ワニなつノート

【8歳の子ども 2019】


【8歳の子ども 2019】


1.《誰にも応答されない子》



先生に呼び出されるたび、私は怒られ、殴られた。
でも「いい子になってほしい」という親の思いは、子どもの私にも分かっていた。
あれも「悪い子」の私への応答だった。だからふつうの「悪い子」でいられた。


だけど8歳のあの日は、怒られなかった。
ただ黙って、泣かれた。
どんなに怒鳴られ、怒られることより怖かった。
拳骨で殴られる痛みより痛かった。
夜中に、家から何キロも離れた田んぼの物置小屋に閉じ込められたときより暗く、雪の降る夜に外に出されるより寒かった。



お前に応答する友だちはもういない。
クラスにお前の居場所はない。
両親も妹も、お前に応答することはない。
お前の帰る家はない。
もう学校の廊下に立たされることもない。
殴られ、縛られ、閉じ込められることもない。
お前に応答する者は誰もいない。

お前は別の世界に行くのだ。



8歳の私は、誰からも応答されない「悪い子」になった。
もう誰も、怒らない。
誰に怒られることも、ない。




2.《どうして自分から離れたのか》



8歳の子どもには「分けられる」理由が分からなかった。
「怒られない」理由が分からなかった。

自分が「何をした」のか、何が悪かったのか、何一つ応答はなかった。
ただ私はみんなとは何かが違う――。
怖れだけが残った。

同じふりをしてるけれど、何かが違う。
何かが足りない。

「何かが足りない子ども」。
それが植えつけられた怖れ。

先生の言うことを聞かないと――。
勉強ができないと――。
みんなについていかないと、誰も応答しなくなる――。
「誰も応答しない子」それが植えつけられた怖れ。



「分けられない」ために、みんなに合わせるようになった。(自分なりに)。
先生に目をつけられないように生きた。(自分なりに)。
「自分の納得」よりも、「みんな」を気にするようになった。(自分なりに)。
「みんなは何をしているのか」、「この状況はどういうことか」、「自分がどうみられているか」。頭から離れなくなった。

みんなに「ついていく」ために、私は「自分の納得」に「ついていく」ことを手放した。


だけど中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、なくした「自信」が戻ってくることはなかった。

「ここまで来れば、もう見つからないだろう」と感じるだけだった。
私は誰に見つからないようにしていたのだろう。
何を隠して生きていたのだろう。




3.《取り戻そうとしたもの》


ふつう学級から追い出そうとした「先生」を見返すために、教員免許を取った。

当時は、普通に先生になっても、障害児に出会う機会はないと思えた。
だから別の大学に行き、私を分けた「特殊教育」を見返すために、養護学校の免許も取った。

すると私を「分けた」学校が、私に仕事をくれた。
「情緒障害児学級」の教室に行くと、「養護学校免許」を持っているのだから、「こういう子」たちのことが「分かるんでしょ」とみなされた。
「私たちにはよく分からない」けど、「あなたたち」には、「こういう子」の扱いが分かるんでしょ。


私が欲しかったのは、これじゃない。
「できること」で認められる「自信」。
それは、私を「分けた人」に認めてもらうことでしかなかった。
そこでどんなに認められても、8歳の私がなくしたものは戻ってこなかった。

「できない私」を責めた人たちに、「できる私」を認めてもらう。
そんなものが欲しかったわけじゃない。


私に必要だったのは、「悪い子の私」に笑いかけてくれた友だちだった。

8歳のあの日の私のままで、「ここにいていい」と思える仲間だった。



4. 《医療と教育を考える会》



そこには「悪い子」なのに大事にされる子がいた。
「障害」があるのに大事にされる子がいた。
しゃべらない子とふつうに対話する人がいて、誰に対してもふつうに応答する人たちがいた。


そこには、子どもがそっぽを向いているのに対話があった。
子どものどんな表現もことばだった。
わがままも、泣き声も、反抗的な態度も「いること」も、ふつうの「ことば」だった。


「いまここ」に「いること」に応答する人がそこにいた。
「待つこと」も子どもへの応答だった。
「待ってもらう」ことも対話だった。


25歳の私はぎこちなく戸惑っていた。
だけど8歳の子どもは、ワクワクしながら耳をすました。


学校は「この子に足りない」ものを語る。
でも親たちは「この子に足りないものなど何もない」と応える。
この子が言葉をしゃべらないとしても、生まれてきた時から対話してきた実感は揺るがない。
そういう人たちが、そこにいた。
この子が生まれた時から慣れ親しんできたつながりは、学校の言葉なんかで揺るがないと教えてくれた。

学校は「いるため」の条件を語り、親たちはこの子が「いること」に無条件に耳を傾ける。
そこにいたのは、学校の言葉を真に受けない人たちだった。


学校の先生や校長には「何か深い考えがある」のだろうと思ってきたが、実際はこの子たちと出会う経験のない人たちだと知った。



そうして、ようやく私は8歳の子どもと話せるようになった。


8歳の私に足りなかったもの。
そんなものはなかった。
私に足りないものなど何一つなかったのだ。
私が私であること、それでよかったのだ。




5. 《もっとこの子に会いたい》




障害を直そうと分けて
出会う機会を減らすより
もっとこの子に出会いたい
子どもたちの縁をひろげ つなげたい


子どもを直そうと分けて
出会う機会を減らすより
もっとこの子に出会いたい
子どもたちの対話をひろげ 笑顔がみたい


もっとこの子に会いたい










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