今でこそ蒸気機関車は観光の客寄せになっているような気もするが、私の幼い頃はまだそれほど珍しいモノでもなかったような気がする。私の実家の町にも昭和47年に廃線になった『国鉄川俣線』という路線があった。幼い私は走っているのを見た記憶は全くない。しかし、廃線の最終運行の頃に父親の計らいで一度だけ記念にと兄弟みんなで乗った記憶が何となくある。
博物館で知人と話しているとちび共は壁に貼ってあるポスターに喜んでいた。それを見て彼は言った。
「今日土曜だよな...。今、3時だからもうすぐ向こう側走るよ。」
ポスターは土日のみ秩父鉄道を走っている蒸気機関車のものであった。私としてはゆっくり博物館を見たかったがちび共は蒸気機関車が見れると分かるとパニックでありすぐに行こうと騒ぎ出した。久々の知人との再会ではあったが慌ただしく博物館を後にしたのであった。
教えて貰った場所までは車で約10分。その場所はなぜかJR八高線とお目当ての蒸気機関車が走る秩父鉄道が平行に走るという場所であった。待っている15分の間、八高線や秩父鉄道の普通車両が走りそれだけでもちび共は大喜びであった。それでも15:47、蒸気機関車が白煙を上げて堂々と通り過ぎていくと、ちび共は大満足で興奮状態であった。
落ち着くとまた見に来たいと連発していた程である。私にとっては6年前のGW、嫁とツーリングに出た際、偶然にも長瀞で見て以来であった。いつかは川俣線に続き乗ってみてもいいとは思うのであるがやはり車の自由さには勝てず今のところ予定はない...。
博物館で知人と話しているとちび共は壁に貼ってあるポスターに喜んでいた。それを見て彼は言った。
「今日土曜だよな...。今、3時だからもうすぐ向こう側走るよ。」
ポスターは土日のみ秩父鉄道を走っている蒸気機関車のものであった。私としてはゆっくり博物館を見たかったがちび共は蒸気機関車が見れると分かるとパニックでありすぐに行こうと騒ぎ出した。久々の知人との再会ではあったが慌ただしく博物館を後にしたのであった。
教えて貰った場所までは車で約10分。その場所はなぜかJR八高線とお目当ての蒸気機関車が走る秩父鉄道が平行に走るという場所であった。待っている15分の間、八高線や秩父鉄道の普通車両が走りそれだけでもちび共は大喜びであった。それでも15:47、蒸気機関車が白煙を上げて堂々と通り過ぎていくと、ちび共は大満足で興奮状態であった。
落ち着くとまた見に来たいと連発していた程である。私にとっては6年前のGW、嫁とツーリングに出た際、偶然にも長瀞で見て以来であった。いつかは川俣線に続き乗ってみてもいいとは思うのであるがやはり車の自由さには勝てず今のところ予定はない...。