猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地③

2012年01月03日 16時34分44秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ③

 ほうほうの体で、都に帰った右大臣頼忠公は、帰るなり、早川文太重次を呼び出すと、

「さても、おぬしは、粗忽者じゃ。まったく、太政大臣のこの家を汚し、末代までの

瑕瑾となるところであったぞ。菖蒲の前の心様といい、その姿形といい、由緒書き

とは、雲泥万里の違いであった。いったい、十八相の粧いとは、何を見て書いたものか。

あのような見苦しい女は、下々を探しても見つかるものでは無い。その昔、美濃の国

の西郡(にしごおり)の長者が、ふつつかな娘を乙御前と偽って、風聞を立てたが、そ

の乙御前ですら、これほどではあるまい。まったく不敵千万。この縁組み、急いで破談

といたせ。」

と、大層なお腹立ちです。重次は、驚いて返す言葉もなく、ただただ呆れておりましたが、

「さてさて、驚き入ったことですが、どうにも、それは納得が行きません。そのように、

お考えになった証拠はございますか。」

と、尋ねました。頼忠公は、

「愚かなり、重次。私が、試みに書き送った艶書へ、さっそくの返事。これを身よ。」

と、例の色紙を差し出しました。重次は、これをつくづくと見て、

「むう、これは、言語道断。御立腹もごもっともです。拙者の一生の誤りでした。とに

もかくにも、これよりすぐに滋賀へ向かい、破談にして参ります。」

と、重次は、取る物も取りあえず、急いで滋賀の里へと向かいました。

 滋賀の里に着いた重次は、直ちに滋賀殿に面会しました。重次は、

「さて、この度、ご息女菖蒲の前様、不義がありましたので、こちらより破談させてい

ただきます。どこへとも、お送りなされませ。数多くの男性遍歴を持ちながら、隠して

関白家へ嫁に出すとは、苦々しいばかりですぞ。」

と、言い立てました。滋賀殿は、思いもよらぬ言い立てに戸惑って、眉を顰めておりま

したが、やがて、

「いかに重次。菖蒲の前の不義ということ、まったく心当たりも無い。何か証拠があっ

てのことであるか。」

と、言いました。重次は、すかさず、例の色紙を取り出しました。滋賀殿が、これを見

てみると、疑いもない、菖蒲の前の筆跡です。いったいどういうことだと、呆れるばか

りです。その時重次は、弟の景次に向かうと、

「おのれは、それでも侍か。よくも出鱈目な由緒書きを作ったな。とにかく、お前を生

かしておいては、主君への面目が立たない。首を出せ。」

と、太刀の柄に手を掛けると、景次は、

「ははあ、仰せの如く、それがしが誤りなり、お手討ちくだされ。」

と、首を差し伸べるのでした。慌てた滋賀殿が割って入り、

「まあ、お持ち下され。この度の子細は、景次には責任は無い。全ては、菖蒲の前の

不義が原因。この上は、姫が首を討って、右大臣頼忠殿の憤りを、納めていただきまし

ょう。そうすれば、御辺の面目も立つこと。平にこの度のことは、我に免じて、許して

くだされ。」

と、道理を尽くして詫びるのでした。重次は、はらはらと、涙を流して、

「これは、もったいないお言葉。ようく分かりました。この上はひとまず、都へ帰り、

主君頼忠様へ申し訳いたします。どうか、姫君の首討つことだけは、思いとどまり下さ

い。」

と、言うと、都へ戻りました。

 突然の破談に、呆然としていた滋賀殿は、しばらくして景次にこう言いました。

「つくづくと考えたが、こうなっては、菖蒲の前を生かしておいて、世間の噂になり、

物笑いとなることは、返す返すも口惜しい。

 最早、仕方ない。景次よ。今宵、闇に紛れて、密かに姫を連れ出し、琵琶湖へ沈めて

参れ。

 ああ、娘など持つべきではなかった。菖蒲の前の母親が亡くなる時に、姫のことを様々

と心配していたので、母の形見と思って、愛情を注いできたけれども、今となっては、

逆に思いの種となってしまった。さても浅ましい世の中であるな。」

景次も悲嘆の涙に暮れながら、『主君北の方の命令に従わなければ、姫の命を奪うこと

も無かったのに』と、板挟みの宮仕えに進退窮まって、慟哭するのでした。

 景次は、どうすることもできず、菖蒲の前を伴って、磯辺までやってきました。小舟

に姫を乗せると、黙ったまま舟を漕ぎ出しました。いたわしいことに姫君は、なんにも

知らずに、

「如何に、景次。父上様が仰せには、宿願があるので、唐崎神社へ参詣せよとのことで

すが、どうして女房達は来て居ないのですか。変ではありませんか。」

と尋ねました。景次は唐突に、

「姫君様には、何の科(とが)もありませんが、この海に沈めよとの父上様の御命令

によって、これまで、お供いたしました。どうぞ、お念仏をお唱え下さい。」

と、言うと、差し俯いて泣きました。菖蒲の前は、突然のことに、何がなんだか分かり

ません。

「ええ、何のことか、身に覚えもありません。いったい誰が父上に讒言して、私は、こ

のような怖ろしい大海の水屑とならなければならないのですか。」

と、泣き崩れました。やがて、菖蒲の前は、血を分けた父上様が、私を憎むのであれば、

仕方も無しと、観念すると、涙と共に御経を取り出しました。姫君は、声も高々に三巻

を読誦すると、

「只今、読み上げました御経は、先立ちなされた乳房の母が極楽往生の為。さて、一巻

は、後に残る、父上、母上様や、兄弟の現世の安穏、後世養生のその為に。そして、

私を、乳房の母諸共に、一つ蓮(はちす)にお救いください。南無阿弥陀仏。」

と、唱えると、再び船底に倒れ伏して号泣する外はありませんでした。やがて、心を

取り直した菖蒲の前は、船梁に立ち上がると、袴の股立ちを高く取り、直衣(なおし)

の袖と袖を引き結んで肩に掛けると、

「さあ、景次。もう観念しました。沈めなさい。」

と、言うのでした。そのお顔の美しさといったらありません。終夜(よもすがら)泣き

明かして、乱れた髪が面差しに乱れ懸かり、ぞくっとするばかりのお姿に、景次は、目

も眩み、心も消え消えとなり、とても沈めることなどできません。景次は心の中で、

『そもそも、罪も無い姫君が、このような憂き目に遭うのも、邪険の継母の心より起こ

ったこと。それを知りながら、我が手に掛けて、姫を殺すなどということは、人間のす

ることではない』とつくづく思って、

「如何に、姫君様。今となっては、もう隠すこともありません。これは、すべて、北の

方様の悪心より起こったことでございます。しかし、ご存じの如く、それがしにとって

は、譜代の主君。なんともしようも無く、これまでお供いたしましたが、とてもとても

私の手で沈めることなどできません。どうか、この竹の嶋に上がってください。」

(竹生嶋のことと思われる)

と、言うと、姫を降ろし、一人、舟に乗ると、

「お命、恙なく(つつがなく)、母君の菩提を懇ろに弔い給え。それがしも、これより

発心いたし、浮き世の絆を捨てまする。」

と言って、腰の刀をするりと抜くと、ばったりと髻(もとどり)を切り落とし、太刀諸

共に、海中に投げ捨てました。景次は、涙を払って舟を出しました。姫は、余りの悲し

さに、

「やれ、景次よ。このような怖ろしい所に、我一人を捨て置くならば、いっそ、お前に

殺された方がまし、のう、どうか連れて行けよ。景次。」

と、流涕焦がれて泣き崩れました。まるで、早利即利(そうりそくり)が海岸山に流さ

れた時のように、まったく哀れな次第です。(源平盛衰記の引用)

 すると、そこに漁船が近づいて来ました。夫は網を打ち、妻が棹を差しながら、嶋の

回りで、漁をしています。姫は、喜び、

「のう、その舟。乗せてたべ。わらわは、都の者なるが、親兄弟も無く、頼るところも

ございません。どうぞ、哀れみください。」

と、懇願しました。突然に、声を掛けられて、夫婦の者は、びっくりしましたが、姫君

のお姿を見て、

「これは、只人ではないようだ。これが、都の上﨟様か。どうしたわけで、こんな所

に捨てられたかは知らないが、このような美しい上﨟様なら、身に替えても、お守りい

たしましょう。」

と、菖蒲の前を舟に抱き乗せると、甲斐甲斐しく介抱して、海津の浦(琵琶湖北岸)に

帰りました。

つづく 


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