ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「おばあちゃん」

2012-11-24 | エッセイ
2012年11月24日(土)

今日の午前中、ヤーコンの残りを、味噌漬けにしたり、大根の葉の
煮付けに入れたりし、これで、全部使ったわ。

さて、今日は、先日のエッセイサークルに出したエッセイ。(文中、仮名)
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「おばあちゃん」

 見舞いに行くと、母はいつものように、四人部屋の窓際のベッドに寝ていた。
「どう、元気?」と、顔を覗き込むと、母は、「元気かねえ……」と、呟く。
母の赤黒い内出血の跡のある腕に、血の滲んだ脱脂綿が絆創膏で止めてあった。
また、熱が出て、点滴をしたのだろうか?それでも、点滴は終わったようだし、
きっと治まったのだろう。入院生活も四年、衰えの著しい母は本当に私と分かって
いるのだろうか。つい、「誰か分かる?」と、尋ねてしまうのも最近は控えている。
「おねえちゃん」と、言われると嬉しいのだが、先日などは、「おばさん」という言葉が
返ってきた。見た目そのままを言ったとすると、案外しっかりしているかもと、良い意味に
取ることにしたが、思い出せないのか、口をもごもごっと動かすだけの日は、
「いつ何があってもおかしくない」と言われた母の九十一歳の現実が心を過ぎる。
 母のベッド脇のテーブルに目をやると、新しい写真立てが二つ置かれていた。
幼いお姉ちゃんと赤ちゃんは、甥の子供たちのようだ。もう一枚は、一歳くらいの女児を
抱いた姪が笑っている写真。夏に旅した折りの写真を義妹の紀子さんが持って来たのに
違いない。
私は、二枚の写真を母の目の前に持ってきて、
「こうちゃんとあいちゃんの子供たちよ」と言うと、母は、「大きくなったねえ」と、
笑顔を見せる。さらに、
「おばあちゃんの曾孫たちだよ。おばあちゃんは、曾おばあちゃんだよ」
 と続けたのは、命の終わりに近づいていく様子を見せる母に、母の命が末広がりに
繋がっているのだと、母にも自分にも言い聞かせたいからだ。ところが、母は、
「おばあちゃんって言われるのにも、すっかり慣れたねえ。前は、おばあちゃんって
呼ばないで!って思ったけれど」
 と、両手を握りしめて言い出した。どう見ても「おばあちゃん」である母の内に眠って
いた感情を掘り起こしてしまったようだ。
母が「おばあちゃん」に抵抗を感じていたのは、いったいどれくらい前のことだろう?
 母の初孫は私の長男で、あの子もこの夏で四十歳になった。とすると、当時の母は
五十一歳。今の私より一回り以上年下だった。若いおばあちゃんは初孫を可愛がって
くれたけれど、「おばあちゃんと呼ばないで!」という女心も持っていたのだ。
私自身も五十代で「おばあちゃん」になったが、そう呼ばれると、むしろ頬が緩んで
しまった。もちろん、そう呼んでよいのは、息子夫婦・孫限定。今でも、世間から、
私が「おばあちゃん」と呼びかけられる図など、もっての外だ。写真を戻しながら、母に、
「誰に、おばあちゃんって呼ばれるの、いやだったの?」
と、聞くと、
「おばあちゃんとか、妹たち……」
 と、答えた。おばあちゃんとは、九十二歳で亡くなった私の母方の祖母だろう。
祖母は初孫を得た娘を寿いで言ったのかもしれないが、自分の母親からおばあちゃんと
呼ばれるのは、私でも「異議あり!」だ。そこは同意出来るが、妹とは誰のことだろう?
母には、妹はいないのだから。母の記憶に靄がかかって来たようだ。私は、確かめるのを止め、
「私もおばあちゃんなのよ。一緒ね」
 と、母の拳を私の掌で包んだ。母はゆっくり顔を私に向け、そして頷いた。
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こういうハハとの時を、エッセイに書いていきたい・・・。



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