猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 35 古浄瑠璃 はらた ④

2015年01月07日 11時04分05秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
はらだ ④

 すっかり寝入っていた若君は、夜半になって目を醒ましました。女房を呼ぶと、こう言いました。
「すみませんが、灯火を貸して下さい。私には、宿願があって、法華経を唱えなければなりません。お願いします。」
女房が、灯火を持ってくると、若君は、金泥の法華経をはったと開いて読誦して、
「このお経の功力によって、母上様を安穏にお守り下さい。又、父の種直に巡り会わせて下さい。又、もうこの世にいらっしゃらないのならば、出離生死頓証菩提。(しゅつりしょうじとんしょうぼだい)」
と、祈られるのでした。その様子は、堅牢地神(けんろうじしん)や十羅刹女(じゅうらせつにょ)がお声を添えている如くに、有り難く聞こえて来るのでした。女房は、これを聞くと、
『この様に、尊い稚児様を、売り飛ばしては、後世での極楽往生が叶わない。この稚児様を助け落としてあげましょう。もし、夫に責め殺されても、私の命と引き替えにこの稚児様をお守りすれば、きっと後世での助けを受ける事ができるでしょう。』
と思い、若君の前に出ると、こう言いました。
「申し、御稚児様。実は、この家の亭主は、人売りなのです。もう、あなたは売られてしまいましたので、早く逃げて下さい。もし、亭主に責め殺されたなら、どうか、後世を弔って下さい。」
そうして女房は、若君を連れて家を飛び出しました。女房は、逃げ道を教えると、
「ずっとお供をして行きたいのですが、亭主が帰って来て、気付かれては詮無い事ですから、ここでお別れです。」
と、涙ながらに家に戻るのでした。
さて、それから亭主が帰って来ました。あちこち探しましたが、稚児が居ません。亭主は驚いて、女房を呼びました。
「御稚児はどうした。」
と聞くと、女房は、
「さて、宵の頃まで、法華経をお唱えでしたが、どうしたのでしょうね。いらっしゃらないのですか。」
と、とぼけました。亭主は、
「お前、知らないわけは無いだろう。偽り事を言うと、鮫の餌食にするぞ。」
と、声を荒げて迫りましたが、女房は、知らぬ存ぜぬです。さすがの亭主も、諦めめて、
「やれやれ、掘り出し物を逃がしたわい。もったいねえなあ。」
と、つぶやくばかりでした。
 一方、逃げ延びた若君は、由比ヶ浜の手前、半里ぐらいの所で、次の宿を見つけました。今度の宿の主人は、大変情け深い人でしたので、一日二日を過ごすことになりました。若君は、この家の人々を信頼して、こう打ち明けました。
「お聞きしますところ、十三年前、筑紫筑前の人々が、由比ヶ浜で討ち死になされたということですが、きっと無縁仏となって、弔う人も無いことと存じます。彼らの修羅の苦患が思いやられてなりません。私は、由比ヶ浜で、あらゆる破骨、白骨を拾い集めて、千体の地蔵を造り、彼らの苦患を助けたいと、思っているのです。」
これを、聞いた夫婦は、若君と一緒に由比ヶ浜に出て、骨拾いをしました。曝れ(され)た白骨が、砂を撒いた様に散らばっています。哀れにも若君は、ひとつ骨を拾っては、
「これは、父上の骨か。」
又、ひとつ拾っては、
「これは、一門の者の骨か。」
と、泣くのでした。夫婦の人々も、若君と共に、沢山の白骨を拾いました。拾い集めた骨を突き砕いて固め、千体の地蔵を造りました。昼間には、夫婦は、柄杓を持って、谷七郷を勧進して回り、若君は地蔵の前で法華経を唱えました。夜になると、若君が鉦鼓を首に掛けて、谷七郷を念仏して廻りました。谷七郷の人々は皆、勧進に入ったので、程無く寺が建立され、多くの人々が集まる様になりました。地蔵の前でお経を唱え、行い澄ましておられる若君の心の内は、例え様もありません。
つづく


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