猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語32 古浄瑠璃 親鸞記 ④

2014年06月21日 09時58分48秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

しんらんき ④

さて、越後の国府に流されていた親鸞上人は、ある時、共の者も連れずに只一人、常陸の国へ向かわれました。親鸞上人は、自ら笈を背負い、道中の所々で逗留しながら説法をして回りました。やがて、常陸の国笠間郡稲田と言う所にお着きになられると、ここに草庵を結ばれ、布教活動をされたのでした。(西念寺:茨城県笠間市稲田)
それはさて置き、其の頃、常陸の国には、山伏が多数おりました。山伏達は、

 「この上人が、来てからと言うもの、山伏の霊験を頼る者がいなくなった。」

 と愚痴をこぼしていましたが、中でも妙法坊という山伏は、

 「この上は、この坊主を殺害して、山伏達の瞋恚の怒りを静めよう。」

 と考え、触書を書いて国中に回しました。やがて、恨みをもった山伏達が大勢集まってきました。その数は総勢24名でした。妙心坊が、

 「皆さんお聞き下さい。親鸞とやらが、この国に来てよりこの方、山伏を頼りにする者も居なくまりました。こんな無念なことはありません。なんとかしてこの上人を殺害して、我々の法術を繁盛させようではありませんか。」

 と言うと、人々は喜んで、親鸞を待ち伏せして殺すことにしたのでした。親鸞上人がいつも通るという山道に、待ち伏せして、今や遅しと待ちましたが、その日は、親鸞上人は山道を通らず、遥か下の谷を通られました。山伏達は悔しがって、今度は谷に下って、上人が来るのを待ちました。するとその日は、上人は山道を通られます。次に山伏達は、山と谷に分かれて待ち伏せをしましたが、とうとう親鸞上人はお通りになりませんでした。山伏達は、集まって、

 「やはり、この上人は、通力自在だ。」

 と、騒ぎましたが、妙法坊が、

 「いやいや、皆さん聞いて下さい。そもそも、稲田の草庵を踏み破って討ち入り、吊し上げて首を掻き切ってやるつもりだったのですから、こうなったら、稲田の里に攻め込みましょう。」

 と言いますと、心得たりとばかりに二十四人の人々は、稲田の里へ急行して、親鸞上人の草庵を二重三重に取り囲んだのでした。山伏達が、我先にと争っていると、親鸞上人が現れました。皆水晶の数珠をつまくりながら、念仏をお唱えになっておられます。どこにも気負った所も無く平常心そのままです。二十四人の山伏は、逃がさぬぞとばかりに取り囲んで、太刀を抜き放ちました。しかし、山伏達は思わず、親鸞上人のお姿を尊く感じて、切り込むことができません。いったいどうしたことかと、思っていると、なんと不思議なことに、空から花が降り始め、異香が漂い、菩薩がご来迎されたのでした。親鸞上人のお顔は、金色の光で輝き、そのお姿は、阿弥陀如来として顕れたのでした。妙法坊を初めとして二十四人の山伏達は、持つ太刀もへなへなと取り落として、忽然と仏事に目覚めたのでした。人々は皆、頭を地に付けて、

 「さても、有り難し、有り難し。上人様が仏様でいらっしゃるとは、露にも知らず。このような事を思い立つ事の浅はかさよ。」

 と、涙を流して、

 「これからは、悔い改めて、上人様の教えに従いますので、どうか御法話下さい。」

 と懇願するのでした。すると、親鸞上人は、元のお姿にお戻りになり、

 「おお、容易いことです。そこで、よっく聞きなさい。阿弥陀の本願は、どのような悪人、女人であろうとも、南無阿弥陀仏を念じさえすれば、必ず極楽へ救い取るという誓願です。あなた方が、どんなに大悪人であっても、一心一向に、南無阿弥陀仏と唱えるのなら、成仏は疑いありません。南無阿弥陀仏。」

 と、お話になり、念仏を唱えるのでした。二十四人の山伏達は、頭巾、篠懸を金繰り捨てると、皆々そろって弟子となりました。まったく、親鸞上人の御法力は大変なものです。中々、言葉には尽くせません。(関東二十四輩)

 つづく

 


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