つい先週、二年間で二人の「盗撮」神職を輩出した神社のことを紹介したときに、これは神道での「罪」の意識が軽いのと、仏教のように「修行」をしないからではないかと書いたが、なかなかどうして、「神」の道に負けず劣らず「仏」の世界も乱れまくっていることを認識させる事件だ。つまり「聖」いや「性」の乱れに「神も仏もない」のが今の日本だ。
「警視庁少年育成課は10日までに、15歳の少女に現金を渡し、わいせつな行為をしたとして、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で」広島市の浄土真宗本願寺派光明寺の住職兼私立保育園長を逮捕したというニュース(産経3月10日)。
このクソ坊主、よくあるパターンだが保育園の園長でもあるので教育上まことに困惑の事態だ。「ねぇーねぇー、園長センセどうしたの?」と聞いてくる園児たち
に何と説明すればいいのだろう。「オラ知ってるゾ。園長センセは子供にはとっても言えない
イヤラシイことしたんだぞ」と、クレヨンしんちゃんみたいにませた子ばかりじゃない。
しかも「2、3年の間に、15―17歳の少女4、5人と約20回の買春を繰り返していた」というから悪質常習犯
。改悛の情を示しているので執行猶予という話にはならないだろう。
この聖職者にして教育者で現在容疑者という肩書きも加わったこの坊主は、「自分の欲望に負けてしまった。反省している
。」と語っているが、御年73歳。煩悩の火
は衰えることを知らず、仮の宿りであるはずの彼の肉体を燃やし続けているのである。
袈裟の裾から坊主頭まで「俗」に浸りきったこの「お聖人」にかかわっている暇はないが、制度的・思想的な「証人」としてしばらく残ってもらおう。
◆宗教と教育ー税制優遇を活用
まずこの事件の根幹にはゆがんだ日本の税制上の優遇措置があることを指摘したい。なぜ坊さんが園長を兼ねるのか?
保育所は、法的には「第2種社会福祉事業」というカテゴリーになり、法人税 、道府県民税、市町村民税などは原則(つまり営利を目的にしなければ)すべて非課税だし、固定資産税についても、社会福祉事業の用に供する(つまり保育園ですよと言っておけば)固定資産については非課税だ。
お寺の多くが保育所を運営しているのは、宗教法人非課税の「功徳」が忘れられない
からだ。坊主丸儲け思想の拡張と言っていい。この煩悩坊主が、月1のペースで東京に出かけ、新宿に拠点があるお気に入りの「ロリコン専門」組織で、<いつも「中学生コース8万円」を選んで
>いられたのは、まさしくこの「非課税」の特権で蓄積した金があったからだ。
もちろん坊さんと言っても霞を食って生きるわけにはいかないので、この貨幣経済
のなかでは、労組を作って賃上げを要求することも必要かもしれないし、お寺としてお布施以外に現金収入を得る手段を講じる必要はあるだろう。
しかし最近の宗教法人・学校法人の経営者の金銭への執着は目に余る。例えば最近汚職で逮捕された住職で元学校法人理事長は、大阪府教育委員会幹部の少なくとも38人(処分受けた人数)にワイロ工作を行っていた。宗教と教育が完全にカネで汚染されている。と言うか、宗教と教育は「公益性」の衣をまとって税金逃れの聖域
になっているのだ。
オウムの時も問題になったが、宗教法人への透明性を高めるためにも、現在の原則非課税は根本的に改める必要があることは明らかだ。しかしなぜ政治が動かないかも明らかだ。何しろ与党の一角は、日本最大の宗教団体が産み出した政党だ。まさか母体に逆らうような政策転換を提案できるはずもない。そして最大野党は、今”ポツダム宣言”を受諾
して事実上最大与党の占領下にある。
◆宗教はこの「悪人」坊主を「救済」できるか
そしていわば「思想的」な問題だ。この坊主は浄土真宗の住職だ。浄土真宗と言えば、開祖親鸞。教科書的な浅薄な知識では、親鸞と言えば「悪人正機(しょうき)」説だ。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや惡人をや。しかるを世のひとつねにいはく、惡人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。」と言行録『歎異抄』に記されている。善いことをしてその結果「往生」できるのだと教えられてきたが、いや「悪人」こそ往生できるのだと説くのである。
この「ロリコン」坊主は、まさかこの教えを悪用して、「悪人」
になって「往生」を遂げようと買春に走ったのだろうか。親鸞の言う「悪人」は犯罪者の意味ではなかろう。善人は「ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。」 頼るべき「自力」を持たない「煩悩具足のわれら」、社会的にも救われない衆生が「悪人」なのである。その「悪人」が「他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。」 これが「他力本願」である。今の浄土真宗がどうかは知らないが、最も弱い立場の衆生のための教えと言える。
それにしても宗教界と言うか、例えば今回なら浄土真宗が、これを個人の不祥事として沈黙しているというのは理解できない。宗教上も教育上も人を教える立場にある(つまり「自力」の人だ)このスケベ坊主は、税金を逃れ、「金力本願」で女性を買いあさるまさしく「悪人性器」人間だ。しかし、若き親鸞に法然が語ったように、こういう煩悩まみれの人間こそ、「阿弥陀仏」の救済の対象であるはずだ。たとえ73歳でも立ち直れる。つまり「悪人」を「正気」に出来ないようでは宗教
の意味はないだろう。それならただちに免除されている税を国庫に返却すべきだ。
「警視庁少年育成課は10日までに、15歳の少女に現金を渡し、わいせつな行為をしたとして、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で」広島市の浄土真宗本願寺派光明寺の住職兼私立保育園長を逮捕したというニュース(産経3月10日)。
このクソ坊主、よくあるパターンだが保育園の園長でもあるので教育上まことに困惑の事態だ。「ねぇーねぇー、園長センセどうしたの?」と聞いてくる園児たち
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/18.gif)
しかも「2、3年の間に、15―17歳の少女4、5人と約20回の買春を繰り返していた」というから悪質常習犯
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この聖職者にして教育者で現在容疑者という肩書きも加わったこの坊主は、「自分の欲望に負けてしまった。反省している
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袈裟の裾から坊主頭まで「俗」に浸りきったこの「お聖人」にかかわっている暇はないが、制度的・思想的な「証人」としてしばらく残ってもらおう。
◆宗教と教育ー税制優遇を活用
まずこの事件の根幹にはゆがんだ日本の税制上の優遇措置があることを指摘したい。なぜ坊さんが園長を兼ねるのか?
保育所は、法的には「第2種社会福祉事業」というカテゴリーになり、法人税 、道府県民税、市町村民税などは原則(つまり営利を目的にしなければ)すべて非課税だし、固定資産税についても、社会福祉事業の用に供する(つまり保育園ですよと言っておけば)固定資産については非課税だ。
お寺の多くが保育所を運営しているのは、宗教法人非課税の「功徳」が忘れられない
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もちろん坊さんと言っても霞を食って生きるわけにはいかないので、この貨幣経済
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しかし最近の宗教法人・学校法人の経営者の金銭への執着は目に余る。例えば最近汚職で逮捕された住職で元学校法人理事長は、大阪府教育委員会幹部の少なくとも38人(処分受けた人数)にワイロ工作を行っていた。宗教と教育が完全にカネで汚染されている。と言うか、宗教と教育は「公益性」の衣をまとって税金逃れの聖域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_tehe.gif)
オウムの時も問題になったが、宗教法人への透明性を高めるためにも、現在の原則非課税は根本的に改める必要があることは明らかだ。しかしなぜ政治が動かないかも明らかだ。何しろ与党の一角は、日本最大の宗教団体が産み出した政党だ。まさか母体に逆らうような政策転換を提案できるはずもない。そして最大野党は、今”ポツダム宣言”を受諾
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◆宗教はこの「悪人」坊主を「救済」できるか
そしていわば「思想的」な問題だ。この坊主は浄土真宗の住職だ。浄土真宗と言えば、開祖親鸞。教科書的な浅薄な知識では、親鸞と言えば「悪人正機(しょうき)」説だ。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや惡人をや。しかるを世のひとつねにいはく、惡人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。」と言行録『歎異抄』に記されている。善いことをしてその結果「往生」できるのだと教えられてきたが、いや「悪人」こそ往生できるのだと説くのである。
この「ロリコン」坊主は、まさかこの教えを悪用して、「悪人」
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それにしても宗教界と言うか、例えば今回なら浄土真宗が、これを個人の不祥事として沈黙しているというのは理解できない。宗教上も教育上も人を教える立場にある(つまり「自力」の人だ)このスケベ坊主は、税金を逃れ、「金力本願」で女性を買いあさるまさしく「悪人性器」人間だ。しかし、若き親鸞に法然が語ったように、こういう煩悩まみれの人間こそ、「阿弥陀仏」の救済の対象であるはずだ。たとえ73歳でも立ち直れる。つまり「悪人」を「正気」に出来ないようでは宗教
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