最初は理由がわからなかった。
フォトグラファー友人が色川武大氏の文庫本を貸してくれた。
しかし、文庫本の表紙や中に掲載されているモノクロームのピンナップを見せて、「顔の大きいところが似ている。頭が重そうで、その内、禿げそうなところが似ている」って言ったかどうかしらないが、
そのような理由で、彼は本を貸してくれた。
著者が50歳を越えてから書き上げた短編集となっている。
著者の50歳は、文士としての栄光とは裏腹に、かなり体のコンディションは悪かったようだ。
ページをめくれば、いきなり「暴飲暴食」というタイトルが飛び込んでくる。
ある意味で、遺言、ある意味で闘病記と言えるかもしれない。
どうしてお酒を呑むのかではなく、どうして「そんなに」お酒を呑むのか?というテーマは、追求すれば、誰しも小説家になれるのかもしれないといテーマかもしれない。
しかし、もしお酒や生活苦とリンクしない人、そういう経験のない人にとって、氏の小説に、どういう印象を持たれるのだろうか?
色川氏の場合は、阿佐田哲也名義での麻雀小説もある。
私は麻雀を知らない。
中学の時に、親戚中で一番のエリートで、一番、頼りにされていたおじさんが、徹マンを2日、続け、突然、脳溢血になり、30歳代で亡くなったため、私は、麻雀をしないと決めたのだ。その時は残された親族の途轍もない悲嘆に打ちのめされたからだ。
だから、私は麻雀を知らない。
そして社会人になっても、愛好家のグループとは交わることはなかったので、そういう場での交際は一切、なかった。
もし、麻雀というものが、大勢の若い女性たちがするものであれば、たぶん、中学の時の誓いを反故にして、そっせんして夢中になっていたかもしれない。
雀荘の多い商店街が若い女性客でにぎわっていたなら、って、書いていて思うけれど、雀荘って近頃、見ないね。
で、
私は半世紀を過ぎるまで、知らずにきた。
だから、
アニメ「サマー・ウォーズ」で「こいこい」って、映画の中で言われても、ピンとこない。
きっと何か、ポイントになっているのかもしれない。
しかし、麻雀がわからないので、もしかしたら、あの映画自体の面白さも半減しているのかもしれない。
とにかく、麻雀という娯楽を知らずに生きてきたことの損得勘定を考えると、時間のロスは、なかった分、プラスになったと思う。で、マイナスはなんだろう。
わからない。
阿佐田さんの麻雀小説がわからない、
サマー・ウォーズの面白さが半減しているかもしれない、
コミックのカイジが読めない、・・・。
今から麻雀を体得しようという野心はないので、麻雀を知っている知らないの比較は一生、できないのだろう。
「ずっと半世紀、麻雀を知らずに生きてきました。
そしてこの後も、死ぬまで、ずっと彼は麻雀を知らずに生きてしまいました。」
と、
子孫の誰かがそう墓碑銘に付け加えてくれるかもしれない。
話を元に戻そう。
氏の最後期の短編小説集であるが、よくよく読めば、明るい話は一切ない。
自嘲的というか自虐ネタはあるけれども、読み進めるにあたって、あまりにも痛々しい表現の連続である。
もし、私が氏の秘書をしていたのなら、監禁も辞さないほどの強硬手段で、断酒のためのセラピーを施していただろう。
少年期の放浪癖を吐露した短編集もあるし、事務所に根ついた個性的な友人たちの描写、そして彼らとの悲喜こもごも、
それらすべてのページは、どれもこれも、痛いのを通り越して、
「わかった、わかった、もういいよ、もういいから、少し休もうよ!」
って、リングの外から白いタオルを放り投げ、顔面血だらけで腫れ上がったボクサーを抱きかかえるコーチのような気持ちになってしまう。
「たとえノックダウンされなくても、15ラウンドで終わるはずだろ?」
と遠くのほうからかすかに聞こえる声が聞こえてきても、ずっと終わらないラウンドのように、彼らの苦悩、苦痛は続く。
そして本の最後の短編はタイトルでもある「引越貧乏」
これはまったく膝を打ちながら、読んでいた。
女性は現実的と言いながらも、実は夢想家である。
と私が主張すれば、きっと反論を唱える運動家もいるかもしれないが、私は現実的なのは、男性のほうだと思う。
その現実が過酷なほど、人は酒に走る。
アル中はきっと男性の方が多いはずだ。だから、男性の方が現実にまっこうからぶつかっている。女性は夢想家だから、お酒を呑む必要がない。夢の中で真摯に生きているのは女性の方で、男性は夢の中で生きていけないので、酒に酔いしれて、ユートピアを垣間見ようとする。(などと統計的なデータなど一切、知りませんので悪しからず!)
だから
とそう書けば、
ジェンダー差別をするな!
と怒られるかもしれないが、それは夢想家なのではなく、実は女性の無神経で鈍感がなせる技なのだ!と思う。
などと、いたわる気持ちなどではなく、氏を悼む気持でもなく、
なんとなく
遺伝子レベルで織り込まれている男女のジェンダーな差異の暴発というか、すれ違いに、憤りを感じて、ムカムカしてきた。
などと書きながらも、
定刻にタイムカードを押して、家に帰れば、理想的な家庭が待っている人たちには、喰いつくところがなくて、氏の作品に、感情移入できない幸福な人たちもいることだろう。
などと書けば、
「おまえもサラリーマン・フォトグラファーのくせに、何をきどって、根無し草気取りなのだ!」
と叱責を被りそうだ。
でも、私個人的には、
麻雀の話はわかりませんが、
この「引越貧乏」の世界には、大いに共感というか共鳴できます。
バカでしょうか?
わかりません。
たぶん、バカです。
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