猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ①

2012年05月03日 16時52分38秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
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日暮小太夫

寛文九年巳酉(1669年)

二条通鶴屋喜右衛門板

※中国を舞台とする物語である。登場人物の固有名詞に関して、漢字の用法が明確で無いものは、すべてカタカナ表記とする。

おうしょうぐん ①

 唐土の政治を考えてみると、一天の主である帝(みかど)が邪険で、人民を苦しめるならば、

必ずその国は滅び、仁義に厚い王化(おうか)は、長い間続くものです。誠に、仁者

には敵無しと言わる通りです。後漢の光武帝というお方は、古今無双の帝でいらっしゃいます。

常に政徳を以て、万民のことを考えたので、吹く風は木の枝を鳴らさず、降る雨は土塊

(つちくれ)を動かさず、国は豊かに栄えました。誠に目出度いことです。

 そして、光武帝の一千人の后達の美しさは、月も妬み、花をも欺くといった風情でした。

その后の中でも、第一の美人は、「王照君」でした。管弦の道を得意として、琵琶の名人でした。

この光武帝を支える武将に、シバイリュウ、シバユウという文武両道に秀でた者がいま

した。その外の諸侯、大名、日々に参内して、天下の政道を正しく行い、君を守護した

ので、都は活気に溢れて賑わっていました。しかし、光武帝は、これに満足せず、ある

時四大将を集めるとこう言いました。

「如何に皆の者。私は、帝位に就いて以来、悪政を行って来たとは思わないが、これで

完璧であるとも思えない。一天の主たる身でありながら、確かな師範が居ないというのは、

心許ないものだ。私が未だ匹夫であった頃の親しい友人に、ゲンシリョウという者がい

る。彼は誠の賢人であり、彼を天下の執権としたいのだが、今は遁世して、恐らくは名

も変えて、行方も知れない。そこで、いろいろと思案したのだが、ゲンシリョウの絵を

描かせ、それを持って山中を探させ、似ている者があるならば召し出したいと考えたが

どうであろう。」

これを聞いた人々は、

「この様に国が治まり、何の不足も無いのに、更に賢人を求めて教えを乞おうと成されるとは、

偏に、尭舜(ぎょうしゅん:中国古代の伝説の帝王)の御代にも負けない仁政である。」

と、謹んで感激したのでした。

 やがて、モウエンジュという絵描きの名人が召されました。帝が、これこれこういう

面体であると詳しく話しをすると、エンジュは、忽ちに絵を描き上げました。帝は、そ

の絵をつくづくとご覧になると、

「誠に良く描けている。まだ会ったことも無い者を、言葉だけで写すとは、美事である。」

と、お喜びになりました。

 そうして、沢山の勅使がこの絵を持って広い国土を隅々まで、くまなく探し回りましたが、

似ている人物を捜し出すことは、そう簡単ではありませんでした。

 ここは、蜀の国の辺りです。人倫から遙かに隔たったこの地は、山巒(さんらん)は

塵を払い、光瑞(こうずい)が穢れを濯ぐといった美しい所です。さて、ある勅使が、

ここを尋ねてみますと、水草も清らかな川で、釣り糸をたれている人がおりました。こ

れが、尋ねるゲンシリョウでした。勅使が、近づいて絵図と照らし合わせてみると、そ

っくりです。勅使は喜んで、

「帝よりの宣旨です。さあさあ、立ちなさい。」

と、引っ立てようとしますと、シリョウは、

「ええ、囂しい(かしましい)。田を作って飢えを凌ぎ、井戸を掘って乾きを潤す。そ

れ以上に何の望みがあって、都へ行かねばならんのだ。そこどきなさい。」

と、釣り糸を垂れたままです。勅使は益々喜んで、

「これぞ、誠のゲンシリョウに間違い無い。」

と、かの絵図を指し示すと、

「もしも、あなたがゲンシリョウ様でいらっしゃるなら、帝が探しておいでです。ど

うか、帝の御後見として、天下の執権に備わり下さい。これは、ひとつには君の為、二

つには万民のためでございます。どうか、我々に従って都へお上り下さい。」

と、理を尽くして懇願しました。すると、シリョウは、なんとも返事もせず、流れる水

を手ですくうと、耳を洗って澄ましています。勅使が、不思議に思って、

「それは、どういうことですか。」

と、尋ねると、シリョウは、

「先ほどからの話、余りに穢れているので、耳を洗ったのじゃわい。」

と、答えました。これには、勅使も呆れ果ててしまいましたが、帝からの厳命ですから、

諦める訳には行きません。勅使はさらに詰め寄ると、

「只今の漢朝の主(あるじ)光武帝様は、昔、あなた様と親しき友人であったと聞いて

おります。昔馴染みの印に、一度は都へ御出仕なされて、皇帝とご対面の上、様々お話


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