断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMTの話、酔っぱらって番号わかんなくなった。で、Alla Semenova の話。 

2015-03-06 23:50:29 | 欧米の国家貨幣論の潮流

先ごろGeoffrey Ingham が第一線を退くような話があり

http://www.amazon.co.jp/Financial-Crises-Nature-Capitalist-Money/dp/1137302941/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1425652947&sr=8-5&keywords=Geoffrey+Ingham

、MMTとしては「貨幣の起源」論研究が手薄になるんではないか、
と、おいらとしては大いに気をもんでいたのだが
(というのは、おいらから見れば、MMTの一番大切なのって、
その辺りだからね)
期待の大型新人が登場しまたッ!(と、新日時代の
古舘調で)

Ms. Alla Semenova

ウクライナ出身の、まあ、女性なんで、歳は秘密にしておくが、
美女の宝庫といわれる同地域の出身者にふさわしく
写真で見る限りでは、なんだか美貌の若手研究者みたいな感じだが、
やっぱりモデルタイプっぽい感じで
あんまりおっぱいが大きいというわけではなさそうである。
むしろ、スタイリッシュというか、、、
いずれにせよ、ステファニ―・ケルトン、パブリナ・チェルノバに
続く女性MMTer の象徴ともいうべきか、
やや大きめな顎と受け口はちゃんと受け継いでおり、
まあ、やっぱり正統派MMTerは、女性でもこうでなくっちゃね。
でも、最近の動画でチェルノバを見たら、
なんだか突然老けたように見え、体も
以前よりずいぶん小さくなってしまったような印象を受けた。
かつての、あのアントニオ・猪木ばりの見事な下顎は、どこへ行ったのか、
という感じ。病気などでなければいいが。。。
まあ、それを言い出すともともとWray なんか、見た目だけからいうと
いつ死んでもおかしくないような。。。

いや、別にそんなことを書きたいわけじゃない。
健康を案じているのは本気だが、
それを自分で茶化して書いて喜んでいる自分が
情けない。。。

いや、そんなことを書きたいわけでもない。
話を戻してAlla Semenovaの件だが、

どうも、この名前、
ウクライナの鈴木花子さんか
佐藤ヨシエさんか、そんな感じらしい。
インターネットで検索すると、
ヒットすることしないこと、、、、
一番目を引くのは
何やら、ボディービルダー選手権の選手の
女性で、写真で見る限り、ちょいとおいら的には
うわー。。。ええっと、、。。。。。
と、いう感じである。。。。いや、
別に女性がボディービルダーになっちゃいけない、
とか、言うつもりはないですよ、ただねえ。。。
まあ、なんというのか、、、

いや、また話がそれた。
で、話を元に戻すと(酔っぱらっててすいませんねえ)、
おいらは、この御嬢さんの論文ついては
まあ、だいぶ前から一応集めてはいた。
いつかは読むかもしれない、ぐらいの意識で。
(別に、若い女性かどうかなんか、そのころは
わからなかったんだからね。)
しかし、Wray の最新の論文(ただし、現段階では
ワーキングペーパー)が
彼女との共同研究だったので、で、
別に、ただのワーキングペーパーだったら、
いちいちブログに書き込もうとも思いやせんのだけれど、
しかし、アブストラクトが大いに気をそそられるものだったので、
今回のブログということになったわけだ。

まあ、それはともかく、

2007年に、最初の論文が出ているが、
ドクターを取得したのは2011年のことで
主査(審査委員長)はL. Wrandall Wray で、
他に審査にはMathew Forstater なんぞも
加わっている、というわけで、バリバリの
MMTなわけだが、ただし、この独論はやや意外で、
タイトルこそ〝Origin of Money" ではあるが、
メンガーの業績の文献考察がかなりの部分を占めている。
まあ、出身がキエフ=モヒーラ・アカデミー・国立大学だから
ドイツ語が堪能なのはそうかな、と思うけれど、
それはともかく、
MMTにとっては、メンガー流の、「最も利用される
資産=貨幣」観は、もっとも否定されるべき
新古典派とネオ・ウイーン派に共通の
貨幣観であるわけだ。…と、書いてしまうのは
かなりやばいな。。。ってえか、日本には
かの玉野井芳郎先生の研究&邦訳もあるわけで、
そういう流れでは、こうしたメンガーの再評価も
ある意味、当然、と受け止めてもいいわけなんだが、
しかし、欧米では(と、いうか、この20年ぐらいの日本でも)、
メンガー=「もっとも使われる資産=貨幣論」
と扱われていることは否定しよう無いでしょ。
(今の日本人で、いったいどれだけ
玉野井先生のメンガー研究とか知っている人がいるんだ???)
現に、John Smithin の”What is Money ?”では
インガム、レイの主張に対して
真っ向からぶつかる感じで、
ニュー・メンガーリアンの主張が
しかもコンピューターシミュレーションという
「科学的」な装いの形で
ぶつけられたわけだ。まあ、主流派の立場からこういう本に
寄稿するほうも度胸あるよね。
ただ、まあ、こういうことを書くと、
おいらも日和ってしまうことになるかもしれないが、
一応念のため、書いておくと、
本書のような性格の書物に主流派の立場から寄稿した
Peter G. Kelin および George Selgin に対しては
論文が使いまわしであろうとなんだろうと、
やはり、敬意を表したい。まあ、こんな書き方をしておいて
いかにもおためごかしといわれちゃうかもしれないけど、
でも、実際、自分が彼らの立場だったら、なんだってこんなことに
協力するんだろう、と思ってしまうよね。読者のほとんどが、
おいらのような、主流派の研究に対しては
シニカルな態度をとるに決まっているのに、
そのことを承知の上で、きちんとした論文を
寄稿できるというのは、クラインもゼルギンも
すでに功成り名を遂げた研究者であるだけに、自分の研究に
自信があるからこそできるのだろうけれど、
やっぱり、まあ、なんというのかな、、どういったら、いいんだろ、
ある意味で、向こうの研究環境(金銭的な意味じゃなくって研究者の意識)って
うらやましいよね。。。。

いや、また話がそれた。。。。
で、その、なんだっけ、
Alla Semenova とL. Randall Wrayの
共同論文なんだが、とりあえず、
アブストラクトを訳出しておく。
カッコいいんだぜ。

The Rise of Money and Class Society: The Contributions
of John F. Henry

http://www.levyinstitute.org/pubs/wp_832.pdf

本稿は、古代ギリシアにおける貨幣と階級社会の誕生について
探究している。その際にはエジプトのケースと歴史的・
理論的対照を試みている。そうすることで
貨幣についてカルタリスト・アプローチと
メタリスト・アプローチの歴史的な適応可能性を
検討する。その結果貨幣の起源および進化には
階級社会及び格差の発生が密接に絡んでいたことが
示される。貨幣、階級社会、格差、こうしたものは
同時に発生するのであり、相互に強化しながら
発展したのである。貨幣は、商業的交換の
媒体としてよりも、その時代の「平等主義者の
トークン」として登場したのである。その時代、とはつまり、
社会関係の実態が、平等主義的なものから
階級社会的なものへと移行する、そうした基幹的な移行期の
ことである。この文脈では、貨幣とは社会的・経済的調和と平等を
演出するためのものであり、
同時に格差は広がり、固定化してゆく。貨幣とは、
民間の商業者によって「意図的に」発明されたものというよりは
まずは、古代ギリシア国家、あるいは前国家によって、
自分自身の政治的・経済的権力を確立し、固定化するために
発行されたものなのである。貨幣は、
商業交換の媒体としてよりは、まずはギリシアの都市国家が
社会的正義の市民的な外観を保とうと努める中で、都市国家により
管理される「報酬の手段」として用いられた。貨幣の起源が
格差の起源の中に見出せるのと同時に、民主制度がきちんと
機能する社会においては、貨幣を、MMT原則に従い
公共目的に応じて利用することで、
貨幣の格差を強制する性格を反転させる力がある。MMTの原則に従い
貨幣を用いれば、貨幣の格差を強いる性格は
弱められ、同時に、昨今の所得や資産の格差を広げるトレンドは
抑制され、そして反転させることも可能である。




いいねえ、貨幣とは、その平等主義的な上辺の奥に
階級と格差を隠ぺいしているのである、
なんてのは、古典的なマルクス派の時代に戻ったような
気がするが(そいや、アントニオ・ネグりあたりも
そんなこと言っていたな)、久々に
スキットする明快な断定だ。(John F. Henryって誰だ?)

…んま、若い人からすると
いまどき階級社会かよ、ということになってしまうのかもしれないが、
ただまあ、おいら的にはこれが現実だと思うし(と、言ったって、
ルソーじゃないんだから、誰かが
土地を囲って、「これがおれの土地だ」と宣言するとか、
国家が貨幣を作り出す前の時代がずっと平等だった、
なんて、そんなことはさすがに言わないが)、
まあ、最後の、MMT的発想を応用した政策を採用することで
一層の不平等化の進展を抑える、あるいは反転できるかもしれない、
というところには、さしものおいらも、
ちょっと楽観的すぎるかなという気がするが。

また、いまどきこんな単純な二分法かよ、と
冷笑しているおいらと同世代の人に対しては、
物事を頭の中で複雑っぽく考えれば
それで何か真理が突きとめられるわけではないんだからね
(それをやった最高の例が結局
主流派経済学)とでも言っておこうか。
貨幣とは何ぞや、内在価値も何にもない紙切れ(貨幣が
「紙切れ」かよ)が
なぜ内在価値(なんだそれ?)を持つ商品と交換されるのか、、、
それだけを取れば、いかにも深遠っぽく見える問題設定ではあるが、
それに対して、そんなもん、課税があるからじゃん、と
単純明快な、しかも、実は昔から指摘され
高校の日本史の教科書にも書かれているような、否定の仕様のない事実を持って
回答されたとき、いったい、彼らの
うわべの知性主義がいったいどう反論するのか。
そして、この、「課税があるから貨幣が流通する」という
一見、単純明快な(なんせ、その背後には、
物理的強制力があるのだ)説明の背後に、
いったいどれほどの謎が隠されているのか(網野善彦先生の言う、
「日本人は、年貢の低減をいつも求めたいたが
年貢の廃止自体を求めたことは無いのはなぜか」という
問題)、なぜその問いを出すことがこれまでできなかったのか、
その辺は、大いに反省してもいいんじゃないのかなあ、
という気がする――今でも覚えているが、若いころの話、
ある、おいらが今でも心から尊敬する大学の教授と
酒を飲みながらお話ししたときのことだ――もう、
10何年か前の話。
彼は、70年代の左翼運動というものの革命的価値について
実力的には全く見込みがないものであったとしても
真剣な運動だった、と評価していた。しかし、おいらは
全くそれとは反対だった。なぜなら、
もしあれが本気なら、
どうしていまだに、「源泉徴収」なんてものが残っているんだ?
あんた、70年代運動の経験者として、
現在の大学教授すなわちサラリーマンとして
どうして自分の報酬を、自分が受け取る前に、政府によって
差っ引かれてしまう、その事実を諾々と受け入れているのだ?
本当に革命を志すなら、暴力なんか必要ない。すべて
源泉徴収を拒絶することから始めるべきだった、と、
そういったところ、先生は「いや、それは。。。」といって
苦笑いしてしまった。おいらの言ったことが
あんまりにも的外れに思えたのだろう。だけど
そうじゃないんだよ。日本人も、ボストン茶会のアメリカ人も
納税「自体」は拒否しないんだよ。投票なくして
課税なし、租税主権主義、そして減税。こうしたことは
いくらでも求めるけどね。
今でも、「政府債務はいくら膨らんでもそれ自体には
問題がない」という主張に対する紋切り型の反論は
「だったら税金もいらないよね」ということだ。そういわれると
「国債だいじょうぶ論」の人たちも、口ごもってしまう。。。
これに対しては、まあ、MMT=Tax Driven Monetary View の立場からは
あんた、何言ってんだ?の、一言で終わりだが、
しかし問題は、この、「税金もいらないよね」という空疎なきめ台詞が
何か魔力のような力を持って、相手を黙らせることができる、
と、多くの日本人によって受け止められてしまっている、という事実である。
日本人だけではない。実際、アメリカやヨーロッパの国家貨幣論を見ても
「税金が必要ない」というのは
イタリアのタックスフリー・マネー論ぐらいしか
見当たらない(そんなにたくさん調べたわけじゃないけど)。
サーキット・セオリーに至っては「誰も自分自身の負債によって
自分自身の負債を決済することはできない」という大前提を置くことによって
租税の意味が何かという問いを、はじめっから排除してしまった。この点では
主流派と択ぶ所はない。

ほとんどの市民、そして経済学者のみならず
いわゆる「知識人」(なんて言葉、最近ははやらないが)によって
租税自体は絶対の前提として受け入れられているのである。
なぜか。「貨幣がなぜ流通するのか」という問いに対して
「租税があるからだ」という回答を冷笑する人たちは
こうした単純な事実をまともに評価しようとする能力がないのである。
だから、おいらから見れば「うわべの」知性主義、といいたくなってしまうわけだ。
貨幣を問うことは、租税を問うことだ。そして、
租税を問うことは、国家、あるいは、我々自身の内なる
階級関係を問うことだ――どうしてこんな単純明快な事実から
目をそらせようとするのだろう。。。。
(国家論と租税論を結び付けた議論って、
見たことないんだよね。せいぜいシュンペーターの文庫版があるぐらいだが、
あれはちょっと方向性が違うし。。まあ、いくらなんでも
無いわけはないんで、たぶんちゃんと調べれば
いくらでも出てくるんだろうけれど、でも、
ちゃんと調べなければ見つからない程度に
マイナーな論点として扱われてきた、ということだ。)

あーーーーまた、Alla Semenova から離れちゃったよ。
結局、Alla Semenova って、何者なんだ?
まあ、いずれ機会があったら、Inghum と一緒に
紹介するから、(その前にFullwailer をやっつけなきゃ、、、)
しばらく待っててね。(興味ある人は。。。誰も興味なかったら
悲しいなあ。。。)



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4 コメント

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test (wankonyankoricky)
2015-03-07 12:46:39
test
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貨幣起源 (経済素人)
2016-09-03 22:21:57
貨幣の起源を物々交換から考えないのは、面白い発想ですね。経済人類学と何のかよく判らず流行で読んでいたのですが、ブログを読み調べたりしりて何となく納得し始めています。経済学の教科書は貨幣の存在をほとんど無視し、貨幣ベールのような感じですが、ーーー。もしご存知なら貨幣の発生をきちんと書いているマクロ経済学の金融論の本とかあるのでしょうか。しかし本当によくご存じですね。誠に興味深いブログを書かれているのはありがたいことです。
返信する
貨幣起源 (経済素人)
2016-09-03 22:24:40
貨幣の起源を物々交換から考えないのは、面白い発想ですね。経済人類学と何のかよく判らず流行で読んでいたのですが、ブログを読み調べたりしりて何となく納得し始めています。経済学の教科書は貨幣の存在をほとんど無視し、貨幣ベールのような感じですが、ーーー。もしご存知なら貨幣の発生をきちんと書いているマクロ経済学の金融論の本とかあるのでしょうか。しかし本当によくご存じですね。誠に興味深いブログを書かれているのはありがたいことです。
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コメントありがとうございます。 (wankonyankoricky)
2016-09-11 12:25:37
お返事が遅れて申し訳ありません。
好意的なコメントをありがとうございます。

貨幣の起源に関してふれているマクロ経済学の
金融論の本、これが正統派(主流派)となると
難しいですよね。すぐには思いつきませんが
アンドレ・オルレアンなどは
比較的、ご希望されている内容に
近いイメージのことを欠いているかもしれません。

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