猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 39 古浄瑠璃 かばの御ぞうし④

2015年09月25日 11時36分27秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

蒲の御曹司 ④

 更に哀れでありましたのは、大島に流されて、土の牢の中に居る、蒲の冠者範頼様でした。流されたのは、つい昨日の様に思えますが、既に三年の月日が流れました。日の光も月の光も見ない生活にやつれ果てて、見るからに無残なお姿です。範頼は、自分の命がもう長くは無いことを覚りました。
「牢守り殿、聞いてくだされ。私の命は、最早、消え消えと失せる寸前です。今生の結縁に情けを掛けて、牢の外で死なせて下さい。」
範頼は、こう訴えて、涙するのでした。牢守りは、これを聞いて、
「ああ、なんと労しい有様でしょうか。しかし、主命ですからご勘弁下さい。もし、牢からお出ししたことがバレたなら、死罪は免れません。とは、言うものの、あまりにお気の毒に過ぎます。仕方ありません。今生にて、言いたいことがあるのなら、どうぞ、仰って下さい。」
と言うと、範頼を牢から出すのでした。範頼は、
「おお、なんと有り難い事か。今は早、憂き世の妄執は晴れました。牢守り殿のお情けは決して忘れません。お願いがあります。もし、私を訪ねる者があれば、これを形見として渡して戴きたいのです。」
と言いながら、肌の守りを取り出し、牢守りに渡すと、安心したのでしょか、バッタリと倒れ込みました。ややあって、蒲殿は、意識も遠くなる中、西に向かって手を合わせると、念仏を十遍ばかり唱え、遂に息絶えたのでした。牢守りが、いろいろと介抱しましたが、もう手遅れでした。牢守りは、道の辺に塚を築いて蒲殿を葬りました。哀れともなんとも言い様もありません。
 一方、御台様と三郎殿が乗ったまま漂流していた舟は、嵐に吹き流されてから、大島に漂着したのでした。二人は、急いで島に上がりましたが、夢がさめたように、ただただ、唖然とするばかりです。やがて、御台様は、気を取り直しました。辺りを見回すと、そばに、新しい卒塔婆が立っており、こう書き付けてあったのでした。
「蒲の冠者範頼の廟所なり。所縁の者があるならば、形見の物を渡すべし。牢守二郎太夫。」
これを見るや、御台様は、驚いて、
「ええ、それでは、ここは、大島か。これは夢か現か。我が君様。」
と、消え入る様に泣くばかりです。やがて御台様は、落ちる涙を払って、牢守りを尋ねました。事の次第を聞いた牢守りは、
「おお、そうでありましたか。私は、蒲殿をお預かりしていた者です。」
と、丁寧に持てなし、蒲殿の最期を語るのでした。牢守りが、範頼の形見を手渡しました。御台様は、
「これが最期の形見か。」
と、胸に当て、顔に当てて、流涕焦がれて泣くばかりです。牢守りは見兼ねて、
「お嘆きは、ご尤もではありますが、前世からの定めと諦めて、深く菩提をお弔い下さい。」
と慰めるのでした。この牢守りの心の優しさを、褒めない者はありません。

つづく

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