猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 17 説経信田小太郎 ②

2013年02月08日 11時34分46秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

しだの小太郎 ②

 さて、小山太郎行重は、信田殿が、都へ直訴に及んだことを聞き知ると、郎等共を集めて、

「信田を都へ上らせては、まずい。追っかけて、討ち取れ。」

と、命じました。郎等の横須賀は、

「殿の御諚ではございますが、理由も無く追討したとあっては、上への聞こえも悪くなります。

考えまするに、調伏(ちょうぶく)なされるのが良い方法と思われまする。」

と、進言しました。小山は、成る程と思い、早速、鹿島神社に使いと立てると、神主を

呼び出しました。小山は、やってきた神主を様々にもてなすと、神主の袂を掴んで、

「この度、ご足労を願ったのは、外でもない。信田を調伏してもらいたい。」

と、頼んだのでした。これを聞いた神主は、驚いて、

「いえいえ、天地長久、御願円満、息災延命と祈ることの外に、そのような秘術などありません。

調伏など、神仏の照覧も恐ろしい。」

と、逃げ出しました。小山は、ずんと立ち上がって、立ちふさがり、

「やあ、一期の浮沈の一大事を聞いておいて、どうでも、厭だとは言わせぬぞ。」

と、腰の刀に手を掛けました。神主は、万策尽き果て、仕方なく調伏を引き受けざるを

得ませんでした。

突然のことでしたから、吉日を選んでいる間も無く、壇を設えると、飾り付けをし、

何やら恐ろしげな供物を並べました。護摩焚きの乳木(にゅうぼく)、山空木(やまうつぎ)。

濯水(しゃすい)の水にイモリの血。それに羊の肉を盛りました。この供物は、毎日

違う物が供えられました。初めの七日は、地蔵菩薩の南向きに、次の七日は、阿弥陀如

来の北向きに、祈りました。次の七日は、内縛(ないばく)、外縛(げばく)の印を結んで、

不動明王、金剛童子に索の縄をぐるぐる巻きにすると、一心不乱に祈祷をしました。

しかし、やったことも無い調伏が、そう簡単にできるはずもありません。神主の面目

は丸つぶれです。いよいよ、追い込まれた神主は、更に十四日間、加持祈祷を一心に続けました。

「オン、コロコロ、センダリマトウギ」(薬師如来真言)

「ソワタヤウンタラタ、カンマン」(不動明王真言)

と、その有様は、狂わんばかりです。とうとう、数珠は切れ飛び、五鈷で膝を叩き、三

鈷で胸を叩き、独鈷で頭を叩きます。頭蓋骨は割れて、血が噴き出しました。全身血だ

らけになった神主は、その血を不動明王の利剣に押し塗ると

「これは、調伏人の血であるぞ」

と、目玉を剥き、天地を響かせるばかりに祈祷したので、いよいよ五大尊(五大明王)

は振動し、金剛夜叉は矛を振り、大威徳明王が乗る牛が、角を振って吠え立てたのでした。

 さて、命を懸けた調伏の験(しるし)は、やっと現れましたが、信田殿にまでは届き

ませんでした。信田殿一行は、中山道番場の宿(滋賀県米原市)の辺りを急いでおりましたが、

俄に、御台所の具合が悪くなったのです。信田殿は、とある所に宿を取り、御台を休ま

せることにしました。人々は、御台所を取り巻いて、あれやこれやと看病しましたが、

容態は次第に悪化するばかりです。苦しみながら御台所は、

「ああ、苦しい。皆の衆。もう、私は終わりです。私が死んだなら、兎にも角にも、信

田殿の事をよろしくお願いしますよ。世の中は、何故、思い通りにならぬのでしょうか。

信田殿のことのみが、思いやられ、黄泉路の支障となりましょう。ああ、名残惜しい

信田殿よ。」

と、言い残して、儚くもこの世を去ったのでした。人々は、突然のことに、泣くより外

にはありません。信田殿は、死骸に抱きついて、

「これは、恨めしい母上様。あなたのことのみを思って、遙々と都を目指して来たのに。

こんなことになると分かっていたのなら、家来達と諸共に、小山の館に攻め入って、一

矢報いてやったものを。それなのに、私を振り捨てて行ってしまうなんて、これから、

どうしたら良いのですか。私も一緒に連れて行って下さい。」

と、嘆くのでした。家来達は、

「生死無情は、世の習い。嘆いてばかりいても仕方ありません。」

と言うと、信田殿から死骸を引き離して、野辺の送りをしたのでした。労しいことに、

心労のあまり、信田殿も床に伏して、動けなくなってしまいました。十一人の家来達は、

「信田殿の運命も尽き果ててしまったようだ。これ以上、信田殿に従っても、京や

田舎を彷徨って、苦労するだけ。かといって、外の家に仕官するのは、武士の恥。これ

を、菩提の種として、出家をしよう。」

と、皆、密かに元結いを切り落とすと、信田殿の枕元に置いて、去って行ったのでした。

 さて、ようやく目覚めた信田殿が、

「さあ、皆の衆。いつまで嘆いていても仕方ありません。気を取り直して、都へ参りましょう。」

と、言いますが、誰も返事をしません。おかしいなと思った信田殿が、跳ね起きると、

家来達は、誰も居らず、枕元に人々の髻(たぶさ)があるばかりです。信田殿は、驚いて、

「ええ、私を捨てて行ったのか。ああ、もう生きていても仕方ない。」

と、刀に手を掛け、自害するところに、宿の亭主が飛んで来て、止めたのでした。宿の

亭主が、事の次第を尋ねると、信田殿は、これまでの様々な身の上を話しました。亭主は、

「それ程に正しい道理があるのでしたら、どうして訴訟をされないのですか。私が、都

まで送り届けてあげましょう。」

と、言うと、信田殿を馬に乗せて、都へと向かったのでした。亭主は、五條の辺りに宿

を借りてあげると、訴訟の仕方を丁寧に教えて、戻って行きました。

 しかし、労しいことに信田殿は、片輪車の縄が切れた様に、やる気も無く、只一人、

ふらふらと無為な時間を費やすだけでした。

「誰か、道連れと頼る人もいない。やはり、常陸に戻って、小山と刺し違えて死ぬ外は

無い。」

と、思った信田殿は、また常陸の国へと戻って行くのでした。

 やがて、信田殿は、常陸に戻り、小山の館にやってきました。

「信田である。先ずは、平に降参いたす。」

と言うと、小山は、

「おお、分かっておるぞ。俺に一刀報いに来たな。お前を殺すことは簡単だが、降参した

者を討つのは、武士の道に外れる。命は助けるぞ。」

と、信田殿を、門外に放り出しました。信田殿は、一矢報いることもできず、すごすごと

立ち去ると、父の墓へ詣でて、一人嘆くのでした。

「どうして、こんなに果報の少ない私を、この世に残して置くのですか、どうして、

上品上生(じょうぼんじょうしょう)の台(うてな)に、お迎え下さらないのですか。」

信田殿が、泣く泣く墓を後にしようとした時、編み笠を深々と被った武士が、近づきました。

武士は、

「信田殿では、ありませんか。」

と、袂を取りました。かの浮嶋大夫でした。二人は、再会を喜び合い、浮嶋が隠居している

下の河内へと向かったのでした。

 浮嶋大夫は、館に着くと、女房や子供達を集めて、

「日頃より、皆が祈ってきたので、天のご加護があり、偶然にも信田殿の巡り会ったぞ。

信田殿がここに来たことは、隠そうとしても、いずれ知れ渡る。この城は、昔より守り

が固く、そう簡単には、落とすことは出来ない。お前達に戦をさせ、内戦に耐えておれば、

きっと都より、咎めの使者が下る事だろう。そうしたならば、越訴(おっそ)を行うのだ。

様々な苦難があるであろうが、必ず、国を取り返すことができる。さてしかし、俄に慌

てて、出兵するのではないぞ。人夫を集めて谷々に掘りを切り、山々にかがり火を焚かせ、

垣楯(かいだて)を巡らせて、気を許すな。よいか。」

と、命じました。女房も子ども達も、この君の為に、儚い命を捧げようと、躍り上がって、

喜んだのでした。この人々の姿は、あっぱれであると、誉めない人はいませんでした。

つづく