猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち13 説経弘知法印御伝記①

2012年07月14日 17時13分33秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

弘知上人初段

 さて、つくづく、人間界の善悪を観察してみると、「色声香味触法」(しきじょうこう

みそくほう)と言って、六つ穢れた世界に迷って、六根に作る罪咎が輪廻の連鎖を引き

起こしている。いったいいつになったら、この輪廻から逃れることができるのであろう

か。しかし、一念を転じて、捉え直してみれば、煩悩そのものが、菩提生死であり、煩

悩故に、忽ちにして涅槃となることもあるのである。

 本朝五十八代光孝(こうこう)天皇の時代、越後の国のお話です。

大沼権之太夫秋弘(おおぬまごんのたゆうあきひろ)という長者がおりました。その家

は、大変の裕福で、弥彦山の麓に住んでおりました。去年の春に妻を亡くしましたが、

権之助弘友(ひろとも:後の弘知法印)という二十四歳の長男がおります。また、その

嫁は、渡部(わたべ)の刑部重国の娘で柳の前と言い、歳は十九歳、その子に三歳にな

る千代若という孫もありました。なんの不足も無い暮らしをしておりましたが、身分の

高い低いに限らず、色香に迷うのが人の心というものでござります。若くて美男であっ

た弘友は、世間の嘲りも顧みずに、遊郭に通い詰める生活をするようになってしまった

のでした。父の秋弘は、常日頃からそんな弘友を正してきましたが、一向に改める気配

もありません。そもそもこのことが、これからの嘆きの発端となったのでした。

 さて、大沼家には、数多くの郎等がおりましたが、既に亡くなった家老職、弥彦の藤

太信時の息子である荒王信竹(あらおうのぶたけ)という十八歳の若武者が、家老職と

して、弘友に仕えております。大力の荒物で、若年ではありますが、常に弘友に付き従

う義理者でもあります。

 その頃、越後の国の柏崎と言う所は、北陸道七カ国どころか、秋田、酒田に至るまで、

回船運送の拠点港として繁盛し、海路陸路共に往還の宿場として栄えました。沢山の旅

人がやって来ましたので、遊君や白拍子を目白押しに立たせて旅人を慰めたものです。

しかしそこで、色事に耽る人々は、風気、秩序を乱して、親の勘当を受けたりしました。

柏崎と言うところは、まさに悪所とも呼ぶべき所でした。

 

 さて、今日も権之助弘友は、荒王を連れて柏崎へと向かっていました。元より好みの

色小袖をはおり、編み笠を目深に被って顔は隠す風情ですが、その姿は人目に余る派手

さです。その心の内は情けない限りです。

 さて一方、館では父の長者秋弘は、嫁の柳の前を近付けると、

「お前は、今まで知らないはずは無いが、あの権之助弘友めは、我が子とはいえ、親子

夫婦の道も分からず、親の忠告も聞き入れない。まったく不義千万の奴だが、これまで

のことは、親の慈悲によって堪忍することとする。しかし、昔が今に至るまで、嫉妬心

の無い女など居ない。夫の不義を諫めないのは、かえって妻の不覚であるぞ。その上、

親の身としては言いにくい事もある。いかがじゃ。」

と言ったのでした。柳の前はこれを聞いて、

「恥ずかしながら、父上様の仰せがありましたので、全てをお話いたしましょう。私と

してもどうして妬みが無いなどということがあるでしょうか。しかし、お考えにもなっ

て下さい。父上の忠告さえ聞き入れないその人が、私の言うことなど聞くはずもござい

ません。夫が浮き名を流すのをご覧になって、父上様のご立腹も重なれば、夫の為、自

分の為、風聞を知りつつも、せめて人目を忍んで、胸の炎(ほむら)を押し包み、色に

も出さない私の心を御推測下さい。」

と、涙を流すのでした。秋弘は、

「むう、それは賢い心である。お前のような賢女は、又二人と居るまい。しかしながら、

このまま放っておいては、悪所で身代を遣い尽くし、家を失うだけでなく、末代までの

恥辱となる。きゃつめを勘当して、親子の縁を切るべきか。よし、あまりにも許し難い

ので、この上は、自ら悪所に行って、諸人の前で恥をかかせてくれる。もしもそれでも

従わないのであれば、切って捨ててくれる。」

と、言うなり、座敷を立つと、悪所を指して出かけて行ったのでした。

 その頃、柏崎には、越前敦賀の津より酒田へ下る回船が着岸しました。上方では有名

な有徳人の風流者である篠原右源次(しのはらうげんじ)の船でした。右源次は、荒川

団蔵を初め、大勢を打ち連れて新町に上がると、遊君を集めて酒盛りをして遊びました。

丁度そこへ、大沼権之助弘友が、荒王を連れてやってきました。右源次が派手に遊んで

いるのを見ると弘友は、

「いかに荒王。あの座敷を通らず、日頃より馴染みの遊女どもから、臆病者と思われて

は、いかにも無念である。どうするか。」

と、言いました。本より血気盛んな荒王は、

「何ほどのこともありません。少しも異論はありませんよ。どうぞお任せください。」

と、言うなり、主従ともに編み笠をぱっと投げ捨てると、御免とばかりにずかずかと座

敷に上がり込んだのでした。二人は、脇差しの鞘で右源次と団蔵の頬下駄をしたたかに

打ち当てると、どうだとばかりに居直りました。突然の乱入でしたが、右源次は慌てずに、

「おやおや、これは珍しい。この座敷に、刀を差した目明きに似た盲目が来たぞ。それ

それ、道を空けて通してやれ。」

と、相手にしません。団蔵が、

「眼(まなこ)も無くて、大小は何の用にたつのやら、まったくおかしな生き物よ。」

と、からかうと、荒王は、

「ほうほう、それは、我々のことですかな。眼が見えませんので、どなたとも分かりま

せん。許してくだされや。まずまず、ご知人になりましょうかな。」

と、盲目の真似をして団蔵の傍へと探り寄ったのでした。荒王は、団蔵に飛びかかるや

いなや、両腕を引っつかんで、

「この野郎は、口が悪過ぎるので、座敷を塞ぐ邪魔者だ。取って捨ててくれるわい。」

と言うなり、遙かの庭先へと投げつけました。物凄い力です。団蔵は、築山の立て石に

ぶち当たると、木っ端微塵になってしまいました。狼藉者を取り押さえようと大騒ぎに

なりましたが、荒王が太刀を抜いて暴れ回るので、右源次もこれは敵わないと、逃げ出

しました。船頭達も我も我も船に逃げ帰り、ほうほうの体で海へと漕ぎ出しました。

 荒王は、大勢を追い散らすと、どうだとばかりに立ち戻ろうとしました。しかしその

時、空き船の陰から一人の男がつつっと忍び寄ると、いきなり荒王の両腿に切り付けま

した。薄手ではありましたが、筋を切られた荒王は、ばったりと倒れてしまいました。

この男は、荒王の首を掻き切ろうと近づきました。ところが、荒王はこの男を引っつか

むと、その大力で、男の首をねじ切ってしまったのでした。それから、荒王は、なんとか立

ち上がろうとしましたが、さすがの荒王でも立ち上がることはできませんでした。そこ

に、在所の者達が集まってきて、荒王を助けました。荒王の働きに感ぜぬ者は無かったのです。

つづく

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