猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 35 古浄瑠璃 はらた ⑤

2015年01月07日 16時57分30秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
はらだ ⑤

 間もなく、若君の事は、鎌倉殿にも聞こえました。鎌倉殿は、
「この国に、不思議な稚児がやって来たと聞いた。連れて参れ。」
と、命じました。直ぐに使者が立ち、若君は、鎌倉殿の御前においでになりました。鎌倉殿は、若君にいろいろな事を尋ねました。
「御稚児は、まだ若いのに、どうして修行に出る事になったのか。」
若君は、
「人の為、又、自分の為、諸国修行の旅に出ました。世間を知らず、憂い事も、辛い事も知らない儘では、立派な人間にはなれないからです。」
と答えました。鎌倉殿は、重ねて、
「おお、それは大変、尤もなことだが、白骨を集めて、千体の地蔵を作ったのは、どういうわけか。」
と尋ねました。若君は、
「白骨を集めて地蔵を作ったのは、外でもありません。『将軍菩薩』こそが、修羅道に落ちた者達を救ってくれるからです。十三年前に、筑前の者達が、由比ヶ浜で討ち死にしましたが、無縁仏となり、弔う者もありません。彼らの修羅の苦患を救う為に、千体の地蔵を作ったのです。」
と答えました。次に、鎌倉殿は、
「御稚児は、毎日、法華経を読誦すると聞くが、その功徳は、どのようなものか。」
と尋ねました。若君は、
「釈迦一代の説法の中でも、法華経は、『一切衆生、即身成仏』にて『草木国土、悉皆成仏』と、説かれました。つまり、草木や土くれですら、仏性を具有し、成仏するということです。殊に、五逆罪の龍女ですら、ついには仏となるのです。このような尊いお経ですから、毎日読めば、成仏は間違いありません。」
と、すらすらと答えます。今度は、
「さて、それでは、夜念仏(よねぶつ)をしているのは何故か。」
と尋ねました。若君が、
「はい、夜念仏とは、『一念弥陀仏、即滅無量罪』と申しまして、一度でも弥陀仏を念ずれば、弘誓(ぐぜい)の舟に救い上げて、浄土の台(うてな)に運び上げようという誓いなのです。殊に、このように危うい世の中で、何に縋って生きて行けば良いのでしょうか。人の心こそが一番、恐ろしい。世の為、人の為、自分の為に、毎日、夜念仏をするのです。」
と答えたので、鎌倉殿は、感心して、
「実に有り難き次第。」
と、お手を合わせて、若君を拝むのでした。周りの人々も、有り難い、有り難いと、拝まない者はありませんでした。それから、鎌倉殿は、
「御稚児殿。寺が欲しければ造らせよう。所領が欲しければ、与えよう。望みは何か。」
と言いましたが、若君は、
「私は、修行の身の上ですから、寺も所領もいりませんが、ひとつだけ望みがあります。叶えて頂けるのなら、申しましょう。」
と答えたのでした。鎌倉殿は、気軽に、
「さあ、申してみよ。」
と言いましたので、若君は、改めて、
「大変に、畏れ多い事ですので、簡単ではありません。ご誓文をなされるのなら、申しましょう。」
と念を押しました。鎌倉殿が、
「それ程に言うのであれば、若宮八幡に誓って、お前の望みを叶えよう。」
と答えたので、若君は、
「分かりました。それならば、申します。鎌倉、谷七郷の牢屋に繋がれて人々を、全ていただきたい。」
と、願い出たのでした。鎌倉殿は、予期せぬ望みに驚いて、しばらく答えることができませんでした。ようやく、鎌倉殿は、
「牢に下した者共には、咎人で有るから、それはできぬ。」
と答えましたが、若君は、立ち上がって、
「だから、言った事ではありませんか。ご誓文というものは、綸言(りんげん)汗の如し、出たら再び帰らぬものです。慈悲の心をもって御世を治めると言われる最明寺殿は、この様な愚人でありましたか。そいうのを『嚙み済んだ後は、舌にも残らぬ』と言うのです。やれやれ、あなたの政(まつりごと)も思いやられますね。」
と、吐き捨てました。これには、鎌倉殿も、ぐうの音もでませんでした。すごすごと、
『三十六人の牢下し者を御稚児に参らす。』という自筆の御判を下されたのでした。
 喜んだ若君は、牢の奉行を呼ぶと、
「鎌倉殿のご命令によって、牢下しの者の身柄を預かった。皆、釈放するので、その由、触れを出せ。」
と命じたのでした。早速に、谷七郷に触れが回り、近国他国より、咎人を引き取ろうと、縁者が駆けつけて来ました。若君は、牢奉行に、
「牢の戸口に、鼠木戸(ねずみきど)を設えて、一人一人呼び出し、その名前をすべて記録いたせ。もしかしたら、父の種直と、名乗る者がいるかもしれないので、ようく気をつけるように。」
と、命じましたので、一人一人の名前を記録しながら、咎人を釈放して行きます。釈放された人々は、次々に親類、眷属の者達が受け取って、我が家へと帰って行きますが、父の種直を名乗る者はいません。若君は、
「いつの日にかは、父に巡り会えると思って、ここまで来たのに、とうとう父には会えなかったか。」
と、悲嘆に暮れて泣くより外はありません。若君の心の内は、何にも例え様がありません。
つづく


忘れ去られた物語たち 35 古浄瑠璃 はらた ④

2015年01月07日 11時04分05秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
はらだ ④

 すっかり寝入っていた若君は、夜半になって目を醒ましました。女房を呼ぶと、こう言いました。
「すみませんが、灯火を貸して下さい。私には、宿願があって、法華経を唱えなければなりません。お願いします。」
女房が、灯火を持ってくると、若君は、金泥の法華経をはったと開いて読誦して、
「このお経の功力によって、母上様を安穏にお守り下さい。又、父の種直に巡り会わせて下さい。又、もうこの世にいらっしゃらないのならば、出離生死頓証菩提。(しゅつりしょうじとんしょうぼだい)」
と、祈られるのでした。その様子は、堅牢地神(けんろうじしん)や十羅刹女(じゅうらせつにょ)がお声を添えている如くに、有り難く聞こえて来るのでした。女房は、これを聞くと、
『この様に、尊い稚児様を、売り飛ばしては、後世での極楽往生が叶わない。この稚児様を助け落としてあげましょう。もし、夫に責め殺されても、私の命と引き替えにこの稚児様をお守りすれば、きっと後世での助けを受ける事ができるでしょう。』
と思い、若君の前に出ると、こう言いました。
「申し、御稚児様。実は、この家の亭主は、人売りなのです。もう、あなたは売られてしまいましたので、早く逃げて下さい。もし、亭主に責め殺されたなら、どうか、後世を弔って下さい。」
そうして女房は、若君を連れて家を飛び出しました。女房は、逃げ道を教えると、
「ずっとお供をして行きたいのですが、亭主が帰って来て、気付かれては詮無い事ですから、ここでお別れです。」
と、涙ながらに家に戻るのでした。
さて、それから亭主が帰って来ました。あちこち探しましたが、稚児が居ません。亭主は驚いて、女房を呼びました。
「御稚児はどうした。」
と聞くと、女房は、
「さて、宵の頃まで、法華経をお唱えでしたが、どうしたのでしょうね。いらっしゃらないのですか。」
と、とぼけました。亭主は、
「お前、知らないわけは無いだろう。偽り事を言うと、鮫の餌食にするぞ。」
と、声を荒げて迫りましたが、女房は、知らぬ存ぜぬです。さすがの亭主も、諦めめて、
「やれやれ、掘り出し物を逃がしたわい。もったいねえなあ。」
と、つぶやくばかりでした。
 一方、逃げ延びた若君は、由比ヶ浜の手前、半里ぐらいの所で、次の宿を見つけました。今度の宿の主人は、大変情け深い人でしたので、一日二日を過ごすことになりました。若君は、この家の人々を信頼して、こう打ち明けました。
「お聞きしますところ、十三年前、筑紫筑前の人々が、由比ヶ浜で討ち死になされたということですが、きっと無縁仏となって、弔う人も無いことと存じます。彼らの修羅の苦患が思いやられてなりません。私は、由比ヶ浜で、あらゆる破骨、白骨を拾い集めて、千体の地蔵を造り、彼らの苦患を助けたいと、思っているのです。」
これを、聞いた夫婦は、若君と一緒に由比ヶ浜に出て、骨拾いをしました。曝れ(され)た白骨が、砂を撒いた様に散らばっています。哀れにも若君は、ひとつ骨を拾っては、
「これは、父上の骨か。」
又、ひとつ拾っては、
「これは、一門の者の骨か。」
と、泣くのでした。夫婦の人々も、若君と共に、沢山の白骨を拾いました。拾い集めた骨を突き砕いて固め、千体の地蔵を造りました。昼間には、夫婦は、柄杓を持って、谷七郷を勧進して回り、若君は地蔵の前で法華経を唱えました。夜になると、若君が鉦鼓を首に掛けて、谷七郷を念仏して廻りました。谷七郷の人々は皆、勧進に入ったので、程無く寺が建立され、多くの人々が集まる様になりました。地蔵の前でお経を唱え、行い澄ましておられる若君の心の内は、例え様もありません。
つづく