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バイク歴 【1時限目:10代のバイクライフ】

2005年09月26日 | ■ワース社長の身勝手己事
今日から数回に渡り、マスターのバイク歴についてタレてみようと思います。

【本日の1時限目:10代の頃】

大工をしていた親父が仕事で使っていたバイクが殆どスズキ車であったことから、自分もバイクに乗るならスズキと決めていました。
先輩達はDAX(ダッコロ)やGT50(ミニトレ)でキメキメしていましたが、大のスズキ党である自分は初めて買ったバイクが初代ロータリーバルブのハスラー50でした。
しかしこのハスラー50は3万キロも走っていた物を昭和52年当時京浜○ンダさんで3万円も出さされて買わされた挙句、ナント!3ヶ月で焼付いて廃車になってしまいました。大田区の京浜蒲田近くに7本の道が交差する《七辻交差点》の近くにある京浜○ンダさんまだあるのでしょうか?今では商売の反面教師になっており大変助かっております。

その後、近くの江川輪業さんでスズキのミニタンOM50(これは先輩達が乗っていたミニトレより数段速かった)の新車を買い半年で1万キロも乗りました。その間、教習所に行く金が無いので直接鮫洲試験場に中型免許の学科1回と実技6回も掛かりようやく合格!

中型免許取得後に早速、先輩がスズキのGT250を6万円で売ってくれるというので現金持って買いに行きました。
エンジンは掛からないと聞いていたので友人のホークⅡでそのGT250を牽引して来た。

ミニタン購入から行きつけになっていた大田区西糀谷の江川輪業に持って行き、そこの親父に『今買ってきたからエンジン掛けてくれ』と頼んだら『お前は高校が自動車科なんだからテメーでやれ!』と工具を貸してもらいドキドキの整備開始!

早速、江川の親父の爆弾炸裂!『オイ!キック降りね~ぞ!これじゃ前のハスラーと同じだ。こんなバイク返して来い』だって。
そこをなんとか拝み倒してみると『しょうがねえな~、プラグ外してキックしてみろ』と言われてタンクとプラグを外してマスターは思いっきりキックした『オ~キック降りた~!』と喜んだのも束の間、顔面真っ黒いガソリンだらけで何がなんだかわかんらんところでも江川の親父に『親父さ~ん、なんだこれよ~』でも親父はウッヒャッヒャッ~って笑い転げてるだけ!

その状況は何が起きたか全く解らんし、目は開かないし、股ぐらから上着部分までガソリンだらけ!

今でこそ何が起きたか解るが当時は何も知らないクソガキ時代。長く乗っていなかった為、キャブが腐ってオーバーフローしたガソリンがクランクケース内の一時圧縮部分に溜まっていた物がプラグ外した穴から勢い良く飛び出しただけのこと。

ソレを知っててこの親父は俺に『思いっきりキックしろ~』だって…

でもここ江川輪業の親父とおばちゃんには本当に世話になった。現マスターのバイク原点であることは間違いない!スズキに就職した後も20年位ず~っと世話になりました。ところで親父自慢のハーレーのWLはまだ持ってるのかな~? そうだ今度挨拶がてら親父の様子見に行ってWL買取してこよう!

んでもってGT250を高校2年の半ばまで乗り、その間に大型免許を苦節9回もかかってようやく受かり晴れて750買うゾ!と探したが高くて買えず、またまたエンジンの掛からないGT550が3万円であるぞと情報を聞きつけ、即3万円を握り締め買ってきて江川輪業に持ち込んだのは間違いなかったが、今回はガソリンの顔面発射だけは阻止できる余裕も持ち合わせたマスターだった。(激進歩!)

このGT550はGT380とクリソツなのでワザとサイドカバーのエンブレムをGT380に交換して、サンパチだと思わせてシグナル勝負で当時早かったホークⅡやKH400が勝負してきましたが、その速さは圧倒的だったことは言うまでもない。

そしていよいよ高3の5月に貯めたバイト代も25万円になり、先輩がフォーセールしていたカワサキZ2を買いました!

1979年当時は国の暴走族対策で大型免許は取らせない方向の世の中だった。
その中での高校の友人連中や、大井埠頭での○走族の方達との集団大走行会でもZ2乗って行くと大スターでもう鼻高々!

だが当時のZ2はとにかく遅かった、ザリ(GSX400E)やバブ(ホークⅡ)と速さは殆ど同じ!
バリバリ伝説で聖秀吉が乗ってたカタナのベースになった通称ベコのGSX750Eや巨摩郡CB750FZが発表されたのがこの時代でこの2台とは全く勝負にならない代物でした。

いよいよマスターもスズキへの就職も決まりカワサキZ2じゃまずいよなと思い、スズキ車の選定をしていたところ、バイク屋のポスターやバイク雑誌に『ヒラリヒラリ』『このヒラリ感が…』とかなり大きく宣伝してるな~それに世界GPチャンピオンの片山敬済をイメキャラにしてるしスゴク気になる。
そんなところに羽田ホンダさんでホンダ主催の試乗会があると聞き、早速乗りに行った。
乗ってすぐ感じたことはこんなペタンペタン寝るバイクはOFF車や原チャ以外では初めてだった(当時のバイクはすぐスタンドやマフラーが接地する)のと、単気筒のスーパースポーツがとても新鮮で、スズキ入社のこと等全く忘れて江川の親父さんに即注文していたそのバイクとは当時かなり売れた【CB250RS】でした。

このCB250RSはスズキへの通勤でも内緒で乗っていき(会社近くに止めていた)1年半で25,000kmも乗りました。
中でも筑波でのプロダクションレースにこのCBで出ていました。スズキ社員である自分がホンダのCB250RSでスズキRG250Eをぶち抜くのはとても複雑でしたが、バンク角の少ないRGを第一コーナー、ヘアピン、最終コーナーでアウトからぶち抜く快感は最高でしたね。

その後RZ250が出てプロダクションレースもRZ一色になったのと、以前から会社上司からもレースはやめろと言われ続けていたので、Z2で富士スピードウェイを疾走した時代から、本格的にTZ250での筑波時代を経て、CBのプロダクションでマスターのロードレースは終わりを告げたと同時に、素敵なマスターの10代は終わりを告げました…ホント青春だったな~!

マスターの10代当時(1970年代)は本当に今でも最高にバイクの良き時代でした。CB750をはじめZ2、CB400Four、サンパチ、ケッチ&SS、ホ-クⅡ、GS400、Z400FX等の他にローパル&パッソルにDAX&ミニトレ、ホント今でもとても魅力的なバイクが多く誕生した時代でしたね。
バイク以外ではディスコ全盛時代で歌舞伎町のカンタベリーハウス(ギリシャ&ビバ)、ツバキハウス、トゥモロウUSA等々よく先輩からパー券捌きさせられました。

次回の【2時限目:20代のバイクライフ】に乞うご期待!

                                  ワースワイルマスター

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