猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 12 説経王照君 ③

2012年05月04日 20時50分36秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

おうしょうぐん ③

 こうして、漢朝の両大将は、胡国の使節を伴って、都へ戻ったのでした。早速に参内

し、両将軍は、戦の次第を帝に報告しました。光武帝は、本より慈悲第一の名王でした

から、停戦になったことを大変喜んで、

「よくぞ和睦に持ち込んだ。予めその様な望みと知っているならば、何も合戦などせず

に済んだものを。后一人の苦しみと万人の命を引き替えにできるものでは無い。この度

の戦で、亡くなった者達の供養をいたせ。」

と、両大将には、恩賞として、一階級の特進と、国を拝領させたのでした。

 さて帝は、ゲンシリョウを呼んで今後の対応について相談しました。シリョウはこれ

を聞いて、あれこれと思案すると、

「この夷狄の望みは、漢朝には幸いです。国王が国を奪われる原因の第一は、色に耽り、

政を怠ることです。ですから、今、彼らの望みに従って、后を一人遣わされば、夷は

朝夕淫乱に耽り、国の規律も弛み、上を真似る民であるので、下々まで女に耽ることで

しょう。その荒廃につけ込んで夷狄を討ち取り、又后も取り返せば良いのです。急いで、

后をお遣わしください。」

と助言しました。これを聞いて、帝ももっともとは思いましたが、さて、いざ后一人を

選ぶといっても、誰を選んでも恨みを買うことは間違い無い。どうして選んだものやら

とお悩みになりました。そうこうしていると、夷狄の使者達は、やいのやいのの催促です。

困った光武帝は、こう言いました。

「千人の后の顔を一人一人覚えている訳ではないので、誰と言う事も出来ない。そこで、

以前、ゲンシリョウの絵を描かせたモウエンジュを呼び、千人の后の絵を描かせよ。

紫宸殿に掛け並べて、そこから選んで遣わすことにする。」

 后達は、誰かが怖ろしい夷狄の国へ送られることを聞いて、戦々恐々たる有様です。

その中で紅梅と言う后は、知恵賢い女でありましたが、こう考えました。

「これは、千人のその中で、一番見目の悪い醜い后を選んで送るのに違いない。絵描き

に宝を取らせれば、見目良く描いてくれるはずだ。」

この話を聞いた后達は、我も我もと、贈り物を持ってモウエンジュの所へ押しかけまし

た。

「のう、如何にモウエンジュ殿。どうかお願いですから、目元口元しおらしく、とても

可愛らしい笑顔に描いてくださいよ。」

と、エンジュの袖を引き、頭を撫でて頼むのでした。エンジュは、嬉しくて嬉しくて、

お任せあれと、どれもこれも実物以上の美人に描いたのでした。

 さて、ここに王照君という后は、千人の中で一番の美人でしたが、

「この度の絵図は、一人も漏らさず描くとは言いますが、どうして私まで絵図にしなけ

ればならないのですか。御前から遠い人々なら分かりますが、帝が私のことを忘れるは

ずがありません。それにしても、誰かが異国へ送られるのですね。可哀相に。」

と、他人事のように考え,貢ぎ物をしませんでした。

 そうこうしている内に、千人の后の絵図ができあがり、紫宸殿に飾られました。帝をはじ

め、ゲンシリョウ、臣下大臣が集まり絵図に見入りました。どれもこれも大変良く描け

ています。これを物に例えて言うならば、

春待ち顔なる梅の花

雪の内より咲き染めて

誰が袖触れし匂いぞと

風の香も懐かしき

これは又、海棠(かいどう)の

雨を帯びたる風情

眠れる姿の花の色

濡れてや色を深見草

松に掛かれる藤なみや

岸の山吹岩躑躅(つつじ)

桃花は紅にして艶やかなり

李花(りか)は白うして潔し

蓮(はちす)は君子の類かや

紫苑(しおん)竜胆(りんどう)萩の花

桔梗(ききょう)苅萱(かるかや)女郎花(おみなえし)

厚菊(こうきく)紫蘭(しらん)様々の花色

あまりの美事さに、言葉もありません。しかし、その中で八番目の絵が少し劣って見え

たので、帝はよく確かめもせずに、

「これを、胡国に遣わせよ。」

と、八番目の絵を選んだのでした。人々がこの絵を良く見てみると、名前に王照君とあります。

人々は驚いて、光武帝に、これは王照君ですぞと申し上げると、帝ははっと驚いて、

立ち戻ると、確かに王照君とあります。

「これは、絵描きの間違えであろう。」

と、気色も失せて呆れ果てていると、ゲンシリョウは、

「綸言汗の如し。一度発せられた言葉は戻りません。王照君を急ぎ送らせください。」

と、諫めました。がっくりとした帝は、仕方なく王照君を呼びました。

「この絵を見てみなさい。お前の名前を書いたこの絵は、絵描きの誤りとは思うが、こ

れも前世の宿業。どうぞ恨んでくれ。ああ、悲しや。」

と、涙ながらに、胡国行きが決したことを伝えるのでした。他人事と思いこんでいた王

照君は、この晴天の霹靂に泣き崩れ、

「どんな罪の報いなのでしょうか。千人の中で私だけを描き誤るとは。聞くだけでも

憂鬱な荒夷へ取られて行くなど考えられません。胡国などへは絶対に行きません。」

と悶え焦がれるのでした。ゲンシリョウは照君に近づき、

「この度、図らずも、写し絵の間違えで、夷の手にあなたを渡すことは、我々皆、不憫

と思っております。しかしながら、万人の命を救うためには、あなた以上の方はおりません。

私は、必ずや身を捨てて、すぐに取り返しに参りますので、どうかご安心下さい。」

と、説得すると、照君も勇気付いて、

「我が君の御為ならば、命を捨てることも惜しくはありません。」

とは、思い切りましたが、王照君の有様は、哀れとも中々、何に例えようもありません。

つづく

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