おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

「捨て子ボックス」を教会に設置:イタリア

2006-01-10 22:01:37 | 発見
 「あんたは橋の下で泣いてるのを拾ってきたんや」と親から”衝撃の告白”をされたことのない子供の方が稀ではないだろうか。一度アンケートを取って欲しい。捨てられる場所は必ず「橋の下」なのである。もちろん雨風を避けるという「母親」の最後の配慮なのだが、不思議なことに「橋の下」の捨て子のニュースを読んだことはない。
 知人は幼い頃叱られてこの「告白」を聞いたときに衝撃を受けたというより「謎はとけた」と思ったという。自分は両親や兄弟に似ず「美しい」、それがずっと納得できなかったというのだ。まあこういうおめでたい人ばかりなら捨てる「親」の方も気が楽だけど。

 ノーベル賞作家川端康成の『古都』、最近では山口百恵主演で映画化されている(かなり原作から変えられている)ので、ストーリーご存じの方は多いはず。貧しい北山杉の職人のもとに双子の姉妹が生まれた。生活苦から一人の子を捨てるが、その子は京都の老舗の呉服問屋に拾われてお嬢様として何不自由ない生活を送る。もう一人はまもなく父も母も死に、貧しく淋しく北山で暮らす。その二人が祇園祭で運命的な再会をする・・・・
 別の知人ですが、たぶんその人の知的関心から判断して『古都』でなく少女マンガを読んだ影響かと思うのですが、欲しいものが買ってもらえなかったので、「なんで私を大金持ちの家の前に捨ててくれへんだんや」と泣いて抗議したそうです。ホリエモンや村上セショーの家の前は捨て子で溢れるのでしょうね。

 前置きばかりで本題になかなか入れないのは気が重いテーマだから。まず冒頭の写真だが、これはいったい何を収納する空間とお思いでしょう。夜間金庫のような感じ。
 これは何と<捨てられた赤ん坊を救う特製の「捨て子窓口」>なのです。WIRED NEWS(英語版は2006年1月3日、こちらにその日本語訳)の記事。
 この「捨て子窓口」はイタリアのパドバにこのほど設置された。正式名称は『命のゆりかご』。「イタリアの『全国養家・里親協会』(Anfaa)の試算によると、イタリアでは毎年400人の新生児が捨てられていて、その数は毎年10%増加しているという。」
 この「ゆりかご」は単なるボックスではない。
 「通りに面した金属製のフタを誰かが開けると、上の事務所で警報が鳴り、24時間体制で待機しているソーシャルワーカーに知らせる。母親が赤ん坊を中に入れると、2分経った後に重量感知式のセンサーが働いて、さらに大きな音で警報が鳴る、という仕組みだ。
 赤ん坊が入れられると、箱の保温システムが作動すると同時に、最寄りの救急サービスに通報される。」

 さすがに夜間金庫のようにどこでも設置されているわけではない。実際この「ゆりかご」の設置を受け入れてくれる施設はなかった。そこで「伝統」が思い出された。「1400年代から1888年まで、女性たちは、パドバのオニサンティ教会の正面にある台に赤ん坊を置き去りにしていた。」だから昔のように教会にこの「捨て子窓口」が設置された。

 イタリアでこれほど捨て子救済のシステムが完備しているのはそもそも捨て子が多いからでしょう。(日本の捨て子統計は存在するのでしょうか。ご存じの方はご教示ください。)これは恐らく中絶を禁じるカトリックの教えの結果だと思う。イタリアでもそう考える人が多いと思うが、カトリックでは中絶を殺人と考える。「望まれない子」でも産むしかないとなると、赤ん坊の命を救済するためにこのような「捨て子バンク」が必要になる。

 イタリアではこの『命のゆりかご』が全国に普及するのだろうか。その時には親たちは「お前はこの箱に入れられてたのをもらってきたんや」と子供たちに”衝撃の告白”をするのだろうか。なるほどこの「保温装置」、「通報装置」付きのボックスは至れり尽くせりだが、「橋の下」のような”ドラマ”がない。「橋の下」には捨てたあとまた戻ってくる母親の姿が見えるが、この”夜間金庫”だと「赤ちゃん確かに領収しました。2006.1.10」という”レシート”をチラリと見て財布の中に納める「事務員」の姿しか浮かんで来ないのだ。コンセプトはいいのだがデザインには改善の余地あり。と言うか、いかにして捨て子0の社会を作るかということなのだが。


ネッシー保護を熱心に議論:1985年英政府

2006-01-10 00:17:53 | 動物・ロボット・植物
 笑い物にするなんてとんでもない。まさしく大人の対応だ。成熟した政府だけがこういう対応が出来る。
 1985年のことだが、英国政府はある種「想定外」の事態で鳩首協議を開いていた。ネッシーがハンターに狙われたらどうするのか。守る法律がないのでは? そこで「外務省とスコットランド省の当局者が協議。新たな法整備は行わず、八一年に制定の野生生物・田園地方保護法で、ネッシーをわなで捕らえたり撃ったりする行為を禁止できると結論づけた。」(西日本新聞1月9日)。

 元記事は「サンデー・タイムズ」紙の"Yes Minister, we'll save Nessie from the poachers"と題する記事だが、ネッシー保護について同じ年のもう一つのエピソードを紹介している。
 ストックホルムの英大使館にスウェーデンの高官から照会があった。「我が国でも貴国のネッシーのような未発見動物がいる。その保護についてだが貴国はいかなる法的措置をされいるのか」。これは考えたことがなかった。「笑わないで考えてね」と英大使館は本国に秘密公電を送った。本国と大使館の間で何度か公電の交換が行われて、結論は「スコットランド当局は絶滅の危機に瀕している生物の保護に関して法的権限を与えられております」という返事だった。

 確かにネッシーはその時「絶滅の危機に瀕して」いたのだ。なぜなら1993年11月にネッシーは突如として姿を消したからだ。我々が子供の頃から何百回となく見せられているネッシーの写真(上、撮影は1933年)は、トリック写真であると撮影者の関係者が今際の際に告白したからだ。おもちゃを改造したものを池に浮かばせて撮影しただけの素人作品。そう言えばそれなら波の大きさと「ネッシー」が適応する。
 撮影者とこの告白した「関係者」は撮影は4月1日でしたと伝えることでジョークと分かってもらえると思っていたのだが、案に相違してマジで大騒ぎになってしまったためとうとう言い出せなくなってしまったのだ。
 もちろんまだまだ「ネッシー実在派」は頑張ってはいるが、日本で言えば「朱鷺」のオリを淋しく眺めている飼育係のような立場になってしまったことは否めない。


 日本なら「ツチノコ」の保護をどうしてますと環境庁が聞かれたらいかに答えるかという問題だ。あるいは溺れた河童の救助法の講習会の話をするような。

 「サンデー・タイムズ」は上記のネッシー捏造を暴くスクープを掲載した新聞でもある。今回は情報公開法で入手した機密文書で政府のネッシー対策を暴いた。なぜ秘密にしていたのか。冷戦時代だったから、「こんな間抜けな議論をしていることがソ連に知れたら、彼らはネッシーを”軍事利用”する」と心配したのでないか。「密猟者がネッシーを爆破して殺したら大変。罰する法律はあるのか。」と政府高官が真剣に議論できた時代が懐かしい。