猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 35 古浄瑠璃 はらた ⑥終

2015年01月08日 12時54分31秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
はらだ ⑥終

 とうとう、父、種直と名乗る者はありません。若君は、未だ牢内に居る者があるかも知れないと、牢内に立ち入ってみると、果たして、牢の奥に男が一人残って居るではありませんか。若君は、近付いて、
「どうして、牢を出ないのか。早く、牢から出なさい。」
と言いますと、男は、
「牢を出たとしても、行く当ても無い。牢屋に居させてもらいたい。」
と、涙を流して言うのでした。若君が、
「あなた一人の為に、これまでの大願を無に帰する訳には行きません。さあ、とにかく、牢の外に出なさい。」
と、重ねて説得すると、格子の所まで、やっと出てきました。しかし、やはり外へは出ず、醒め醒めと涙を流すばかりです。若君は、
「名前は何と言うのです。」
と尋ねましたが、
「名前など無いので、名乗りもできません。何とでもお書き下さい。」
と、言うばかりです。若君は、更に、
「後世を大事に思うのなら、とにかく名乗りなさい。」
と、ねばりました。やがて、男は、
「名乗らないつもりでしたが、それ程言うのなら申しましょう。私は、筑紫筑前の住人、原田の二郎種直と言う者です。」
と、名乗ったのでした。喜んだ若君は、
「私は、あなたの子供です。」
と言って、醒め醒めと泣きましたが、種直は、
「私には、子供などありません。どういうことですか。」
と、不審顔です。若君は、
「不思議に思われるのは、ご尤もですが、父上とは、母の胎内、七月半でお別れいたしました。母に暇乞いをして、これまで父上を探しに参ったのです。母上は、これを形見として見せなさいと言っておりました。」
と言うと、肌の守りと、黄金造りの御佩刀を取り出して見せました。
「又、この法華経の末の七巻を、父上はお持ちのはずです。」
種直は、最早、疑う所もありませんでした。
「おお、母の胎内で別れた子に巡り逢うことができたのか。ああ、嬉しや嬉しや。」
と、泣くより外はありません。
 この事は、直ちに、鎌倉殿に知らされました。鎌倉殿は、
「何、あの御稚児は、あの原田の子であったのか。すぐに親子を連れて参れ。」
と命じました。種直は喜び、鎌倉殿の御前に上がりました。鎌倉殿は、
「久しぶりの種直よ。一門の讒奏を、誠と思い、投獄させたことは、大変残念であった。日頃よりの無念を晴らされよ。それそれ。」
と言うと、一門の者共に縄を掛けて、引き出しました。そうして、全員を打ち首にしたのでした。それから鎌倉殿は、種直に、
「本領であるから、筑前の国を返し与える。」
と、御判を出されたのでした。又、若君には、三百町歩を下されました。そうして、親子の人々は、御前を立って、都を指して旅立ちました。
 種直は、若君が、相模の国の由比ヶ浜で世話になった夫婦に、数々の宝を下され、やがて都の御台様とも再会されました。夫婦は、十三年間の憂き辛さを語り合うのでした。そして、筑前の国へと戻りました。館を建て直し、かつての郎等達も、我も我もと戻って来たので、原田種直は、再び富貴の家と栄えたのでした。今に至るまで、筑紫筑前には、原田という名前が、富貴の家として栄えています。かの種直の心の内を、貴賤上下押し並べて、感じない人はいませんでした。
おわり