断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Geoffrey Ingham のThe Nature of Money 買ったー

2015-03-29 22:11:38 | MMT & SFC

MMT関連の書籍というのは、 比較的簡単にネットで全文コピーが 手に入る。

著作権に無頓着なのか、

今はまだ、著作権を犠牲にしても 主張を普及させる方が先だ、と

考えているのか その辺のことはよくわからない。

もちろん、すべての人がそうだ、というわけではなくて

Geoffrey Ingham なんて人の場合は、 論文すら

なかなかネット上で探し出すことが できないでいる。

それでも比較的新しい Capitalism, 2008

なんてのは、ネットで簡単に全文コピーを探し出せるし

OECDのFuture of Money はOECDのウェッブページから

ダウンロードできる。

 

Geoffrey Ingham のことを"MMTer" と呼ぶことには

もしかしたら、異論もあるかもしれない。というか、

本人がどう考えているのかは、はっきりしない。

専門が社会学であることから、目先の経済政策論争に介入することは

まずない。その意味ではレヴィ・インスティテュート=カンサス・グループとも

やや距離があるかもしれない。しかし、基本的な考え方のベースは

ネオ・カルタリズム=Tax Driven Monetary View であることには

間違いなく、レイが編集したA. Mitchell Innes の研究書

Credit and State Theory of Money, 2004 には

Michael Hudsonらとともに寄稿している。

本書もネットからPDFで全文コピーが取得できる。

ちなみに、前にAlla Semenova & Wray の論文に触れた時

「John F. Henry って誰だ?」とか、失礼なことを

書いてしまっていたが、それって、このInnes の研究に

参加していた人で、古代エジプトの議論を扱った論文の

ことですね。。。イヤイヤ。。。


そもそもおいらがこのIngam という人に興味を持ったのは

John Smithin の『貨幣とは何か?』What is Money ? ,

2000に所載されている

" 'Babylonian madness': on the historical and 

sociological origins of money "という論文

(本書もネットで無料で全文コピーの入手が可能だ)。

同書には、レイやパルゲ&セカレッシアの論文も

所収されているが、本論文に比べると、やや見劣りする

という感じである。この時期はパルゲはまだ

MMTというよりCTの立場でセカレッシアと共同論文を

作成している。なお、話は外れるが、

先日YouTube でセカレッシア Mario Seccarecciaが

パネルディスカッションに参加している動画を見た。

同ディスカッションには、ダンカン・フォーリーや

リチャード・クーも参加しており、セカレッシアは

両者の間に挟まれていた。このパネルディスカッションでは

彼ははっきりと「セカレッシア」と呼ばれていた。

これまで本ブログでは

彼の名前をゼカレッチアとか適当に書いていたが

今後は一応セカレッシアで統一していきたいと思う。

と、いうわけで、話を元に戻すが、、、


さて、Ingham 自身は専門の経済学者ではない。

したがって、現時点における経済論争などに

積極的に発言をしているわけではない。が、

現代の経済論争の中で、社会学的な観点が

抜け落ちていることについては非常に批判的である。

当然のことながら、経済政策というものは

社会的な影響を持つものであって、

単に経済諸変数だけに影響を及ぼすものではない。

だから経済論争には社会的影響の分析も

不可欠なのだが、Ingham が言っているのは

必ずしもそうしたことではない。

むしろ、経済・金融政策というものは

社会的に制度化されたシステムを通じて波及していくのだから、

それによっては、思いもよらない経済的結論が

出るかもしれないのである。経済学者なる人々が

単純に「需要・供給」の観点から、そして

貨幣を「価値を持った商品の一つ」として考え

信用を「貨幣を節約するための手段」とみなすことによって

どれほどおかしな結論が出てくるか、

検討してみる必要があるだろう。Ingham の研究は

そうした方向を向いている。まあ、

昨夜受け取ったばかりなので、まだろくに中身も見ていないが

そのうちInnes やAlla Semenova なんかと一緒に

ここで扱うつもりでいる。


それはともかく、なんちゅうかなあ。。。

本書を手にした時の印象は、正直、がっかりした。

と、いうのは、ページをめくると、印字が

インクジェット式のプリンターでプリントしたような

いかにも安物っぽい活字だったんだよな。。。

これって、例えばレイのModern Monetary Theory なんかも

そうだったんだけれど、

おいら的には、これって非常に嫌なんだよな。。。

マルクスは「ドイツの講壇経済学者どもは

書物の価値を、内容ではなく、厚さで測る」と軽蔑したけれど、

おいらにとっては、活字の質というのは

書物の価値を測るうえで、結構大事な意味を持っている。

活字がしょぼいと、内容までしょぼいんじゃないか、と

そんな気がしてしまう。要するに、書物を読む、というのは

単に内容を知る、ということだけじゃなくて、

一つの「儀式」なんだよな。自分の知らない、

全く新しい知性に触れ、それを享受しようということなんだから、

それにふさわしい入れ物が欲しいんだよ。。。

別にハードカバーでなくてもいいし、豪華装飾も必要ないんだけれど

(読むときには見えないもん)、活字だけは

否応なく目に入ってくるんだから、

それだけはきれいにしてほしいんだよな。。。ブログじゃないんだから。。。


全然関係ないけど、

ついでに、Felix Martin という人の

Moneyという本も、安かったので、買った。

これは人類学者ということだが、

ビブリオなどからも明らかに、MMTあるいは

ネオ・カルタリズム、G.Inghamからの影響を

強く受けた人類学的貨幣研究らしい。

読むかどうかわからないが(案外

読まれずうっちゃられている本も多い)、

もし読んだら、そのうち取り上げるかもしれない。

 



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