猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ②

2012年05月04日 17時16分37秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ②

 さてここは胡国と呼ばれる国。ケンダツ王は、一族の諸侯の主だった大将である、テ

ッケンバク、バクリケツを近付けると、

「さて、面々はどう思われるか。この国は、夷狄(いてき)の夷(えびす)と言われ、

漢朝では卑しまれているが、国は広く、人は幸せに暮らし、万事につけて貧しいことも無い。

しかし、この国に、美人というものが居ない。漢朝の美人を一人奪い取り、一の后とし

たいものだが、どうじゃ。」

と、漢朝に攻め入る相談をしたのでした。早速に、軍勢を調えることになり、国一番の

大力である、チクリトウ、ケンカイランを先陣の大将として、三十八万騎の大軍が、唐

土を目指して出軍していったのでした。まったく夥しい限りです。

 一方、漢朝の大将達も、夜を日に継いで進軍し、胡国との国境であるジンダイ江とい

う大河の辺りまでやって来ていました。漢朝軍は、ここで夷狄の軍勢を迎え討つことと

して、ここに陣を張りました。それは、霜月(11月)二十日の頃のことでしたが、折

から、非常に強い寒気が来て、川が凍り付き、いっぺんに川面は鏡のように輝きました。

漢朝軍の両大将はこれを見て、

「胡国の奴らは、馬の達者であるから、きっと氷の上を渡って攻めて来るだろう。我々の

作戦としては、熱湯を沸かして、こちらの岸から流し入れ、氷を溶かしてしまえば、

敵の軍勢は水没して溺れ死ぬであろう。」

と、軍議をすると、早速に準備にかかり、上から下まで熱湯を沸かしにかかる有様は、

由々しいばかりです。

 やがて、胡国の軍勢が対岸に現れました。胡国の大将チクリトウは、凍結した川を見て、

「さても、厚い氷である。これほど厚ければ渡るのは簡単なこと。」

と、どっとばかりに軍勢を氷の川に降ろしました。先駆けの二万騎が、我先にと雪崩込

んで来ます。漢朝軍はこれを見ると、早速に熱湯を流し始めました。厚い氷とは言え、

夥しい熱湯で氷は薄くなり、胡国の軍勢は、次々と氷を踏み割って、川に吸い込まれ行

きます。胡国の大将は、

「さても、無念なり。そもそも舟も通わぬ川であるから、ここを渡ることはできない。」

と、無理な進軍を諦めると、三十里(約120Km)上流の万里山(まんりさん)に迂

回して進軍させることにしたのでした。胡国軍は、囮(おとり)の軍勢を河岸に残して、

漢朝軍を引きつけて置いて、密かに三万騎を率いて山の迂回路へと向いました。

 

 さて、そのころ、漢朝の都では、大将シバイリュウが、まだ東雲の早朝に役所回り

をしていましたが、遙か向こうの山から、猪、兎などの様々な獣が群がって逃げ下りて

来るのを見つけました。

「これはおかしい。人を恐れる獣が、山を離れて都へ向かって逃げ来るとは。さては、

異国の軍勢が、万里山を回って攻め寄せて来たな。」

と、気が付くと、急いでシバユウと共に防御の手立てを考えました。万里山の手前五里

の所にある鉄山という山に軍勢を集結させて、石弓を大木に設置し、夷狄の襲来に備え

たのでした。案の定、胡国の軍勢がどっと攻め入ってきましたが、守る漢朝軍が見あた

りません。胡国軍は、さては漢朝軍は恐れをなして逃げたかと、更に勢いついて進軍し

た所に、漢朝軍の石弓が炸裂しました。先陣を切った胡国軍は悉く討ち滅ぼされてしま

いました。けれども、胡国の軍勢は、後から後から、入れ替え引っ替えて攻めて来たの

で、今は既に、互いに火水の如くに混戦となりました。その戦いの有様は凄まじいばか

りです。

 中にも胡国軍の万力(まんりき)という大力の者は、黄楊(つげ)の棒に鉄の鋲を打

った一丈余りの(約3m)棍棒を、軽々と振り上げて漢朝軍をなぎ倒します。これに対

して、漢朝側は、リクシという豪の者が、手鉾を持って応戦します。しばらく二人は、

渡り合って戦いましたが、互角の戦い。やがて互いにむんずと組み合うと、万力は、怖

ろしい力で、リクシの首をふっつと引き抜き、五町(約500m)ばかりも投げ捨てま

した。これを見たシバユウが、一矢報いて万力をようやく仕留めましたが、多くの味方

が討たれて、漢朝軍は劣勢です。胡国の軍勢は、切っても切っても押し寄せてきます。

そこで、シバユウは、

「このままでは、味方が危ない。この度は和睦をして、さらに軍勢を整えてから、次の

機会に討ち滅ぼしてやろう。」

と、提案しました。そこで、前漢の高祖の臣下であった樊 噲(はんかい)の子孫、ハ

ンリという一騎当千の兵(つわもの)が選ばれ、使いに立つことになったのです。

 ハンリは、一人、敵陣へと向かいました。胡国の大将の前に出るとハンリは、

「この度、このような大軍をもって押し攻め入ること、漢朝の帝王においては、少しも

覚えの無いこと。こちらは、防衛のために両将軍を差し向けたに過ぎない。意趣あるな

らば、詳しくお話下され。」

と、正々堂々と言いました。胡国軍の将軍は、感じ入って、

「この大軍の中に一人でやって来て、言葉も鮮やかに申すとは、なかなかあっぱれ。

それそれ、引き出物を与えよ。」

と言えば、畏まったと若武者七八人が、ようやく大の鉄棒を運んできて、ハンリの前に

置きました。ハンリは、これを軽々とおっ取り、二三度打ち振って、

「あっぱれ、究極の鉄棒かな。」

と、にっこり笑い、

「さて、ご返事は。」

と、差し向けました。胡国の両大将は、

「されば、この度の出陣は、国の望みではない。また、帝への宿意(しゅくい)でも無い。

ご存じの如く、我が韃靼国(だったんこく)には、見目良き女が居ないので、良い女

を奪い取り、我が国王の后とするためにやって来た。漢朝の后の中で、美人の女を一人

いただければ、軍を引き、和睦いたそう。」

と、言うのでした。漢朝側は、この和睦を受け入れました。喜んだ胡国の将軍は、使い

として、ヘンカイとチクリキの二人を漢朝軍とともに都へと送ったのでした。

誠に荒き夷だに

女に心優しける次第

ことわりとも中々例えぬ方も無し

つづく

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