市の「大ちゃんのここだけのはなし」(上の絵はここから)で写真付きで公開されている。葉っぱが成長し、今では葉全体の長さは8cmになっている(12月5日現在)という
 市に運び込まれたときは、市長も「まさかつなぎ合わせるわけにはいかないし」と生存を絶望視していたが、今では「大ちゃん」を市のメインキャラクター扱いで、記念碑に蓄光石のイルミネーションを埋め込んでいる(写真)。


 日本のマスコミの困ったところだが、この「ど根性大根」が有名になると、全国の「ど根性植物」探しが過熱して、かえってシラケてしまった。その「ど根性」ブームが治まった今、「ど根性みかんの木」のニュースが。南日本新聞12月11日

 岩を割ってミカンの木が生長している。持ち主が岩の間から蜜柑が生えているのに気付いたのはなんと20年も前。長い間、このミカンは生存に必要なエネルギーをかろうじて岩の隙間から得ていたに違いない。それでもゆっくりゆっくり成長を続け5年前に根が地面に到達すると急に成長を始め、今では100個もの実をつけている。ど根性というより臥薪嘗胆、不屈の執念の勝利である。

 「”根性”だの”執念”だの、植物に自由意志があるかのように感心するのはバカだ。ただの偶然に過ぎない」と冷笑家は言うだろう。しかし20年どころか、二分間の我慢ができずにキレて同種を殺害したりする「自由意志」とは自慢できる代物なのか。動物と植物は人間を感動させた。人類はどうですか?と改めて問いたい。

ロボット「見習い店員」を採用:イオン今月から

2005-12-06 10:30:14 | 動物・ロボット・植物
 「おや、アトムどうしたんだ?元気ないな」、「御茶の水博士ぇ、どうしてボクには人間のようにお父さんお母さんがいないのですか?」
 初めて読んだときには と子供心にもショックを受けた。さすがに英雄アトムに公然と突っ込みを入れるのは憚られたので心の中でだが、「そ、そんなロボット1台に”家族”まで作らんといかんのではカネがかかってしょうがないんちゃう。何のためのロボットやねん」。
 結局アトムは御茶の水博士に、「両親」とお兄さんと妹まで作ってもらって大満足だったが、小生は大いに不満で以降ヒューマノイドというのか人間型ロボットには大いに不信感を持つことになった。ロボットが人間に似すぎるのは「道に外れた」ことだ。

 しかしそのヒューマノイド、日本が世界をリードする立場にあるその大きな原動力は、現在のロボット研究者が「鉄腕アトム」に憧れたからというのが大きいのだという。Hondaのアシモを始めとする人間型ロボットが派手なパフォーマンスするのを何度も見せられると、その評価を変えなければいけないと思っていた矢先・・・

 「イオン:店員ロボ導入、せっせと業務」という毎日新聞の記事によると、この12月から、スーパーのイオンがいわば「見習い店員」として、「富士通フロンテック」が開発した「enon(エノン)」(上写真)というロボットを導入したというのだ。それも客寄せなどではない。イオンはエノンを<「従業員として採用した」と言い、ロボットに接客や在庫品の運び出しなどの業務をさせて、25日まで実用性を検証する>というから準即戦力だ。

 エノンの性能については製造元(産みの親と呼ぶべきか)の「富士通フロンテック」のホームページに詳しい。
 その資料をもとに具体的に説明すると、あなたがイオンに買い物に行ったとしよう。「いらっしゃいませ。何かお探しですか」とエノンが人の来たことを関知して、近寄って話しかける。「卵どこに置いてあるかしら」、「ご案内いたします」と言ってクルリと向きを変え”歩き”出すのだが、この時なんと胴体だけがこちらを向き直り、最初ゴミ箱かと思ったディスプレーに「本日Lサイズ卵1パック100円大特価。お一人様1パック限りご了承ください」と関連情報を表示する。
 案内だけではない、「おいエノン、XX取ってきてくれと言えば、10kgの荷物まで運んでくれる。巡回も可能だ。「指定した位置の画像情報をネットワーク経由で遠隔監視場所に送信」もできる。さすがに警備会社SECOMの監視ロボット「セコムロボットX」のように不審者に「煙攻撃」する能力はないが、「あらかじめ定めた経路に従って施設内を定期的に巡回」というからとにかく手間要らずだ。

 しかも「顔部の目と口に配置したLEDにより、ロボットに表情を持たせる」というから無愛想な店員に話しかけるよりもお客としてはホッとする。よっぽど「人間的」だ。

 エノンが時給?いくらでイオンに傭われているのかは公表されていない。しかし将来コストダウンして細かい改善がされれば、不慣れなフリーターよりもはるかにコストパフォーマンスの高い「店員」になることは間違いない。「ニート訓練施設」を出たばかりの若者では到底太刀打ちできない。店側としては人間には時間をかけて教えてやらねば使い物にならないが、エノンなら到着したその日の朝にLAN経由でデーターを転送するだけで「教育」終了だ。

 ああ人類よ、ホモサピエンスHomosapiensよ、お前たちは「言語」を身につけ進化しつつある他の動物たちと、有能な「人間化」しつつあるロボットの挟撃に合い、どこに居場所を見出そうというのか。

 しかしここでも救いのヒントを与えてくれるのが「アトム」なのだ。アトムが「人間的な」おねだりをしてスネたのを思い出して欲しい。もう一段階「エノン」が進化すると・・・

「オレたちもサー、充電とかじゃなくてェ、人間みたいに給料欲しいよナ」、「ウチらかてェー、携帯とか要るしィー、ってユゥか、なんで携帯機能ウチらに内蔵してくれへんワケ?」と、「意識」を持ち始めたヒューマノイド達が反抗的になるに違いない。「こんな文句ばかり言うロボットはもう要らん!人間のニートの方がましだ。」と店長が音を上げてくれればいい。
 
 しかしここまでロボットが「人間化」した社会とは??? 介護ロボットは老人を虐待し出すだろう。料理ロボットはレトルト食品ばかりという手抜きを始め、建築設計士ロボットは構造計算書を偽造、ああついに政治家ロボット「Koizumi壱号」が登場して「人間に出来ることは人間に。これからは仕事は人間に”丸投げ”したい」と「改革」に乗り出し・・・・あれれ?結局元に戻るわけ??

海を渡った迷い猫、ファーストクラスで凱旋帰国

2005-12-02 12:06:23 | 動物・ロボット・植物
 またまた動物の感動物語。「単身」大西洋を越えてアメリカからフランスに渡った猫のエミリーが、飛行機で飼い主のもとにまもなく帰国します。アメリカではテレビの全国ネットや新聞がこの快挙の報道にわいていますが、日本での報道は2日朝現在、ロイター通信の日本語訳だけです。
 12月4日にようやく朝日新聞が詳しい記事を。

 ご存じの方もあると思いますが、この快挙の発端はフランのナンシーで、アメリカから来た貨物船(ベルギーに到着)から運ばれて来たコンテナの中で一匹の猫が発見されたことです。この猫、首輪に名札がついていて、そこに担当の獣医の名前があった
問い合わせてみると、アメリカはウイスコンシン州の港町アップルットンに住むレスリー・マケルヒニーさんの飼い猫に間違いないことが分かったのです。
 レスリーさんの推理では、家の近くにある倉庫に迷い込み、その中の荷物で寝ているところを貨物船に乗せられた。大西洋の三週間の間はどうも船のネズミを食って生き延びていたらしいのです。
 「ああ可愛そうなエミリー、まだ一歳になったばかりなのに。冒険好きがあだになったんだわ。」と嘆いていたレスリーさんが、海の向こうでエミリーが生きているとの知らせを聞いて、気も狂わんばかりに喜んだことは言うまでもありません。でも一つ心配事が。エミリーは検疫を通らなければならないため、飛行機でのご帰還となります。「動物愛護協会から買い取った時もお金がかかったけれど、ますます高くつく猫になってしまうわね」(AP通信)とレスリーさんも呆れ顔。
 ところがここでエミリーを検疫所で一月預かっていたコンチネンタル空港が粋な計らい。エミリーをビジネスクラスでしかもそばに添乗員をつけて、アメリカにお送りすると申し出たのです。航空会社の宣伝費用と考えれば、6000$のチケット代はずいぶん安いものです。

 エミリーがミルウォーキーの空港でマケルヒニー夫妻と子供、それと多くのマスコミに迎えられたという報道がありました。「ちょっと太ったわね。大事にされたんでしょう」というのが飼い主の第一印象でした。

【追記】
空港でマケルヒニー夫妻の9歳の息子ニック君に抱かれたエミリーの写真を置きました。

今年の世界報道写真の中でもベストの感動写真でないでしょうか。

 エミリーが首輪につけていた「名札」のおかげで身元が判明したのですが、実はこの名札のおかげで命拾いもしていた。と言うのも発見されたところでは、身元不明の動物は「処分」する規則だったから。
 最近、保護された家で詳しく自分の住所を喋ったため飼い主のもとに戻ったオウムがいましたが、猫や犬はしゃべれないので、ぜひ詳しい住所を首輪につけておくべきでしょう。また時にこのように海外に出かけていくかもしれないので、英語表記も必要かも。

  以前にも、このエミリー、失踪したことがあったようです。このときは、地域の「迷子動物センター」で保護されているのを発見された。どうも「裸の大将」のように放浪癖があるようです。今度は中国とか日本に表れるかも。

サルの世界にも「方言」を確認:京大霊長研

2005-11-29 08:31:58 | 動物・ロボット・植物
 「お前なぁ、ゆうとくけど、サルがなんぼ賢いゆうたかてな、動物園行ってみぃ、サルが飼育係に”おっちゃん、明日のおやつはタコ焼きにしてぇな”なんてしゃべっとるん見たことあるか。言葉ちゅうもんはな、人様だけが使えるんや。せやからなぁ、昔から人は万物の霊長ゆうねん。」

 確かに言葉が喋れるというのは昔から人間だけの能力と信じられて来たし、またそれがいわば最後のプライド、人たる最後の砦と思われて来た。
 しかし最近の研究で、次々とサルにも人間のような「言語能力」があることが突き止められてきた。そしてそれはついに「方言」という後天的な言語活動に及ぶことが解明された。

 京都大学の霊長類研究所(犬山市)の研究で、「約50年前に本州と九州に分離された二つの群れのニホンザルが、遺伝的には同種なのに鳴き声が違うこと」がつきとめられたという(毎日新聞など28日の各紙)。
 「生後6カ月の子ザルの声は群れによる差がなく、その後“方言”を学ぶことが分かった」という。この“方言”というのは、「群れからはぐれないよう互いに呼び合う「クー」という声」の周波数の違いである。「人間のように学習によって習得する『言語』のルーツがサルにもあることが初めて確認出来た」と同研究所。

 ということはである、例えばこの京大の犬山市の研究所にいるサルはたぶん「名古屋弁」を喋っている。彼が下北半島のサルの群れに入ったら、「東北弁」を学習するということだ。バイリンガルならぬ”バイリンザル”の誕生だ。例えば日本人でも大阪弁しかしゃべれない人が多いことを考えると、またしてもサルに「追い越された」

 もともとはサルも人間もコミュニュケーションcommunicationの手段として「言語」を獲得した。しかし人間の場合は文明が発達すると、言語を逆に「ディス・コミュニュケーションdiscommunication」つまり偽情報を伝える(あるいは現実を隠蔽する)手段に悪用し出した。それは政治家・役人・言論人・詐欺師など言語を専門的に使用する人間の堕落を見れば「一”聞”瞭然」である。

 サルはこの霊長研のアイドル、「アイちゃん」を筆頭に高度な言語表現を学んで進化しつつある。一方人類はその悪用が祟り言語能力は退化の一途だ。突然アイちゃんの末裔が「愚かなる人類よ」とキーボードを叩いて呼びかける日も近いのではないか。

「金色」のナマズが出現:青森県

2005-11-28 09:33:13 | 動物・ロボット・植物
 合併で消滅が決まっている那賀川町に突然現れ光を与えたのがアザラシ「ナカちゃん」だが、こちらも年内一杯で姿を消すことになっている青森県は福地村に出現して眩いばかりの?光を放っているのが二匹のナマズ君だ。体の一部が金色。村は最後の瞬間に登場した"ゴールデン"ルーキーの登場にわいているという。(東奥日報)

 突然変異ではあるが、専門家も「前代未聞」と目を円くしている。福地村はナマズの養殖が盛んな所で、ナマズで村興しをしている最中。「二匹のナマズは刺し身や天ぷらにはせず、大事に育てていくという村の方針が決まった。それどころか"縁起物"として一般公開も考えているという。

 写真を見て「金色でなく黄色だと突っ込みをいれる人もあるでしょうが、そもそも金色というのは「色」ではない。黄色が光り輝いたものが金色だ。消え行く村の救世主、まさに後光が射して見えるのではないか。

 この「おもしろニュース拾遺」に登場する人間はたいがい不祥事だが、動物たちは光り輝いている(左の「カテゴリ」からご覧ください)。人間を「万物の霊長」と呼ぶ勘違いはいったいどこから来たのか。

【追記】
 ナマズを食ったことのある人は少ないと思います。
 上で紹介した福地村のWebの「なまずページ」に
「一度は食べてみよう! なまず御膳」
とナマズ料理のフルコースが紹介されています。

 ① なまず天丼
 ② なまず変わり揚げ
 ③ なまず天ぷら
 ④ なまず琥珀造り
 ⑤ なまず刺身
 ⑥ なまず南蛮漬け

 しかし同時にこのページには、ナマズは、「神の使いとして人々の信仰と恐れ
の対象となってきました。」とも書いてあります。
 「神の使い」をおいしくいただくとは、げに恐るべきは「万物の霊長」。

米国の「最も醜い犬」逝く

2005-11-24 17:41:56 | 動物・ロボット・植物
 米国の「最も醜い犬選手権」で3年連続チャンピオンだった雄犬「サム」が逝去。享年14歳。チャイニーズ・クレステッド・ドッグの一種だったという。記事

 ゲーテはどこかで言っています。「種の中で完全な個体はその種を超越する。」
 ちょっと分かりにくいので、ここで数学的帰納法の応用である「すべての人は面白い人である」定理を紹介します。
 今ここに、「ボクはホントにつまらない人間だ」と思っている人たちを集めます。その中で、一番つまらない人(A1さんとしましょう)というのは大変な変わり者ですから、面白い人です。従ってこの集合からA1さんを除きます。残った人たちの中で、また一番つまらない人A2さんを選びます。同じ理由で、A2さんはこの集合から取り除かれます。このようにしてA3,A4.....A(n-1)さんが「おもしろい人」の集合に移動(みなさん「一番」なんですから)します。最後のAnさんは当然平凡ではあり得ません。「面白い人」です。このようにして「つまらない人」は全員「面白い人」であることが分かります。

 サムは「最も醜い犬」ですから「その種を超越」してアイドル視されるようになったわけです。我が家でも「どうしょうもなく不細工で絶対もらい手がない」猫をしょうことなしに飼っています。最初は見るのもイヤだったのですが、最近はもう笑うしかない。だんだん可愛くなってくるのです。

 サムはあと数日で15歳の誕生日だったそうです。でも犬としては長寿でしょう。醜くて「神に嫌われた」のか。しかし今はその魂は醜い肉体を離れて天国で神と共にある。