40歳からの子育て~テキトウ編~

縁あってスピード結婚&スピード出産×2。
仕事も子育てもマイペースでゆるく暮らしてます。

ニューカレドニア編

2005-08-16 22:33:12 | 旅日記('88-'02)
2年前、フランスに行った帰りの飛行機の中で、
隣りに座っていたのがニューカレドニアの女性だった。
彼女がとても気持ちのいい人だったので、
「天国に一番近い島」で有名なあの島に
いつか行ってみたいと思ったのだった。
思えば、あのときから今回の旅は始まっていたのかもしれない。

<旅行期間>
1998年3月17日-3月25日(9日間)

<訪れたところ>
ヌメア市内、マレ島


日程
1日目 検査官ってこうなの?
2日目 トリコロールバケツ
3日目 風に吹かれて
4日目 南の島のアリス
5日目 島めぐり
6日目 パパイヤのせご飯
7日目 風、風、風
8日目 アボカドをおみやげに
9日目 ノエルの話

●3月17日:検査官ってこうなの?
  成田を発ったのは20:00。荷物検査で案の定、サバイバルナイフが引っかかった。ナイフを取り出され、バッグを再びベルトコンベアーに乗せられている間、突然、検査官が「今、風間トオルが通っていったの、気づきました?」とうれしそうに聞いてきた。
 基本的にこういう人たちは無駄口をたたかないと思っていたので意表をつかれたが、「どこ行くんでしょうね?」と乗ってみた。すると、フライト時刻表を見て「今の時間だったらグアムかホノルルでしょうね。白い帽子をかぶってて、まだあの角あたりにいると思いますよ」と得意げに答えてくれた。風間トオルはどうでもよかったが、ちょっと愉快な気分になった。

 ニューカレドニアに着陸する直前、爽やかな柑橘系の香りの殺虫スプレーを両手で高く持ち上げて、両通路を2人でスプレーしながら歩くスチュワーデスの姿は、まるで踊っているようだった。


●3月18日:トリコロールバケツ
  朝7時、こじんまりとしたトントゥータ空港に着く。空港に降り立った瞬間、刈ったばかりの芝生の匂いがした。空港のロビーに赤や青や白のバケツが5~6コ置かれていて、時々何か音がすると思ったら、バケツで雨漏りを受けていたのだった。3色でコーディネートするのは結構だが、まず雨漏りを直したら?という気がしないでもない。
 空港の清掃員の中年女性は、清掃着なんだけれど、耳に大きな花をさしていて南国情緒たっぷりである。

 洗面所で歯を磨いていたら、フランス人の中年女性が入ってきて、鏡ごしにわたしの顔を見るなり、ギョッとしてすぐに出ていこうとしたので、「アノー、わたし女性です。男の子だと思いました?」と先手を打つと、「あらぁ、そうなのねー!」と笑って再び入ってきた。

 ヌメア市内まで、中が木肌をさらしたままの、今時まだこんなのがあるんだと驚くほど古いローカルバスで行った。最初、乗客はわたしひとりだったので、気のいい初老の運転手と四方山話。途中、いくつかの村を通ったが、バス停留所の標識がないところになんとなく人が立っていて、バスもなんとなく停まって客を乗せたり降ろしたりしながら進んでいった。

 バスターミナルに着き、カテドラルのすぐ隣りにあるエア・カレドニアでマレ島への往復エア・チケットを買い、民宿シ・メッドを6泊分予約する。そこで荷物を預かってもらい、通りのベトナム・レストランでフォーと生春巻で昼食を済ませる。

 その後、ヌメア美術館に行ってみた。エアコンが効いていて、しかもほとんど訪れる人もなかったので、展示品を見ているフリをしてしばらく居眠りした。しばらくして人が数人入ってきたので、中庭のベンチに移り、あまりの風の気持ちよさにまたここでもウトウトしてしまう。その後、そばにやってきた30代の日本人男性としばらくおしゃべりする。ヌメアの「ノボテル・ル・サーフ」は近所の環境も整っているし、なかなか快適なホテルだったということなど、現地ならではの情報をいろいろ教えてくれた。

 荷物を取りに行き、ココティエ広場で拾ったタクシーのフランス系運転手は「天国に一番近い島」の本のことを知っていた。国内線のマジャンタ空港は、トントゥータ空港よりさらに小さい。荷物検査場では、大抵の人の荷物が引っかかってピーピー警報が鳴っているのに、何のおとがめもなく、そのままみんな飛行機に乗り込む。機内アナウンスの英語はフランス語なまりがすごくサッパリ分からない。

 マレ島に到着すると、迎えに来てくれていた民宿の送迎車が、時速100キロ前後のスピードで宿まで連れて行ったくれた。今はシーズン・オフだから4人用バンガローを一人で使ってくれという。バンガロー内には、イエス・キリストが小舟でニューカレドニアに着いたときの絵がかけられていた。トイレ・シャワーも一応ついているし、とりあえずお湯も出るのはありがたい。

 宿の前は海なのか、潮騒がしたが、真っ暗でなにも見えなかった。夕食は、民宿のレストランで、ハイネケンとトマトサラダとカレー風味チキン。このチキンがどうにも甘く、いただけない味だった。サラダのドレッシングもかなり甘かった。わたしのほかに客はもう一人いるらしいが、明日発つらしい。食堂の感じはよいが、クリスマスの飾りがまだ残っている。


●3月19日:風に吹かれて
  島で迎える特別な日。朝、雨の音をベッドの中でしばらく聞いていた。8時半ころレストランに行き、クロワッサンとカフェオレ、バター、いちごジャム、オレンジジュース、それにアボカド1/4個を食べる。やわらかいアボカドに塩をふって食べたらとてもおいしかった。
 腕時計をはずしているので、時間が実にゆっくり過ぎていく。庭にあるパラソルつきテーブルにこしかけていると、ヌメアで働いている友達を訪ね、今日はひとりでマレ島に日帰り旅行に来たのというパリの女性がやってきたので、いっしょにお昼を食べる。

 その後、近所の思いっきり素朴な店まで散歩したり(賞味期限はあまり気にしない感じの品揃え。ここでもキッコーマンを見かける)、ワワという人なつっこい民宿の男の子(2才)と海辺で遊んだりして過ごす。散歩の途中にある広場でサッカーをしていた島の男の子たちには、ベトナム人と間違われる。

 なにもせず、風に吹かれているだけで気持ちがいい。少しくもっているので遠くの海は微妙に暗い色だが、手前はエメラルドグリーンである。民宿のそばには数件の家や低木の雑木林があるだけでなにもない。民宿のスタッフのもう一人の男の子ノエルもやってきた。こっちは少しきかん坊だ。泊まり客以外もシ・メッド内のレストランを利用できるらしく、常連とおぼしき村の人たちが家族連れで来ていた。夜は春雨入りベトナムスープとフライドポテトつきステーキ、それにグリーンサラダ。


●3月20日:南の島のアリス
  朝食はパン・オ・ショコラ、カフェオレに、オレンジジュース。食事が済んでから、民宿のスタッフのひとりで、わたしとほぼ同い年のアリスとおしゃべりする。日本人の客に習ったといって、日本語も少し知っていた。一日中、海辺や島を散歩した。雲は多いが、時々晴れ間が出ると、海の色がすばらしくきれいなブルーに変わる。夕方、すごい夕焼けを見た。


●3月21日:島めぐり
  午前中は、民宿のスタッフ、ノエル(プチ・ノエルのお父さん)が、車で島めぐりに連れて行ってくれた。エミ村や、パダワ、アクアリウム・ナチュレル、ル・ソ・デュ・ゲール、ル・トゥル・ドゥ・ボンヌなどをひと巡り。どこも美しく、その水の透明度には驚くものがあった。
 午後は村を散歩。想像以上に素朴なところだ。ノエルの車で村を通りすぎるとき、彼は会う人ごとに手を挙げてあいさつをしていた。車中のラジオでは、脱フランス化のスピーチが流れていた。ニューカレドニアに来るのは、ほとんどフランス人か日本人らしい。島めぐりの途中、ノエルが車を停めてグルナーヴといういちじくに似た自生の黄色い果物をもいでくれた。さっぱりとして、ほんのりと甘い南国の味。わたしたちのほかにも、カゴを持ってもぎに来ている家族連れがいた。

 午後から雨だったので、民宿で本を読んでいた。日本人が古来の伝統や文化に目覚めるのは、びっくりしたときに今まで標準語で話していたのがいきなりお国訛りが出てしまうのと同じようなものだたとえる丸山真男。この民宿に植わっている木々は本当に太くて大きい。犬が気分でやってきてそばで寝ころんだり眠ったりして、完全にわたしになついている。夕食はチャーハン、トリのスープ、そして「No.1」というビール。バンガロー内の照明はかなり暗いため、日が落ちると本が読めなくなる。


●3月22日:パパイヤのせご飯
  5日もいると、それなりに生活のリズムもできてくる。朝、カフェオレとパン・オ・ショコラ、アボカド、りんごジュースで朝食をとり、午前中は海辺を散歩。フランス人の中年男性が釣りをしていたので「釣れますか?」と聞くと、「3匹釣ったよ」と脱ぎ捨てた靴のあたりを指した。
 見ると、なるほど、どうにか食べられそうな色合いの大きな魚が3匹、砂の上に横たわっている。彼は、比較的近所にある別のキッチンつきバンガローに滞在中だという。淡路島を少し大きくしただけの規模のマレ島には、民宿シ・メッドと、彼の泊まっているバンガローChez Martine、それにネンゴネ・ゼラージュというリゾートホテルの3つしか宿泊所がない。

 昼すぎに、アリスが「私が作ったんだけど、よかったら食べない?お代はもちろんいらないわよ」と、バンガローまでランチを持ってきてくれた。ご飯の上に、パパイヤをつぶして炒めたようなものがのっかっていて、トリの焼いたのが添えてある。パパイヤのソテは口に合わなかったが、アリスの親切心はありがたかった。

 宿のスタッフはまたみんな昼寝をしているのか、静かな午後である。
 夜、夕食にエビのにんにく炒めをアリスと食べながら、彼女に日本語の基礎を教えてあげた。こんなになんにもないところなのに、日本語を勉強したいと熱意満々である。食堂には、犬、ネコ、ハトが交互に入ってくる。たまに、プチ・ノエルやワワもやってくる。

 風がやけに強くなったと思っていたら、低気圧が接近しているらしい。今夜から明日の午後にかけてずっとこういう天気だという。大雨大風がひどくてひとりでバンガローに寝るのが怖かったら、いつでもわたしたちのところにおいでとアリスに言われる。


●3月23日:風、風、風
  朝から風の音、波の音、木々のざわめきがすごい。強風で木の実がポトリ、ポトリと落ちる。雨も時々降る。だが、こんなときでも、民宿の大きな木を見るとどことなく安心する。今や、民宿の庭も海も騒然たる眺めで、まるで映画のセットのようだ。海辺にあるため、雨風の強さもひとしおなのだ。だが、島の子はこういう天気には慣れているのか、さっき、プチ・ノエルが庭の小道を平気な顔をしてキコキコと三輪車で通りすぎていった。明日の飛行機が気になり、アリスに携帯電話を借りてエア・カレドニアに電話したところ、定刻通りに飛ぶ予定といわれる。
 このシ・メッドは、ノエル、キキ、プチ・ノエル、ワワ(女の子)、リディ、ワワ(男の子)、アリス、ウィリー、ノエルの父、そしてベトナム人の料理人クロードの10人で構成されている大家族(クロードを除く)経営の民宿だ。敷地内には、バンガローが7つ、受付、食堂、それにテレビもある談話室がある。文字どおり「犬コロ」扱いの島の犬たちは、あまり大事にされていないが、とても従順で荒っぽさがみじんもない。

 バンガローの軒下にイスを持ち出して本を読んでいた。ふと目を上げると、タップリとした体を揺らしながらテレビに合わせて踊っているアリスが見える。


●3月24日:アボカドをおみやげに
  朝になると、雨も風も信じられないくらいピタリと止み、海はもとの穏やかさを取り戻している。今日はマレ島を発つ。
 テラスで朝食をとっていると、もとシ・メッドのオーナーで今は引退しているおじいさんがやってきて、アボカドがいっぱいあるから持って帰りなさいといってくれた。裏庭にも連れていってくれ、アボカドやパパイヤが木になっているところを見せてもらう。アボカドはまだ青いままアミ袋一杯に入れられ、小屋の入口に置かれていた。
 木からもいで、コップについで飲ませてもらったココナツジュースはうす甘く、おいしかった。今は時期ではないが、ライチの木もある。おじいさんに「ニューカレドニアはニアウリの木がたくさんあるって聞いたけど、どんな木なの?」と聞くと、庭のすみにある白っぽい細い枝の木のところに連れてくれた。ミントのようなさわやかな匂い。庭に植わっているいろんな木や野菜の話を聞く。

 空港に電話したところ、予定変更で午後便しか飛ばないといわれたので、それまでアリスの夫、ウィリーと民宿前の海でしばらく泳いだ。彼がひと足早く上がり、またおもむろに庭のそうじをし始めてから、広いビーチでたったひとりで泳ぐ。気分爽快。

 空は真っ青で、白い雲のかげで真上の空がくもっていても、水平線側からすぐにサーッと日が差してきて、白浜が真っ白になると同時に、海もなんともいえないほど美しい水色になる。ただ、ひたすら透明で美しい海。雨に洗われ、緑もよりいっそういきいきしている。民宿のほうを眺めると、ヤシの葉で葺いたバンガローが、ゆうべの雨なんか存じませんという顔をしている。

 テラスでくつろいでいると、キキ(ノエルの奥さん)やアリスが車で戻ってきて、肉と野菜のいためものとご飯が入ったお弁当をくれた。お代はいらないわよ、とアリス。あまり商売っ気のない民宿だ。民宿経営のかたわらケータリングサービスもやっていて、お昼時に役場や学校の職員たちにランチを配達しているのだが、この大雨のせいでどこも仕事は午後からということだった。今日は朝から晴れていたのに、午後過ぎから仕事再開とは、なんだかのんきだ。飛行機も同じで、朝からいい天気なのに、通常1日2便飛ぶところを夕方しか飛ばないなんて、実にのんびりしている。いいなあ。

 ヌメアに用事のあるワワ親子と一緒に空港まで行った。空港前の簡易レストランで飲んだパッションフルーツのジュースが、なんともいえずおいしかった。ヌメア-マレ島間のエア・カレドニア機内では、エンヤのカリビアン・ブルーがかかっていたが、スピーカーの調子が悪く、途中で途切れたりする。外見はそうでもないが、中身は正真正銘の中古という感じの小さな飛行機だ。

   本島に着き、空港を出ると、市内まで行くバスにギリギリで間に合う。バスの中で、小さくておしゃまな感じのフランス人の女の子が「行き先を運転手さんに知らせといたほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。

 ヌメア市内でおみやげを少し買い、ココティエ広場近くの電話ボックスで予約したノボテル・ホテルにバスで向かう。荷物を部屋に置き、美術館で会った日本人の彼に教えてもらったフランス人経営のデリカテッセンで、夕食用にパテ・ド・カンパーニュ、ビール、ハンバーガーを買う。パテなんて手のこんだものを食べるのは久しぶりのような気がする。フランス語を片言でも話す日本人がよほど少ないのか、デリのおじさんはいろんなことを聞いてきた。

 お風呂に入る前、両足に湿疹ができていることに気づく。まるで線で引いたように、両ひざ10センチ上くらいからくっきりと湿疹が出ている。ホテルの受付に、もう夜の9時すぎなので医者を呼び出すと高額の費用をとられるといわれたので、代わりに近所の薬局への行き方を教えてもらう。


●3月25日:ノエルの話
  朝起きて、さっそくアンスバタの海岸近くにある薬局に出かける。途中、道を間違えて半島をぐるりと一周してしまい、薬局に行くのをあきらめようかと思ったが、足をそのままにしておくのもなんだったので、再び15分ほど歩いてやっと探し当てた。
 店内はエアコンがきいていてひんやりと気持ちよかった。薬局に向かう途中、シトロン湾で日光浴をしたり泳いでいる人たちを見かけたが、このヌメアやアンスバタの海を見て「これがニューカレドニアだ」と満足しないで本当によかったと思った。はっきり言って、マレ島の海とは全然違う。ホテルも日本で予約せずに現地で決めて正解だった。

 空港までは最寄りのいくつかのホテル経由の送迎バスで行った。相変わらず雨漏り受けの3色バケツがロビーに置かれていた。帰りのエアフラの機内上映で「萌えの朱雀」と「コンタクト」を観て、夜8時近く成田に着く。

 今回は、会社を辞め、ひと区切りつけたくなって出かけた旅だった。完全にリゾート化している本島のアンスバタやヌメアもいいが、マレ島のバンガローでは、日ごろの東京の暮らしの窮屈さと素晴らしさの両方を感じた。多少なりとも言葉が通じたのもよかったのかもしれない。こちらがフランス語を少ししゃべると分かると、それまでビジネスライクに英語を話していた人も、途端に親しげな口調になった。

 ノエルと島めぐりの最中、人口15万人のお隣りの島、バヌアツ共和国に行ったことがあるかと聞いてみたら、「ああ、行ったことあるよ。きれいなところだけど、暮らしは貧しそうだったよ」と答えた。日本に生まれ、東京で生活しているわたしから見たら、マレ島の生活も相当お金がないというか、お金を使わない暮らしに見えるのだが、彼らは彼らでまた、バヌアツに行くと思うところがあるらしい。

 ココナツの実が一年中実っているニューカレドニア。これから先、わたしが東京でまた泣いたり笑ったりしている間も、あの海や自然はずっとあのままであってほしい。



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