神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

友人に借りた「引越貧乏」by色川武大さん文庫本を読了。

2011年05月05日 23時02分17秒 | 小説

最初は理由がわからなかった。

フォトグラファー友人が色川武大氏の文庫本を貸してくれた。

しかし、文庫本の表紙や中に掲載されているモノクロームのピンナップを見せて、「顔の大きいところが似ている。頭が重そうで、その内、禿げそうなところが似ている」って言ったかどうかしらないが、

そのような理由で、彼は本を貸してくれた。

著者が50歳を越えてから書き上げた短編集となっている。

著者の50歳は、文士としての栄光とは裏腹に、かなり体のコンディションは悪かったようだ。

ページをめくれば、いきなり「暴飲暴食」というタイトルが飛び込んでくる。

ある意味で、遺言、ある意味で闘病記と言えるかもしれない。

どうしてお酒を呑むのかではなく、どうして「そんなに」お酒を呑むのか?というテーマは、追求すれば、誰しも小説家になれるのかもしれないといテーマかもしれない。

しかし、もしお酒や生活苦とリンクしない人、そういう経験のない人にとって、氏の小説に、どういう印象を持たれるのだろうか?

色川氏の場合は、阿佐田哲也名義での麻雀小説もある。

私は麻雀を知らない。

中学の時に、親戚中で一番のエリートで、一番、頼りにされていたおじさんが、徹マンを2日、続け、突然、脳溢血になり、30歳代で亡くなったため、私は、麻雀をしないと決めたのだ。その時は残された親族の途轍もない悲嘆に打ちのめされたからだ。

 

だから、私は麻雀を知らない。

そして社会人になっても、愛好家のグループとは交わることはなかったので、そういう場での交際は一切、なかった。

もし、麻雀というものが、大勢の若い女性たちがするものであれば、たぶん、中学の時の誓いを反故にして、そっせんして夢中になっていたかもしれない。

雀荘の多い商店街が若い女性客でにぎわっていたなら、って、書いていて思うけれど、雀荘って近頃、見ないね。

 

で、

私は半世紀を過ぎるまで、知らずにきた。

だから、

アニメ「サマー・ウォーズ」で「こいこい」って、映画の中で言われても、ピンとこない。

きっと何か、ポイントになっているのかもしれない。

しかし、麻雀がわからないので、もしかしたら、あの映画自体の面白さも半減しているのかもしれない。

とにかく、麻雀という娯楽を知らずに生きてきたことの損得勘定を考えると、時間のロスは、なかった分、プラスになったと思う。で、マイナスはなんだろう。

わからない。

阿佐田さんの麻雀小説がわからない、

サマー・ウォーズの面白さが半減しているかもしれない、

コミックのカイジが読めない、・・・。

今から麻雀を体得しようという野心はないので、麻雀を知っている知らないの比較は一生、できないのだろう。

 

 

「ずっと半世紀、麻雀を知らずに生きてきました。

そしてこの後も、死ぬまで、ずっと彼は麻雀を知らずに生きてしまいました。」

と、

子孫の誰かがそう墓碑銘に付け加えてくれるかもしれない。

 

 

話を元に戻そう。

 

氏の最後期の短編小説集であるが、よくよく読めば、明るい話は一切ない。

自嘲的というか自虐ネタはあるけれども、読み進めるにあたって、あまりにも痛々しい表現の連続である。

もし、私が氏の秘書をしていたのなら、監禁も辞さないほどの強硬手段で、断酒のためのセラピーを施していただろう。

少年期の放浪癖を吐露した短編集もあるし、事務所に根ついた個性的な友人たちの描写、そして彼らとの悲喜こもごも、

それらすべてのページは、どれもこれも、痛いのを通り越して、

「わかった、わかった、もういいよ、もういいから、少し休もうよ!」

って、リングの外から白いタオルを放り投げ、顔面血だらけで腫れ上がったボクサーを抱きかかえるコーチのような気持ちになってしまう。

「たとえノックダウンされなくても、15ラウンドで終わるはずだろ?」

と遠くのほうからかすかに聞こえる声が聞こえてきても、ずっと終わらないラウンドのように、彼らの苦悩、苦痛は続く。

そして本の最後の短編はタイトルでもある「引越貧乏」

これはまったく膝を打ちながら、読んでいた。

女性は現実的と言いながらも、実は夢想家である。

と私が主張すれば、きっと反論を唱える運動家もいるかもしれないが、私は現実的なのは、男性のほうだと思う。

その現実が過酷なほど、人は酒に走る。

アル中はきっと男性の方が多いはずだ。だから、男性の方が現実にまっこうからぶつかっている。女性は夢想家だから、お酒を呑む必要がない。夢の中で真摯に生きているのは女性の方で、男性は夢の中で生きていけないので、酒に酔いしれて、ユートピアを垣間見ようとする。(などと統計的なデータなど一切、知りませんので悪しからず!)

だから

とそう書けば、

ジェンダー差別をするな!

と怒られるかもしれないが、それは夢想家なのではなく、実は女性の無神経で鈍感がなせる技なのだ!と思う。

などと、いたわる気持ちなどではなく、氏を悼む気持でもなく、

なんとなく

遺伝子レベルで織り込まれている男女のジェンダーな差異の暴発というか、すれ違いに、憤りを感じて、ムカムカしてきた。

 

などと書きながらも、

定刻にタイムカードを押して、家に帰れば、理想的な家庭が待っている人たちには、喰いつくところがなくて、氏の作品に、感情移入できない幸福な人たちもいることだろう。

などと書けば、

「おまえもサラリーマン・フォトグラファーのくせに、何をきどって、根無し草気取りなのだ!」

と叱責を被りそうだ。

でも、私個人的には、

麻雀の話はわかりませんが、

この「引越貧乏」の世界には、大いに共感というか共鳴できます。

バカでしょうか?

わかりません。

 たぶん、バカです。

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