札幌市のお隣、江別市にも歴史を重ねてきた建築が在る。この建築は「OLD-e#(オールドイー)cafe and Rest-bar」というカフェなのだが、元は銀行であった。旧第十二銀行札幌支店営業所として使われ、北陸銀行江別支店となり、現在はカフェレストランである。
1階中央部分に薪ストーブが設置されている。
2階にも客席が有り、吹き抜けにより繋がっている。
この日は2階席でエゾ鹿肉のカレーを食べたが、とても美味しかった。
そろそろ正面部分だけでも、塗装などの補修を行ったらどうだろう。
「旧第十二銀行札幌支店営業所/OLD-e#cafe and Rest-bar」
設計者:? 竣工:1919年 北海道江別市二条2
国指定登録文化財
松前よりも函館寄りの位置に、福島町がある。千代の山、千代の富士という二人の横綱を生んだ街だ。その福島町に「横綱千代の山・千代の富士記念館」が建っている。割と大きい建築で、千代の山、千代の富士という二人の横綱縁の品を展示しているのだが、実は1階の中心に土俵が有る。この土俵は九重部屋の稽古場を模した中に有り、夏には九重部屋が合宿をしに訪れる。2年前にも行われていた。九重部屋の幕内や十両の力士達の稽古を間近で見れるとあって、見学者が多い。
友人K君と共に、少しの間見学した。フラッシュをたかなければ稽古風景の撮影も可能だった。下の写真の右隅に、厳しく指導されている九重親方が写っている。
スロープを用いた動線を進むと、両横綱の資料や展示品を沢山見ることが出来る。
千代の富士の綱や化粧まわしなど。
国民栄誉賞の賞状も。
とても楽しい見学となった。
「横綱千代の山・千代の富士記念館」
設計者:アトリエブンク 竣工:1997年 北海道松前郡福島町字福島190
「横山家」は道南江差町に建つ歴史的建築物で、現在も資料館及び「ニシンそば」一品だけを出すそば屋として使われている。建築年は1893年なのだが、その明治期のデザインではなく150年ほど前の様式で建てられたとのことである。押し縁下見板張りの外壁が長手方向に続く。
こちらがそば屋の入り口である。
縦長の平面形の内部はこのように土間が続いている。
住居部分の座敷を店舗として利用している。
当主自らが行われる解説付き見学会などがあり、大切にされている建築だ。ニシンそばは勿論とても美味しい。
「横山家」
設計者:? 竣工:1893年 北海道檜山郡江差町姥神町45
北海道指定有形文化財
ちょうど2年前の2012年夏、この建築を撮影した。下の写真がそれである。
屋根材や外壁材が痛んでおり、窓ガラスが割れている箇所もあった。
だが、今回訪れてみると、補修がなされており、トップの写真や下の写真のように、全部ではないものの綺麗になっていた。
実はこの建築にお住まいの方がいらっしゃる。使われ続けている建築なのだ。六角形の越屋根部分は明り取りなのだそうで、二階の擬洋風窓など魚場建築としては当時他に見られない和様折衷の建築である。
「かくじゅう佐藤家」
設計者:? 竣工:1877年~1887年頃 北海道寿都郡寿都町字歌棄町有戸163
北海道有形文化財
本日は「お蔵出しシリーズ」ではない。isamuさんから宿題を頂戴し、その建築を見てきた。それはトップの写真ではなく、以下の写真が説明する住宅建築だ。
現在も使われている住宅建築なので、写真をUPすることは控えたいと思う。札幌では景観資産に指定された建築の門前などに、上写真のような説明板を設置している。この建築もなかなか良い建築だった。(写真は掲載しないが・・・。苦笑)
トップの写真は札幌で最も古いRC造の事務所ビルで、上の説明板の住宅近くに建っており、同じく「札幌景観資産」に指定されている。モダニズム建築の香りも漂いつつ、細部の意匠が秀逸な建築だ。ちょっと表現主義的な雰囲気を持っている。
「旧藪商事会社ビル/三誠ビル」
設計者:田中豊太郎 竣工:1924年 札幌市中央区南1条西13丁目317-2
札幌景観資産
「金襴緞子の帯しめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」
誰もがしっているあの詩を書いた、蕗谷虹児の出身地新発田市に内井昭蔵氏設計の「蕗谷虹児記念館」が在る。
RC造なのだが、蕗谷虹児の詩やイラストを知るものが見ると、郷愁溢れる建築に見えてくる。
ポストモダンの時期の作品だからであろうか。
ポストモダンの建築は多くの事を訴えかけてくる。だから好きなのだ。
蕗谷虹児の歌碑は、新潟市内に在る「イタリア軒」という高級旅館前に設置されているのだが、この「イタリア軒」で食事をしたり宿泊したりすることは、地元の人にとってステータスなのである。私が新潟大学生として新潟市内に住んでいた時には、そう感じていた。蕗谷虹児がこのイタリア軒の近くに住んでいた際は、あまり裕福ではなかったそうだ。
「蕗谷虹児記念館」
設計者:内井昭蔵 竣工:1987年 新潟県新発田市中央町4丁目11-7
国の公共建築百選(1998年)
最近、建築探訪に出かける時間が取れない。それで、過去に撮影したものから「お蔵出し」しようと思う。ただの「お蔵出しシリーズ」だと面白くないので、本日は改修され形を変えてしまった建築を紹介する。北海道のオホーツクに、伊東豊雄氏が建てた旧「ホテルポリーニャ」、現「ホテル清さと」である。以前、紹介したことがあり、その時は現在の会社に売却された直後で、原型を留めていた。営業開始に際し、おしゃれなオーベルジュへと変身した為、外観も変わってしまったそうである。8年前はトップや以下の写真の姿をしていた。
上空から見ると、「P」の形状をしていた。その曲線部分、エントランスは以下のようであった。
また、東側外壁材にはガラスブロックが用いられていたのだが、これはどうやら残っているらしい。
以前にも書いたが、客室の印象は企業の独身寮みたいだった。
近くから覗いてみると、こんな感じ。
あれから8年経った。変貌した姿を見たくもあるが、止めておいた方が良い気もする・・・。
「ホテル清さと/旧ホテルポリーニャ」
設計者:伊東豊雄 竣工:1992年 北海道斜里郡清里町字上斜里815-8
空知の栗山町に、「北の錦」で有名な小林酒造がある。新潟出身の創業者が、まず札幌で開業し、その二男が現地に移転させたものだ。明治期、大正期の建築群が現在でも使用されており、どの建築も興味を引かれる良いものなのだが、今回は煉瓦造建築の写真をUPした。
トップの写真が2、3番庫で、すぐ上の写真が蒸米放冷室となる。放冷室が最も古く明治時代の煉瓦建築で、バットレスが付く構造となっている。
隣接敷地には蕎麦屋なども在って、一日過ごせる場所だ。
「小林酒造2、3番庫・蒸米放冷室」
設計者:? 竣工:1921年・1900年 北海道栗山町錦3
過日、クラッシックギターの師匠である宮下先生と、札幌交響楽団ファゴット首席奏者坂口さんとのアンサンブルコンサートが、札幌市南区のカフェ「ディ レニー」で開催された。このカフェの旧名称は「ディ フロンテ アッラルテ」であったそうだ。白樺の木々に囲まれた建築は、実は国道に面しているのだが、うっかりすると通り過ぎてしまう。
晴れた日には、木漏れ日が外壁に降り注ぎ、良い雰囲気だ。
エントランスには、印象的な真っ赤な看板が設置されている。
内部には吹き抜け空間が有り、鉄骨の螺旋階段が設置されている。
内部仕上げには木材を多用しているが、ほとんどの部分がシルバーで塗られており、結構気合いが入っている。プランといい、色といい、誰かデザイナーが設計したのだと思うのだが、調べきれていない。
「カフェ ディ レニー」 札幌市南区常盤 4条二丁目17−13
昨日は「マダ名モナイ.オニギリ屋」さんを紹介したが、本当はこちら「ラムヤート」さんの方が、メインストリートに面した主役の建築である。場所は洞爺湖湖畔だ。
上の写真は映画「幸せのパン」のロケ地で撮影したもので、肝心の建築は撮影禁止だった為、掲載できない。
トップの写真「ラムヤート」さんは、映画ではガラス工房として登場したのだが、実際にはこちらが本当のパン屋さんだ。内部撮影も可能だった。
「幸せのパン」は大泉洋さんと原田知世さん主演の映画で、心温まる良い映画だ。どうぞご覧あれ。
「ラムヤート」 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町128−10
札幌のお隣、江別市の駅前すぐの場所に煉瓦のファサードを持つ建築が在る。「喫茶小劇場 ドラマシアターどもⅣ/旧江別郵便局」がそうだ。竣工は大正11年で、一時病院としても使われていたそうである。現在はカフェと、地元劇団の劇場、ギャラリースペースとして活用されており、この日も夕刻から劇団員の方が稽古されていた。
ネットで調べたところ、長い年月の間に一部解体されたりして竣工時の姿ではないらしいが、地元の特産品である煉瓦を使用し、現在もよく活用されている貴重な建築だ。その歴史的建築内のカフェでコーヒーとケーキを注文する。
カフェスペースは落ち着く雰囲気を醸し出している。
この日、稽古をされているメンバーは2人ということであったが、恐らく多くの役者さん達が稽古後このカフェで美味しいコーヒーを飲むのだろう。
昔観た東京キッドブラザースの「KID」を思いだしながら、自分も美味しいコーヒーを頂いた。
「喫茶小劇場 ドラマシアターどもⅣ/旧江別郵便局」
設計者:? 竣工:1922年 北海道江別市2条2丁目7-1
昨夏、大学院の同級生達が江別市やきもの市に合わせて、「街のしずく」というアートイベントを開催した。そのインスタレーションの場となった「多目的スペース 銀のしずく」を掲載する。この建築は解体の危機にあったのだが、中庭スペースを壊さぬ為にも保存が必要と、前市長が購入されたものだ。おかげで昨夏のイベントも開催することが出来た。
建築内部へ入ると、1階内部の仕上げは取り除かれており、木軸部分が見えていた。
イベント時には、各々が好きなように仕上げるという。
狭い階段を上り2階へ上がる。と、そこには・・・
板張りで結構広い空間が存在していた。
建築を残す為には、使い続けることが肝要である。今年の夏も、この建築を利用し「街のしずく広場」の2回目が開催される予定だ。
「多目的スペース 銀のしずく」
設計者:? 竣工:?年 江別市2条1丁目
毎年、新ひだか町静内で開催される、桜まつりの期間中に公開される「龍雲閣」を見てきた。内部見学できるのは一年のうち、まつり期間中だけである。今年は5月4日から11日であった。旧名称は「宮内庁新冠御料牧場龍雲閣」で、御料馬や軍馬を生産する牧場における貴賓用客舎として建設された。明治42年の韓国皇太子御臨場に合わせ竣工し、その後は皇太子時代の昭和天皇や、平成18年には天皇皇后両陛下も訪れ、多くの皇族の方々を迎えた。
2階建ての母屋と前後2棟の従屋から成る構成の建築だ。
入り口は仰々しい構えではないが、厳かな佇まいを見せる。
立派な造りで静内のこの地に、こんな建築が在るなんてと感心するが、実はよく見ると、あちこちに傷んだ箇所を発見する。補修が必要と思わせる部分も有る。
数年前にも公開期間に合わせて訪れたことがあるし、それ以外にも何度か立ち寄ったこともあった。その度に思うのは、年に1度1週間だけの一般公開だけではなく、週末だけでも拝観料を設けた上で公開してはどうかと考えるのだが、管理が大変なのだろうか。補修費を得られると思うのだが、そう甘くもないのか。
「独立行政法人 家畜改良センター新冠牧場龍雲閣」
設計者:? 竣工:1909年 新日高町御園
北海道の空知地方、栗山町駅前にRCの架構と煉瓦壁の組み合わせによる倉庫が建っている。以前penkou師匠と、北海道バナキュラーに関して「煉瓦という素材はどうか?」と話したことが有る。pennkou師匠が上遠野徹先生の本の原稿をお書きになる際に話したのだっただろうか・・・。煉瓦が北海道を特徴付ける素材だと、北海道民の自分は全く意識したことが無かったのだが、それこそがバナキュラーだったのかと思った次第だ。しかし実際、今でも煉瓦に特別な思いは持っていない。他の方々は如何なのだろうか・・・。
そう言った訳で、普段なら撮らなかったかもしれない煉瓦倉庫を撮影してみた。北海道のあちこちに、煉瓦建築は思いの外残っているようだ。
これまで何度か新旭川駅舎を掲載してきたが、ファサード工事は完了していない時期だったので、今回がファサード写真初掲載である。大きなガラスカーテンウォールを使用しており、ホームから旭川の大自然を見ることが出来る。
旭川駅自体は、非常に綺麗な現代建築となったのだが、駅周辺も妙にすっきりして、何だか駅の「雑踏」「賑わい」的な雰囲気が無くなってしまった気がする。もっとも、旭川の繁華街は駅から少し離れているのだが。
「旭川駅舎」
設計者:内藤廣 竣工:2011年 旭川市宮下通8丁目4153番地1