2020年7月30日(木)
朝の緊急地震速報、いきなりビービー鳴りだすので、びっくりした。
すわ!っと身構えたけれど、いつまでたっても揺れが来ない。
誤報だったけれど、まあ、大揺れしなかったから、いいわ。(^^)
今日は、緊急事態宣言の頃より、ずっとコロナの陽性者が増えてきたとの
テレビを見ながら、チュニックのリメイクをやった。
腰から下の部分が、だんだんピタッとしてきたのでね。(^^;)
裾から20cmくらい切って、その布の一部を半円形に切って、
広すぎる胸元に持ってきた。
胸の開き具合を小さくするように縫い付けた布は、ウィステらしく、
どうもすっきり縫い付けられていない。
でも、良いんだ。グレーの地に白とピンクのラインが、斜めに
入っている模様だから、変な皺もなんとなく模様にまぎれて誤魔化せるんだ。(^^;)
はい、Tシャツ、一丁上がり♪
さて、テレビによると、東京は、前回を上回る緊急事態が近いと身構えている様子。
う~む、そうなると、ムスメの居る埼玉も増えて大変になるだろうし、
ダンスどころではなく、埼玉へ駆けつけなくちゃ。
そこで、前回、ムスメ宅にヘルプに行ったときのエッセイを・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「コロナの時代」
令和二年四月七日に新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出されて、
一か月以上がたった。不要不急の外出、県境を越えての外出は控えるようにと、
政府やテレビは、盛んに言っているけれど、私は、ここのところ毎週、
千葉から埼玉の娘宅へ県境二つ越えて通っている。空いた電車に乗るたびに、
「私の外出は、必要緊急だもの」
と、自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせながら……。
共働きの娘宅での仕事は、学童が自粛中なので、四年生のゆ~ちゃんと
一年生のみ~ちゃんとの留守番。なによりも、二人に学校からの宿題をさせることだ。
ゆ~ちゃんには、まだ三年生の復習しか出ておらず、入学式も無かったみ~ちゃんは、
教科書引き渡し式で貰った教科書を自分で開くのも、おずおずとしている。
自宅に籠っているので、二人とも、すっかりゲーム癖もついてしまっていた。
よく、「ゆとり世代」という言葉を耳にするけれど、私は、いつか二人の世代が、
「コロナ世代かあ。学力が落ちるよねえ」
と、揶揄されるのではないかと、「勉強、勉強」と追い立てる。
けれど、二人はすぐ喧嘩を始めたり、注意すると、拗ねたみ~ちゃんが、
隣の和室に籠ったりと、手を焼いている。
なんとか午前中の分を終えた昼前、社交ダンスの先生からスマホにメールが来た。
「しばらくです。元気?ゴロゴロに飽きたね。来月からサークル再開?
六月のパーティは、延期を考えています」
パーティ?
このメールは、私に、コロナ以前の時代、ビフォーコロナという
「過ぎた遠い時代」の香りを届けてくれた。そして、それは、今となっては、
なんとも違和感がするものだった。
この三月辺り、コロナ禍が明らかになってから生活は一変した。
それまでの私は、まさに三密の生活を送っていたのだ。
密閉、密集、密接のラウンドダンスや社交ダンスを仲間と愉しみ、
その後のランチでのおしゃべりコースも決まっていた。
一人暮らしの私にとって、長年のお仲間とのおしゃべりは、活力の素であったのだ。
それが、コロナによって、突然遮断された。
命との引き換えという雰囲気には、逆らえない。
入れ替わりに、娘からのヘルプ要請が来た。
勿論、必要とされているのだから快く引き受け、それからは慌ただしく
過ごしているのだ。
毎日、毎日、「三密は悪!」というテレビに飲み込まれ続けた身にとって、
先生からのメールへの反応は、
「パーティ?よく知らない百人近くの人たちと、三密になるの?ありえない」
であり、今のコロナ禍の時代から振り返ると、どんなに無邪気に人と
触れ合ってこられたのかと、いっそ羨ましいくらいだ。
とはいえ、先生に、「ありえない」などとストレートに言うことは、憚られ、
「コロナで、当分、パーティに行く気分になれません」
とだけ、返信した。
それは、ビフォーコロナ時代へのお別れの挨拶のようだった。
それでも、コロナ禍時代の先、アフターコロナ時代が、どんな世界、
どんな暮らしになるか、まだ見えない。
人と触れ合い、おしゃべりする、そんな暮らしが復活して欲しいが、
人との交流は、テレビで見るように、フェイスガードをし、プラスチック板で区切られ、
さらには、対面せず座るといった形になってしまうのかもしれない。
ソーシャルディスタンスで一・五から二メートル離れたおしゃべりは、
どんなに聞き取り難いことだろう。コロナは、どれほどの人との繋がりを
一気に変えていくのか……。
それでも、渦中の私は、目の前のことをやっていくしかない。
さて、午後からは、庭でゆ~ちゃんとみ~ちゃんの体育の宿題をみることになっている。
今日は、縄跳び、何十秒出来るか、ストップウォッチ係りを厳正に行うことにしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月の合評会に出したこの作品は、先生の評は、あまり良くなかった。(^^;)
ダンスの先生(←この先生のところとは、コロナ禍を機に、離れたのだけれど・・)
とのやりとりの部分が長すぎるからですって・・。
いいんです。
ゆ~ちゃん、み~ちゃんが大きくなったら、自分たちがどんなだったか、
読んでもらうんだものと、バババカは、揺るぎません。(^^)
朝の緊急地震速報、いきなりビービー鳴りだすので、びっくりした。
すわ!っと身構えたけれど、いつまでたっても揺れが来ない。
誤報だったけれど、まあ、大揺れしなかったから、いいわ。(^^)
今日は、緊急事態宣言の頃より、ずっとコロナの陽性者が増えてきたとの
テレビを見ながら、チュニックのリメイクをやった。
腰から下の部分が、だんだんピタッとしてきたのでね。(^^;)
裾から20cmくらい切って、その布の一部を半円形に切って、
広すぎる胸元に持ってきた。
胸の開き具合を小さくするように縫い付けた布は、ウィステらしく、
どうもすっきり縫い付けられていない。
でも、良いんだ。グレーの地に白とピンクのラインが、斜めに
入っている模様だから、変な皺もなんとなく模様にまぎれて誤魔化せるんだ。(^^;)
はい、Tシャツ、一丁上がり♪
さて、テレビによると、東京は、前回を上回る緊急事態が近いと身構えている様子。
う~む、そうなると、ムスメの居る埼玉も増えて大変になるだろうし、
ダンスどころではなく、埼玉へ駆けつけなくちゃ。
そこで、前回、ムスメ宅にヘルプに行ったときのエッセイを・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「コロナの時代」
令和二年四月七日に新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出されて、
一か月以上がたった。不要不急の外出、県境を越えての外出は控えるようにと、
政府やテレビは、盛んに言っているけれど、私は、ここのところ毎週、
千葉から埼玉の娘宅へ県境二つ越えて通っている。空いた電車に乗るたびに、
「私の外出は、必要緊急だもの」
と、自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせながら……。
共働きの娘宅での仕事は、学童が自粛中なので、四年生のゆ~ちゃんと
一年生のみ~ちゃんとの留守番。なによりも、二人に学校からの宿題をさせることだ。
ゆ~ちゃんには、まだ三年生の復習しか出ておらず、入学式も無かったみ~ちゃんは、
教科書引き渡し式で貰った教科書を自分で開くのも、おずおずとしている。
自宅に籠っているので、二人とも、すっかりゲーム癖もついてしまっていた。
よく、「ゆとり世代」という言葉を耳にするけれど、私は、いつか二人の世代が、
「コロナ世代かあ。学力が落ちるよねえ」
と、揶揄されるのではないかと、「勉強、勉強」と追い立てる。
けれど、二人はすぐ喧嘩を始めたり、注意すると、拗ねたみ~ちゃんが、
隣の和室に籠ったりと、手を焼いている。
なんとか午前中の分を終えた昼前、社交ダンスの先生からスマホにメールが来た。
「しばらくです。元気?ゴロゴロに飽きたね。来月からサークル再開?
六月のパーティは、延期を考えています」
パーティ?
このメールは、私に、コロナ以前の時代、ビフォーコロナという
「過ぎた遠い時代」の香りを届けてくれた。そして、それは、今となっては、
なんとも違和感がするものだった。
この三月辺り、コロナ禍が明らかになってから生活は一変した。
それまでの私は、まさに三密の生活を送っていたのだ。
密閉、密集、密接のラウンドダンスや社交ダンスを仲間と愉しみ、
その後のランチでのおしゃべりコースも決まっていた。
一人暮らしの私にとって、長年のお仲間とのおしゃべりは、活力の素であったのだ。
それが、コロナによって、突然遮断された。
命との引き換えという雰囲気には、逆らえない。
入れ替わりに、娘からのヘルプ要請が来た。
勿論、必要とされているのだから快く引き受け、それからは慌ただしく
過ごしているのだ。
毎日、毎日、「三密は悪!」というテレビに飲み込まれ続けた身にとって、
先生からのメールへの反応は、
「パーティ?よく知らない百人近くの人たちと、三密になるの?ありえない」
であり、今のコロナ禍の時代から振り返ると、どんなに無邪気に人と
触れ合ってこられたのかと、いっそ羨ましいくらいだ。
とはいえ、先生に、「ありえない」などとストレートに言うことは、憚られ、
「コロナで、当分、パーティに行く気分になれません」
とだけ、返信した。
それは、ビフォーコロナ時代へのお別れの挨拶のようだった。
それでも、コロナ禍時代の先、アフターコロナ時代が、どんな世界、
どんな暮らしになるか、まだ見えない。
人と触れ合い、おしゃべりする、そんな暮らしが復活して欲しいが、
人との交流は、テレビで見るように、フェイスガードをし、プラスチック板で区切られ、
さらには、対面せず座るといった形になってしまうのかもしれない。
ソーシャルディスタンスで一・五から二メートル離れたおしゃべりは、
どんなに聞き取り難いことだろう。コロナは、どれほどの人との繋がりを
一気に変えていくのか……。
それでも、渦中の私は、目の前のことをやっていくしかない。
さて、午後からは、庭でゆ~ちゃんとみ~ちゃんの体育の宿題をみることになっている。
今日は、縄跳び、何十秒出来るか、ストップウォッチ係りを厳正に行うことにしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月の合評会に出したこの作品は、先生の評は、あまり良くなかった。(^^;)
ダンスの先生(←この先生のところとは、コロナ禍を機に、離れたのだけれど・・)
とのやりとりの部分が長すぎるからですって・・。
いいんです。
ゆ~ちゃん、み~ちゃんが大きくなったら、自分たちがどんなだったか、
読んでもらうんだものと、バババカは、揺るぎません。(^^)