2011年10月10日(月)
ダンナの兄さんから電話があった。去年亡くなった一番上の兄さんの一周忌の
連絡。卒塔婆をどうするか・・と、いった。
もう一周忌か・・早いねえ。
でも、兄さんは元気そうで、なによりです。
東日本大震災から7ヶ月、震災直後、兄さんから電話を貰ったときは、
元気が無くて、心配だった。
その時のエッセイを読み直すと、あの頃のことが思い出されるなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「米」
平成二十三年三月十一日、東日本大震災が起きた。頻繁に続く余震の中で、私は、
家々が津波に壊され押し流されていく映像から目が離せなかった。海の水が人間の
暮らしを根本から飲み込んでいく。どれだけの人々がこの流れに攫われたことだろう。
津波のうねりは時代の変化の潮目のようで、世の中の空気がみるみる変わっていくようだ。
どうしよう。私はどうしたら良いのだろう……。
恐ろしさと心細さが、じわっと心を這い上がってくる。その日のうちに、子供たち
とは連絡がとれ、みな無事と確認は出来た。後することはと、トイレットペーパー、
ティッシュ、マスク、電池などの買い置き分の確認をした。大丈夫。となると、
ガソリンとお米だ。買い物でもダンスサークルでも、どこにでも車で出かけるので、
私の生活にガソリンは必須だ。そこで、翌朝七時、近所の二十四時間営業の
セルフスタンドにガソリンを入れに行った。私が給油している間にも、次から次へと
車が来る。みな、考えていること、不安なことは同じなんだなと思う。その後、
スタンドの向かい側にある自動精米所に寄り、手持ちの玄米十キロを精米してきた。
普段なら「ダイエットのためにご飯は控えめに」などと言っていたけれど、今は非常時。
袋に溜まった白いお米を抱えあげると、お米さえあればなんとかなると、安心感が湧く
のだった。
日を置かず、テレビでは、震災情報の合間に、ガソリンスタンドの長い列、
スーパーの棚から消えたお米のニュースを始めた。被災地のために買い占めはやめましょう
としきりに強調しだした。私はというと、歩いてスーパーに買い物に行くようになった。
次にいつ給油できるか分からないと思うと、むやみに車を使うことは出来ない。
ダンスサークルは休みとなったし、母の見舞いといった用事にとっておきたい。
スーパーでは、確かにお米を見ない。パンも納豆も無い。そして、多くの人が、
ペットボトルや野菜やレトルト食品をカートに山盛りに買っていた。私自身、行くたびに、
ペットボトルやチョコレート、ライター等防災用品に手が伸びる。一人分だから
買占めじゃないよねと自分に言いながら。テレビで津波の痕の惨状を見ると不安が
掻き立てられる。何か買い込まずにはいられない。細々と買うといっても、一人暮らしの
食生活は相変わらずの粗食だが、お米がおいしいのは、気持ちが安らぐ。
震災から一週間後、亡くなった夫の兄から電話がきた。
「ウィステさん、地震はどうでした?大丈夫だった?」
夫より三歳年上の兄の声に、私は、しまったと思った。神奈川に住む兄さんも一人暮らし。
私のほうから、地震お見舞いの電話をしなくてはならなかった。私が、
「はい、特別な被害も無く、大丈夫でした。お兄さんは?」
と、聞くと、「いや~、まいっちゃったよ」と、話し出した。地震の被害は本が落ちた
程度だそうだが、その後、車のガソリンが手に入らないのだそうだ。
「もうガソリンを買いに行くガソリンも無い」、と。腰が悪く自転車も漕げない兄さんは、
「じっと篭っているよ」と言う。思わず、「食べるものはありますか?」と、尋ねると、
早口で、
「お米もパンももう無くなるんだよ。あ、でも、なんとでもなるから」
と、言って、電話を切った。でも、その声は、義妹の私に、心配や世話をかけまいと
遠慮しているような気がした。それに、パンはともかく、〈お米が無い〉という言葉が
引っかかる。一日三食に一度もお米が無いというのは、続くと味気なくないだろうか?
兄さんは、夫が亡くなってからも、毎年年越し蕎麦を送ってくれる。いつも頂いてばかり。
たまには、お礼をしなくてはと、私はこちらのスーパーでお米を買って送ることにした。
必要としている兄さんに送るのだから、買い占めとは言わない筈。被災者の方たちにも、
お握りの差し入れが届き出したようだし、物流のルートが違うのだ。明日お米を探しに
スーパーを回るけれど、これにはガソリンを使って良し。お米を買ったら、すぐ
コンビニから送れるよう、包み紙やガムテープも持っていこう。
あれこれ考えながら寝たのだが、朝、起きたら、気がついた。
〈送る?〉ならば、ネットで買って産地から直接配達してもらえば良いのだ!
ネットの通販サイトには、お米が沢山出品されていた。お米はここにこんなにあるのだ。
スーパーの棚に一時的に無いだけなのだ。私は、安心してお米選びを始めた。魚沼産の
コシヒカリはさすがに高い。東北のお米は、道路が無理かな。結局、鳥取のお米にした。
購入者からの評価の星印も5つ付いているし、鳥取から神奈川なら物流も大丈夫だろう。
サイトで購入してから、二日後には、兄さんの元に届いたと、電話があった。
「わざわざ、心配をかけてしまって……。悪かったねえ」
と、恐縮する兄さんに、
「今の事情なので、西のほうのお米にしたんですが、お兄さんのお口に合うかどうか」
と、気になっていたことを言うと、
「口に合うもなにも、米が無くなりそうで困っていたんだ。助かったよ。やっぱりお米だよな」
と、ほっとしたような兄さんの声が返ってきた。
〈やっぱり、お米ですよね〉と、私も受話器のこっちで、頷いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか、新米が食べたくなったなあ。(^^)
ダンナの兄さんから電話があった。去年亡くなった一番上の兄さんの一周忌の
連絡。卒塔婆をどうするか・・と、いった。
もう一周忌か・・早いねえ。
でも、兄さんは元気そうで、なによりです。
東日本大震災から7ヶ月、震災直後、兄さんから電話を貰ったときは、
元気が無くて、心配だった。
その時のエッセイを読み直すと、あの頃のことが思い出されるなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「米」
平成二十三年三月十一日、東日本大震災が起きた。頻繁に続く余震の中で、私は、
家々が津波に壊され押し流されていく映像から目が離せなかった。海の水が人間の
暮らしを根本から飲み込んでいく。どれだけの人々がこの流れに攫われたことだろう。
津波のうねりは時代の変化の潮目のようで、世の中の空気がみるみる変わっていくようだ。
どうしよう。私はどうしたら良いのだろう……。
恐ろしさと心細さが、じわっと心を這い上がってくる。その日のうちに、子供たち
とは連絡がとれ、みな無事と確認は出来た。後することはと、トイレットペーパー、
ティッシュ、マスク、電池などの買い置き分の確認をした。大丈夫。となると、
ガソリンとお米だ。買い物でもダンスサークルでも、どこにでも車で出かけるので、
私の生活にガソリンは必須だ。そこで、翌朝七時、近所の二十四時間営業の
セルフスタンドにガソリンを入れに行った。私が給油している間にも、次から次へと
車が来る。みな、考えていること、不安なことは同じなんだなと思う。その後、
スタンドの向かい側にある自動精米所に寄り、手持ちの玄米十キロを精米してきた。
普段なら「ダイエットのためにご飯は控えめに」などと言っていたけれど、今は非常時。
袋に溜まった白いお米を抱えあげると、お米さえあればなんとかなると、安心感が湧く
のだった。
日を置かず、テレビでは、震災情報の合間に、ガソリンスタンドの長い列、
スーパーの棚から消えたお米のニュースを始めた。被災地のために買い占めはやめましょう
としきりに強調しだした。私はというと、歩いてスーパーに買い物に行くようになった。
次にいつ給油できるか分からないと思うと、むやみに車を使うことは出来ない。
ダンスサークルは休みとなったし、母の見舞いといった用事にとっておきたい。
スーパーでは、確かにお米を見ない。パンも納豆も無い。そして、多くの人が、
ペットボトルや野菜やレトルト食品をカートに山盛りに買っていた。私自身、行くたびに、
ペットボトルやチョコレート、ライター等防災用品に手が伸びる。一人分だから
買占めじゃないよねと自分に言いながら。テレビで津波の痕の惨状を見ると不安が
掻き立てられる。何か買い込まずにはいられない。細々と買うといっても、一人暮らしの
食生活は相変わらずの粗食だが、お米がおいしいのは、気持ちが安らぐ。
震災から一週間後、亡くなった夫の兄から電話がきた。
「ウィステさん、地震はどうでした?大丈夫だった?」
夫より三歳年上の兄の声に、私は、しまったと思った。神奈川に住む兄さんも一人暮らし。
私のほうから、地震お見舞いの電話をしなくてはならなかった。私が、
「はい、特別な被害も無く、大丈夫でした。お兄さんは?」
と、聞くと、「いや~、まいっちゃったよ」と、話し出した。地震の被害は本が落ちた
程度だそうだが、その後、車のガソリンが手に入らないのだそうだ。
「もうガソリンを買いに行くガソリンも無い」、と。腰が悪く自転車も漕げない兄さんは、
「じっと篭っているよ」と言う。思わず、「食べるものはありますか?」と、尋ねると、
早口で、
「お米もパンももう無くなるんだよ。あ、でも、なんとでもなるから」
と、言って、電話を切った。でも、その声は、義妹の私に、心配や世話をかけまいと
遠慮しているような気がした。それに、パンはともかく、〈お米が無い〉という言葉が
引っかかる。一日三食に一度もお米が無いというのは、続くと味気なくないだろうか?
兄さんは、夫が亡くなってからも、毎年年越し蕎麦を送ってくれる。いつも頂いてばかり。
たまには、お礼をしなくてはと、私はこちらのスーパーでお米を買って送ることにした。
必要としている兄さんに送るのだから、買い占めとは言わない筈。被災者の方たちにも、
お握りの差し入れが届き出したようだし、物流のルートが違うのだ。明日お米を探しに
スーパーを回るけれど、これにはガソリンを使って良し。お米を買ったら、すぐ
コンビニから送れるよう、包み紙やガムテープも持っていこう。
あれこれ考えながら寝たのだが、朝、起きたら、気がついた。
〈送る?〉ならば、ネットで買って産地から直接配達してもらえば良いのだ!
ネットの通販サイトには、お米が沢山出品されていた。お米はここにこんなにあるのだ。
スーパーの棚に一時的に無いだけなのだ。私は、安心してお米選びを始めた。魚沼産の
コシヒカリはさすがに高い。東北のお米は、道路が無理かな。結局、鳥取のお米にした。
購入者からの評価の星印も5つ付いているし、鳥取から神奈川なら物流も大丈夫だろう。
サイトで購入してから、二日後には、兄さんの元に届いたと、電話があった。
「わざわざ、心配をかけてしまって……。悪かったねえ」
と、恐縮する兄さんに、
「今の事情なので、西のほうのお米にしたんですが、お兄さんのお口に合うかどうか」
と、気になっていたことを言うと、
「口に合うもなにも、米が無くなりそうで困っていたんだ。助かったよ。やっぱりお米だよな」
と、ほっとしたような兄さんの声が返ってきた。
〈やっぱり、お米ですよね〉と、私も受話器のこっちで、頷いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか、新米が食べたくなったなあ。(^^)