猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 20 説経念仏大道人崙山上人之由来 ⑥

2013年05月14日 21時46分30秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ろんざん上人⑥

 その頃の天皇は、第109代太上皇帝(明正天皇)でした。帝は、先帝の菩提を篤く

弔う為に、日本の名僧を集めるようにとのお触れを出したのでした。そんな折り、宮中

に百色の冥鳥が飛んで来て、

『ぶっぽうめいしそう』

と鳴いて飛び去ったのでした。帝は、不思議に思って、陰陽の博士に占わせました。

陰陽の博士、阿倍の望月は、参内すると、暫く考えてこう言いました。

「これは、宮中より、東の方向に、ろうれつという名の者がおり、この者は、文殊菩薩

の化身であるから、法要に呼び出すようにとのお告げです。かつて、弘法大師、性空上

人、法然や親鸞が世に出る時も、この鳥が舞い降りております。その鳴き声を文字に表

すならば、「仏の法、明かなり、使いの僧」となります。この僧をお召しになり、追善

法要を致すのがよかろうと存じます。」

帝は、この占いに従って、ろうれつを召し出したのでした。やがて、ろうれつは参内し

ましたが、そこには、嘗て、霊巌寺に於いて、ろうれつを殺そうとした「かい月」も

来ていました。帝の宣旨を受けると、かい月は、憎々しげに、ろうれつの前に出て、

「おぬしは、このような大事の御法事に、何の心得も無いままに来たのであろう。どの

ような有り難い法要をするつもりか。」

と、言い寄りました。ろうれつは、

「お前は、知らないのか。往生極楽の回向の外に、秘術などは無いのだよ。」

かい月は、これを聞くと、

「それでは、どんな回向をするのか。」

と問い詰めました。ろうれつは、

「それ、回向には四種あり。第一に「ぢきしゅつ回向」(不明)第二に「くんほつ回向」(不明)

第三に「往相回向」第四に「そんそう回向」(還相回向カ)。この中で、最も助かり易い

回向は、「ぢきしゅつ回向」である。」

と、答えます。聞いたかい月は、

「その回向では、どのような経を読むのか。」

と更に問い詰めました。ろうれつは、

「おうおう、何ということだ。六字の名号の外に、唱えるべき文言などありはしない。

六字の名号こそが、第一の回向である。」

と言い切りましたが、かい月は食い下がって、

「すべての諸経は、釈迦一代のお示しであるのに、念仏とは何事だ。」

と、怒鳴りました。ろうれつは、少しも騒がず、からからと笑うと、

「よっく聞けよ。六字の名号の「阿」の字一字に、十万の三世の諸佛。「弥」の字には、

一切の諸菩薩が。「蛇」の字には、八万諸正経が封じ込まれているのだぞ。どうだ、どうだ。」

と説くのでした。しかし、かい月は、しつこくも、

「やあ、ろうれつ。この生道心め。念仏の六字ぐらい知ってるおるわい。諸々の諸経を

広めた釈迦如来は、一切の事物の父母ではないか。阿弥陀仏ばかりを頼んでいたのでは、

成仏などできっこあるまい。」

とたたみ掛けます。ろうれつは呆れて、

「お前は、くだらないこと言うな。私は、釈迦を捨てる等と言った覚えは無い。六字の

名号には、釈迦諸菩薩も籠もっているのだ。大乗の心は、三神一仏を崇め申し上げるのだ。

三神とは、弥陀、釈迦、大日であり、この三仏を一仏と見るのだから、お前のように、

阿弥陀仏を遠ざけては、釈迦をも遠ざけることになるではないか。さあ、今からは、強

情なことはやめにして、愚僧の教えに従いなさい。」

と、諭すのでした。すると、弁舌盛んなかい月も、とうとう言葉に詰まって、

「ええ、お前のような悪僧は、仏法の外道だ。その首、捻切ってやる。」

と、ろうれつに飛びかかりましたが、その場の公家大臣が、取り押さえました。

ろうれつが、

「如何に、かい月。このような大事の御法事に当たって、埒もない言い争いは、慎みなさい。

先ずは、御法事をしっかり勤め、それからは、好きなようにしなさい。諸佛の目の前に、

大仏法に悪を為すような外道を、どうして諸佛が許し置くことがあろうか。よっく観念

しなさい。」

と言うと、突然、御殿が振動し、黒雲が辺りを覆いました。すると、金色の名号が、燦

然と顕れたのでした。今度は、その名号が、忽ち六色の悪鬼に化身すると、かい月に向かって、

「如何に、かい月。お前は、道者を嫉む悪人。今現在、六道の苦しみを見せてやる。」

と、その場で地獄の猛火を吹きかけました。猛火に包まれたかい月は、苦しみの余り、

「この悪い口の為に、あなたを誹ってしまいました。どうぞ、お助けを。」

と、血の涙を流して謝るのでした。ろうれつは、哀れに思って、

「只、南無阿弥陀仏えお唱えなさい。」

と諭しました。かい月が、必死に南無阿弥陀仏を唱えると、どうでしょう。猛火は忽ち

に消え去り、悪鬼は元の六字に戻って、再び燦然と輝くのでした。やがて六字の名号が

消え去ると、今度は、かい月が、無碍光如来に変じて、光明を放ち始めたのでした。

かい月が仏になったと、皆一同に驚き、帝、ろうれつを初めとして、皆、礼拝をされた

のでした。帝は、ろうれつの働きに感心して、

「この度の奇特の勤めは、大変ご苦労でした。今より、あなたの名を、崙山上人と改め

なさい。寺を建立してあげましょう。」

と、有り難いお言葉を下されました。そこに、稲垣與一が参内して、崙山上人の出自や

玉若殿の事等を奏聞しますと、帝は叡覧なされて、玉若も参内させました。そして、

玉若を日向の三郎元義と名付けて、大和の国に七万町をお与えになったのでした。

こうして、人々は、老母を伴って、大和の国に帰ることとなりました。かの崙山の

有様は、前代未聞の知識の誉れであると、有り難いとの何とも、申し様も無い次第です。

つづく


忘れ去られた物語たち 20 説経念仏大道人崙山上人之由来 ⑤

2013年05月14日 17時32分42秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ろんざん上人⑤

さて、江戸の霊巌寺で修行を積まれたろうれつ(金国)は、今はもう大知識となっていました。

一切経を全て習得して、御釈迦様の教説をそらんじていましたから、人々から、仏の化

身であると尊敬されていました。

 ある時、ろうれつは、こう考えました。

『天地開闢よりこの方の、日本に伝わる一切経を読破し、ひたすら六波羅蜜の修行を

行い、悟りの境地に達したけれども、とどのつまりは、名号である。伊弉冉尊(いざなみのみこと)

も天照大神も、本地と言えば阿弥陀如来であることは疑い。末世の衆生は、下地下根であり、

座禅を通して悟りに達することは難しい。この有り難い念仏を、人々が軽んじていることは、

残念なことである。十万の三世仏、一切の諸菩薩が、八万ものお経に書き表されているが、

それでも、文字には書き尽くすことはできず、言葉で言い尽くすこともできない。そう

であるからこそ、仏の知恵は、この六字に詰め込まれたのだ。私が出家をしたのは、人々

を助けるためであった。これよりは、日本中を修行して回り、人々を利益しなければ

ならぬな。」

 そうして、ろうれつは、雄誉上人から授けられた御名号を襟に掛け、全国行脚の旅へ

と出掛けたのでした。先ず都に向けて旅立ったろうれつは、やがて小田原までやってきました。

もう日暮れ近くのことでした。入相の鐘が鳴るのを聞いてろうれつは、夕日を拝みなが

ら一首を詠みました。

「月も日 東に出でて 西に行き 弥陀の浄土へ 入相の鐘」

やがて、日はとっぷりと暮れました。ふと、気が付くと、遙かの向こうに、灯火の光が

ちらちらと見えます。ろうれつが立ち寄って、編み戸の隙間から中を覗いてみますと、

八歳ほどの子供が、仏前に手を合わせて、念仏をしています。これを見たろうれつは、

『さても殊勝な子供じゃな。年端も行かぬのに、有り難きお念仏。何やら子細もありげ

だが、外に人の姿も見えない。これは、ひょっとして、愚僧の修行を試す、仏神の現れ

であろうか。むう、まあそれはどうあれ、このような尊い子供を見捨てて通るというの

も如何なことか。もう日も暮れてしまったことだし、今宵はここに宿を借りて、旅の疲

れを癒やすことといたそう。』

と、思案して、庵の戸を叩きました。

「もし、私は旅の僧であるが、日に行き暮れてしまった。一夜の宿をお貸しくだされ。」

玉若殿は、これを聞くと急いで立ち上がり、戸を開けて、

「何、旅の御僧ですか。主は留守をしておりますが、お坊様であるなら、どうぞお入り下さい。」

と招きました。ろうれつは、これを聞いて、

「さてさて、あなたは、まだ子供なのに、殊勝なお志。子供ながら、只人とは思えません。

しかしならが、主もいらっしゃらない所へ、如何に法師といえども、宿を乞う訳には

行きません。お志は有り難いとは存じますが、別の宿を探すことにいたしましょう。」

と行って立ち去ろうとしました。しかし、玉若は、ろうれつの袖に縋り付いて、

「仰ることは道理ではありますが、少しも苦しいことはありません。殊に私は、最近

母を失い、孤児となりました。祖母がおりますが、今日は乳母を連れて、母の墓参りに

出掛け、まだ戻りません。丁度、物寂しく感じていた所に、あなた様が宿を乞われたので、

嬉しく思っております。丁度、明日は、母上様の初七日ですから、外の宿を借りる等と

言わずに、今夜はここにお泊まり下さい。どうかお願いいたします。お坊様。」

と言って、袂を離しません。ろうれつは、その心に感心して、

「そういうことであれば、一夜の宿をお借りいたしましょう。」

と言って、奥の間に入ったのでした。

 ろうれつは、この子が、我が子であるとも知らず、先ず持仏堂にお参りなされてから、