昨晩は季節の折々に神戸で演奏を続けている村松健さんのライブを堪能。
今回のテーマは会場名AQUAだからというわけではないけれども、
ずばり水。
そしてサッカーのワールドカップネタからブラジルなどのラテンな音楽がテーマ。
現在、健さんが拠点にされている奄美大島は亜熱帯であり、海水であれ、雨水であれ、島自体、水抜きでは語れない。
「水の強さ」から始まり、「水」という物質に関しての蘊蓄や想いを演奏のあい間に語りかけてくる。
そして不意に
「幸せはずっと続くと思いますか?どこからやって来て、過ぎ去ってから、『あの時は幸せだったんだ』と思うようなことはありませんか?」
と問いかけてきた。
それを、亜熱帯での雨雲に譬えたのだ。
「海の彼方に雨が降っている。
ずっと遠くにある雨雲も
眺めている内に近づき、
気がついたら、
黒い雲が立ち込め、
頭上からスコールの雨、
そして、
それが通り抜けて行く・・・」
私は亜熱帯スコールの重い雨粒を連想し、海であれ、森であれ、舗装路であれ、スコールが降った後の香りを感じた。
そこで演奏が、健さんの演奏するフルートとウッドベース担当、安藤さんのウクレレというデュオで、
「通り雨」
村松健さんの「通り雨」は今までにいろんなバージョンがある。
1984年の「季節と七つの物語」の「通り雨」(それは桜舞う春の暖かい雨粒・・・)
1986年の「ウインター・ミュージック」の「通り雨」(それは毛糸の手袋を指すような冷たい雨粒・・・)
2000年の「せつないなら空をごらん」の「とおり雨」(これは夏の早朝に降る、透き通る海辺の雨粒・・・)
昨晩の「通り雨」は、
この梅雨にうってつけな、とても湿度を感じる雨だった。
天空と海がひとつのグラデーションになり、そして赤ん坊の握りこぶしのような雨雲が見える・・・浮遊している無数の雨粒が自らの重みに耐えかねて、優しい風に揺られ、舞い落ちる・・・。
健さんの音楽を聴いて、そのような光景が確かに見えたのだ。
夏には、奄美大島の海辺や森の中で実際にピアノを運び込んで、ライブ演奏を行う村松健さん。
「奄美に来ないとだめだよ。」
と直接、健さんに言われた。
近い将来、奄美大島に行くぞと決めた!
現在、富士通のCMで「思いは海を越えて」というピアノ曲がBGMに使用されています。http://bit.ly/1llzTQY
今回のテーマは会場名AQUAだからというわけではないけれども、
ずばり水。
そしてサッカーのワールドカップネタからブラジルなどのラテンな音楽がテーマ。
現在、健さんが拠点にされている奄美大島は亜熱帯であり、海水であれ、雨水であれ、島自体、水抜きでは語れない。
「水の強さ」から始まり、「水」という物質に関しての蘊蓄や想いを演奏のあい間に語りかけてくる。
そして不意に
「幸せはずっと続くと思いますか?どこからやって来て、過ぎ去ってから、『あの時は幸せだったんだ』と思うようなことはありませんか?」
と問いかけてきた。
それを、亜熱帯での雨雲に譬えたのだ。
「海の彼方に雨が降っている。
ずっと遠くにある雨雲も
眺めている内に近づき、
気がついたら、
黒い雲が立ち込め、
頭上からスコールの雨、
そして、
それが通り抜けて行く・・・」
私は亜熱帯スコールの重い雨粒を連想し、海であれ、森であれ、舗装路であれ、スコールが降った後の香りを感じた。
そこで演奏が、健さんの演奏するフルートとウッドベース担当、安藤さんのウクレレというデュオで、
「通り雨」
村松健さんの「通り雨」は今までにいろんなバージョンがある。
1984年の「季節と七つの物語」の「通り雨」(それは桜舞う春の暖かい雨粒・・・)
1986年の「ウインター・ミュージック」の「通り雨」(それは毛糸の手袋を指すような冷たい雨粒・・・)
2000年の「せつないなら空をごらん」の「とおり雨」(これは夏の早朝に降る、透き通る海辺の雨粒・・・)
昨晩の「通り雨」は、
この梅雨にうってつけな、とても湿度を感じる雨だった。
天空と海がひとつのグラデーションになり、そして赤ん坊の握りこぶしのような雨雲が見える・・・浮遊している無数の雨粒が自らの重みに耐えかねて、優しい風に揺られ、舞い落ちる・・・。
健さんの音楽を聴いて、そのような光景が確かに見えたのだ。
夏には、奄美大島の海辺や森の中で実際にピアノを運び込んで、ライブ演奏を行う村松健さん。
「奄美に来ないとだめだよ。」
と直接、健さんに言われた。
近い将来、奄美大島に行くぞと決めた!
現在、富士通のCMで「思いは海を越えて」というピアノ曲がBGMに使用されています。http://bit.ly/1llzTQY
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