メタボ君の自由・気ままな人生&散策あるばむ(元気悠遊人)

自由気ままにぶらり散歩に出掛け、四季折々の風景、花々、景観、鳥撮りを楽しみ、整理し日記アルバム風の備忘録帳

   

日本橋人形町 日本橋小学校 (西郷隆盛屋敷跡が!!!)

2019-05-14 | 散策・散歩
おはよう、
今日(190511)は、日本橋に用事があり出掛けて来ました。途中近くの神社、寺院を参拝しました。(3ヶ所)
・小網神社  ・大観音寺  ・茶ノ木神社
いずれも、半蔵門線・水天宮前駅、日比谷線、浅草線・人形町駅付近です。
昼時でしたので、ランチを「玉ひで」で頂きました。長い行列に吸い込まれました(50人近い!!!)お店の周りは行列、行列!!!
次は、
日本橋人形町の「西郷隆盛屋敷跡」です。(今日は、神田祭が開催されており、賑わっていました。)
NHK大河ドラマ「西郷どん」の西郷隆盛の明治維新時代の屋敷
西郷隆盛の屋敷跡は、
現在は日本橋小学校となっています。(学校が複合ビルの中にある珍し校舎)
「西郷隆盛屋敷跡」の紹介板が、日本橋小学校の正門わきにあります。
西郷隆盛宅跡の詳細
慶応4年(1868年)、江戸時代が終わり、明治新政府が発足してから、「維新の三傑」の一人西郷隆盛は故郷の鹿児島に戻りのんびりと暮らしていました。新しい日本が幕を開けたと思ったのもつかの間、新政府の役人たちの間では職権を乱用した贅沢、横暴な振る舞いが蔓延するようになりました。まるで旧大名と同じではないかと、乱れた新政府に人々は失望し、これでは江戸幕府の方がましだったという声も聞こえる状態となり、あちこちでその不満が形に現れるようにまでなってしまいました。全国各地で重税に苦しむ農民を始めとした民衆が一揆を起こすようになったのです。新政府の中心人物である岩倉具視、三条実美、木戸孝允、大久保利通の4人はなかなか対処しきれず、鹿児島の西郷を東京に呼び戻し、彼の力や徳をもってして一大改革をやろうという話になりました。堕落した新政府の危機を乗り越え、改めるには西郷の力が必要だと考えたのです。明治2年、大久保に西郷の説得を頼まれた西郷の実弟・信吾は鹿児島の西郷を訪れ、政府の現状を伝えます。そして明治3年、岩倉具視と大久保利通が揃って西郷を来訪し「廃藩置県」について話し合います。明治になってから議論されてきた「郡県制度」にするか、「封建制度」の続行か・・・。しかし大久保と西郷は「廃藩置県」こそが明治維新の総仕上げと捉え、これを成し遂げてはじめて真の革命だと考えていました。新たな志を胸に、再び西郷一行が東京の地に立ったのが明治4年。そこで西郷が居を構えたのが現在の日本橋人形町1丁目1、小網町14、蛎殼町1丁目10~13の地でした。明治4年から6年の2年間、およそ2600坪もあるこの広い屋敷に15人ほどの書生、7人の下男、そして数頭の猟犬とともに暮らしたといいます。現在、その跡地は日本橋小学校となっています。(出典元:ネット情報)

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中央区立日本橋小学校の正門、校舎入口

正面に、「からくり時計」があります。

小学校と幼稚園があります。
日本橋小学校は、中央区立の小学校です。もともとは東華小学校の校舎でしたが1990年に十思小学校と東華小学校は統合された。その名残でしょうか!!!

建物内に、日本橋図書館やサウナ付きの区立プール・区関係施設が複合している。
ここは複合ビルになっており、日本橋図書館、日本橋社会教育会館、日本橋小学校温水プールなどがあるそうです。

小学校の校庭側からの眺め(小網神社側、公道)、外から眺めると、コンクリート(土でない)の校庭、グランドでしょうか!!!、重そうな石でがっちりした作りの歴史のありそうな校舎でした。

以上
コメント;
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東京都心にも幕末に関連する史跡、西郷どん「西郷隆盛」や「勝海舟」が活躍した跡地などがたくさんあります。
主な史跡、跡地
1)上野・西郷隆盛銅像    上野駅の西側にある丘の上「上野公園」に、西郷隆盛の銅像があります。
2)彰義隊の墓        江戸の治安を担当していたのは、西郷隆盛でしたが、そのやり方が手ぬるいとして、解任されます。
そして、代わりに大村益次郎が京都からやってくると、上野で彰義隊と武力衝突が発生し、新政府軍は、1日で彰義隊を撃破しました。
この時、彰義隊105名、新政府軍56名が戦死したとあり、彰義隊の墓がココにある訳です。「上野公園」、西郷隆盛の銅像のすぐ近くにあります。
3)薩摩藩中屋敷跡(江戸)   薩摩藩中屋敷跡(薩摩幸橋屋敷跡)は現在の帝国ホテル付近にありました。
4)薩摩藩上屋敷跡      大名とその家族が居住するところが、上屋敷です。
               薩摩藩上屋敷跡(薩摩藩三田屋敷跡)、現在は、NEC(日本電気)の本社ビルが建っています。
5)江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地
               薩摩藩蔵屋敷があった場所で、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の相談をした「西郷南洲・勝海舟会見の地」です。田町(三田)にあります。



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